Bernhard Willhelm
Bernhard Willhelm

不器用に、だけども素直に世界を愛するデザイナー Bernhard Willhelm (ベルンハルト・ウィルヘルム) インタビュー

Bernhard Willhelm

Photographer: UTSUMI
Writer: Arisa Shirota

Portraits/

「皆、セックスをするために洋服を着ているんじゃないかな」なんて、素直な言葉を聞いたのは初めてだった。Vivienne Westwood (ヴィヴィアン·ウェストウッド) や Alexander McQueen (アレキサンダー·マックイーン) など錚々たるファッションデザイナーの元で経験を積み、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション科を首席で卒業したドイツ人のデザイナーBernhard Willhelm(ベルンハルト・ウィルヘルム)。自身の名を冠したシグネチャーブランドを設立して、今年で20年目を迎えた。代官山の店舗が同じく20周年を迎えたセレクトショップ『VIA BUS STOP (ヴィア バス ストップ)』とのアニバーサリーコラボレーションのために来日した彼は、どのように世界と対峙しているのだろうか。

不器用に、だけども素直に世界を愛するデザイナー Bernhard Willhelm (ベルンハルト・ウィルヘルム) インタビュー

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

「皆、セックスをするために洋服を着ているんじゃないかな」なんて、素直な言葉を聞いたのは初めてだった。まるで血のような赤や蛍光イエロー、オレンジなど、感性の赴くままにビビッドな色を多用し、シンプルかつ大胆なカットで作られた彼の洋服からは、美しさを際限なく求める人間の狂気さえも見てとれる。劣悪な環境の中、大量生産された製品が市場に溢れ、ブランドの在庫管理が問題視される時代。だからこそ己と素直に向き合い、生きる彼の姿勢はとても貴重だ。Vivienne Westwood (ヴィヴィアン·ウェストウッド) や Alexander McQueen (アレキサンダー·マックイーン) など錚々たるファッションデザイナーの元で経験を積み、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション科を首席で卒業したドイツ人のデザイナーBernhard Willhelm(ベルンハルト・ウィルヘルム)。自身の名を冠したシグネチャーブランドを設立して、今年で20年目を迎えた。

学生時代からベルギーに13年間、その後はパリで10年、さらにロサンゼルスに4年間。これまで世界中の様々な場所に拠点を移しながらも、ひとつのブランドを続けてきた。現在はアムステルダムとパリを行き来する生活を営んでいる。多くのデザイナーがひとつの都市に留まり、ブランドと拠点とする都市との関係を深める中、彼は都市にブランドのアイデンティティを求めることをしない。

ファストファッションが流通して以来、製作に時間をかけて、繊細なクリエーションとして洋服を製作しているブランドの多くは苦戦を強いられている。そのため多くのインディペンデントレーベル出身のデザイナーがコングロマリットの傘下で、時には自身の哲学と相反する創作を強いられる時代でもある。しかし Bernhard は、どこにも属さず、インディペンデントな姿勢を貫いている稀有なデザイナーなのだ。

代官山の店舗が同じく20周年を迎えたセレクトショップ『VIA BUS STOP (ヴィア バス ストップ)』とのアニバーサリーコラボレーションのために来日したBernhard。理想とする生き方に妥協せず、ファッションを通して時代の変化に向き合い続ける彼は、どのように世界と対峙しているのだろうか。彼の答えはまっすぐだった。

―ブランド設立から20年経ちました。18歳から現在までファッションと向き合い続けてきましたが、20年前と比べると社会だけでなく、ファッションも大きく変わったことと思います。

私は学生時代から本格的にファッション業界で働き始め、この20年で起きた変化を目の当たりにしてきました。学校の休暇を利用し、Alexander McQueen のもとで仕事をしていた頃は、たった1回のファッションショーをするために億単位のお金が動くようなダイナミックな時代で、モードファッションに勢いがありました。しかし、そのモードの力が衰退しつつある現在、ファッションショーを続けるブランドが次第に減り、私たちも6年前にショーを辞めることになりました。その分、今は自由に世界を旅しています。かつてほど経済的な余裕はありませんが、ファッションがアートとしてより広く受け入れられるようになったと感じています。私たちも今までに世界中で20近くの美術館に洋服を寄贈しています。社会が創作することの価値を見出し始めた一つの例ではないでしょうか?

本来は着る物であるにもかかわらず、アートとして美術館に展示されるのは、単純に作品として価値があり、後世に残すべきだからでしょう。創作のモチベーションとなっているものを教えてください。

ブランドを続けられている理由のひとつが、旅をしているからかもしれません。これはきっと僕の性格上の問題なのですが、毎回何か新しいことをしたいんですね。だから1つの場所に留まらずに、いろいろな場所で制作するのが好きなんです。10年くらいパリにいましたが、10年もいると自分のルーティーンから抜け出せなくなってしまうんです。ファッションショーも、年間で4回や6回行った年もありましたね。常に仕事に追われているような状況でした。パリを離れる時、ファッションショーの代わりに旅をしたいと思っていたんです。今まで見ることができなかった風景やいろいろな人に会うことがクリエイションソースとなっています。

Bernhard Willhelm とともにデザインを手がける Jutta Kraus (ユタ・クラウス) | Photo by UTSUMI

Bernhard Willhelm とともにデザインを手がける Jutta Kraus (ユタ・クラウス) | Photo by UTSUMI

コラボレーションに関してはいかがですか?

他のブランドとのコラボレーションもいい刺激になっています。MYKITA (マイキータ) というドイツを拠点にしているアイウェアブランドや、CAMPER (カンペール) というスペインのシューズブランドともコラボレーションしました。現在、CAMPERとはまた一緒に靴を作っているところなんです。結局は、自分の仕事が好きなんでしょうね。

好きなことを続けているのは素敵なことです。では逆に、何か不満に思っていることはありますか?フラストレーションに感じるものを教えてください。

たくさんありますよ。ファッションというものは、みんなが自由に選択する権利があるものです。みんな素直に着たいと思えるものを着れば良いと思うのですが、本当の意味で自由にファッションを楽しんでいる人はあまりいないように思うんです。クリエイティブな発想で作った服は、あまり着てもらえない。洋服は着るために生み出されるプロダクトです。それはある意味、袖に腕が通されないと、その服が生み出された目的がなくなってしまうんですね。どんなにクレイジーな洋服を作っていても、洋服を作っている以上、人に着てもらいたいと思うのがファッションデザイナーです。私が20年間服作りに関わりながら思ってきたことは、バランスの重要さです。自分が作りたいと思うクリエイティビティと実際にお客さんに着てもらうクリエーションのバランスです。ただ、もっとみんなが自由な発想で洋服を楽しんでくれればいいなぁとは思っています。

―世界でも日本が1番売り上げを出していると聞きしました。日本とはどのような関係性を築いてきたのでしょうか?

日本には、他の国に比べると”遊び心”があります。だから私たちの洋服を着てくれている人が多いんだと思います。特に現在の東京は、ユニセックスなものとしてファッションを楽しんでいる気風もある気がします。適切なタイミングに適切な場所にいることの大切さを感じますね。少し昔のことを話しましょう。私は1999年にブランドを立ち上げました。当時は、アントワープ出身の若いファッションデザイナーを中心とするシーンが盛り上がっていました。何か新しいムーブメントが起こっていることを肌で感じていました。学生としてアントワープに通っていた時も、Walter Van Beirendonck (ウォルター·ヴァン·ベイレンドンク) から教わっていました。そして学長はアントワープ6を輩出した Linda Loppa (リンダ·ロッパ) でした。80年代には川久保玲や三宅一生、山本耀司などの日本のデザイナーたち、その日本人が築いたファッションからたくさんインスピレーションを得たアントワープのデザイナーたち。その後、John Galliano や Alexander McQueen、それに Hussein Chalayan (フセイン·チャラヤン) などロンドンを拠点とするデザイナーたちが盛り上がりましたね。時代によって場所に紐付いたシーン全体の盛り上がりがあるのは興味深いですよね。

―日本や日本人デザイナーからインスピレーションを受けることもありますか

私も日本のデザイナーが大好きです。川久保玲とも会いましたよ。私たちのブランドのアイテムが、Dover Street Market (ドーバーストリートマーケット) で展開されているのでね。彼らは世界中にショップをオープンし、各国で新しいファッションの風を吹かせています。それに着物など日本の伝統的な色は、なかなか再現が難しく、とても美しい色だと思います。それにポストモダニズムは禅の哲学ともリンクしていますからね。ファッションは知識が反映されるものです。日本の伝統的な文化からは学ぶことが多いですよ。アメリカの美的感覚と比べてみてください(笑)。でも、私は美しさも醜さも両方好きなんです。ファッションに、この2つの要素は必要不可欠なものなんです。

―尊敬している人は誰ですか?

Madeleine Vionnet(マドレーヌ·ヴィオネ)は私が昔から尊敬してやまないデザイナーです。彼女の作るパターンは幾何学的な法則に従っており、長方形や正方形など、シンプルなカッティングのパターンを駆使しています。ここ何年間も彼女のパターンを意識しながら、私もパターンメイキングをしています。

―今回の来日で街を歩いてみて現在の東京をどう感じましたか?

東京は企業文化の色が濃いですよね。何もかも高いし、とても人工的な印象を受けました。例えば、東京で売っているものはフルーツでさえも透明なビニールで綺麗に包装されています。皆、ちゃんと料理しているのかなと心配してしまうほど。でもこのような人工的な仕組みが、この社会を動かしている気がします。話しているうちに悲しくなってきました。皆働きすぎですよ。あなたもいますぐ東京を抜け出したほうがいい(笑)。

―ファッションは社会的な問題を解決できる可能性を持った、ソフトパワーとしての役割もあると思います。

洋服は、気分に影響するものです。もちろん外部へのプレゼンテーションとしても機能しますけどね。自分自身の内面を簡単に外に向けて表現できるアートフォームですよね。社会階級や経済力を誇示するだけにあるものではありません。洋服には、いくらでも遊ぶことの出来る可能性があります。あまり複雑に考えることなく、単純に着ることを楽しんでほしい。あなたが言う通り、ファッションは社会を反映するもの。社会と呼応関係にあるものです。実際、ここ数年でファッションはよりジェンダーレスになりましたよね。社会のモラルに対する考え方が反映しているから面白いですよね。それに何かへの反抗する手段としてのパワーも当然あります。ファッションは、自分の周りで起こっていることを消化しようとする内面からくる飢えなんだと思います。

―そのような側面を持つファッションとどのように向き合っていますか?

VIA BUS STOPの店内を見ていただければ分かりますが、私はこれまでに数々の実験的なデザインに挑戦してきました。それは”ファッションとはこうあるべき”’という前提に対するプロテストだったように思います。デザイナーとして仕事をすることは、生地を選んだり、縫製工場を選んだり、選択することの連続です。選択することに意識的になることで、環境を守ったりもできます。リサイクルで作られた材料を使うとか、人権を尊重している工場で生産するなど。ブランドの在庫処分の方法も問題視されていますよね。何がいいのか、何が悪いのか、その境界線がぼんやりしてきていますよ。自分たちが作り出したものなら、その生産に責任を持つべきです。日本で売られているもののほとんどが国外で作られていますよね。そこを少し意識するだけで世界はもう少し良い場所になると思います。

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

<プロフィール>
Bernhard Willhelm (ベルンハルト・ウィルヘルム)
デザイナー
南ドイツ・ウルム生まれ。大学で産業工学を学んだ後、ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミーのファッション科に入学。在学中に Alexander McQueen (アレキサンダー・マックイーン) や Vivienne Westwood (ヴィヴィアン・ウェストウッド)、Walter Van Beirendonck (ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク) ら多くのデザイナーの下で経験を積み、1998年に首席で卒業。自身初のウィメンズコレクションを立ち上げる為、卒業後すぐにブランドを設立し、1999年3月にパリのファッションウィークでデビュー。2002年より更なる活躍の場を目指し、アトリエをアントワープからパリに移す。2013年より2017年まで新たなクリエーションの可能性を求め、アトリエをロサンゼルスに移していた。

HP:www.viabusstop.com