Kazumi Kurigami
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写真家・操上和美インタビュー

Kazumi Kurigami

Portraits/

広告写真の世界で誰よりも「現場の力」を重んじる操上和美が、自らの半世紀以上に及ぶキャリアをレジュメする。

写真家・操上和美インタビュー

操上和美 (くりがみかずみ)。北海道は富良野生まれ、24歳で東京綜合写真専門学校に入った。写真家デビューこそ遅いが、32歳の頃には大阪万博のポスターを手がけるなど、卒業後は驚くべきスピードで広告写真界を駆け上がっていく。近年では『SWITCH』に掲載された雪の上でトランペットを吹くタモリのポートレイトが話題に上がった。あれは、写真が歴史を雄弁に物語っていた頃を彷彿とさせる圧倒的な写真だった。

Photography: Hiroki Watanabe | © The Fashion Post

Photography: Hiroki Watanabe | © The Fashion Post

操上和美の写真は、まさに「レジェンド」という質感とスケールで迫ってくる。たとえ機材やロケーションのことは情報として頭に入っていても、実際にそれが「どのように撮影されているのか」についてまったく想像が及ばない。1月16日 (月) までキヤノンギャラリーで開催されている写真展『Lonesome Day Blues』で展示されているモノクロの写真においてもそれは同じ。もはやその舞台が渋谷の街であるという事実すら、写真を眺めているうちにすっぽり抜け落ちてしまう。カメラ、プリントともにキヤノンがサポートしているこの展覧会、「何がすごい」「何が面白い」ということを過去の写真的文脈をふまえて語ることは批評家にお任せするとして、ここでは本人の声にじっくり耳を傾けてみることにしよう。

—このインタビューの前に行われた葛西薫 (アートディレクター) さんとのトークイベントでは、「今回の写真に情緒は必要ないと思った」というお話をされていましたが、それは操上さんのモードでもあるのでしょうか?

本当は情緒も大事なんですけど、今回の写真に関してはクールな質感のほうが良いと思いました。情緒も捉え方次第ですが、自分の中にある女々しさをできるだけ消して生きていきたいと思っていたので。マッチョじゃないんだけど、ドライな感覚です。

—ご自身はエモーショナルなほうだと思いますか?

そう、僕自身は情が深いからこそ、写真ではそれを消したいと思っています。その意識はある意味で仕事を続けるためのエネルギーにもなっています。

—Bob Dylan (ボブ・ディラン) の楽曲から引用した『Lonesome Day Blues』という今回の展覧会のタイトルは後からついたということですが、普段から最初にテーマやモチーフを掲げて写真を撮ることはありませんか?

それは本当に時と場合によるんですが、今回は街のドキュメントなので、昼の渋谷で撮るというのだけは最初に決まっていて、あとどうなるかは自分次第。それが自分に向いているとも思う。現場で影とか空気とかに触発されてシャッターを押しているわけだから、何に対して反応するのか、自分で自分を試している感覚です。つくる行為としては、最後に写真を選ぶところだけ。

—自分が何を撮りたいのか、言語化してみようとトライされたことはありますか?

あります。ただ、今回のような撮り方であれば、特に最初は言葉にはしない。撮ってきたものが見えてきた時点で言葉が浮かんでくるから。例えば、下町の職人たちを撮ろうとか、伝統工芸を撮ろうとか、そういうものじゃないので。行ってみなきゃ何に反射するかもわからない。

―写真を始めた頃から同じアプローチですか?

そうです。最初からテーマを考えてそれに沿って撮っていくやり方もあるんだろうけれど、僕にとっては、写真を通して最初に現実の中から何に反射・反応しピックアップするのかっていう自分の感覚を知るのが面白いから。

「Lonesome Day Blues」 | © Kazumi Kurigami

「Lonesome Day Blues」 | © Kazumi Kurigami

 

―トークイベントでもお話されていたとおり、「写真をキッカケにして旅に出ることが楽しい」というのが当初のモチベーションだったと思うのですが、キャリアの中で写真的なことを深く考えるようになったキッカケはありますか?

写真芸術家であれば、コンセプトを立ててそこに向かっていくことになるんだろうけど、写真家という生き物がどういう現実に反応しながら生きていくのかっていう、それはまったく別のアプローチですよね。僕は写真芸術家として今のトレンドとか完成度を目指して撮っているわけではなく、「今生きているおれは何に興味があるのか」を撮っている感覚なんです。

―そんな操上さんが写真芸術のほうに傾いた時期はあったんですか?

「KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH」 | © Kazumi Kurigami

「KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH」 | © Kazumi Kurigami

ありますよ。原美術館で写真展を開催したとき (1989年「KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH」) はそうだったと思いますが、ただ当時はそれを芸術だとは思っていませんでした。

―写真だけではなく、音楽や映画からも積極的に影響を受けるべきだと考えていましたか?

好きだから観るし、好きだから聴くだけです。そういうものに触れているだけで勝手に影響は受けているし、面白いという感覚が動く。それは自分が生きているうえでの一つの楽しみだから。良いと言われていても自分がつまらなければつまらない。

―文化を体系的に学んでいくことはありませんでしたか?

結果として学んでいるのかもしれない。ゴダールの作品とか、ヴィスコンティの映画とか、大先輩がやってきたことは見ます。ただ、勉強しようということではなく、楽しもうと思っている。真剣に見ても影響は受けないかもしれないし、フリーで楽しむくらいがちょうど良いんじゃないかと。

―Bob Dylan に対して共感するところを教えてください。

反抗的な姿勢というか、“社会に対する自分”という生き方には影響を受けます。そういう感覚で僕も生きていきたいと思うし。僕の場合、「歳も歳だし」とか思わないのがやばいんだけど(笑)。まわりがやっていることが面白いと思えなくなったら、本当に歳をとったということなんだと思う。でも、わざわざ遠くまで見にいったりするモチベーションがまだあるし、それが自分の身になっている。それを吐き出さなかったらただのエンジョイになっちゃうから、そうはならないように。影響を受けては吐き出す、を繰り返すことに生きる実感を得ています。写真家だったらこのくらいのことを勉強しなくちゃいけないというのはあると思うけれど、いま生きている実感のほうが大切。テレビのニュースを観ても何もリアクションできないようじゃバカになってしまう。

「KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH」 | © Kazumi Kurigami

「KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH」 | © Kazumi Kurigami

―楽しめる物事のレンジはいまだに変わらず、ですか?

あんまり変わらない。ただ、欲しいからといってバッと買ったりはしなくなった。昔は絵とか写真とかどんどん買っていたけれど、買ったってたまるだけだし、僕はコレクターでもないから。見ることに関しては変わっていません。

―それでは2016年に操上さんがもっともインスピレーションを得た表現とは何でしょうか?

僕は試写で観させてもらったんですが、Xavier Dolan (グザヴィエ・ドラン) 監督の『たかが世界の終わり』という映画。彼はいつも同じようなテーマを掲げるんだけど、そのアプローチが豊かで、映画としてはとてもオーソドックス。映画で今一番好きなのが彼の作品ですね。

―『たかが世界の終わり』は Xavier Dolan の中で一番の傑作だと思われましたか?

そうかもしれない。

―では、音楽の話もぜひ。Bob Dylan はずっと追いかけ続けているミュージシャンですか?

Bob Dylan と The Rolling Stones (ザ・ローリング・ストーンズ) は必ず観に行きます。永ちゃんも好きだし。写真を撮っているのでライブにご招待を受けるというのはあるんですが、いつもすごい人だなと思います。布袋君も素晴らしい。いっぱいいますよ。

―好きな作家に共通する部分はありますか?

僕はそんなに理屈っぽくはないんで、好きか嫌いかというだけ。ライブや舞台に行く行かないのタイミングもあるじゃないですか。例えば野田秀樹さんとか蜷川幸雄さんとか長塚圭史さんとかの芝居も面白いし、他もたいてい観に行けば面白いんだろうけど、全部観ていたら時間が足りない(笑)。

―ちなみに、操上さんが一番よく聴く Bob Dylan のアルバムは何ですか?

初期も良いけれど、『MODERN TIMES (モダン・タイムス)』が良いですね。Miles Davis (マイルス・デイヴィス) とBob Dylan は毎日聴きます。

―Bob Dylan の新作を聴くたびに、この人は何歳なんだ!?と思います。

あの人は歳がわからない人ですよね。あと、ノーベル賞をもらって急にシャイになったところが可愛いなあと思いました(笑)。親近感を持ちましたね。賞は受け取るけれど授賞式は行かない、とか(笑)。

―写真の世界でも賞レースがいつも大きなトピックに挙がりますが、消費を避けるためにそこにはできるだけ無縁でいたいという思いはありましたか?

そういうのは特にありません。例えば「木村伊兵衛写真賞」ももらえるんであればもらいたい。ただ、自分がやっていることと賞の方向性が一致していないだけです。賞が良い悪いとかはあまり思わない。そこに執着がないので僕自身は応募もしないんですが。

―操上さんのキャリアを見させていただくと、脇目もふらずとにかく写真を撮り続けてきた、という印象が強いのですが、ご自身の中でブレイクスルーのキッカケになった仕事とは何でしょう?

モデルが空を飛んでいる VAN ジャケットの広告写真。広告というのは、アートディレクターが描いたラフ通りに撮るのが王道なんですが、僕は唯一それが嫌いで(笑)。VANの時はオーストラリアの有名なビーチに行って、予定の撮影が終わって昼飯を食べながら何となくあたりを見ていたら、人が砂浜にダイブしているのが目に飛び込んできて。走ってきて砂浜にダイブするバックに海の水平線が見えるんです。それですぐにモデルにも「飛べー!」と(笑)。それを撮ったらめちゃくちゃ良かったから、アートディレクターに「絶対良いから」と言って使ってもらいました。

VAN JACKET | © Kazumi Kurigami

VAN JACKET | © Kazumi Kurigami

 

その時に、現場で自分が感じたこと、閃いたことを写真にすることが大切で、逆に机の上で考えたことをそのまま写すのは面白くないということを実感しました。現場の力は偉大ですから。広告だってこれができる。それともう一つありますね。雑誌用に勅使河原霞さんという方の花を4×5 (大判カメラの一種。デジタルがない時代は高解像度の写真をつくる時によく用いられた) で撮った時です。最初、正面から覗いたら、何か気に入らない。それでなぜ駄目なのかを考えたら、お花は動きながらグルっと見まわして美しいものだから、定点で見ると余計な線が多いんです。それで、「ハサミ借りて良いですか」と勅使河原さんに聞いたら編集者がすごく怒り出して。当時、僕は28歳か29歳。ただ、先生がハサミを渡してくれたので、それなら切らしてもらいますねと。すると先生も写真を見て「アリですね!」と言ってくれた。写真家はそうやって上っていかなきゃいけないんだ、と気づきました。カメラで見ているわけではなくて、自分の目と心で見ているんだから。その自分の認識とずっと闘っていく必要がある。

Photography: Hiroki Watanabe | © The Fashion Post

Photography: Hiroki Watanabe | © The Fashion Post

―それで仕事をなくしてしまうかもしれないという恐怖は感じたことはありますか?

クライアントの誌面を使って自分の広告を打っているという感覚だから、無駄にできないじゃないですか。自分の仕事を見て次の仕事が舞い込んでくるかもしれない。僕が予定にないことをやろうとすると、よく「一応予定のものも撮ってください」という人がいるんだけど、「時間がない時に余計なことはするべきじゃない」と怒ってしまう(笑)。

―自分が現場でしっかり“生きる”ということが大切だということですね。

そう思うと一生懸命やることができる。

―最後に、いま気になる若手の写真家を教えてください。

奥山由之くん。彼は「写ルンです」を使うじゃないですか。こんなにたくさん良いカメラがある時代に、「写ルンです」でしか写らないもので「自分は写真家です」と言い切っているところが、すごい勇気だなと。僕もある企画で彼に撮られたことがあるんです。奥山君はその時もそのカメラで撮っていた。もっと面白いものを作ろうという意識はあるからできることです。「写ルンです」はもちろんボケたりつぶれたりするんだけど、その中から良いものを選ぶ時は自分の感覚しか頼れないじゃないですか。その姿勢が素晴らしい。

<プロフィール>
操上和美 (くりがみかずみ)
1936年北海道富良野生まれ。主な写真集に『ALTERNATES』『泳ぐ人』『陽と骨』『KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH』『POSSESSION 首藤康之』『NORTHERN』『Diary 1970-2005』『陽と骨Ⅱ』『PORTRAIT』『SELF PORTRAIT』『DEDICATED』など。主な受賞歴に、毎日デザイン賞、ADC会員最高賞、講談社出版文化賞、NY ADC賞など。2008年映画『ゼラチンシルバーLOVE』監督作品。
HP: http://www.kurigami.net