Takashi Honma
Takashi Honma

写真家・ホンマタカシインタビュー

Takashi Honma

interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

写真家ホンマタカシが、12年間ぶりに映像作品を公開する。しかも劇場で4作同時に。シアター・イメージフォーラムを皮切りに、特集上映をするというのだ。公開されるのは、最新作『After 10 Years』と、美術館などでインスタレーションとして発表してきた映像作品を劇場用に再編集したもの。『After 10 Years』は、スマトラ沖地震のツナミで甚大な被害を被ったホテル、「Heritance Ahungalla」を舞台に、従業員や宿泊者にインタビューしながら、10年後のその日がカウントダウンされていくまでを追うドキュメンタリー。10年という時間を経て、人々の記憶や思いがどのように変容するかが映し出されている。表現者としての彼が、この10年でどう変容していったのかを振り返りながら、写真家がドキュメンタリーを撮り続け、見せていくことについて話してもらった。

写真家・ホンマタカシインタビュー

写真家ホンマタカシが、12年間ぶりに映像作品を公開する。しかも劇場で4作同時に。シアター・イメージフォーラムを皮切りに、特集上映をするというのだ。公開されるのは、最新作『After 10 Years』と、美術館などでインスタレーションとして発表してきた映像作品を劇場用に再編集したもの。『After 10 Years』は、スマトラ沖地震のツナミで甚大な被害を被ったホテル、「Heritance Ahungalla」を舞台に、従業員や宿泊者にインタビューしながら、10年後のその日がカウントダウンされていくまでを追うドキュメンタリー。10年という時間を経て、人々の記憶や思いがどのように変容するかが映し出されている。表現者としての彼が、この10年でどう変容していったのかを振り返りながら、写真家がドキュメンタリーを撮り続け、見せていくことについて話してもらった。

『After 10 Years』©Takashi Homma New Documentary

『After 10 Years』©Takashi Homma New Documentary

— 写真から映画に向かった理由についてお伺いしたいのですが、写真ではできることをすべてやり尽くしたという気持ちからなんでしょうか?

そんなことないよ (笑)!最初に中平卓馬さんのドキュメンタリー『きわめてよいふうけい』を撮ったのが2004年。その前にリトルモアでも10分の映画を4本作っていたし、もともと映像にも興味はありましたよ。

— じゃあ、写真の延長線上として撮り始めたんですね。

きっかけは、キャノンのカメラで簡単に動画を撮れるようになったこととか、機械の技術が進歩したことが大きいんだよね。ビデオカメラって、構えてビデオを撮るぞとなってしまっていたけど、カメラの形で動画を撮れるということですごく入りやすかったのがひとつ。それと、2000年以降美術館の仕事をやっていることも影響していて、展示する際にインスタレーションをすることをトータルで考えると、写真と動画が同じくらいの比率であってもいいんじゃないかなと思って。

写真と動画は並列に存在しているんですね。

たとえば、鹿狩りに興味があったとしても、その面白さを写真だけで伝えきるのは無理があるんだよ。かといって、ドキュメンタリー映像だけで伝わるかといえば、そうではない。やっぱり、写真に適した部分も映画に適した部分もあるから、両方やるようになった。

たとえばこの10年間で、諏訪敦彦監督と一緒に授業をしたり、Apichatpong Weerasethakul (アピチャッポン・ウィーラセタクン) 監督の作品と出会ったりしたことで、ホンマさんの表現方法も変わっていった部分もあるんでしょうか?

俺の中ではなだらかな変化なんだよね。急にポンと変わったわけじゃなくて、ずっと流れてきて、その延長線上に今があるというか。今回の上映も、改めて来年は映画をやるぞと決めて動いていたわけじゃなくて、自然とやっている間にたまってきたものを見せようかということになっただけだから。本当は、『After 10 Years』だけを上映するのがシンプルで良かったんだけど、そうすると、たとえばこういうインタビューのときに、津波だったり、震災だったり、作品の中で扱っているテーマだけに集中して聞かれたり捉えられてしまうのは、少し俺の関心とは違うなと。それで、ちょっと無理をして、4本をいっせいに上映することになった (笑)。

— 結果、ホンマタカシ映画祭というかたちになったわけですね。

そうそう、ひとり映画祭 (笑)。みんなが思うドキュメンタリーじゃない形の、ドキュメンタリーができないかなとずっと考えていたから、4作品を観てもらって、こんなに色んな方法論があるんだと知ってもらいたいと思ったんだよね。

— 映像を撮りためていた理由のひとつに、自ら撮りに行くのではなく、映画の方からやってくるのを待つようなドキュメンタリー監督の姿勢が、被写体が動くのを待つというホンマさんが写真を撮るときの姿勢と近いというところのシンパシーや興味もあったんでしょうか。

どっちかというと、やってきたことの再確認だよね。写真を撮る上で、今まで自分の中で無自覚にやってきたことや方法論が、諏訪さんなり、Apichatpong と会って話したりする過程で、ちゃんとした方法論になったのかもしれない。それまでは直感でやっていた部分が大きいんだけど。

— 言語化されたということ?

そう、自分の中でね。結局、『たのしい写真』という本も、自分がやってきたことをまとめて言語化したんだよね。そういうことってスッキリするじゃん。

— 言語化しようとしたのは、教えることに興味を持ったからなんですか?

教えると言いながらも教わってるんだよね。大学院生に向けて諏訪さんと2人で4年間授業をやったんだけど、結果俺が1番得した。「これって何で面白いんでしょうね」ということを諏訪さんと議論できたんだよね。

— 聞きにくそうなことも、どんどん質問していらっしゃる印象があります。

そうね、格好つけてもしょうがないし。でも、教えることで教わるということも学んだのかもしれない。以前、東京大学でアフォーダンス*の研究をやっている佐々木正人先生と対談することがあって、1冊の本をみんなで読むという大学院のゼミに参加することになったんだよね。先生に「君は何ページから何ページ」と言われて、交代で生徒がその箇所を読むんだけど、先生は「それってどういうことなのかな」と聞くわけ。そうすると、先生がシンプルな質問をしたことで、どの部分にみんなが疑問を持つのかが的確にわかるし、より読み手の理解も深まるんだよね。ただまとめてきたものを説明するだけだと、わからないところはそのまま流れちゃうじゃない? だから、無知なふりをして先生が生徒に聞くというのは、すごい教育法だなと思って。

— 質問されると、答えを探るために客観視する過程で、自己認識も深まりますもんね。だから、インタビューという行為にも興味を持っていらっしゃるんでしょうか。

そうだね。今まで少なからず取材を受けてきたけど、やっぱりみんな何か事前にちょっと調べたり聞いたりしたことを、ただそのままインタビューしてくることが多いわけ。俺がハッとするようなことは聞いてこない。その反面教師もあって、自分がインタビューをするときは、人が聞かないことを聞くって決めてる。

— 核心をつくということですか?

核心とは言わないし、挑発するってほどでもないけど、既に世間に情報があることじゃなくて、まだ誰からも聞かれてないことが絶対あるから。それは聞こうと思うよ。昨日も、荒木経惟さんのインタビューをしたんだけどさ。荒木さんがまた適当なことを言ってるから、「でもこの本にはこういうふうに書いてありますよ」って伝えると、少し話の内容が進化するんだよ。俺の中には、決まりきったものを引っ掻き回したいとか、そういう子ども心があるんだよね。とにかく流すのが子どもの頃から嫌いだったから。今喋りながら思ったけど、今俺が世間でやってることは、小さい頃だったら、先生や親に潰されて実現できないままになっちゃうような、そういうことなのかもしれない。やっと堂々と実践できるようになったから、喜んでやってるという。

— つまり、やりたいことを楽しいままやっていたら、ドキュメンタリー映画ができて、映画館で上映することになったんですね。

そうそう、今だったらできちゃうんだから、4本一気に上映したら面白いんじゃないかというところが始まり。俺の場合、基本的には全部遊びなんだよね。遊びだから逆に流したくないし、つまらないことはやりたくないっていうのが根源にある。

— あえて物語らなかったり、ひとつの真実を作品の中で作らないのも、その考えからきているんでしょうか。

それもあるし、いわゆるマスへの反抗心だろうね。普通の日本映画は最後に J-POP をかけてチャンチャンみたいに終わるものが多いし、世間の映画ってこういうものだよねってことへのアンチテーゼだね。

— 被写体を撮るときや編集するときは、物語ることから意識的に距離を置いてるんですか?

最初から自分の中にそういう要素があるから、結果的に自然とそうなっちゃうんだけど、たまに落ち込むこともあるよ。俺ってマスじゃねーなって。自分でマスじゃないほうの道を選んでおきながら、2時間くらい落ち込んだりはするね。もっと儲からないかなとかも思うし (笑)。

— ホンマさんも落ちこむんですね (笑)。映像作品にする対象は、いつも直感で決めているんですか?

この映像シリーズはそれこそ遊びだから、人から言われてやったり、駄目なものを何とかして形にすることは無理だと思ってて。写真もそうだけど、今まで普通に仕事をしてる上で、これはやったらいいんじゃないかなって思うことができたら実行してるだけなんだよね。たとえば、飴屋法水さんのドキュメンタリーも、舞台『教室』を観たときに、これは横から撮ったら面白いと思って、やってみたら上手くいったから形になってるだけ。他にも試したものはいっぱいあって、上手くいかなかったものはさっさと止めちゃってる(笑)。

『After 10 Years』©Takashi Homma New Documentary

『After 10 Years』©Takashi Homma New Documentary

 

— 『After 10 Years』は、スマトラ沖地震の記憶についてのドキュメンタリーですが、否応無しに東北大震災の記憶ともリンクしてしまうものになっていると思いました。そこは最初から狙っていたんでしょうか?

スリランカのホテルを撮りながら、やっぱり半分は東北のことを考えてたよね。でも、たとえば、俺があの後すぐ瓦礫を撮影しに行ったところで意味がないとは思ってて。ただ、やっぱり引っかかるじゃない?東京だって、ある程度被災してるわけだから。東北とスリランカでああいうことがあって、10年後に人間の記憶や思いが変容するんだなということとかは、取りながら重ねていたところはある。

— インタビューに答えるみなさんが、同じ日の話をしていますよね。

同じなんだけど、微妙に違う。何度も繰り返し別の視点で同じ日の記憶を見せることで、それぞれの言葉が染み込みつつ、増幅していく。劇団「マームとジプシー」の初期の作品に感じたは面白さはそこにあって、それは震災の記憶を回想するのにも似ているなと思っていて。『きわめてよいふうけい』と合わせて『暗室』という作品も同時上映するんだけど、それも真っ暗な中で反復させたりしてるんだよね。

— 『After 10 years』の真っ暗な画面にインタビューされた声だけが入ってくるシーンも印象的でした。

諏訪さんに、「ホンマさん、写真家なのに、映像を撮るときには音 (が主役) なんだね」って言われたんだよね。ある種、音をどう聞かせるかの実験なんだけど、それは他の映像作品でもけっこうやっている手法で。それぞれが震災について話しているシーンも、インタビューという形式をもっと面白くできないかなと思って、1人目にはわざとマイクをフレームに入れたり、笑いながら喋ってるおじさんは「カット」という言葉の後まであえて残して、ちょっと長く映像を入れたりしてるんだよね。

ホンマタカシ

ホンマタカシ

— ホンマさんは、フィクションの中にドキュメンタリー性を見出だすことには、興味はないんでしょうか?

この取材を受けている最中でもさ、「劇映画は撮らないんですか?」とよく聞かれるけど、そこはやらないほうがいいんじゃないかという予感がしてるだけなんだよね。まぁ、そこそこのものはできるかもしれないけど。実際、自分が邦画を観て本当に面白いと思えた経験がかなり少ないからね。ただ、いわゆる台本があるようなものじゃなくて、ビデオインスタレーションに近いものだったらいつかやるかもしれない。

— 今後も決め込まずに、琴線に触れたものを本能の赴くままに、と続いていくわけですね。

こんな感じで、1年に1本くらい撮れたらいいなぁとは思ってるけど。『After 10 Years』も上映したら終わりじゃなくて、この先、美術館で展示をするときは、もう一回編集し直して、ひとつの大きな部屋で4人同時に喋り始めるインスタレーションもいいんじゃないかとか、今公開で切羽詰まっているのに頭の中ではもう次のことを考えているんだよね。

— 映画というジャンルだからって、映画館でやるべきとは捉えていらっしゃらなかったんですね。

最初から美術館でやれば良かったんだけど、やっぱりジャンルということにも長年興味があって。あえて映画館というジャンルの定義をちょっと壊したいというか、引っ掻き回したいという気持ちがあったんだよね。

— 最後の質問なんですが、ホンマさんはファッションというよりもファッションシーンを写してこられた方だと思うのですが、最近のファッション写真についてどう思いますか?

ファッションをやってたと言っても、普通のファッション写真に憧れてた人と俺違うもんね。俺にとってのファッションって、結局最初からドキュメンタリーだったから。当時、雑誌『i-D』は半分ドキュメンタリーだったの。ロンドンの『i-D』で最初にやったのは、Squatter (スクォッター) の取材だった。ビルに不法に住んじゃっている人たちのことをそう呼ぶんだけど、若いカップルとか子どもとかもいるんだよ。もう、完全に『New York Times』みたいな取材。そのときはまだ全然英語ができなかったんだけど、でも、写真家っていいんだよね。とりあえず、わかんなくても撮ればいいから、勘で乗り切ったんだよね (笑)。

— すごい度胸ですね。

冷や汗もんだけどね。雑誌ができてから、スクォッターの意味を辞書で調べて、ああこういうページだったのねと (笑)。当時はファッションなら、フィルム1本の中で3~4カット撮ればいいと言われていたの。でも、日本だったら1カット撮るのにフィルムを3~4本使う。しかも、いっぱい撮ったほうが真面目だと思われる。でも、創刊者の Terry Jones (テリー・ジョーンズ) は本当にすごくて、「1カットで決めろ」と言ってた。その意識は、僕のベースにあると思う。

ファッション写真を撮るときに、今意識していることはありますか?

ロンドンから帰ってきたときに、あらゆるファッション雑誌の編集者とケンカしたんだけど、みんな黙っていても外人モデルを使いたがるじゃない?「何で外人モデルなの?」というところから戦ってきて、途中でもう諦めて、俺は勝手に日本人を撮っていけばいいやと思ってやってきたけど。今でも「日本人を使おうよ」って、また言ってる。あとは、その日の撮影で15カットくらい普通にファッション写真を撮ったときにでも、1カットでもドキュメンタリーを撮れるんじゃないか、という気持ちでは常にいるよ。

*「アフォーダンスとは環境が動物に提供するもの。身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるものである」 佐々木正人著『アフォーダンス入門 知性はどこに生まれるか』(講談社) より参照

<プロフィール>
写真家。1962年東京生まれ。1999年『東京郊外』 (光琳社出版) で第24回木村伊兵衛写真賞受賞。2011年1月、自身初の美術館での巡回展「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」を開催。現在、東京造形大学大学院客員教授を務める。主な作品集に『Tokyo and my daughter』 (Nieves)、『きわめてよいふうけい』、『東京の子供』、『Babyland』(全てリトルモア)、『東京郊外』(光琳社出版)、『Hyper Ballad: Icelandic Suburban Landscapes』(スイッチパブリッシング)、『NEW WAVES』(パルコ出版)、カメラオブスキュラシリーズの作品集『THE NARCISSISTIC CITY』(MACK) など多数。著書に『たのしい写真』シリーズ (平凡社)などがある。ホンマタカシ ニュードキュメンタリー映画 特集上映は、12月10日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。
HP: betweenthebooks.com