Franca Sozzani Dies At 66

NEWS & EVENT | Dec 23, 2016 10:42 AM
イタリア版『Vogue (ヴォーグ)』の編集長 Franca Sozzani (フランカ・ソッツァーニ) が、長年苦しんでいた闘病の末この世を去った。享年66歳。

イタリア版『Vogue (ヴォーグ)』の編集長 Franca Sozzani (フランカ・ソッツァーニ) が、長年苦しんでいた闘病の末この世を去った。享年66歳。

1988年に同誌編集長に就任して以来、30年近くにわたり「イタリアン・ヴォーグ」というブランドを守り、また同時にその驚くべきクリエイティビティと確固たるなビジョンでファッションの世界を切り開いてきた真のレジェンド。

当時からの付き合いだというアメリカ版『Vogue (ヴォーグ)』の Anna Wintour (アナ・ウィンター) はウェブサイト上で以下のメッセージを寄せ、哀悼の誠を捧げている。

以下全文和訳。

 

「Franca (フランカ) と私が編集長としてのキャリアをスタートさせたのはちょうど同じ頃でした。とはいえ、初めから自動的に近しい仲にあったわけではなく、他の “ヴォーグ・エディター” たちが結束しているなか、私たち2人は互いに距離を取り合っていたような記憶があります。

しかしショーに次ぐショー、そしてシーズンに次ぐシーズンを経て、私たちは徐々に友人として互いを認識するようになりました。その友情が、結果的に30年もの間続いたのですから、私はこの上ない幸せ者であり、名誉に感じているというほかにありません。「友情は手に入れるもの」。彼女が私に教えてくれたことです。

プライベートでの Franca は、温かい人間性に満ち溢れ、聡明で、愉快で、また時にエジプトのスフィンクスとも互角に戦えるほどの自信に満ち溢れた人でした。私の知る中で最もよく働く人であったことは言うまでもありません。驚くようなたくさんの仕事を、誰もが驚くような涼しい顔をしてやってのけるような人でした。例えばアフリカにいる若手デザイナーをサポートするためであったり、時事性に溢れ、過激で、そして途方もなく魅力的なエディトリアルを撮影をするために何百日もの歳月を費やしながら、まるで微塵も努力していないようなそぶりを見せるような人でした。

彼女の息子である Francesco Carrozzini (フランチェスコ・カロッツィー二) が彼女のドキュメンタリーを手がけていることが発表されたのがつい最近のことです。タイトルは『Franca: Chaos and Creation』。自分の息子が監督するドキュメンタリーで主役を務めるとなれば、それは骨の折れるプロジェクトであることは容易に想像がつくでしょう。ある日、映画の脚本に関して彼女が Francesco と大きく食い違ったと話してきました。しかし、私からすれば彼女のビジョンと、Francesco の台本、いずれも魅力的で理にかなっているように見えたのです。この母にしてこの息子あり、とでも言いましょうか。知性と文化的素養に溢れ、チャーミングで、そしてルールに縛られないという人間性を共有していた彼女たちは、映画という1つの作品に向けてたくさんの努力を重ねてきたのです。

自らの強い意思や決意、勇敢さ、美しさ、大胆なイマジネーション、そして社会情勢に対する独自の見解を、ファッションという形で表現してきた Franca を、Francesco は映画の中で見事に捉えていました。彼にとって Franca は、唯一無二の母親。そしてそれは友人にとっても同じことだったのです。

彼女が病床に伏していると聞いた時、真っ先にミラノにある彼女の自宅を訪れました。そこで私が見たのは、変わらぬ意志と精神に満ち溢れた彼女の姿でした。Matteo Renzi (マッテオ・レンツィ) 首相になってからのイタリア経済のこと、ガーナで出会った女性と素晴らしい仕事が出来たこと、そしてそれぞれの息子や娘の恋愛事実 (註1) まで、私たちは陽の下で語り合いました。

ロンドンにも一緒に行きました。彼女は British Fashion Award (ブリティッシュ・ファッション・アワード) の名誉賞を受賞したのです。酸素吸入をしなければいけない体調にも関わらず、自分はその会場に行かなければならないと。そしてステージにのぼり、彼女らしいチャーミングで、謙虚なスピーチをしました。若い頃イギリスに住んでいた彼女は、英国が彼女にクリエイティブ精神というドアを開けてくれたことに対して感謝していました。このクリエイティブ精神について言えば、私は常にドアの半歩手前にいるような気がしていたのです。

その後私たちはユーロスターに乗ってパリに行きました。Karl Lagerfeld (カール・ラガーフェルド) による Chanel (シャネル) のメティエダールコレクションを見るためです。ここでも彼女は「Karl をサポートしたい、だから私は (パリに) 行きたいの」とさらっと口にしていました。彼女がサポートさていたのは Karl だけではありませんでした。アーティスト、俳優、ライター、フォトグラファー…それが有名であれ若手であれ、彼女の薫陶を受けた人は皆業界で大いに活躍をしました。時には社会事情に対する事がらまで、まるで自分のことのように熱心に気をかけていました。彼女の勇猛果敢なサポート精神は、後世にまで語り継がれることでしょう。

その次に Franca と会ったのは、再びミラノ。曇りがちな週末の日のことでした。病院のベッドに横たわり、羽のようにか弱い様子の彼女は、相思相愛であった彼女の両親について話してくれました。いついかなる時でもランチの時間には家に帰ってきた父のこと。夜明け前に起きた彼女の母が、新聞を隅から隅まで読み、興味のある記事には赤い印をつけ、そして夫のテーブルにキチンと並べて朝食の準備をしていたこと。

この時私が着けていたのは、小さな腕時計。彼女が友情のしるしとしてくれたものです。そして私は当時約束しました。この時計をいつか、同じように友情を分かち合った誰かに譲り渡すことを。もし Francesco に娘が出来たら彼女に渡そうかと思っています。自分の父が愛を込めて作った、偉大なる祖母の映画を見られる彼女は、なんと幸せなことでしょうか。」

註1) Francesco は Anna Wintour の娘である Bee Shaffer (ビー・シャファー) と交際中と報じられている。

 

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