20世紀ファッション界の女帝、ダイアナ・ヴリーランドの秘密に迫る映画『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』
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20世紀ファッション界の女帝、ダイアナ・ヴリーランドの秘密に迫る映画『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』
'Diana Vreeland: The Eye Has to Travel' looks into life of 20th century's legendary fashionista
現代のファッション界の女帝といってまっさきに思い浮かぶのはアメリカン版『Vogue (ヴォーグ)』の編集長の Anna Wintour (アナ・ウィンター) だが、もうひとり忘れてはいけない女帝がいる。20世紀のファッションを語る上で欠かすことのできない伝説のファッショニスタ、Diana Vreeland (ダイアナ・ヴリーランド)だ。ファッションやアート、そして音楽といったすべてのカルチャーがはげしく変化し続けた20世紀のファッション界に50年間にわたって君臨し続けた彼女。世界で最も古い歴史を持つ女性ファッション誌『Harper’s BAZAAR (ハーパース・バザー)』で1940年代〜1950年代にカリスマ・エディターとして約25年間働き、同誌の黄金期を築き上げた実績を持つ。その後1962年にライバル関係にある『Vouge』にヘッドハンティングされ編集長に就任。移籍した理由は給料が破格で、誌面制作の予算にも際限がなく、ヨーロッパにも行けるからだった。
文: 編集部

現代のファッション界の女帝といってまっさきに思い浮かぶのはアメリカン版『Vogue (ヴォーグ)』の編集長の Anna Wintour (アナ・ウィンター) だが、もうひとり忘れてはいけない女帝がいる。20世紀のファッションを語る上で欠かすことのできない伝説のファッショニスタ、Diana Vreeland (ダイアナ・ヴリーランド)だ。ファッションやアート、そして音楽といったすべてのカルチャーがはげしく変化し続けた20世紀のファッション界に50年間にわたって君臨し続けた彼女。世界で最も古い歴史を持つ女性ファッション誌『Harper’s BAZAAR (ハーパース・バザー)』で1940年代〜1950年代にカリスマ・エディターとして約25年間働き、同誌の黄金期を築き上げた実績を持つ。その後1962年にライバル関係にある『Vouge』にヘッドハンティングされ編集長に就任。移籍した理由は給料が破格で、誌面制作の予算にも際限がなく、ヨーロッパにも行けるからだった。

数多くのすぐれたデザイナー、フォトグラファー、モデルたちを次々と世に送り出したことで知られる Diana Vreeland が、ファッション界の女帝と呼ばれた理由はまさにこの才能を見いだす能力と、彼女の突出した創造性だ。ファッション誌においてモデルをマネキン扱いすることが当たりまえの時代に、個性を持ったパーソナリティとしてモデルを賞賛し、大きな鼻や長すぎる首、ソバカスといった短所すらチャームポイントとして見せることに成功した彼女。



Courtesy of the Cecil Beaton Studio Archive at Sotheby's
Lauren Hutton (ローレン・ハットン) の才能を見抜き、“ミニの女王”と呼ばれた Twiggy (ツィギー) をロンドンから米国に呼び寄せ、Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) のファクトリー・ガールだった Edie Sedgwick (イーディ・セジウィック) を時代のイット・ガールにしたのも彼女。20世紀を代表するフォトグラファーの Richard Avedon (リチャード・アヴェドン) や David Bailey (デヴィッド・ベイリー) の才能を開花させ、デビューしたての Mick Jagger (ミック・ジャガー) をいち早く紙面で紹介し、あの Manolo Blahnik (マノロ・ブラニク) に靴をデザインすることをすすめたのも彼女だ。John F. Kennedy (ジョン・F・ケネディ) 大統領の妻 Jacqueline Kennedy (ジャクリーン・ケネディ) のファッションアドバイザーも務めたこともある。伝説のファッショニスタ Diana Vreeland に関するエピソードは事欠かない。
1/2ページ:『Vogue (ヴォーグ)』を去ったあとに Diana Vreeland が成し遂げた偉業とは?

1971年に『Vogue』を解雇され、翌年、69歳で世界最大規模を誇るメトロポリタン美術館衣装研究所の顧問に就任。その後常識を越えた衝撃的な衣装展を数多く成功させ、衣装展の展示方法や企画内容のあり方に大きな影響を与えた。そのひとつが存命中のデザイナーに焦点をあてた展覧会だ。いまでは世界中で当たり前に開催されているが、このような展覧会を初めて実現させたのも Diana Vreeland だった。当時まさに絶頂期にあったYves Saint Laurent (イヴ・サンローラン) の展覧会を開催した際には、その前代未聞の衣装展は美術館関係者に衝撃的を与え、批判の嵐が吹き荒れたほどだった。

Courtesy of Frederick and Vanessa Vreeland
そんな Diana Vreeland の生涯と、彼女の審美眼の秘密に迫るドキュメンタリー映画『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ(英題はDiana Vreeland: The Eye Has to Travel)』が、2012年12月22日 (土) から日本で公開される。同作を監督したのは彼女の孫と結婚した Lisa Immordino Vreeland (リサ・インモルディーノ・ヴリーランド)。Diana Vreeland 本人が“地獄の庭”と呼ぶ真っ赤なリビングルームで自伝出版のために受けたインタビューがもとになっており、彼女のプライベートな資料、貴重なアーカイブ映像、彼女を知るセレブリティや関係者、そして親族へのインタビューなどからなるドキュメンタリーだ。「いい人生は1つだけ。自ら望み、自ら創る」「ブルージーンズはベニスのゴンドラ以来の最高傑作」「スタイルこそすべて。まさに生き方。スタイルなしじゃ価値がない」「新しい服を着るだけではダメ。その服でいかに生きるかなの」などと数々の名言を残したDiana Vreeland。この作品を観れば20世紀のファッションの変遷がわかると言っても過言ではないだろう。
<映画情報>
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ
公開日:2012年12月22日 (土)
場所: シネマライズ、TOHOシネマズ六本木ヒルズ他、全国順次ロードショー
配給: シネマライズ × ギャガ
URL: http://dv.gaga.ne.jp