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Ulm School of Design
vol.9

【連載コラム】ウルム造形大学—バウハウスの理念を現代へと継承した、戦後のデザイン教育の礎—

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【連載コラム】ウルム造形大学—バウハウスの理念を現代へと継承した、戦後のデザイン教育の礎—

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アートブックショップ「POST」代表を務める傍ら、展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける中島佑介。彼の目線からファッション、アート、カルチャーの起源を紐解く連載コラムがスタート。第8回目のテーマは「ウルム造形大学」。

僕が Apple (アップル) の製品を使い始めたのは iMac (アイマック) が発売された1999年から、かれこれ20年近く利用していますが、iMac以降の製品も徐々に生活の中で重要な日用品となり、Apple 製品を使うこと自体がライフスタイルの一部になってしまいました。世界中の人々の生活観まで革新してしまった Apple は誰もが認める21世紀に革新をもたらした企業ですが、Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ)、そしてデザイナーの Jonathan Ive (ジョナサン・アイブ) も敬愛していた人物がドイツのデザイナー、Dieter Rams (ディーター・ラムス) です。Dieter Rams の仕事は家電メーカー BRAUN (ブラウン) の仕事がよく知られ、初代の iPod は BRAUN のポータブルラジオから、OSにデフォルトでインストールされている「計算機」も、同社の計算機のデザインにインスピレーションを得たと言います。

今日のプロダクトデザインにも影響を与えている BRAUN の製品、実は Dieter Rams だけによってデザインされたのではありませんでした。例えば、代表作と言われている「SK-4」は、ウルム造形大学と設けた共同チームによってデザインされ、その他にも多くの BRAUN 製品をこのチームが手がけています。

BRAUN社「SK-4」

BRAUN社「SK-4」

ウルム造形大学は1953年に開校したデザイン学校です。スイスでは Josef Müller-Brockmann (ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン) が雑誌『Neue Grafik (ノイエ・グラーフィク)』よってデザインによる新しい文化を築こうとしていた頃と同時期に、ドイツではこの学校が設立されました。ウルム造形大学が生みだした文化は Apple のプロダクトのみならず、世界中のさまざまな場所で形を変えて息づいています。今回は、このウルム造形大学の軌跡を辿ってみたいと思います。

戦後の傷が癒えきらない1940年代後半、四人の人物が中心となってデザイン学校の設立を構想していました。その四人はデザイナーの Otl Aicher (オトル・アイヒャー) と妻の Inge Scholl (インゲ・ショル)、ドイツのデザイナーである Max Bill (マックス・ビル)、そしてオーストリアのデザイナー、Walter Zeischegg (ワルター・ツァイシェグ) でした。この新しい教育機関の志したことは、開校時に初代学長となった Max Bill の掲げた目標に表現されています。「スプーンから都市まで…新しい文化の建設に参加する」。彼の言葉は戦争によって破壊されたヨーロッパを目の当たりにし、新しい時代を築くことを夢見ていた若者たちを強く魅了したことでしょう。

Max Bill (マックス・ビル)

Max Bill (マックス・ビル)

Max Bill は Bauhaus (バウハウス) に学び、デザインに限らず、彫刻や絵画など多くの分野で活躍しました。彼の仕事には Bauhaus の思想が色濃く感じられ、ウルム造形大学の教育理念にも Bauhaus との共通点を見出すことができますが、決して Bauhaus を再建しようとした訳ではありませんでした。それを端的に示したエピソードがあります。バウハウスの設立者、Walter Gropius (ヴァルター・グロピウス) はウルム造形大学設立に向けたアドバイザーを務め、大学設立のプランを聞いた時、Walter Gropius は「バウハウス・ウルム」と命名してはどうかと提案したと言います。しかし彼らはその申し出を断わりました。すでに名の知られている「バウハウス」を冠することによって得られる名声やメリットよりも、新しい理念に基づいたデザイン学校設立を志していた彼らの思想がこの決断によく表れています。

工業と手工芸の新たな関係性を築くために設立された Bauhaus でしたが、時代の変化とともに Bauhaus で生み出されたデザインルールは形式的なものとなっていき、また産業における技術革新など、時代の変化にもフィットしない、形骸化したスタイルになっていました。デザイン、科学、テクノロジーの本質的でより密接な関係を築き、時代に適したデザインを学ぶ場として、Bauhaus をアップデートした新しい教育機関を目指したのがウルム造形大学でした。

また、設立に参画していた Inge Scholl は、戦時中に反戦運動「白いバラ」の主要メンバーでナチスに処刑されてしまった Hans Scholl (ハンス・ショル) と Sophia Scholl (ゾフィー・ショル) の姉でした。その体験から戦後に民主主義確立の必要性を感じ、大学の設立を構想したといいます。教育的観点、政治的観点からしても、この大学は先鋭的な思想を掲げていたことが伺えます。

Bauhaus との違いは、教育プログラムに大きく現れています。絵画や彫刻といった芸術教育が基礎に位置付けられ、画家が教師陣として多く在籍していた Bauhaus に対して、ウルム造形大学ではデザインと工業の密接な関係性を学ぶために、科学者や数学者も講師として教鞭を執っていました。このカリキュラムは優れた効果を発揮しています。一例として Hans Roericht (ハンス・ロエリヒト) が卒業制作で発表した食器があります。ホテルでの使用を想定し、異った種類の食器類を同じ径で重ねられるようにデザインしたこのプロダクトは、機能性を兼ね備えたデザインが評価され、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに加えられています。ウルムの教育が実社会の問題を課題としながら、デザインによって具体的な解決策を提示できる優れた能力を育む場だったことを物語っています。

Hans Roericht (ハンス・ロエリヒト) が卒業制作で発表した食器「TC100 スタッキングサービス」

Hans Roericht (ハンス・ロエリヒト) が卒業制作で発表した食器「TC100 スタッキングサービス」

また、ウルム造形大学の特徴になっているのが豊かな国際性でした。一般的に大学への留学生は数%程度だったのに対して、この学校では40%~50%が留学生、延べ49カ国からの留学生を受け入れていました。講師陣もドイツだけでなくスイス人の Josef Müller-Brockmann (ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン)、アメリカ人の Charles Eames (チャールズ・イームズ) や Buckminster Fuller (バックミンスター・フラー)、日本からは杉浦康平などが招かれ、まさに国際的なデザインの最先端を学ぶことのできる教育機関でした。

デザイン教育の私立大学として理想的な環境を築きつつある一方で、運営は大きな問題を抱え続けていました。一番の問題が財政難です。革新的なデザイン教育は同時代になかなか理解されず、十分な学生が集まらなかったため財政はつね逼迫し、大学は財政の約7割を公的な補助に頼っていました。そんな最中、戦後成長を続けてきたドイツの経済が1966年に一転してマイナス成長となった不景気が訪れます。そのあおりを受けてか、1967年には政府から大学への助成金支給が打ち切りとなってしまいます。国立化による存続や、世界の他都市への移転などを検討しましたが、政府が決定したタイムリミットまでに対策を講じることは叶わず、州議会で閉校が決議されてしまいました。

存続していたのはわずか15年間、高らかな思想を掲げながら道半ばで挫折してしまったウルム造形大学でしたが、その思想は閉校後に世界各国へと引き継がれています。ウルムの講師陣や学生など、「ウルマー」の愛称で呼ばれる関係者たちは、のちにヨーロッパだけでなく北米、南米、アジアを含め50以上の総合大学や美術大学で教育に携わり、ウルム造形大学の思想がカリキュラムへと反映されていきました。国際性が特徴だったウルムだからこそ、閉校後にも世界各国へと思想が引き継がれたのでしょう。ウルム造形大学の教育は開校当時、世の中が受け止められない先鋭的な思想でしたが、形を変えながら今日の教育やデザインにまで影響を与えました。彼らの試みは今日になってようやく成し遂げられたのです。

<プロフィール>
中島佑介 (なかじま ゆうすけ)
1981年長野生まれ。出版社という括りで定期的に扱っている本が全て入れ代わるアートブックショップ「POST」代表。ブックセレクトや展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける。2015年からは TOKYO ART BOOK FAIR (トーキョー アート ブック フェア) のディレクターに就任。
HP: www.post-books.info