Interview With Mitski

PORTRAITS | Jan 17, 2018 9:00 PM
90年代オルタナティブロックシーンを彷彿とさせる轟音ギターサウンドに甘いメロディーが絡みあう独自の世界観でアメリカを中心に人気急上昇中の Mitski。昨年末2度目の凱旋ライブに来日した彼女に自身の生い立ちや音楽のルーツについて語ってもらった。

DYGL (デイグロー)、Maika Loubté (マイカ・ルブテ)、ここ数年、世界の音楽シーンに通用する日本発のインディーズミュージシャンたちの活躍が目紛しい。そんな中、新たに日本とアメリカのダブルの血筋を持つ女性ミュージシャンがアメリカの音楽シーンを揺るがしている。Mitski (ミツキ)、本名ミツキ・ミヤワキ。彼女は幼い頃から様々な国をその目で見てきた。その経験と天性の音楽センスを武器に、彼女はニューヨークのバーチェス校で音楽を学びながら、在学中に『Lush』(2012)、『Retired from Sad, New Career in Business』(2013) をリリース。エモーショナルに掻き鳴らされるギター、その轟音に甘いメロディーが混ざりあう独自の世界観を確立し、3作目の『Bury Me At Makeout Creek』をリリースすると Pitchfork や NME、Rolling Stone 等主要音楽メディアから多くの賞賛を浴びた。

彼女の存在は90年代のオルタナティブシーンで活躍した Blond Redhead (ブロンド・レッドヘッド) や Cibo Matt (チボ・マット) といった日本の女性ミュージシャンたちを彷彿させ、私たちの心を高鳴らせてくれる。ここ日本でも耳の早いリスナーから注目され、今回が二度目の来日公演となる Mitski に彼女の音楽の成り立ち、バックグラウンドについて話を聞いた。

Photo by Yusuke Miyashita

Photo by Yusuke Miyashita

—Mitskiさんの生まれ育った環境は特殊ですよね。実際、日本にはどれくらいの期間を過ごしましたか?

日本と外国を行ったりきたりしていて、数え切れないほど引越しをしてきました。日本で過ごした期間は合計で5~6年くらいかな。海外に住みながらも、小学校6年生までは現地の日本人学校に通っていました。

—日本での思い出などありますか?

母親の実家が三重県の田舎の方で、地元の小学校で走り回ったこととか、そういった懐かしい記憶は残っていますね。

—様々な国で過ごした経験があれば選択肢も増えそうですが、なぜニューヨークを音楽活動の拠点に選んだのですか?

実は恥ずかしながらニューヨークに行く前はあまりアメリカのことを知らなくて、アメリカの大学に進学しようと考えたときに
ロサンゼルス、もしくはニューヨークしか選択肢に浮かばず、そのふたつの候補からニューヨークを選びました。大きな都市に住んでいたので、ニューヨークに住むことに特に抵抗はなくて。

—実際に住んでみてどうでしたか?

居心地は凄く良かったし、自分に合っていたと思う。ただ、物凄く物価が高い!ニューヨークは部屋を借りるにも、買い物をするにしても物価が高いので生活自体が厳しい。だから、ニューヨークに住む人たちは長時間働かなきゃいけないし、生活するために凄く頑張ることを強いられる。それって凄く疲れるし、ストレスが溜まる。大都市ならではの問題ですが、そこは東京と似ている部分もあると思います。

Photo by Kazumichi Kokei

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—ニューヨークの大学では何を勉強していたのですか?

作曲を専攻していました。幼い頃からピアノを弾いて、歌うのが好きで。特に将来の夢とか考えずに、ただ楽しいからという理由でピアノを選んで自然と歌っていました。歌っていくうちに他の人の歌を歌うことがしっくりこなくなって。自分の感情を表したいのに、他人の言葉を使うことに違和感があったのでしょうね。だから、自分の考えや思いを表現するために、曲を作ってみようってなって。当時17歳くらいだったかな。ギリギリ大学に行くまでは、曲を自作したいとか、バンドを組みたいとか、そういう意識自体、芽生えていなくて。

—個人的にはピアノよりもステージでギターを弾く姿が強く印象に残っているのですが、ギターを弾き始めたのはいつからですか?

実は大学に入るまでギターを弾く機会がなくて、大学に入ってから独学で練習し始めました。ニューヨークに住んでいると、移動手段は大体が地下鉄で、大きなキーボードを持って移動するのが凄く大変で。必要に駆られて、ピアノからギターに移行していきました。独学だったので、弾き方もあんまり正しくなくて、実は滅茶苦茶だったりします (笑)。

—独自のギター奏法、それが実際に Mitski さんの音楽の自由なスタイルにつながっているんじゃないでしょうか?

そうポジティブにとってもらえたら嬉しいです!

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

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—そもそも、音楽への興味は親からの影響だったりしますか??

特にそういうわけではないですね。私の両親とも音楽は普通の人くらいには聴いていたけれど、マニアックなものやインディーズには疎いほうだと思います。

—影響を受けたミュージシャンの中に Mariah Carey (マライア・キャリー) が入っていますよね!そのチョイスが意外でした。

マレーシアとか、私がいた国では、本的にビルボードのチャートのトップ10に入っているアーティストとかを自然と好きになって、インディーズの音楽に触れる機会があまりなくて。その中で自分が好きになった歌手が Mariah Carey で。

—そういった音楽のバックグラウンドから今の音楽のスタイルに行き着くまで、長い道のりがありそうですが、苦労はありましたか?

勿論、苦労は沢山ありました。メジャーな音楽を聴いてきて、いざそういった音楽を作ろうと思っても、それは不可能だって現実の壁にぶつかりました。メジャーなサウンドを作るためには大きなスタジオやプロデューサーが必要になるし、自分だけでなく、色んな人達の尽力によって成り立っていることに気付き、自分は曲が作れないって思い込んでしまっている時期もあって。でも、大学に行くようになって、そこにいるクラスメイトや、友人達がバンドをやっていて、彼らはDIYで曲を録音していて。その姿を見ていたら、自分もやれるはず!って思うようになりました。

Photo by Yusuke Miyashita

Photo by Yusuke Miyashita

—最新作『Puberty 2』 は今までの宅録とは違い、スタジオで録音したものですよね。録音環境が変わって、緊張しましたか?

学校に音楽部が所有しているスタジオがあって、そこでスタジオの使い方を事前に勉強する機会がありました。そのおかげで、それほど緊張せずにスムーズに作業ができました。レコーディングではライブとはまた違った緊張感が漂いますが、失敗しても何度もやり直しできるので。

—思春期=Pubertyというタイトルが印象的ですが、このワードをタイトルに選んだ理由を教えてください。

一般的に思春期って聞くと、鮮やかで、甘酸っぱい印象だけど、実際の思春期ってハードで全然可愛くない。ワイルドで、ヴァイオレントな時期だと思います。実際、思春期って映画みたいにキラキラしてなくて、むしろドロドロしていて。このワードに惹かれたし、映画の続編みたいに「2」ってつけたら面白いんじゃないかと思って。特に深い意味はないんですけどね。

 

Mitski - Your Best American Girl(Official Video)

 

—レコーディングなどで共同作業している Patrick Hyland (パトリック・ハイランド) は Mitski さんにとってどんな存在ですか?

すごく頼れる、一緒にいて安心できる存在です。スタジオで自分を表現するのってなかなか大変で、私は苦労してしまうのですが、彼といると安心して、失敗もできるというか、失敗を恐れず、前に進むことができる。ああ言えば、こう返ってくるっていうのも大体把握できているし、彼とのコミュニケーションに障害がないおかげで録音もスムーズにできる。長いあいだ一緒に音楽に携わってきて、彼がどれくらいの時間が必要だとか、ヴォーカルを録る際に気合が入りすぎてイライラしても、彼は理解して、そんな私を許してくれる。

—そもそも Patrick さんとMitskiさんはいつ、どんなきっかけで一緒に音楽をやることになったんですか?

レコーディングに取り掛かったタイミングで、急遽一緒にやるプロデューサーが駄目になってしまって。それで「じゃあ誰とレコーディングする?」ってタイミングで、そこに偶然彼がいて。大学では知り合いだったけど、彼がどんな音楽を好きかとかも全然知らなかったし。話したことさえ殆どない、そんな知り合いのひとりでした。ちょうど廊下で彼は教授に話しかけられているところで、私が「ちょっと来て!」って言って強引に誘いました。実際、最初に声をかけた時に、彼は迷惑だったみたいです (笑)。

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

—今まで色々なミュージシャンにインタビューしてきましたが、ミュージシャンという職業を選ぶことってすごく大変で、苦労する印象があって。音楽と生計を立てるための仕事をきっちり分けている人もいれば、音楽一本でやっている人など、やり方は様々ですよね。

私も勿論、お金を稼ぐため他の仕事をしてきたけれど、大体いつも、音楽をやりたくて、それを優先するために仕事を選んで、音楽に時間を費やしてきました。いつも音楽をやりたいのであれば、ミュージシャンにならなきゃ、と言う気持ちがあったので、ミュージシャンの道を選びました。

—ミュージシャンとして着実にステップを最近だと Pixies (ピクシーズ) のオープニングアクトなどに抜擢されていましたが、アメリカのオルタナティヴ・ミュージックの巨匠である Pixies とツアーに廻るオファーが来た時はどんな気持ちでしたか?

Patrick と一緒にいるときに、マネージャーからオープニングアクトの件を電話で伝えられて、二人共びっくりと感動で泣いちゃいました。二人共長年のファンだったし、最初に聞いた時は全然実感が湧きませんでした。実際にツアーに出てみて、プロフェッショナルな現場を体験して、そこから学ぶことはとても多かったです。Pixies のライブは、大勢のオーディエンスを意識したもので、演奏自体も2時間しっかり構成が組まれているし、ビジュアルとかも何もかもがちゃんとお金がかけられていて、自分たちもこういう風にレベルアップしていくんだって目標が見えましたね。

—日本でのライブはホームに帰ってきた感じですか?それともいつもと環境が違うので、緊張しますか?これから演奏するリキッドルームは中堅くらいの大きさですが。

バンドを始めて、本当に少しずつ少しずつステップを踏んで、ライブをする会場もそれに合わせて徐々に大きくなっていって。日本とアメリカの表現は違うかもですが、カエルを水に入れて、ちょっとずつ水の温度を上げていくと、水が沸騰する温度になってもカエルはびっくりしないんですよ。それと同じで、私も少しずつ状況に慣れてきたので、緊張することはあまりないです。

Photo by Kazumichi Kokei

Photo by Kazumichi Kokei

—ヴォーカリストとして、Björk (ビョーク) や St.Vincent (セイント・ヴィンセント) などユニークな女性ミュージシャンたちと比較されることが多いと思いますが、実際に Mitski さんが憧れているヴォーカリストは誰でしょうか?

私自身、ビョークにはすごく憧れがあります。あと、M.I.A (エム・アイ・エー) が大好きです。M.I.A を初めて聞いた当時、中学生で、神戸に住んでいました。地元の小さなレコードショップに暇つぶしに入った時に、偶然そこにあった M.I.A のデビューアルバムのジャケットに惹かれて、音も確認せずに買ってしまいました。そのアルバムを聴いた時に私の人生が変わったんです。他の誰も作らないような音楽を作っている彼女のファンになり、それからずっと追いかけています。アルバムがリリースされる度に彼女の素晴らしさを再認識しています。音楽そのものが他の人とかけ離れている。ファッションも発言もすべて独自で、5年後にやっと世間が彼女に追いつく。時代を先取りしているところが彼女の魅力だと思います。

—個人的には M.I.A と Mitski さんの存在が重なります。彼女も世界中の色々な民族音楽を取り入れて、十代の頃から音楽を作り続けている。Mitski さんも色んな国に住んだ経験をこれから音楽に落とし込んでいったら更に面白くなりそうですね。

そう言ってもらえて嬉しいです。実現できたら良いな。いくら自分でこうゆう音楽を作ろうと頭で考えてはいても、その通りの曲を生み出すことが難しい。ある程度コントロールが利かないところがあって、計画的、意図的に曲を生み出すのが得意ではなくて。音大に行って、作曲の勉強はしたけれど、作曲の仕方を勉強するというより、音楽そのものの成り立ちやその道具の使い方を学校では学んで、インスピレーションを得た時に、学んだことを生かして、曲を作れるようにはなりました。誰も曲の作り方は教えてくれないけれど、楽器の弾き方だったり、レコーディングのやり方だったり、メソッドは学校で教えてもらった。独自性が奪われてしまう可能性があるから、曲の作り方そのものを教えようとする先生はいい先生じゃないと自分は思っています。

 

Mitski - Happy (Official Video)

 

—今後はニューヨークと日本、どちらを音楽の拠点にしていきたいですか?

歌詞が英語なのもあって、やはりニューヨーク、アメリカの方が現実的かな。自分の音楽に興味を示してくれる人の数は圧倒的にアメリカの方が多いっていうのもありますし。日本での活動についても考えたこともあったけれど、自分はアメリカの大学に進学して、NYで友達も作って地道に経験を積んできたのもあるので、地盤というか、ベースになるのはアメリカなのかなって必然的に思います。

—ここ数年、アメリカの政治的な状況、音楽シーンの環境などに変化があったと思いますが、それをどう受け止めていますか?

実際、すごく辛い部分もあります。今のアメリカの状況と比較すると、日本で活動した方がミュージシャンにとって利点もあると思うけれど、こうなればよかったのに、とか悲観している場合ではなく、今置かれている状況の中でどうするべきなのか、解決策を考える方が創造的だと思いますね。ミュージシャンも人間ですから、病院だって行くし。病院に行くにしても何千ドルもかかってしまったり、何をするにも物価が高かったり、今のアメリカは生活自体が難しい状況になっている。アメリカのインディーズ・ミュージシャンは色んな意味で自力 (インディペンデント) でやっていかなければいけない。私もマネージャーを雇う前は、自分でマネージメントをしていました。ブッキングエージェントが決まるまでは、ライブやツアーも全部自分でブッキングしていて、リリースもすべて自分でコントロールしてやらなければいけなかった。日本ではしなくても良いような苦労がアメリカで活動するインディーズ・ミュージシャンには沢山あります。ツアーを廻るにしてもアメリカはすごく広いので、体力も精神力も消耗してボロボロになってしまう。

—そんな状況でもツアーを精力的に行っていますが、ステージの上で心がけていることがあれば教えてください。レコーディングではアレンジなども変えていますか?

ライブとレコーディングは全然心がけが違いますね。ただレコーディングしたサウンドを再現するのではなく、オーディエンスと一体になって、自分の作り出す音を体験してもらう時間、それがライブだと思っています。お客さんとも一期一会なので、レコーディングと全然違うアレンジで、今この瞬間を楽しんでもらえるように心がけて、全力で取り組んでいます。

Photo by Yusuke Miyashita

Photo by Yusuke Miyashita

<プロフィール>
Mitski (ミツキ)
日本生まれのアメリカと日本のハーフであるミツキ・ミヤワキのソロ・プロジェクト。現在の活動の拠点であるニューヨークに渡る前にはコンゴ民主共和国、マレーシア、中国、トルコ等様々な国を行き来する環境のなか育つ。そんな中でも70年代の日本のポップ・ミュージックを好んできた彼女はニューヨークのパーチェス校で音楽を学びながら2枚のレコードをセルフ・リリース。シンガー・ソングライターとしての才能を驚異的なペースで発揮し、大学卒業後には3作目となる『Bury Me At Makeout Creek』をリリース。PitchforkやNME、Rolling Stone等主要音楽メディアから多くの賞賛を浴びた。そして Dead Oceans と契約、2016年にニュー・アルバム『Puberty2』をリリース。同年12月にはソロアコースティックセットでので初来日公演を開催。2017年11月、バンド編成での初ジャパンツアーを行った。

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