Yasuko Furuta
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TOGA (トーガ) デザイナー、古田泰子インタビュー

Photo by Chikashi Suzuki

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Portraits/

アート、音楽、ストリートまで、ファッションにとどまらないカルチャーへの造詣が深いことで知られるTOGA(トーガ)デザイナー、古田泰子に TFP が独占インタビューを敢行。

TOGA (トーガ) デザイナー、古田泰子インタビュー

アート、音楽、ストリートまで、ファッションにとどまらないカルチャーへの造詣が深いことで知られるTOGA(トーガ)デザイナー、古田泰子。ブランド立ち上げから20年の節目を迎えた今年、東京では12年ぶりとなるショーを開催。先立ってロンドンで発表した2018年春夏レディスコレクションをベースに、北村道子をスタイリストに迎えたダイナミックな再編成で、そのオリジナリティと実力の高さを改めて示して見せた。

現在、TOGA は全6ラインに加え、バッグ&シューズラインも拡充。世界的なメジャーブランドへと着実に成長を遂げながら、TOGA ほどアンダーグラウンドな独特の匂いを漂わせ続けているブランドも珍しいのではないだろうか。今回のインタビューでフォーカスするのは、TOGA 内でもアーカイブ化されていないコレクション外の活動やニッチなコラボレーションワークの数々。デザイナー本人とともにデビュー前までさかのぼり、TOGA 周辺のネットワークを掘り起こして、その知られざる魅力の源泉に迫る。

TOGA 2014 S/S Campaign

TOGA 2014 S/S Campaign

TOGA 2011-12 A/W Campaign

TOGA 2011-12 A/W Campaign

—写真家の鈴木親さん、画家の五木田智央さんをはじめ、TOGA のクリエイティブにはカルチャー寄りのアーティストたちがよく参加しています。彼らとタッグを組むようになったきっかけはありますか?

親くんも五木田さんも、最初に出会ったのは TOGA を始める前。まだ無名に近く、とにかく暇で時間はたくさんあった気がする、そんな時代に私たち全員が引き寄せられるように居合わせた場所があって、(故) 千葉慎二さんが手がけていた Poetry of sex (ポエトリー・オブ・セックス) というブランドです。千葉さんは好きなアーティストに会いに行き、直談判で絵を描いてもらってはTシャツにするという活動をしていました。

—アーティストコラボ T のはしりですね。

Richard Prince(リチャード・プリンス)など普通に考えたら億単位のギャラがかかりそうな超一流のアーティストにも、千葉さんは情熱と執着で絵を描いてもらっていました。そんなすごいことをどうやってやってのけたのかというと、ただ熱狂的にあなたが好きだと言い寄って、絵をもらうまで帰りません!の勢いで玄関に居座る。あるいはアーティストが書き損じた絵をゴミ箱から漁る。といった感じで、とにかく尋常ではないんですけど、その情熱だけで相手を説得してしまっていました。90年代の日本にそんなムーヴメントもあったんですね。そうして入手したアートを服に落とし込むための T シャツやタンクトップのボディを一時期、私が作っていました。Richard Prince、五木田智央、Rita Ackermann(リタ・アッカーマン)、山塚アイさんなどなど、そうそうたるメンバーです。

—五木田智央さんとの出会いは?

初めて会ったのは、(当時の同潤会アパートにオープンした)ギャラリー ROCKET のこけら落としでPoetry of Sex が展示会をやった時 (1996年)。そこで目にした五木田さんの絵が頭から離れず、その流れで(翌97年に開催した)TOGA 初の展示会のインビテーションを、五木田さんに描いていただけることになりました。

—五木田さんが日本で一気に知名度を上げた「ランジェリー・レスリング」(@渋谷パルコギャラリー)が、そこからさらに3年後の2000年でしたね。

そうですね。私も含め、私のまわりには音楽、アート、写真など、いろんなジャンルで草の根運動をしているような友人が多かったのですが、五木田さんはついにひとり抜け出したぞ!お祝いだ!みたいなノリで騒いだのを覚えています。

五木田智央 x TOGA

五木田智央 x TOGA

—Poetry of sex 経由でつながった人脈で、ほかに影響を受けた存在は?

アートディレクターの角田淳一(つのだ・じゅんいち)さん。Poetry of sex ではないですが、さらに上の世代の大類信(おおるい・まこと)さん。この2人に出会えたことは、すごく大きいです。大類さんのデザインに触れてショックを受けた世代だと思います。

—大類信さんといえば、雑誌『ロッキング・オン』の立ち上げメンバーとして有名なアートディレクターですね。

写真家を起用した誌面作りや、わざとらしさがない完璧なレイアウトを、雑誌のエディトリアルで誰よりも早くやった人。今でいうアートディレクターの先駆者だと思います。『ロッキング・オン』の何がカッコいいって、発行順に並べると背表紙の絵が繋がって、女の人のヌードになるんです。彼は Bettie Page(ベティ・ペイジ)の写真集をはじめて日本に紹介したディストリビューターでもあり、海外の洋書といえば嶋田書店(※2015年閉店)しかなかった時代に、『Purple』や『Self Service』などを個人で1号目から仕入れていました。ちなみに、何年か前の『Purple』のアートディレクターもされてました。

—大類さんが TOGA に実際に関わったのは?

インビテーションのデザインや、広告キャンペーンのグラフィックなど何度かお願いしています。印刷物の片面シルバーの表現や、ショップに置いているハンガーラックも、元ネタは大類さん。彼がかつて渋谷の南平台にオープンしていた THE deep gallery(ザ・ディープ・ギャラリー)に、脚立と三脚で適当に作ったラックがあって、それがすごくかっこよくて。TOGA で真剣に作ってみてもいいですか?と許可をいただき、シルバーで型抜き&コーティングして、TOGA のショップ用に制作しました。

学生時代からTOGA立ち上げまでのこと。

—学生時代は Comme des Garçons(コム・デ・ギャルソン)でもバイトしていたと聞きました。

当時はとにかく Comme des Garçons に入りたかった。だからパリから帰国後は、フリーランスでコマーシャルの仕事を受けながら、Comme des Garçons でパタンナーアシスタントのアルバイトをしていました。実際に中で働いてみてわかったのですが、Comme des Garçons の洋服に対する真摯さと真面目さは半端じゃない。パリのマイペースな働き方に慣れていた上、何も知らず熱意のみで飛び込んだ初の社会経験で、カルチャーショックを受けました。結局8ヶ月で辞めたのですが、胸を張って、川久保玲さんは今でも一番尊敬しているデザイナーといえます。

—フリーの仕事を経て、五木田さんがインビテーションデザインを担当したという展示会を決めたきっかけは?

写真家の伊島薫さんのプライベートスタジオを貸していただけることになり、場所ができたのをきっかけに展示会開催に踏み切りました。それまではバイヤーに持ち込んだりもしていたのですが、運ぶとシワになるし、世界観も伝わらない。自分が思うベストの状態、最低限場所をつくり、人を招待するまではオーガナイズしないと見せてはいけないような気がしてきて、展示会形式に切り替えました。

—伊島薫さんともつながりがあったとは、またまた豪華ですね。

当時、タレントさんの衣装の仕事でよくご一緒させてもらったのがスタイリストの安野ともこさん。いつもアイデアの段階から参加させてもらえて楽しかったのですが、私の中ではもっと多くの人に向けた量産をやりたい思いが次第に強くなっていて。ある日、そんな葛藤を安野さんに打ち明けたら、パートナーである伊島薫さんが作っていた雑誌『zyappu(ジャップ)』で6P、好きに洋服を作ってみたらとご提案くださった。スタイリングは安野ともこさん、撮影は伊島薫さん。そんな豪華メンバーで作ったヴィジュアルでデビューできたんです。その後、伊島さんのスタジオを格安で貸していただき初の展示会を開催、という経緯です。

Photo by Chikashi Suzuki

Photo by Chikashi Suzuki

—伊島薫さんの『zyappu』といえばインディーズですがラグジュアリー志向でしたよね。かたやアート寄りの『Purple』に関わっていた大類信さん。その両極とデビュー前からつながっていたというのは、その後の TOGA のスタイルを暗示するようでもあります。

といっても、展示会に話を戻すと、第1回目の展示会に来てくれたバイヤーは、たった3人でした。自分でバイヤーに電話をかけまくって、五木田さんに描いてもらったインビもたくさん送ったのに、現実は厳しいことを痛感。ただ、今でもよく覚えているのですが、その3人のうちの1人が、ユナイテッド・アローズの重松理(現・名誉会長)さんでした。独特の着こなしをした人が現れて、この人は一体何者?と思ったら、ポケットの中から出できたクシャクシャの名刺で重松さんと知ってびっくり。

—再び大物登場…!

もちろん重松さんは私のことはご存知なく、私がパリから帰国後に大変お世話になっていた知り合いの紹介で来てくださったとのことでした。後日、レディスのバイヤーに改めて見ていただく機会をいただいたのですが、結果からいうと、その時は買ってもらえなかったんです。「ちゃんとラックが埋められるデザイナーになりたいのだったら、もっと服を増やしてからじゃないと買い付けられない」といわれて。今思えば、すごくいいアドバイスだった。安売りせずに済んだし、2回目に向けて立て直すことができました。

—展示会6シーズンを経て、ショーを始めた理由は?

きっかけは、会社を設立して、初めての TOGA の事務所を借りたことです。移った先の円山町のオフィスが期待以上に広くて、ここならショーができるかもと思いました。いろいろ運び込む前に、空っぽの箱のうちにショーをやってみようという、けっこう安易な考えでスタート。

※TOGA のファースト・ランウェイショー。以下、全ルック。

—大変だったことなど思い出は?

大変なことだらけですよね(笑)。とにかく服を作ることに夢中になっていたら、あと1ヶ月というタイミングになって初めて、そういえばモデルってどうやってブッキングするの?と気づいた。さいわい同業の友人は多かったので色々教えてもらえたのですが、予算は50万しかないと伝えると呆れられたり(笑)。

その時に助けてくれたのが、ドラムカンの田村孝司さんでした。エスモードの先輩にあたる  LAD MUSICIAN(ラッドミュージシャン)の黒田雄一さんに紹介していただいた演出家で、「え?お金ないの?大丈夫、任せといて!なんとかなる!」といってくださった。すごいですよね。椅子は、ガソリンスタンドで譲ってもらった空き缶で代用したり、おしり痛いからクッション作ろう、とか。限られた中でいろいろ工夫しました。

—古田さんには人を集める才能がありますね。

本当に人に恵まれ、助けられたと思います。予算は50万から100万、その次のシーズンはまた80万に落ちたり…とか、そんな規模感だったのですが、スタッフには正直にシェアして、最大限できることをみんなで考えながらやっていきました。徐々にですがショーの枠組みが大きくなってきて、2006年春夏シーズンから、もともと行きたかったパリへ移ることを決意しました。そのタイミングで、事務所も恵比寿に引っ越しました。

—その恵比寿オフィスで開いたショーが12年前、ですね。

かつてデビューショーを円山町の事務所で行ったように、東京最後のショーもまた新しい事務所でのサロン形式となりました。

※恵比寿オフィスで行われた東京でのラストショー。以下、全ルック。

※TOGAの代表的なコレクションとして今なお語り継がれる2004-05年秋冬シーズンの「メタル・コア・ファンタジー」。以下、全ルック。

モードと古着とショップについて。

—原宿、金沢、大阪に直営3店舗を展開。古田さんが考える、理想のショップとは?

女性のワードローブには、Hanes(ヘインズ)のシャツもあればヴィンテージもある、イヴニングドレスもある。男性よりも熟していて、そのすべての面をTOGAで補いたい。ただ、それが一つのブランドで完結してしまうと伝わりづらいので、PULLA(プルラ=日常)、PICTA(ピクタ=1点、豪華)といった風に、それぞれ切り出していきました。古着もその一つとして日常の中にコーディネートして、自分らしさが出せればという考えです。

—古着を扱う TOGA XTC も、TOGA の世界観を構成する上で欠かせないパーツというわけですね。

量産の服が並ぶ後ろで、古着も混ぜて存在するのが理想形。原宿のショップは、実際は古着屋の方が前面に出ていますが… ここで私が見せたいのは、服の歴史の構図です。TOGA の服も、いつかは古着になるわけで。

—古着屋を併設し、最新モードとヴィンテージを混ぜる。世界でもなかったスタイルだと思います。

いつもお世話になっていて、大好きな古着卸屋があるのですが、そこの社長いわく、デザイナー本人が古着をショップで扱いたいと問い合わせしてきたのは、私が初めてだったらしいです。

—ちなみに古田さんが個人的に好きなヴィンテージは?

まず、ヴィンテージという言葉そのものを、普段からあまり使わないようにしています。私はそもそも、価値や評価が決まっているヴィンテージショップより、セカンドハンズショップのような場所に足が向きがちなので。たとえばフランスだと Guerrisol(ゲリソル)という、地元のおばちゃんやアラブの人たちなんかが買い物するような激安古着屋があるのですが、そこで漁ったりします。

—キッチュなものが好き?

カシミヤやモヘアも大好きですが、アクリル入りも発色がいいので大好き。すべては使い方次第だといえます。

—今や量産のアイテムも古着として出てくる時代です。

1点モノから大量生産へと切り替わっていったのが50〜60年代ですからね。たとえば今古着の仕入れに行くと、一番大量に出てくるのは H&M だったりします。古着というのは時代の表層であり、その時々で流行ったものが後になって出てくる。そう考えれば、量産された古着にも魅力はあって、私はそういったものも拾い上げて混ぜていきたい。

—たしかに TOGA の服には、ナイロンや PVC、メッシュなどチープな素材使いや引っかかりのあるディテールも多いですね。

なんでこんなこと考えちゃったんだろう?って、思わず手が止まるような古着ってありますよね?TOGA の服も、いつかそうなってほしい。バックグラウンドを匂わす服になってほしいといつも考えながら作っています。

—それで会社名も TOGA ARCHIVES(トーガ アーカイブス)?

TOGA という資料保管庫がどんどん積み上げていければという思いです。HHK アーカイブスという深夜番組(*現在は昼枠)が好きで、そこからの影響もあります。

Photo by Chikashi Suzuki

Photo by Chikashi Suzuki

—古田さんのようなデザイナーがいる一方で、古着をあくまで資料として扱うデザイナーの方が多いと思います。

特にヨーロッパだと、お金さえ出せばどんな古着=資料も探し出してくれる便利なシステムがあるんですよね。MARTIN MARGIELA (マルタン・マルジェラ) が、どうやってあんなにレザー手袋だけを大量に集めて1点モノが作れたのか?その答えが、パリから2時間くらいの田舎にある巨大倉庫にあると聞いて、行ってみたことがあります。その巨大倉庫では、たとえばアディダスのタンクトップだけを集めて欲しいとお願いすると、どさっとゴミ袋に集めてくれるんです。

この倉庫は、パリの古着界のトップといわれるショップ Espace Kiliwatch(キリウォッチ)の元会社。なるほどね、デザイナーはみんな蚤の市などを地道に回って集めているわけじゃないんだ、ヨーロッパはいいなぁと思っていたところ、この倉庫の方に紹介いただいたのが、現在日本でお世話になっている古着卸の社長、というつながりが生まれたりもしました。

—TOGA のアイコン的な三角形のネックレス MAGIC TRIANGLE(マジック トライアングル)も、面白いストーリーが隠れていそうですね。

ファッションというのは意味を抜く作業でもあるから、そのままでは出しませんが、原型はあります。以前たまたま旅先で、三角形の革にお香が詰めてあるお守りみたいなものを見つけました。単純にかっこいいなーと思って、“アラー”と書いてあった面を裏にして見えないようにして使っていたのですが、ある日それをつけてトルコに行った時、「ちょっと君!」と呼び止められたんです、あ、宗教上何か問題があったかしら?と心配していたら、このネックレスは君を守ってくれるから大切にしなさい、といわれました。それで安心して、再デザインを重ねて完成させたのがコレ。みなさんのことも守ってくれますようにと願いを込めた、TOGA 流のお守りです。

TOGAと音楽。

—古田さんは10代の頃は何を聴いていたのですか。

ハウス、Vogueing(ヴォーギング)ですね。Susanne Bartsch(スザンヌ・バーチ)が来日すると知った日には大騒ぎしていました。映画『Paris Is Burning(放題:パリ、夜は眠らない)』って観たことありますか? 黒人の差別社会の中で、さらにゲイである男の子たちが目立つために全力でおしゃれして、ヴォーギングのダンスで競い合うんです。ファッションって、カルチャーの文脈から生まれるもの。その背景のつながりを感じたり、紐解くことをとても面白く感じていて。たとえばブルースやソウルの人たちが着ていたピタピタのスーツが、実はモッズの原型だった、とか。当時はもちろん知らずに着ていましたけど。

—ブラックからモッズとは、マニアな振り幅の広さですね。

東京に来てからはモッズカルチャーに夢中でした。ただ、モッズと一度決めつけてしまうと、学校の課題もモッズスーツみたいなものばかり作るようになってしまって、新しいって何だろう?と悩んだり。で、ある日突然モッズやめます宣言をしたんです。その表明として、Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)のバルーンスカートを買ってみたり。モッズ友達には、モッズ=モダーンズであって、つまり時代の先端をクラシックの中に取り入れることだから、これでいいんだ!みたいなわけのわからない理屈をこねたりして(笑)。実際のところは、キャップ被ってハウスパーティにも行っていたんですけどね。

—ネタがつきませんね(笑)。パリ時代の話も聞きたいです。

パリには小さなライブハウスがたくさんあって、海外からいろんなアーティストがツアーで来るんですけど、日本に比べてすごく身近なんですね。時間が空いたら、その時にやっているものをふらりとニュートラルに聞きにくのが好きで、Madder Rose(マダーローズ)などのオルタナ系ロックやブリットポップあたりをよく聴いていました。そこにアシッド・ハウスのムーヴメントが到来。帰国後はテクノにハマり、TOGA を始める頃は LIQUIDROOM(リキッドルーム)に夢中になり、MANIAC LOVE(マニアックラブ)に通う日々。

—TOGAのスタイルには、どちらかというとロカビリーも感じます。

ロカビリーそのものというよりは、80年代の終わり頃の“パンカビリー”かも?ロカビリーがパンクと出会い、さらにニューウェーブも混じったあたりの影響は受けていると思います。階級社会の中で起きる不満の爆発が、従来のスタイルを切り裂き、そこから新しいテイストが流入し、新しく生まれ変わる。そのパターンの変化にすごく魅力を感じているので。たとえばクラシックなスーツにタイをしてみる。それからフリルのシャツを合わせてみるなど。

※TOGA VIRILIS x 五木田智央 2015 S/S
TOGAのメンズラインTOGA VIRILIS(トーガ ヴィリリース)の2015年春夏コレクションは、五木田智央とのコラボ。プレゼンテーション形式で、Dirty Beaches(ダーティー・ビーチズ)のライブを開催。

 

—それが TOGA のメンズスタイル。

メンズには、スーツの装いが最低限ある。そこにカフリンクスとかタイピンなどの関連する装飾品がある。Tシャツなどはその後、というのが TOGA VIRILIS(ビリリース)の基本スタイルです。

TOGA VIRILIS 2013 S/S Campagin

TOGA VIRILIS 2013 S/S Campagin

—たとえば音楽ネタがベースにあったとしても、わかりやすい T シャツなどキャッチーな落とし込みはしない、ということですか?

元ネタをそのままインスピレーションとして表に出すことに、私の場合は抵抗があって。これまで TOGA ではコラボレーションをたくさんやってきましたが、相手のアイコニックなモチーフをそのまま TOGA に置き換える、といったやり方は絶対しません。

—そういわれると、ストリートブランドの have a good time とのコラボレーションには、まさにその哲学が反映されていました。

彼らとは、DUNE の(故)林文浩編集長を介して知り合ってから長かったし、本人たちに作ってもらう、という形ならできるかもと思い、ブランドの名前を have a TOGA time に上書きするスタイルで、Tシャツやキャップを作ってもらいました。

<Six Sentsの限定フレグランス>
Six Sents(シックス・センツ)は年に一度、カルト的人気を誇るデザイナーやアーティスト6名を選出し、世界的なフレグランスメーカーGivaudan (ジヴァダン)の調香師とのコラボレートでフレグランスを制作したチャリティプロジェクト。TOGAは第2シリーズ(2009年)で参加、‘Whiskey Caramélisé(ウイスキー・キャラメル)’と名付けられた香りに、ストーリーとフィルム、アートと写真を交えて独自の世界観を創出。

<15周年(日野日出志コラボ)>
ホラー漫画界の巨匠、日野日出志とのコラボレーションアイテム「TOGA×日野日出志スペシャルパック(Tシャツ、A4サイズステッカー、ピンバッチ2個)」

—一方で古田さんは、Sonic Youth(ソニック・ユース)などのオフィシャルグッズを手掛けていますね。

Sonic Youth の新譜『The Enternal』(2009年)の日本限定 BOX セットのTシャツを、TOGA NEJICO 名義で作りました。その BOX には、Sonic Youth の伝説のファンジン『Sonic Death』の現代版も入っていたんですけど、これは五木田智央さんと塩田正幸さんによる制作、と豪華な内容で楽しかったです。

—TOGA というブランドの枠組みを超えた、古田さん個人の活動といった印象も受けます。

TOGA としては積極的に発信していない活動も多く、あまり知られていない部分かもしれません。Sonic Youth は、日本のディストリビューターをやっていたホステスエンターテイメントの人が私の同級生で、レインボー2000(※日本初の巨大野外フェス)に一緒に行ったりしていた仲で。一時期、ホステスエンターテイメントとは正式にタッグを組んで、「ホスト」という組織を立ち上げて、いろんなアーティストのTシャツなんかを作っていた時期もあります。

—たとえばどんなアーティストの?

Thurston Moore(サーストン・ムーア)、Mogwai(モグアイ)、Photek(フォーテック)、Best Coast(ベスト・コースト)などなど。最初はいわゆるオフィシャルとは違うものを作ろうってことで、好きにデザインしていたのですが、次第に利権とか面倒なことが出てきて。長くは続かず、解散。

<TOGA_FRAGMENT S/S 2016>
藤原ヒロシ率いる Fragment Design (フラグメント) とTOGA VIRILIS(トーガビリリース)のコラボ。スカジャンの元祖、テーラー東洋で制作したシルバーホワイト(TOGA VIRILIS)×ブラック(fragment design)の本気スカジャンをはじめ、オリジナルTシャツやスウェットなどをリリース(2016年春夏)

—LIQUIDROOM とは今も続いていますよね。Tシャツなどのデザインのみならず、今年5月にはビジュアルアーティストの Jesse Kanda(ジェシー神田)のイベントで、TOGA が空間演出を協力するなど。

LIQUIDROOM は新宿時代からの付き合い。恵比寿に移転した後、2Fスペースを私がディレクションしたり、ウェブサイトのレビューコーナーで坂本慎太郎さんのソロアルバムにまつわるエッセーを寄稿したりもしています。私の独断と偏見の文章なんですけど、現在3回目までアップ。LIQUIDROOM の恵比寿移転10周年の時は、坂本慎太郎さん、五木田智央さんと3人で、それぞれ記念 T シャツを作りました。

TOGA であり続けること。

TOGA PULLA 2009-2010 A/W Campaign

TOGA PULLA 2009-2010 A/W Campaign

—シーズンごとにキャンペーンヴィジュアルを制作発表する、数少ない東京ブランドのひとつであり、モデルのキャスティングにも強いこだわりを感じます。菊地凛子、安藤さくら、市川実和子、福島リラ、ぺ・ドゥナ、KOHH…。メンズのキャンペーンで加瀬亮がレディスを着用、というのもありましたよね。今でこそジェンダーフリーのスタイリングは珍しくなくなりましたが、TOGA はいち早くそれをやっていた。

TOGA PULLA 2010 S/S Campaign

TOGA PULLA 2010 S/S Campaign

それは鈴木親くんの力が大きいです。TOGA の服をよく理解した上で、ヴィジュアライズに持っていく。印象に残っているキャンペーンだと、あとは芦名星さん×DUNE の林さんという超レアな組み合わせもありました。林さんがファッションキャンペーンに出るなんて、後にも先にも絶対ないですから。

 

TOGA 2015-16 A/W Campaign

TOGA 2015-16 A/W Campaign

TOGA 2015-16 A/W Campaign

TOGA 2015-16 A/W Campaign

TOGA 2016 S/S Campaign

TOGA 2016 S/S Campaign

TOGA 2016 S/S Campaign

TOGA 2016 S/S Campaign

TOGA 2017-18 A/W Campaign

TOGA 2017-18 A/W Campaign

TOGA 2017-18 A/W Campaign

TOGA 2017-18 A/W Campaign

—先日、12年ぶりの開催となった東京でのショーは、スタイリストに北村道子さんを指名。トレンドファッションの現場ではお見かけしなくなっていたレジェンドがショーのスタイリングに戻ってくるということで、関係者の間ではちょっとしたニュースでした。

北村さんは昔、TOGA の青いライダースをよく着てくださっていて、TOGA の女性像をずっと見てくださっています。先日、セルゲイ・ポルーニンの映画を観にいったらばったり北村さんと出くわして。あ、そろそろご一緒したいな、いいタイミングなのかもと思ってオファーしました。ディテールではなく、世界観をつくるスタイリングをお願いできる方はたくさんはいません。

—男女のモデルに同じデザインの服を着せるスタイリングが印象的でした。ドキッとするパーツを露出させながらエレガントに着地する、というのは TOGA のお家芸だなと。

先日テレビで知ってびっくりしたのですが、日本の会社の多くはノースリーブが禁止とか。隠すということが日本の社会ではとても重要で、ちょっとした露出でもセンセーショナルに騒がれたりする。グローバルから見たら、宗教でもないのに不思議な価値観ですよね。かたや、それが魅力に映る美意識というのもあって、チラリズムが色っぽく感じられるのもそう。TOGA の服の中には、そういう何となく想像させるパートを入れることが多いです。

TOGA PULLA 2009-10 A/W Campaign

TOGA PULLA 2009-10 A/W Campaign

—難解さとキャッチーが同居するのが、TOGA 流の色気。

テリー・リチャードソンに見るようなオープンな性よりは、しっとりとしている方が心地いい。だからといって、全部覆い隠すことでひたすら妄想力を喚起するよりは、私はバランスで出していきたい。

—素材、デザインからジェンダーまで、あらゆるボーダーラインを超えるというよりは、両極を結びつけて共存させていくスタンスが TOGA らしいです。

キュレーションする、ということをいつも考えています。日本のファッションには、アートディレクター的な存在が絶対的に欠けていますよね。服を作った後の派生のさせ方が、未成熟なんです。日本の服飾科で勉強していると、ファッションデザイナーかパタンナーの2択しかないような錯覚に陥りますが、実際に社会に出ると、生産、工場とのやりとりからサンプル製作、デリバリーまで、コレクションを一つ世に送り出すだけでも本当に多くの専門が必要になってくる。もっというと、その服をどうヴィジュアル化して、どういう風に発表するのか、プレスの仕事もセンスが要されます。勝負に出るつもりならデザイン以上に、服飾史はもちろん、美術や建築についても基礎知識として持っていないと、世界には到底追いつけない。これは私が苦労した点でもあるのですが、私は TOGA という洋服をもって1パートを請け負っていて、それしかできないんです。だから仕事は、いろんな人と組んでやります。ただ、何か1つの目標に向かって共同作業するというよりは、それぞれの専門に根を下ろしたまま、パスしあったりクロスしたりして足し引きを重ねていくイメージです。TOGA らしさというものがあるとしたら、その土台はいつも草の根運動的なつながりに支えられているのだと思います。

<プロフィール>
古田泰子 (ふるたやすこ)
1971年岐阜県生まれ。エスモード東京校で2年学んだ後にパリ校へ編入、帰国後は CM や PV などの衣装に携わり、1997年に TOGA を立ち上げる。99年より6シーズンにわたって展示会形式で発表し、2001-02年秋冬に東京コレクションデビュー、同年に会社設立。04年 TOGA PULLA をスタート、同年恵比寿にフラッグシップショップをオープン(07年原宿に移転、同年金沢店、08年大阪店オープン)。03年に毎日ファッション大賞新人賞を受賞し、06年春夏からはパリに発表の場を移す。07年にはフランス国立モード芸術開発協会主催の ANDAM 賞、09年には再び毎日ファッション大賞を受賞。14年にパリからロンドンへと発表の場を移し、2016年春夏にロンドンファッションウィーク初参加、9年ぶりとなるランウェイショーを開催し、現在もショー形式の発表を続けている。16年からは、既存の6ライン(TOGA, TOGA PULLA, TOGA PULLA SHOE, TOGA PICTA, TOGA Odds & Ends, TOGA VIRILIS)を展開。近年では、TOGA PULLA と TOGA VIRILIS のバッグ&シューズラインが拡充している。18年春夏には20周年を記念して、12年ぶりとなる東京でのショーを開催した。