Interview with Walter Pfeiffer, one of the most obscure yet influential photographers to date

【インタビュー】カルト的人気を誇るスイス人写真家ヴァルター・ファイファーの素顔に、気鋭のアートブック・ディーラー、コナー・ドンロンがせまる

Interview with Walter Pfeiffer, one of the most obscure yet influential photographers to date
Interview with Walter Pfeiffer, one of the most obscure yet influential photographers to date
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【インタビュー】カルト的人気を誇るスイス人写真家ヴァルター・ファイファーの素顔に、気鋭のアートブック・ディーラー、コナー・ドンロンがせまる

Interview with Walter Pfeiffer, one of the most obscure yet influential photographers to date

1970年代前半から数々のすばらしい作品を撮り続けているスイス人フォトグラファー Walter Pfeiffer (ヴァルター・ファイファー)。しかし長年脚光を浴びることはなく、作品集『Welcome Aboard (ウェルカム・アブロード)』を2001年に出版してからようやく人気に火がつき、熱烈なファンが増え続けているという。Nan Goldin (ナン・ゴールディン) や Larry Clark (ラリー・クラーク) といったフォトグラファーたちの作品と比べられることが多い Walter だが、彼が撮るユースカルチャーの写真は、同年代の作家の作品ほど強烈ではないものの、機知に富んでエロティックな印象を持つ。一見スタイルがないようにおもわせる彼のラフで巧みなアングルは、写真界で人気を博していて、彼のとらえるビューティはエロティシズムの内気な側面を醸し出している。

文・取材: Conor Donlon (コナー・ドンロン)  提供: LN-CC  英語翻訳: 編集部

1970年代前半から数々のすばらしい作品を撮り続けているスイス人フォトグラファー Walter Pfeiffer (ヴァルター・ファイファー)。しかし長年脚光を浴びることはなく、作品集『Welcome Aboard (ウェルカム・アブロード)』を2001年に出版してからようやく人気に火がつき、熱烈なファンが増え続けているという。Nan Goldin (ナン・ゴールディン) や Larry Clark (ラリー・クラーク) といったフォトグラファーたちの作品と比べられることが多い Walter だが、彼が撮るユースカルチャーの写真は、同年代の作家の作品ほど強烈ではないものの、機知に富んでエロティックな印象を持つ。一見スタイルがないようにおもわせる彼のラフで巧みなアングルは、写真界で人気を博していて、彼のとらえるビューティはエロティシズムの内気な側面を醸し出している。

Walter の最新刊『Scrapbooks 1969-1985』は、彼が20代前半のときに制作したスクラップブックを収録。偶然見つけた切り抜きや紙くずなどが貼り溜められたスクラップブックは、彼の独自の美学を形成する土台になっている。今回インタビューを行ったのは、元Wolfgang Tilmans (ヴォルフガング・ティルマンス) のアシスタントで、現在ロンドンを代表するアートブック・ディーラーの Conor Donlon (コナー・ドンロン)。Walter の若いころや、作品制作に関して受けた影響というのは、一体どのようなものだったのだろうか?

©Walter Pfeiffer

– スイス北部の小さな村、ベッギンゲン育ちということですが、クリエイティブな教育はどうはじまったのですか?正式な形で写真を勉強したりしましたか?

最初はチューリッヒで、ショーウィンドウの飾り付けとスタイリングの見習いからスタートして、それからアートスクールに通いました。でもきちんとした写真の教育は受けていません。当時は絵を描くことが好きだったので。卒業後はハイエンドな百貨店 Globus (グロバス) でスタイリストをする仕事を得ました。スクラップブックを作りはじめたのもそのときです。その百貨店が、アポイントメントを管理するために高い手帳をくれたのがキッカケです。解雇されてからその手帳を持ち出して、いろいろと貼り付けたりしはじめました。

 

– 『Scrapbooks 1969-1985』を見ると、どのページにもテーマがあって、現在までの作品に影響を与え続けていることがわかります。スクラップブックの制作をはじめたときは、他の人たちがそれをやがて見るようになると想像していましたか?

そういうことは考えていませんでした。当時私は無名だったので。自分のためにやっていただけです。自分の作品を向上させるための手段のひとつでした。雑誌で気になるイメージを見つけるのが好きで、他にもいろいろなものを貼り付けていました。ただ趣味でやっていたので、あまりなにも意識せずに制作をしていました。いまはもう意識的になりすぎてしまうので作れないとおもいます。

Scrapbooks 1969–1985
URL: 
http://www.ln-cc.com/invt/don0661col

– 2番目に制作したスクラップブックは、最初のモノより意図的ですよね?ご自身の写真も貼り付けたりしはじめていますし。どういう心境の変化でしょうか?

そうですね。2作目を作ったのは、キューレーターのHarald Szeemannが主宰するコンテストに招待されたからで、自叙伝的な作品を提出しなければなりませんでした。1作目を作り終わった後、友だちの写真を撮りはじめて、2作目のスクラップブックには当時の自分の人生をおさめたポラロイドや写真を多用しています。そのコンテストの優勝者には自分の本を出版できる機会が与えられることになっていて、自分は2位でした。1位の人は審査員のひとりと付き合っていました。いま考えると、そのとき優勝しなくて良かったとおもいます。もし優勝していたら、今回の本は出版できなかったとおもいますし。この本に掲載したポラロイドの多くは、あのときのコンテスト向けに撮ったものです。

 

– キューレーターのJean-Christophe Ammann が1974年に主宰したグループ展「Transformer」で注目を浴びましたよね。そのグループ展のタイトルはルー・リードが1972年に発表したアルバムに由来しているそうです。Jurgen Klauke や Pierre Molinier、Brian Eno、the New York Dolls、David Bowie などがフェミニニティとマスキュリニティをテーマに作品を発表しています。グラムロックとアートを融合させながら。この展覧会について少し教えてください。

自分にとって最初の展覧会で、初期のころに撮影していたモデルのA4サイズの写真を提出しました。ただ、そのモデルが展覧会の開催前に他界するという悲しい出来事もありました。Jean Christophe Ammann は私にとって本当の意味で最初のエディターのひとりでした。いつももっと大胆になれだとか、保守的になりすぎるなとアドバイスをくれる存在でした。批評されるとだいたい落ち込んだのですが、いま考えると彼のアドバイスは貴重でした。ほめられすぎるより良かったとおもいます。当時自分もかなり若かったですし、同じような作品を撮っているフォトグラファーもあまりいませんでした。Larry Clark などを除いて。Jean のコメントはとても重要でした。

1/2 ページ: 当時 Larry Clark の作品のことを知っていたのですか?

– 当時 Larry Clark の作品のことを知っていたのですか?

当時は知りませんでした。やらなければいけないことをやっていただけです。同世代のフォトグラファーを参考にすることはほとんどなかったです。Herbert List や Herbert Tobias などからは影響を受けましたが、自分にとってのアイドルはスイス人彫刻家の Karl Geiser でしたね。彼は1930年代に活躍した人で、彫刻作りのモデルとして男の子たちのすばらしい写真を撮っていました。若い男性たちがレスリングをしている写真が特に好きでしたね。レスリングはとてもスイスらしいスポーツです。

Walter Pfeiffer 1970 – 1980
URL: http://www.ln-cc.com/invt/don0659col

– 1981年に最初の作品集『Walter Pfeiffer 1970-1980』を発表していて、いまかなり入手困難な本になっています。出版したときの反応はどのようなものだったでしょうか?

少ないですけどファンがついたみたいです。みんなゲイでした。スイスではだれも目にとめてくれず、海外での方が反響がありました。ニューヨークの Printed Matter で販売されていましたが、あまり注目を浴びませんでしたね。たいていはディスプレーされることなくカウンターの下に置かれるだけでした。そのころはまだ刺激的過ぎたのかも知れません。

 

– 2作目の『Das Auge, die Gedanken, Unentwegt Wandernd』と3作目の『Welcome Aboard』間には15年もの月日が流れています。その間も写真は撮っていたのですか?

『Welcome Aboard』を出版するまで、写真からは遠ざかっていたんです。絵を描くことしか興味がわかなくなっていました。写真はほとんど撮りませんでしたね。ライフドローイングの授業で教えながら、低い所得で暮らしていましたが、幸せでした。90年代後半になって、出版社の Patrick Frey (パトリック・フレイ) が作品集を作らないかとアプローチしてきて、2作目の版元は彼らだったので、やることにしました。それから私の本のほとんどを彼らが出版してくれています。『Welcome Aboard』で本当に世界が変わりました。初めてカラーで出版された作品集でした。1作目の『Walter Pfeiffer 1970-1980』も実際はカラーで撮ったのですが、予算の関係で白黒印刷になってしまったのです。

Das Auge, die Gedanken, unentwegt wandernd (The eyes, the thoughts, ceaselessly wandering)
URL: http://www.ln-cc.com/invt/don0663col

Welcome Aboard 1980 – 2000
URL: http://www.ln-cc.com/invt/don0662col

– ここ10年くらいで Walter さんの作品はものすごく注目を浴びてきています。若い世代の多くのフォトグラファーがあなたに大きな影響を受けたと言っていますし、“アーティストのなかのアーティスト”とも呼ばれたりしていますよね。この大きな変化にどう対応したのですか?

正直なところ、ほめ言葉にはなかなか慣れませんでした。昔からいた存在だったのですが、『Welcome Aboard』で急に脚光をあびることになったのです。求められないことに慣れていましたからね。作品自体も、技術的にイマイチと長年批判され続けていましたし。その本を出してからギャランティーが発生する仕事が舞い込んでくるようになりましたが、最初は技術的に対応できるか心配でした。でも徐々に自信がついてくるようになりました。

 

– 被写体となる多くのモデルは友だちだったり、偶然出会う人たちで、プロのモデルを使うのは報酬がある仕事のみですよね。Walterさんのミューズたちの魅力とはなんなのでしょうか?

うつくしさです。性欲などは関係ありません。若者を撮るのが好きなんです。彼らは悲哀に満ちあふれていませんので。うつくしさというのは、とても一時的なモノです。それがどこかに行ってしまう前に撮り下ろしておきたいのです。

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LN-CC にて取扱中の書籍は、希少本や古書のコレクターとして広く知られる「Donlon Books (ドンロン・ブックス)」書店のオーナー、Conor Donlon (コナー・ドンロン) がキューレーションを担当。アート本・写真集やカウンターカルチャー系マガジン、専門書など、厳選された新刊から入手がむずかしい貴重なレア本まで、幅広く取りそろえている。また、本・写真関連の特集企画を定期的に発信している。