Think About
Fluxus
vol.3

【連載コラム】Fluxus (フルクサス) —日常と芸術の垣根を取り払ったアートムーブメント—

Think About Fluxus vol.3
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【連載コラム】Fluxus (フルクサス) —日常と芸術の垣根を取り払ったアートムーブメント—

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vol.3

by Daisuke Yokota

アートブックショップ「POST」代表を務める傍ら、展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける中島佑介。彼の目線からファッション、アート、カルチャーの起源を紐解く連載コラムがスタート。第三回目のテーマは「フルクサス」。

外苑前の「On Sundays」でアルバイトをしていた頃の仕事のひとつが本棚の整理でした。本棚を端から確認しながら、アルファベット順に並ぶよう本を正しい位置に戻して背を棚の縁に揃える、言ってしまえば単純な作業です。しかし僕にとってこの作業は整理整頓以上の意味をもっていて、背表紙に記された知らないアーティストやアートムーブメントの本を手に取ることで、具体的な知識を得る機会になっていました。アルバイトを始めて2ヶ月くらい経った頃、この作業中に手に取った一冊の本が『happening & fluxus』という本です。

『happening & fluxus』

『happening & fluxus』

この本は、1960年代に欧米を中心に拡散した前衛芸術運動 “ハプニング” と “フルクサス” のドキュメントで、いつどこで、どんなことが行われたのかをまとめたテキストと、当時のチラシやパフォーマンスの写真がまとめられています。僕は自分で所有するためにアートブックを購入することは少なく (それがモノを販売する仕事を続けていられる所以でもあります)、当時もアートブックを買うことはほとんどありませんでした。しかしこの本は例外的に自分のために購入した一冊です。グラフィックや簡素なインデックスに惹かれ、フルクサスが何なのか知らずビジュアルブックとして眺めているだけでしたが、この本を持っていることで美術の知識が身についたような満足を感じていたのかもしれません。また、何を意味するのか想像もつかない “フルクサス” という不思議な響きのアートムーブメントだったのも、この本を所有している喜びに密接していました。

“フルクサス” はラテン語で「流れる、変化する」という意味を持つ言葉で、この芸術運動を牽引したアメリカ人アーティストの George Maciunas (ジョージ・マチューナス) が名付けました。1962年からフルクサスのメンバーはコンサートを公演、ドイツを皮切りに世界各国を巡回しながら各地にこのアートムーブメントを伝播させていきます。その後、マチューナス自身はアメリカのニューヨークに拠点を構え、同世代のアーティストたちを巻き込み、組織化しながらこの芸術運動を拡張していきました。メンバーには Joseph Beuys (ヨーゼフ・ボイス)、John Cage (ジョン・ケージ) の教え子たち、Nam June Paik (ナム・ジュン・パイク)、オノ・ヨーコや一柳慧といった日本人アーティスト…と地域に特定されず、世界中のアーティストが参加しています。

中央のメガネをかけた人物がジョージ・マチューナス

中央のメガネをかけた人物がジョージ・マチューナス

“フルクサス” の「流れる」というニュアンスそのままに、この芸術運動では造形的な作品よりもパフォーマンスやイベントといった、その場限りの行為が主な表現になっています。その行為も音楽など芸術的なものだけでなく、何かを食べたり自転車に乗るといった日常的なことも含まれ、発表の場もギャラリーなど芸術のための空間だけでなく、路上やアパートの一室など生活空間も使われました。また、グループのはっきりとした主義も設けず、メンバーも常に変化していました。一般的な芸術運動と異なり表現も多種多様、世界中を舞台に、日常的な行為まで芸術としてしまう、全体像が流動的で広範囲なスタイルがフルクサスを形容できる唯一の特徴と言えます。

パフォーマンスと並行してメンバーたちが取り組んだ活動が「フルックス・キット」と呼ばれる “マルチプル” を数多く制作したことです。“マルチプル” は一点ものの作品ではなく、印刷や既製品を使用して量産されたオブジェで、大量生産の技術を芸術に採用している点で革新的な芸術のあり方でした。「フルックス・キット」の多くは、既製品に本来の機能とは関係のないウィットに富んだタイトルをつける、言葉遊びによって価値が転換するようなものが多く作られています。箱を使うアイデアは前回に紹介した Marcel Duchamp (マルセル・デュシャン) の作った1930年代に作ったボックスに紙片を入れた「グリーン・ボックス」に、既製品を使うのは「レディメイド」に共通点を見出せます。事実、60年代のアーティストによって Duchamp は高く評価され、Duchamp は彼らに大きな影響を与えていました。

芸術運動として前衛的な試みは美術史でも高く評価されていますが、僕がフルクサスから得た見識は、視覚表現の重要性でした。僕がフルクサスに興味を持ったのはグラフィックに対する関心が先行し、後から本質を知ることとなりましたが、グラフィックが伴っていなければ、極端には興味を持っていなかったかもしれません。流動的で定義が難しいフルクサスが芸術運動としてのスタイルを形成することに貢献していたのは、「フルックス・キット」や印刷物などのグラフィックデザインで、後世に伝わっていく時にも視覚表現として訴求力のあるデザインが大きく役立っていたのではないかと感じています。

メンバーが制作したフルックス・キット

メンバーが制作したフルックス・キット

もう1点フルクサスに共感する考えは日常と芸術の垣根を取り払おうとした試みです。当時フルクサスのイベント鑑賞者にとって、日常的な行為をアートとして発表する彼らの行為は独創的で、理解の範疇を超えているケースもあったのではないかと察します。その状況で活動を継続し、理解者を増やしていくためには相当な体力と精神力を必要としたはずです。メンバーの実行力によって芸術を権威的で専門的なものではなく、日常的な存在として提示し続けたフルクサスの活動は、その後のストリート・アートやファッションなど、ジャンルを横断する文化活動を作り手も鑑賞者も受容できる基盤を築きました。境界線を越えようとする継続的な行為が新たな価値観を生み出した事例として、フルクサスは今日でも強力なメッセージを放ち続けています。

<プロフィール>
中島佑介 (なかじま ゆうすけ)
1981年長野生まれ。出版社という括りで定期的に扱っている本が全て入れ代わるアートブックショップ「POST」代表。ブックセレクトや展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける。2015年からは TOKYO ART BOOK FAIR (トーキョー アート ブック フェア) のディレクターに就任。
HP: www.post-books.info