yuko ando

ポール・スミスと描く、私らしい人生の仕立て方 vol.1 安藤優子

“Classic with a twist (ひねりのあるクラシック)”。英国の伝統的なテーラリングを継承しながら、溢れるユーモアと冒険心とともに唯一無二の個性を確立してきた Paul Smith (ポール・スミス)。2026年春夏の最新コレクションでは Paul Smith の「旅の記憶」をテーマに、端正なシルエットへ鮮やかな遊び心を落とし込んだルックが並ぶ。

日々移り変わる流行や、「こうあるべき」という固定概念を、ユーモアのある“ひねり”で軽やかに手放す。 TFPが送る連載企画では、そんな Paul Smith の精神に共鳴し、自らの意思でそれぞれのライフステージを歩む4人の女性たちが、「私らしい人生の仕立て方」を紐解いていく。

第1回に登場するのは、ジャーナリストの安藤優子。報道の最前線で活躍し、働く女性のあり方をその生き様をもって体現してきた彼女が、人生という旅の途中で得たものと手放したもの。キャリアと人生を等身大で楽しむための秘訣について。

Paul Smith
with yuko ando

model: Yuko Ando
photography: Yusuke Abe
videographer: Michi Nakano
styling: Daichi Hatsuzawa
hair & make up: Yukie Shigemi
interview & text: Yuki Namba
edit: Yuki Namba, Miu Nakamura

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レーヨンリネン素材のセットアップに、メンズサイズのシャツをレイヤードし旬な空気をまとったスタイリング。軽やかな素材ながらも、Paul Smith のテーラード技術による端正シルエットが安藤の輪郭をくっきりと際立てる。
ベスト ¥55,000、中に着たシャツ ¥28,600、パンツ ¥39,600、シューズ *参考商品、ベルト ¥19,800/すべて Paul Smith (ポール・スミス)

− 安藤さんといえば、お茶の間で知らない人はいない、日本を代表するジャーナリストのお一人ですが、これまで歩まれてきた素晴らしいキャリアの中でご自身が選択した最大の“ひねり”や、転機は何だったのでしょうか。

すごい質問だなぁ。そもそも私はメディア志望の人では全くなくて、アメリカで高校卒業して帰ってきて、本当はそのままアメリカの大学のホテル学科に行きたいと思ってたんです。でもそれを親が全く了解してくれなかった。さらに4年間アメリカで教育を受けるんだったら、もう自分たちは一切お金を出さないから、自分でお金を貯めて勝手に行ってくれと。それで始めたのがテレビの報道のアルバイトで、お金欲しさにこの世界に入ったの。だから本当に間違って入って来ちゃったみたいなところがあって。だから最初にテレビの報道に入ったっていうところから、私の人生はもう全然思いもかけぬ展開、展開に次ぐ展開で、3連続ひねり技みたいな感じですよ (笑)。

− そのアルバイトをきっかけに、報道の仕事に楽しさや興味が湧いてきたのですか?

まさか、まさか。楽しいなんて1ミリもなかったですよ。もう40数年前のテレビの報道の世界は見渡す限りおじさんしかいないわけ。本当に、おじさんの海よ (笑)。それも遠浅じゃないわけ。入ったらもうすごいの、ズブズブって行くぐらい深いわけ。そのおじさんたちが汗水垂らして作り上げてきた、報道という神聖な世界に「お前たち大学生のくせして入ってきやがって」みたいなところから始まってるわけだから、自分がアルバイトして楽しかったとか、そういうことが全くと言っていいぐらい無かった。最初にアルバイトしたのがテレビ朝日で、まだ古い社屋だった時に、それの離れみたいなところで報道番組を作ってたんだけれども、そこは女子トイレが1個しかなくて。私は怒られるたびに女子トイレでもうボコボコ壁を殴ってたの。だからそこは「安藤の嘆きの壁」って言われてて (笑)。じゃあなんで続けてこられたのかと思うと、ひねりから始まった人生なので、ひねり続けてここまで来たっていう感じかもしれないですね。

− 様々なひねりや転機がくることを、当時はどう捉えていましたか?

私は人に誇れるのは、「計画性ゼロ」なんですよ。行き当たりばったりなの。だから意外に生放送が自分に向いていて。報道取材ってもう明日の事なんて誰にもわからないのよ。戦争の地に行けば、もう明日自分がどうなるかなんてわからないし、本当にミサイル飛んで来るわけだから。そういうところに行って明日これをやろうっていうのは通用しない。いま目の前にあることにもう精一杯ぶつかっていくしかないっていう、行き当たりばったり感が結局私に向いていたんだと思います。これを長いスパンで、私はあと10年したらメインのアンカーになっているとか、そういうこと考えていたら、もうとっくに破綻してたと思う。ただ、ニュースの報道っていうのは全部が嫌なことばかりではもちろんないわけですよ。究極の修羅場だからこそ出会える、人間のたくましさや気高さ、心の優しさがあるわけです。ニュースの現場って本当に厳しいことだらけなんだけど、人間の最終的に残された本質みたいなものに触れることもできるっていうことが、私にとっては最大の財産だったと思う。

− 男性社会と対等以上に渡り合うために、常に完璧な自分を武装して纏っていた時代と比べると、近年は大学院で学び直されて博士号を取得されていたりなど、学び続ける軽やかな生き方が対照的です。今の生き方に行き着くまでに、手放してきたものはあったのでしょうか?

その答えは色々あって、まず、私の前に報道番組をやっている女性っていなかったんですね。例えば、記者として私が政治や経済の取材をする、紛争の地に行くってことをすると、常に「女性初の」というのがくっつくわけです。それがすごいきつかった。それってある意味、男性の記者と同じ事をやっていても、女性が初めてやったっていうことに対して、3割増しぐらいの評価が付くわけですよ。その悔しさから、「私は女性であることを絶対に売りにしないんだ」っていう張り詰めた感っていうのは確かに持っていましたね。物理的な性差は確かにあるし、それは別に問題ではないんだけど、でもそれを自分がキャリアを積む上でのハードルだと思ってたんですよね。
でもやっぱり時間が経って、それってある意味、女性であることを自分自身でリスペクトしていないなと思ったの。女性であるということを封印してしまっているというか。それってすごくいびつだっていうことに気が付いた時に、「私は女性でなんぼだよ」っていうところにまた立ち返った。それが私が手放したものかな。博士号を取ったときも、女性と政治が専門なんですけど、女性の働き方のひとつのモデルケースとして政治家を選んだんです。そうやって女性性を封印して働くことも、女性を売りにすることもどちらもいびつで、どちらもディスリスペクトを交えている。そういう研究テーマにしました。

− 何かを手放すと、心に余白が生まれましたか?

かもしれないね。もう40年ぐらい前ですけど、政治家のインタビューをする時に私が行くと、「なんだ、あなた記者?」って聞かれるわけです。そういうのを言われないために、事前に相手の身長を調べて、ちょっと高めのヒールを履いて行って、少し見下げるみたいな。当時はそういう鎧を着てたんですよ。ヒールも鎧だったし、肩パッドの入ったジャケットを着ることもそうだし。そういうものによって自分を武装していた。今はぺったんこの靴を履いても、スニーカー履いても、それが私だって思えるようになったので、根本的な自分の見せ方とか表現の仕方っていうのがすごく楽になったかな。

− その自由を勝ち取るまでにも大変な事がたくさんあったと思います。どういう風に自分で割り切って、乗り越えてこられたのでしょうか?

実は全然割り切ってなかったんですよ。悔しくて泣くこともあれば、おじさんたちに可愛がってもらおうと振る舞ってみたりとか。少しずつ仕事ができるようになってくると、今度はおじさんとコンフォームする、同化してみせてみたり。同化っていう作戦を取ったときに、テレビのニュースで初めてダークスーツを着たんです。白いタンクトップにネイビーとか黒とかグレーとか。でもそうするとテレビ局はびっくりしちゃって、「視聴者の皆さんがお喜びになるような、もうちょっとレディライクなものを着てほしい」とか言われるんだけど、でもその時は断固として一切アクセサリーも着けず、ミニマムの極端に走ったわけ。そういうふうにどっかで無理したわけです。割り切っていったかというよりは、ピンボールマシンみたいな感じで、こっちにぶつかり、こっちにぶつかり、そのなかで選択肢を取り続けて、右か左か、みたいな選択をしていった。そういうのの連続かもしれないですね。

− ボールを跳ね返す時もありましたか?

跳ね返す力があるときは「なにくそ!」って跳ね返しといた方がいいと思う。そうするとまたさらに倍速で返ってくるかもしれない。そしたら1回溜めてひと息入れて、今度はちょっと緩い球投げてみるとか。そうすると相手が意外に空振りしたりするから、そこが攻め時かもしれない。

− 今の世代は、キャリアを年数とともに積み重ねていくものではなく自分に合う形に仕立てていく世代だと感じています。正解のないキャリアを築く中で、未来への不安はどのように楽しさに変えられると思いますか?

正解って探している間が一番楽しいのかもしれない。というのはね、宝くじって買って当選番号がわかるまでが一番楽しいでしょう?それと似ていて、これが正解ではないって自分は思っているかもしれないけれども、周囲は意外にも評価している場合もある。だから正解を探している間が人生で一番楽しいというか、多分、正解ってないんじゃないかな。私も嘆きの壁やってる頃は、毎日絶対今日やめるって思ってて、それでもなんか行っちゃったりするわけですよ。それで気がついたら40数年経っていたものだから、じゃあ私はこれが本当に大正解だったのか、なんて言える自信全くないです。でも楽しくないかって言ったらそうではなくて、私はいくつかのことを手放すことができたからすごく楽しいし、もっと自由だし、仕事への向き合いが多様化したかな。向き合い方が直進的だったのが、もう少しこっち側から行ってみたらどうかな、こっち側もありかな?って、アプローチの方法がいくつも自分の中で浮かぶようになった。そうやって重層的なものが積み上げられていくと、より自分が楽しくなるのかなと思います。

− Paul Smithの掲げる “classic with a twist (ひねりのあるクラシック)”精神のように、次世代の若者たちが、自分だけの個性を消さずに生きて行くために、アドバイスをいただけますか?

自分の個性を消さずにっていうのは自分を認めてあげることしかないと思うんですよ。個性的な人っていうのは、自分に自信があることではなくて、自分のありのままをちゃんと受け入れられる人だと思うんです。流行り言葉に「自己肯定感」ってあるんだけど、私はあんまり「自己肯定感」っていう言葉は好きではなくて。自分を自己肯定するっていうのはどこかで他者と自分を比べているわけだから、他者と比べることによって自分が少しでも優位に立った時に「いけてるじゃん」って自己肯定をするっていうのはちょっとは違うなと思ってる。他者との比較によってしか自分を作れないっていうのは、やっぱり自分の個性を失ってしまうことだと思うんですよ。自分のありのままを受け入れる「自己受容」っていうのかな。良いとこも悪いとこも含めて自分を受容して、「自分はこういう人間なんだよね」っていうことをまず知る。自分を応援してあげる。その自己受容ができるってことは、自分らしく生きることができる、最低限の土台だと思っています。
Paul Smith さんの服ってすごく洒脱な感じがするじゃないですか。でもそれはその Paul Smith さんの世界であって他者との比較ではないと思うんですね。やっぱりそれは彼の世界で、絶対的な Paul Smith さんが Paul Smith を自己受容しているっていうか。だから出てくる洒脱さであり、他の誰でもないっていうところがすごい私はおしゃれだなと思います。絶対的な個性っていうのはそういうところから生まれるのだと思います。