ファッション業界人が語る、次世代のクリエーターに求めるもの with ESMOD JAPON (エスモード ジャポン)
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ファッション業界人が語る、次世代のクリエーターに求めるもの with ESMOD JAPON (エスモード ジャポン)
Japanese Fashion Observers with ESMOD JAPON
ESMOD JAPON (エスモード ジャポン) 東京校の第27回卒業審査会が2013年2月22日に行われた。次世代を担うファッションデザイナー・パターンナーの卵たちにとって、これまで培ってきた時流をとらえる能力、独創性、専門技術、そして国際的な視野で新しい価値を創造する能力が試される審査だ。
取材・文・写真: 編集部
ESMOD JAPON (エスモード ジャポン) 東京校の第27回卒業審査会が2013年2月22日に行われた。次世代を担うファッションデザイナー・パターンナーの卵たちにとって、これまで培ってきた時流をとらえる能力、独創性、専門技術、そして国際的な視野で新しい価値を創造する能力が試される審査だ。
現在、ESMOD は世界15ヵ国22校にネットワークを持ち、各校が独自の文化や産業背景をもとにプロフェッショナルの育成を行っている。同校の教育の根幹を担うのはステイリズム (デザイン部門) とモデリズム (制作部門)。前者では時流に沿ったコンセプトメーキング、デザインの発送と展開力、カラー・素材・ボリューム感のとらえ方、プレゼンテーション能力、そしてビジュアル空間表現力を徹底して鍛え上げる。そして後者ではコンセプトとデザイン画の表現力、平面裁断・立体裁断からのパターンへの展開能力、素材の選択、縫製力などに重点が置かれている。
1984年にフランス国外で初めて設立され、同校のグローバル化の先がけ的存在となった ESMOD JAPON 東京校は、TOGA (トーガ) の古田泰子氏をはじめ、LAD MUSICIAN (ラッドミュージシャン)の黒田雄一氏、THEATRE PRODUCTS (シアタープロダクツ) の武内昭氏・中西妙佳氏、元 FRAPBOIS (フラボア)で、現在 mercibeaucoup,( メルシーボークー、) の宇津木えり氏、MUVEIL (ミュベール) の中山路子氏、そしてフォトグラファー兼スタイリストでクリエイティブディレクターとしても活躍している熊谷隆志氏など、東京のファッションシーンの第一線で活躍するクリエーターたちを数多く輩出してきている。
今回の審査には日本のファッション産業の前線で活躍している人物が審査員として参加。ESMOD International (エスモード インターナショナル) の仁野覚代表を含め、ビームス創造研究所クリエイティブディレクターの青野賢一氏、京都服飾文化研究財団 (KCI) のキュレーターを務める蘆田裕史氏、ファッションジャーナリストの生駒芳子氏、MIKIOSAKABE のデザイナーで同校の講師も務める坂部三樹郎氏、ASEEDONCLOUD (アシードンクラウド) のデザイナーの玉井健太郎氏、ファッションエディターの西谷真理子氏、そしてwrittenafterwards (リトゥンアフターワーズ) のデザイナーで同校の講師も務める山縣良和氏に話しをうかがった。
仁野覚 (President of ESMOD International)
– まずは簡単な自己紹介からお願いします。
1945年、大阪生まれです。大阪市立工芸高等学校というアート系の高校を卒業して、大阪の芸術大学でアートを勉強しました。1970年にパリへ渡って、1974年に ESMOD Paris (エスモード パリ) のデザイン科を卒業しました。1983年までパリにおりまして、1984年にESMOD東京校、1994年には大阪校を設立しました。そして2000年から ESMOD International の代表を務めています。
– 仁野さんの学生時代についてのお話を聞きたいのですが。
小さいころから絵が好きで、仕事はアーティスティックなことをやりたいとおもっていました。たまたま実家がテーラーの家だったので、ファッションだけはやめようと最初に考えました。家の中で服を作っているのを見ていて、あまり性に合わないかも知れないとおもったのです。学校はアートの学校に行ったのですが、当時の日本は学生運動が大変盛んな時代でした。いままでなにも疑問に持たなかった日本社会のシステムや政治、世界の構造、社会の権威などというものが、学生運動のなかでは批判の対象になっていました。そこで初めて、世の中の既成概念というのは作られているのだと気づきました。人生における大きな出来事でしたね。当時、社会主義的な思想や科学的な唯物論など、論理的に物事を考えるという思想に触れまして、それまで比較的、感覚的に物事を考えていたのですが、自分の生き方や考え方というのが、実はさまざまなジャンルの中のひとつのスタイルに過ぎないと学びました。20歳前後のときに、客観的に自分の思考や心情について、世の中の動きと連動して感じることができたのです。
それからヨーロッパに行って、より広い視野で物事と社会を見てみたいということで、フランスに行きました。ソ連を経由して行ったのですが、当時学生の間では、社会主義のソ連は理想の社会とおもわれていました。しかし実際に行ってみると、理想とはかけ離れた監視社会で、全く豊かではなかった。そのころの日本では、中国やソ連が一番進んだ社会体制だと結構おもわれていたのです。実際は真逆でしたね。それからフランスに行ったのですが、フランス人の思考や生活のスタイルも日本人のそれとは本当に違っていました。当たり前ですが、歴史や文化が違う。これだけ物事の価値観というものが国によって違うということを肌で感じることができたことが、いまの人生のベースを作ったとおもいます。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
20歳を過ぎてヨーロッパに行って、本当はすぐに帰国しようとおもっていました。ところが、せっかくヨーロッパに来たからには、元々イラストレーター志望でしたので、ファッションも少し勉強してから帰りたいと考えるようになったのです。あと、親がテーラー職人ですから、親と共通のことをひとつ勉強すれば、少しは親孝行になるかなともおもいました。最初に拒絶した職業の世界に入ってしまうという、なんとも不思議な感じでしたね。
– 当時は男性がファッションの学校に行くこと自体、珍しかった時代でしょうか?
そうですね。フランスの場合はいまでも女性の生徒が80%、男性が20%ぐらいです。我々がいたころ、男性はもっと少なかったですね。全体の5%〜10%くらいでした。私がフランスの ESMOD に入学したときには、ファッションデザイン科はもう設立されていて、ファッション業界でやらなければいけない企画、プレゼンテーション、作業全般のプロセスなどを勉強できるようにはなっていました。
70年代の初めのころで、プレタポルテという産業構造がかなり確立されてきていた時代でした。当時は Yves Saint-Laurent (イヴ・サン=ローラン) が大スターでしたね。その後70年代半ば近くなって、Jean-Paul Gaultier (ジャン=ポール・ゴルチエ) や Claude Montana (クロード・モンタナ)、Azzedine Alaia (アズディン・アライア) などといった、いまもなお活躍しているデザイナーたちが次々と出てきました。日本でも三宅一生さんや山本寛斎さん、森英恵さん、それから山本耀司さん、川久保玲さんが出てきました。そのころ私はパリにおりまして、フランスと日本のファッション系企業のコレスポンダンスをしていました。フランスにいながら契約の管理や、新しいものが出たら、それを日本に紹介するという仕事をやっていましたね。
Yohji Yamamoto や Comme des Garçons (コム デ ギャルソン) がパリに現れたときはやはりすごかったです。ファッションの価値は、その国の文化や社会が作り上げてきた概念が決めます。フランス人にとって、服というのは立体的なものでしたし、文化に歴史があるところはいろいろとルール化されています。山本耀司さんや川久保玲さんが打ち出した“黒”というのは、まさに喪服に使われる色ですよね。そして着物のようにフラットなものを立体で着るという概念は、フランス人の持つファッション観とはかけ離れていました。体と服の空間を考え、でき上がっているものを一度壊してしまうという概念は、日本のお茶の“わび・さび”に通ずるところがあるとおもうんです。当時のフランス人にはまったく新しい概念でしたので、賛否両論が巻き起こりました。新しいものが出てくるとだいたいそうなります。
次のページ: 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします
– ESMOD JAPON 設立当初の学生たちと、いまの学生たちを比べるとどうでしょうか?
設立当初は日本経済成長期のまさにピークにさしかかるころでしたから、日本全体にすごく活気がありました。将来に対する可能性に関して、みんなが期待していた時代でしたね。いまのように情報は豊富でもなく、経済的にも成熟した社会ではありませんでしたので、いろいろなモノが足りませんでしたが、若い人たちにとって無限の可能性が転がっていたようにおもえます。自分の職業選択においてもさまざまな可能性がありました。ファッションに関して言うと、当時の日本はまだまだ成熟していなかったので、どちらかといえば有名デザイナーに影響を受けた生徒が多かったです。彼らの作品を見たとき、「これは Yohji Yamamoto だね」「これって Comme des Garçons じゃないの?」という印象を受けたりしていました。でもいまは本当にそういうことはほとんどなくなりましたね。
いまの学生はかなりオリジナリティが高いし、知的レベルがひとりひとり高いとおもいます。ただ、問題はインターネット社会です。情報があまりにも速くキャッチできるようになり、少し頭でっかちになってしまっている人が増えています。人間は、どこかで実体験がないと確信は持てません。哲学やコンセプトを明確に作りあげるには、さまざまな情報を実際の現場で試行錯誤しながら吸収していくことが重要だとおもいます。それがいま、知識の方に行き過ぎてしまっている。知り過ぎてしまって、自分のモノができなくなっている。いろいろとあり過ぎるがために選択できない弱さ。精神的にフラジャイルというか、ひ弱になっているのではないかとおもいます。 20、30年前と違って社会が経済的に豊かになり、生存のために足りないモノはほとんどないですよね。そういう中で、自分の生き方や夢を見つけるには、選択肢があり過ぎてむずかしい。昔は、とにかく自分で飯食って、あれが欲しい、あれを買いたい、あの車に乗りたいなどといったように非常にシンプルな衝動があり、そのために自分はなにをしたら良いのかというように、結構シンプルに物事を考えられました。そういう意味では、自分の職業をいま以上に早く見つけなければいけないというのがありました。
そして、現代社会は豊かになりましたが、これは自分の力でそうなったのではないということを知るべきです。この日本の社会を支えてきてくれた両親、先輩、そういう人たちがある意味準備してくれたことなのです。したがって、いま以上に世の中を発展させるとか、もっとこの国の特性を理解して発展させるなどというぐらいのところまで意識が高まれば、日本にももっとダイナミズムが生まれるとおもいます。あと、若い人たちは自分だけのことを考えすぎてしまう傾向があり、夢のスケールが小さくなってしまいがちです。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、東ヨーロッパからいろいろな人がフランスにファッションを勉強しに来るのを見ていますと、中には自分の国のためにファッションを勉強して、自分の国のファッションをもっと盛り上げたいという考えを持つ人がいます。こういう人は後ろに自分の国と文化を背負っているので、考えているレベルが高次元で、やる気と責任感がものすごくあります。作るモノのクオリティも高い。日本は国家や社会などについて、歴史をあまり教えずにきたので、自分のことだけをかまっていれば良いとおもうから、ついつい小さなところで満足しがちなのです。
繰り返しになりますが、先人たちが作り上げてきてくれたものがベースにあることを認識する必要があります。そうすれば物質的なことだけではなく、精神的にも前に進んでいけるとおもうのです。大きな社会、政治、経済、そして自分との関連性を見つけていかないと。70年近くもここまで平和であったことなど文明開化以降ないです。中国や韓国、ロシアとの問題というのは、歴史的には全く特別な問題ではないですよね。国境や領海を接する国同士の間では、いまも昔も、これからはどうなるか分からないですけど、絶えず紛争というものが続いてきています。こういうことに対して、本当は若い人たちが一番敏感になるべきなのではないでしょうか。なにかが起こった場合、自分たちが守る、先頭に立たなければいけないという側面が、好むと好まざるとにかかわらずありますので。そういうことに関しても気を付けて見ておかないと、とんでもない政権を選んで自分たちの生命をそちらの方向に捧げてしまうなどというリスクが生まれてしまいます。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
私は、エスモードの学生は服作りを通してそれぞれの価値観や人生の哲学を、知らず知らずのうちに学習しているとおもっています。自分の物差しで物事を判断しながら人生を進んでいけば、間違ったなとおもっても、なぜ間違ったのかを分析ができるんですよね。ところが、世の中の権威が作った考え方や、マスコミが伝えているものをただ安易に取り入れて失敗してしまうと、なにをどう変えて良いのかが分かりにくい。それは他人の価値観を受け入れて、自分の人生に応用していただけだからです。人生、だれにとっても一度きりです。その限りある人生、どれだけ悔いのないように生きていくか。エスモードの学生は、ファッションという、社会人としてなにかを表現できる手法のひとつを身につけたとおもうので、それを大切にしながら個々の価値感に応じて進んで行ってもらえれば良いとおもいます。ファッションだけでも市場は非常に広いですから、10年、20年と気長に仕事をするということになるとおもいますが、ここまで来るには並大抵の努力ではなかったとおもうので、忍耐力・精神力ともにそうとう鍛えられているのではないでしょうか。
– 最後に、社会人1年目の新人に求めるものとはなんでしょうか?
ゴールをしっかり持ってもらいたいです。それと、企業に勤めるのであれば、その企業が自分に対して一体なにを期待しているのかを理解すること。だからと言って、企業に迎合する人間になってはダメですけど。いつも勇気を持って自分の意見を言えるようにして、問題があったらネガティブに批判するだけではなく、こうしたらもっと良くなるというような提案をできるようになる。そういう人は会社でも社会でも必ず、信頼されるようになります。日本の場合、上司に反対意見を言わないとか、大勢の前に出ると意見を言わないとか、そういう傾向があるとおもうのですが、やはりこの世の中の原則は決して理想で成り立っているわけではありません。まず前提としてそのことを理解しておいた方が良いです。自分も含めて、いかにして理想に近づくかを常に考える。個人も企業も、そして社会も、問題点を絶えず改善していく必要があります。なにを優先的に改善していくのかを考える必要がありますね。
仁野覚 (にの・さとる)
1945年生まれ、大阪府出身。パリを拠点に世界一の国際的ネットワークを持つファッションモード学校ESMOD (エスモード) のグループ6代目代表 (現 ESMOD International (エスモード インターナショナル) の代表) 。1984年、ESMOD JAPON (エスモード ジャポン) 東京校、1994年同大阪校を開校。ESMODは、現在世界15国にまで広がるネットワークを持ち、各国が独自の文化や時代背景のもと、教育を行っている。
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次のページ: Interview with 青野賢一 (ビームス創造研究所クリエイティブディレクター)
青野賢一 (ビームス創造研究所クリエイティブディレクター)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
大学1年生のとき (1987年) に、BEAMS (ビームス) で販売員のアルバイトをしていまして、卒業後そのまま社員になりました。そして International Gallery BEAMS (インターナショナルギャラリー ビームス) に配属になり、そこで販売をやりながら貸し出しの担当をやっていました。1997年にプレスになり、1999年には音楽レーベル BEAMS RECORDS (ビームス レコーズ) の立ち上げに参画して以降、レーベル運営とCD/レコードショップのバイイング、ディレクションを担当しています。そして2000年代に入ってからは、PR仕事のノウハウをWEBに活用するというWEBのスーパー・バイザーとしての取り組みも同時にやるようになりました。
2010年になり、ビームス創造研究所という、社長直轄の部署に立ちあげメンバーとして移って、いまに至ります。ビームス創造研究所というのは、個人のスキルを活かして新たなビジネスに繋げる部署になっていまして、小売りをメインの生業としている本体の BEAMS とは異なり、ソフトを売ることをやっています。例えば、会社の中の仕事をやるのではなく、個人でほかの企業の仕事に関わり、それをBEAMSに何らかのかたちでフィードバックする、というようなことです。自分の場合は、執筆やコンピレーションCDの選曲、展示やイベントの企画、運営などが中心です。
– 今日の審査会はいかがでしたでしょうか?
今回はじめてお声がけいただいのですが、メンズはアイテムの幅がせまいこともあり、完成度の高いモノが多かったです。ただ、逆にクリエイションに対するおどろきというモノもあまりなく、すごくこなれているモノが多かったという印象です。普通にお店に並べても売れそうなモノも、時流にあっているモノもありました。
レディースはクリエイションの幅がとても広いので、コンセプトをしっかりとプロダクトに表現できている人と、そうでない人の差がかなり出た感じがありました。「私の日常」のようにパーソナルなテーマをとりあげている人がけっこういらっしゃったのですが、それを第三者にモノとして伝えることはなかなかむずかしいと感じました。ポンっとモノだけだされたときに、なかなかそれがうまく伝わっていきにくいというか。コンセプトを説明してもらっても、ピンと来る人と来ない人もいましたし。テクニカルな部分でそれを伝えきれていない人もいました。また、コンセプト以上にテクニックで伝えられる人もいましたね。
– 特に気になった生徒はいましたか?
1. 松本愛子さん
マリオネットがテーマで、モノ作りで良くできていました。テクニカル面ですごく良かったです。
2. 新谷亜梨砂さん
コンセプトがおもしろかったです。まだ人がやっていないコトをやろうとしています。話を聞いていたら、「中国で生地にこういうプリントができるところが出てきたんですよ!」と言っていました。売っていける服として今後どれだけ表現できるようになるかを考えていけると良いですね。
3. 那須絢介さん&森部有貴さん
メンズはディテールと機能が結びついているというのがすごく大事なのですが、余計なディテールがあまりなく、きちんと機能も備わっていました。モノ作りもこなれていて、完成度が高かったです。炭で染めていると言っていました。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
大学では経済学を専攻していました。ファッションの道を選んだきちんとした理由や、決意のようなものは特にありませんでしたね。たまたま母親がパタンナーだったこともあり、ファッションの世界が身近にあったので、なんとなく興味のある分野だったからでしょうか。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
僕の実体験は全くあてにならないとおもうのですが(笑)強いて言うなら、タイミングですね。僕が BEAMS に入ったのは、たまたまなんです。アルバイトをやろうとおもったときに、たまたまお店でアルバイト募集の張り紙を見つけまして、そこからいまに至っているわけです。人生にはそういうタイミングがあるとおもうので、そうしたサインを見逃さないように心がけておくことでしょうか。
あと、情報過多になり過ぎてしまうと、なにが良いのか分からなくなってしまうので、自分で情報を整理できる編集力が重要だと考えています。自分のことを考える時間を作ることも大事ですね。これまでやってきた蓄積を大事にしながら、自分との対話を重ねる。日々感じるモノは、刻々と変化していくとおもうので、その声を聞き逃さないようにすることが大切です。
– 社会人1年目の新人に求めるものとはなんでしょうか?
自分の頭で考えて、主体的に行動すること。まずは自分で答えをだして、その答え合わせをやっていくという作業が必要です。なんでも聞いてしまったり、教えてくれるのを待っていたりは良くありません。
– 最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
神保町です。仕事で原稿を書くことが多いので、資料集めにも行きますし、好きなモノを買いに行ったりもします。神保町には一日中いられますね。実は今回、審査をしながら学生さんに作品のソースをどこから得たかを聞いていました。きちんと一次資料(文献)に当たっているかどうかの確認です。やはり一次資料に当たっている人の服には説得力がありました。そういう資料集めにも神保町は最適です。
青野賢一 (あおの・けんいち)
1968年生まれ、東京都出身。ビームス創造研究所クリエイティブディレクター、BEAMS RECORDSディレクター。販売職、プレス職などを経て現職に至り、執筆、PRディレクション、選曲、DJなど、多岐にわたる仕事に取り組んでいる。2010年には初の著作集『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)を発表。
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次のページ: Interview with 蘆田裕史 (京都服飾文化研究財団キュレーター)
蘆田裕史 (京都服飾文化研究財団キュレーター)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
京都服飾文化研究財団 (KCI) というところでキュレーターをしております。会社での活動以外には、『fashionista (ファッショニスタ)』というファッションの批評誌をデザイン研究者の水野大二郎君と去年立ち上げまして、その編集も行っております。いまの職場では展覧会の企画が主な仕事なのですが、それ以外にもこれから個人でファッションの批評をやりたいとおもっていまして、少しずつ文章を書くような仕事もしております。
– 今日の審査会で気になる生徒はいましたか?
横澤琴葉さん& 高瀬恵さん
ブリーチをかけたデニムをメインにしていて、素材としてはありふれているのですが、服のフォルムとシルエット、写真とモデルの選択、プレゼンテーションがとてもうまかったです。出発点はとても個人的なことで、横澤さんのお父さんが90年代に着ていた “YAMAHA” と書いてある普通のトレーナーだそうです。当時はすごくダサいとおもっていたそうなのですが、いま見ると結構かわいいのではないかとおもい、そこからコレクションを展開したとのこと。そういう個人的な思い出を背景にしたものって、作者の感情の表出におさまりなのですが、彼女の場合はそれが個人の思い出にとどまらず、だれもが共感可能な時代精神のようなものが発露されていると言えます。父親が着る「トレーナー」や「セーター」をダサいとおもうことってよくあるじゃないですか。そして、そこからいろいろな展開をしているのですが、スウェットのだらしなさをデニムに敷衍したときの形の崩し方もおもしろい。プロダクトとしてクオリティの高いモノを作る学生はほかに大勢いたのですが、きっちりしたモノを作るだけだったら職人さんに弟子入りしてもいいわけですよね。卒業制作の審査をするのは今年が初めてだったのですが、デザイナーとしての能力をはかるにあたって、自分のもっているコンセプトをどのように服に展開できているか、そこで評価をしました。そういったことを考えたときに、彼女たちが一番コンセプトと服、そしてプレゼンテーションをバランスよく組み立てていたとおもいます。
– 学生時代はなにを勉強していましたか?
もともとの学部は、ファッションとはかけ離れている薬学部だったのですが、大学院から文転をしました。そこで教わった先生は美学や哲学が専門だったのですが、ファッションにも興味のある人だったので、ファッションの研究も認めてもらえたのです。内容としては、20世紀の服飾史と美術史の境界線上にあるようなことを調べていました。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
高校生ぐらいのときから着ることは好きでした。僕が大学生だった1997年から2001年ぐらいまではインディーズブランドがブームになっていて、それを見て自分でも服を作ってみたりしたのがキッカケです。ただ、最近いろいろな方と話をしていると、東京ではあまり関西ほどインディーズのブランドって流行っていなかったような印象も受けますね。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
学生の間はどうしても自分の好きなモノばかりを作ってしまう傾向がありますよね。もちろん課題ではテーマを与えられますが、その中でどうしても自分のテイストを出そうとしてしまう。ロリータのスタイルが好きな子だったら、ジャケットを作ってもスカートを作っても同じスタイルになる。そういうことばかりしていると世界が広がらないとおもうのです。でも、それでは30年以上、仕事としてデザインを続けるのはむずかしいでしょう。学生のうちは時間もありますし、自分の引き出しを広げることをしてほしい。ファッションの世界のことだけでなく、映画を見たり、本を読んだりすることも役に立つはず。自分の好きな世界に閉じこもるのではなく、自分の興味がないモノも制作に生かそうとしてみたら良いのではないでしょうか。
– 社会人1年目の新人に求めるものとはなんでしょうか?
会社に入ると、否応なくいろいろなことをさせられるので、自分の興味がないことでもやらなければならない。それがおもしろくないとおもったとき、仕事だからと割り切ってしまうのは簡単なのですが、その中で自分なりに興味をもてるところや、勉強になるところを探していくという努力も必要だとおもいます。ただ、もし会社や業界のシステムに不満を感じることがあれば、その気持ちを大切にしてほしいです。自分が上の立場に立ったときに、そうした不満を部下が感じることがないようにするために。
– 最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
『3+Re²』GASA*concept room
URL: http://gasa.co.jp
恵比寿にあるGASA*というブランドのショップです。空間の作り方がすごくうまいです。
蘆田裕史 (あしだ・ひろし)
1978年生まれ、京都府出身。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。京都服飾文化研究財団 (KCI) でキュレーターを務める。2012年、水野大二郎とともにファッション批評誌『fashionista (ファッショニスタ)』を出版。現在の日本のファッションシーンで活躍するデザイナーのインタビューや評論、研究者・批評家による特集を収録するなど、幅広い視点でファッションを批評している。
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次のページ: Interview with 生駒芳子 (ファッションジャーナリスト)
生駒芳子 (ファッションジャーナリスト)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
パリとミラノのコレクションを20年くらい取材してきまして、『VOGUE (ヴォーグ)』、『ELLE (エル)』、『marie claire (マリ・クレール)』という雑誌の編集者をしてきました。フリーランスになってからは、ファッションを中心に、現代美術や社会貢献の分野で活動をしています。経済産業省のクール・ジャパンの官民有識者会議にも参加しています。また、伝統工芸を復活させて世界に発信するという活動にも取り組んでいます。
– 今日の審査会はいかがでしたでしょうか?
それぞれみなさん、自分の好きな世界や自分がもっている世界を表現しようとしていると感じました。アート寄りであったり、政治的なメッセージを含んだモノだったり、エコロジー寄りのモノだったり、精神世界のモノもあり、かなり多様でした。ファッションがもはやファッションの枠だけでは存在できない時代に入ってしまいましたので、そういう社会状況を映し出しているような姿勢をみなさんから受けました。日本ではファッションというのは常に前衛的、アヴァンギャルドなどといった形で進化してきたのが特徴なのですが、そういう脱構築的で前衛的なものをかわいく、きれいに、クリーンに、エレガントに、そして“いまっぽっく”見せる力をもっている学生が多かったのが印象に残ります。メンズデザインの方たちは、ファンタジーがすごく強くて、いまの時代を象徴しているとおもいました。マスキュリン・フェミニンのようなジェンダー的な発想もありましたね。
ただ、一方で気になったのは、みなさんテーマの立て方が少し緩すぎたかも知れません。むずかしい哲学的な言葉を使うことにより、テーマの意味が曖昧になったり、テーマ自体を考えすぎてしまってなにを言っているのかが分からないときもありました。ファッションは、左脳領域のコンセプトと右脳領域の感性が合わさったときに化学反応が起こり、クリエイティブな世界が生まれるとおもうのですが、左脳領域が強く働き過ぎて思考回路でぐるぐる回ってしまっているんですね。テーマをうまく表現できていない場合もありまして、そこは残念でした。普段から家族や友だちとディベートをしあって、コンセプトをより明確にしていくトレーニングを日常的にされると良いとおもいます。社会に出てしまうと、コンセプトメーキングにそこまで時間を使えません。時間のある学生のうちにコンセプトを構築する能力を鍛えるのがベストです。
– 特に気になった生徒はいましたか?
1. 松本愛子さん
理屈を越えたところでクリエイションとしての、造形としての完成度が高かったとおもいます。服の仕掛けがすごく構造的でオブジェ風なのですが、うつくしさがあります。やはり服はうつくしくなければいけない。いわゆる普通の意味での“うつくしさ”ではなくて、人を一瞬にして魅了してしまうパワーという意味での“うつくしさ”。彼女の服にはその力を感じました。
2. 小磯隆さん & 森部有貴さん
テーラリングとタキシードのニュースタイルみたいなところが印象に残りました。フォーマルという型にはまりがちな世界の中に新しいバランスを感じました。
3. 西香織さん & 高丘茂樹さん
非常にアヴァンギャルドで、アーティスティックな世界を、脱構築しすぎずにクリーンにきれいに表現したという意味で、とても新鮮でした。きれいなアヴァンギャルドというのは、興味深いですね。アートを感じさせるクチュール感も未来的です。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
ファッションがいろいろな波に洗われて、大きくシフトする時代に入っていると考えています。ただ基本的にファッションは、人や社会を元気にする、平和の象徴になる、人を幸せにする、原動力・活力を与える、といった機能をもっています。ですので、世の中が不安定ないまこそ重要な役目を果たし、エネルギーを発する産業になることが望まれているのだとおもいます。ファッション産業にこれからかかわるみなさんには、視野を広げてさまざまなモノを見ていただきたいです。また、ファッションの役割について、もう一度みなさんにも自分自身に問いただしていただきたい。ファッションがいまできることとはなんでしょう?
あと、美術館に行ったり、映画を観たり、日々カルチャーの刺激を浴びるように受けていただきたいですね。政治や社会のことも考えることも大切です。貪欲にいろいろと吸収して、目の前にあるすべてのことをファッションのネタにするぐらいの勢いで。日常生活のすべての瞬間がファッションの材料になりえると意識して欲しいです。また、日本人が一番弱い作業は客観化するところです。教育制度に問題があるのですが、欧米の若者はそこが強い。だからいまからどうしたら鍛えられるかというと、先ほど言ったようにディベートをたくさん重ね、プレゼンテーションの機会を数多く経験することです。自分の考えを相手にうまく伝えたり、相手の意見をうまくくみ取る訓練をする必要がありますね。
– 最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
Eatrip (イートリップ)
URL: http://www.babajiji.com/eatrip
都会の中に出現したまさにオアシス、お気に入りのレストランです。すごく刺激を受けます。食べることだけではなく、ライフスタイルとして総合的にインスピレーションを浴びることができる場所は、少ないですね。そういう意味で、野村友里さんのもつ感覚はすばらしいとおもいます。
生駒芳子 (いこま・よしこ)
ファッションジャーナリスト。『Vogue (ヴォーグ)』、『ELLE (エル)』を経て、2004年より『marie claire (マリ・クレール) 』の編集長を務め、2008年退任。その後はファッション雑誌の編集長経験を生かし、ラグジュアリー・ファッションからエコライフ、社会貢献まで広い視野でトピックを追い、発信するファッションジャーナリストとして活躍している。クール・ジャパン有識者会議委員、工芸ルネッサンスWAO総合プロデューサーを務める一方、環境・エコに関するイベントをはじめ、社会貢献、エコロジー、フェアトレード、チェンジメイキングを含めた、21世紀的エシカルなライフスタイルも提案している。
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坂部三樹郎 (MIKIOSAKABE デザイナー)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
MIKIOSAKABE というブランドのデザインをメインでやっていまして、他に会社としてJenny Fax (ジェニー ファックス) というブランドもやっています。
– 今日の審査会はいかがでしたでしょうか?
審査をするのは今年が初めてなのですが、まず学生のクオリティがすごく高いとおもいました。良い点は、表現として強い説得力のあるモノが多かったところ。悪い点を言えば、これまでの知識と経験のせいで、あまり外部から別のなにかをもってこれていなかった。自分の知っている中でどう納めようかというのが課題になってしまっている。ただ、今回見たなかで何人かは全くそういうところを崩してやっている子もいましたし、生徒のバリエーションの幅が広いなとも感じました。
– 学生時代はなにを勉強していましたか?
ESMOD Paris で勉強していたのですが、中退してしまいました。あのころは全くダメでしたね。成績も良くなかったです。いまの ESMOD は、僕がいたころよりもクオリティがすごく高く見えますし、可能性を感じます。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
もともとはアートの勉強をしようと考えていました。しかしセントマーチンのファンデーションコースに行ったときに、アートは儲からないから、音楽やファッションのようにいまの時代と関連するものでクリエイションしていくのが良いと先生から言われまして、ファッションを選びました。あまり感動的なストーリーではないです (笑)
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
これは結構深い問題です。大手に就職したから安定というような神話はもうない状態で、特にファッションは水商売に近いので、浮き沈みが激しい。そうなったときに彼らはなにをやっていかなければいけないのかというと、必死になって大手に就職するというのも一手ですが、それ以外の道を選んでも良いとおもっています。ファッションは別に洋服である必要もない。ファッションは流行であり、装うことなので、産業と結びついている洋服が一番メインになっているだけです。ファッション性というのは、例えばメイクであったり街のデザインであったり、そのときどきの時代感だとおもうのです。これは結構どの分野にもいろいろと活かせそうですよね。洋服以外のファッション、もう少し原点に戻ったところまで行くと、もっと可能性があります。そこまで深くファッションを考えれば、より道が広がるのではないでしょうか。
– 社会人1年目の新人に求めるものとはなんでしょうか?
自分の頭でしっかりと考えられるような人にならなければいけないとおもいます。いまの社会には情報があふれていて、頭を使う機会は減る一方です。昔だと、例えば電車に乗ったりすれば、2~3駅の間、頭で考えるくらいしか他にやることがなかったですよね。でもいまは携帯電話をいじる人の方が多い。3駅電車乗るときに携帯電話をいじらない人の方が少ないくらいです。どういうことが起こっているかというと、みんな暇な時間がないんです。なにかボーっとするようになってしまっていて、自分の頭で考えられるようなゆとりある時間がなくなってきています。電車に乗っているちょっとした時間でも、5年間それを積み上げたら思考停止の時間は結構長い。いまの子たちは残念ながらそういう世の中のせいで、思考が止まりやすくなっていると危惧しています。もう一度、自分で考える機会・時間をどれだけ作れるかというのがこれから大切になってくるとおもいます。自分で考える習慣をつけるべきですね。
– 最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
中野が大好きです。中野ブロードウェイも好きです。
坂部三樹郎 (さかべ・みきお)
1976年生まれ。2002年ESMOD Paris (エスモード パリ) を経て、2006年ベルギーの Royal Academy of Fine Arts Antwerp (アントワープ王立芸術アカデミー) のファッション科を首席で卒業。帰国後、ベルギー留学中に出会った台湾出身のデザイナー Shueh Jen-Fang (シュエ・ジェンファン) とともに「MIKIOSAKABE」を設立。’07-08年秋冬パリコレクションにプレゼンテーションで公式参加したことを皮切りに、東京、パリを中心にコレクションを発表している。2010年、「普通の女の子のための洋服」をコンセプトにしたブランド Jenny Fax (ジェニー ファックス) を設立。
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次のページ: Interview with 玉井健太郎 (ASEEDONCLOUD デザイナー)
玉井健太郎 (ASEEDONCLOUD デザイナー)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
ロンドンの Central Saint Martins College of Arts and Design (セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・ アート・アンド・デザイン) のメンズ科を2004年に卒業して、英国人のデザイナー Margaret Howell (マーガレット・ハウエル) の元でメンズデザインのアシスタントとして2年間働きました。その後ビザの都合上、英国で働いていくことがむずかしくなったので、Margaret Howellのアシスタントを辞めました。それからすぐに山縣とwrittenafterwards (リトゥンアフターワーズ) というブランドを2007年に立ち上げました。2年間一緒にブランドをやったのですが、方向性の違いというか、最終的な受け手の像が違うということで僕が脱退しました。2009年からASEEDONCLOUD (アシードンクラウド) というブランドを立ち上げて、いまに至ります。
– ご自身の学生時代をふり返っていただくと、どうだったでしょうか?
学生時代はひたすら悩んでいましたね。セントマーチンズという学校のなにが優れているかというと、やはり生徒のモチベーションなんです。ライバル意識だったり、競争させられる教育システムなのですが、なにを学んだというよりも、実際の生き方というか、自分にしか表現できないことをどう表現しなければいけないのか、そういうことを教えてもらった場ですね。日々悩んだ3年間だったので、全く自慢できる実績もないですし、決してかっこ良い学生だったともおもっていません。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
ロンドンに行く前なのですが、高校生のときに親の仕事でドイツに引っ越をしました。英語もドイツ語も話せない状態で、突然そういう所に放り出されて、最初はだれともコミュニケーションも取れませんでした。いままで雑誌やテレビなどといった娯楽が自分の自由な時間をすんなり埋めてくれていたのですが、ドイツに行ったら雑誌もテレビも理解できない。そのなかで、音楽やスポーツ、ファッションだけは見るだけで分かるというか、国境を越えて共有できるなにかがあると若いなりに感じる部分がありました。かといって、別に音楽に秀でている部分があるわけでもなく、特別に得意なスポーツもありませんでしたので、消去法ではないですがファッションにたどり着きました。ドイツに行く前から着飾ることに興味がありましたし、これなら自分でもできるのではないかとというすごく安易な発想でファッションの道を選びました。デザイナーを目指そうと決めたのは17歳のころです。
– 今日の審査会はいかがでしたでしょうか?
学生としてのクオリティはすごく高かったとおもいます。服に対してのこだわりであったり、リサーチ力だったり、発展の仕方だったり、もちろん各々差はありましたが、学生としてしっかりできていました。プロにはできないパワフルな表現方法をされている学生さんがいらしたんですけど、海外だったらそういうデザイナーを引っこ抜いて、メディアで取り上げて、このデザイナーがいまおもしろいという風に紹介したりするのですが、いまの日本にはそういう土壌がないのでもったいないともおもいました。
ただ、今日作品を見させていただいて足りないとおもったのは、服の先の人間像です。どういう人に着てもらいたいのか、どういう人に向けて服を作っているのかという部分が見えにくかった。まだ学生なのでそれはそれで当たり前ですし、それが本来学生の強みだったりもするので、一概に否定はしたくないですけど。そういう部分が伸びる環境を日本でも作っていかないといけませんね。しかし日本で戦っていくのであれば、服の先の人間像を提案・提供できる視野を学生ももたなければいけないともおもいます。
– 特に気になった生徒はいましたか?
1. 横澤琴葉さん&高瀬恵さん (写真下左)
2. 黒津小百合さん&田中沙季さん (写真下右)
この2組は、単純にオリジナリティがはっきりとしていました。自分の過去や背景からモノを作っているので、一点モノというか、パーソナル過ぎて「じゃ、だれが着るの?」という問題もあります。ただ、いままでなかったというか、新しいファッションの表現方法として、とても“いまっぽい”。可能性を感じました。
3. 齋藤有友子さん
彼女は実際に自分で糸を染めていて、手で織っています。もしそれがだれに向けて作っているのかというところまで見えてきたら、すごく日本人らしいクチュールというか、ひとつの表現方法になるとおもいました。ファッションの中での彼女独自のポジションが取れるのではないでしょうか。
もちろん3組とも足りない部分はあります。ただ、考え方や方向性のもっていきかた次第では、きちんとファッションを表現できるポジションを確立できる人材だとおもいます。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
正直に言うと、いまの時代にファッションを選んだという時点で良い進路ではないかも知れません (笑)。リアルな話、お金でいうと結構むずかしい世界ですし、今後も厳しい世界であり続けるのだとおもいます。しかし、新しい人間像を提案できて、新しいかっこ良さや流行を作りだすというすばらしい職業だと僕自身おもっていますし、誇らしくおもっています。なにかきちんと次の世代につなげることができる人間像を作れるようにがんばって欲しいですね。
– 最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
谷中です。西日暮里の方なのですが、日本の昭和のスタイルが良い具合に残っている街です。日本人がもっているべき美意識が現代と過去でバランスよく残っている地域なのではとおもいます。個人的にはすごく落ち着く場所です。ただ、お店同士が同じ場所に集合していないので、きちんと調べてから行かないと大変かも知れません。隠れ家的なお店が多いので。
玉井健太郎 (たまい・けんたろう)
1980年生まれ、千葉県出身。ASEEDONCLOUD (アシードンクラウド) のデザイナー。フランクフルトインターナショナルスクールを経て、2004年、Central Saint Martins College of Arts and Design (セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・ アート・アンド・デザイン) を卒業。その後ロンドンにてMARGARET HOWELL (マーガレット ハウエル) にてアシスタントデザイナーとして働き、帰国。 2007年に山縣良和氏とともに writtenafterwards (リトゥンアフターワーズ) を設立し、2009年、writtenafterwardsとしての活動から離れることを発表。同年ASEEDONCLOUDをスタート。
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西谷真理子 (ファッションエディター)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
私は文化出版局で、『装苑』や『high fashion (ハイファッション)』の編集をずっとやっていました。ファッション雑誌の中でファッションではないことをやることが多かったかも知れません。例えば、森美術館で建築家のLe Corbusier (ル・コルビュジエ)の展覧会があったときには、ただの建築の特集ではなく、Le Corbusier のようなモデルを主人公にメンズのファッションページを作り、森美術館に交渉して展示の中で撮影をさせていただいたりしたことがあります。調べていく中で Le Corbusier がファッションデザインをしていたことが分かって、それをページに載せたりもしました。あと、Ann Demeulemeester (アン・ドゥムルメステール) が、ベルギーにひとつだけ存在する Le Corbusier 設計の家を20代のころに購入して、住んでいることも載せましたね。CHANEL (シャネル) や Prada (プラダ) などファッションブランドそのものを立体的に編集するようなこともしていましたが、どちらかというとファッションと別のジャンルを結びつけるという仕事の方がおもしろかったですね。
そして2011年3月に定年で文化出版局を退職しました。その後は『high fashion』が休刊後スタートしたウェブをやっていたのですが、それも去年の6月で終わりにしました。並行して定年後からは思い立って、ファッションの書籍を企画して、去年の末に2冊目の『相対性コムデギャルソン論』を出しました。これは COMME des GARÇONS (コム デ ギャルソン) の協力の下ではなく、私が勝手に作った本なので、COMME des GARÇONS のかっこ良いビジュアルは使えなかったのですが、そのかわりにストリート編集室の青木正一さんに協力してもらいギャルソンを着たストリートスナップの写真を、載せることができました。その他にも、建築や美術などさまざまなジャンルの方に COMME des GARÇONS について自由に書いてもらいました。
私は今年63歳になるのですが、『装苑』や『high fashion』でたくさんおもしろいものを見てきましたので、それを次の世代に伝えたいという気持ちでやっています。本を出したりしたことがキッカケになって、批評家の蘆田裕史さんに声をかけていただき、今年の4月から京都精華大学に創設されるポピュラーカルチャー学部で特任教授をやらせていただくことになりました。
– 今日の審査会はいかがでしたでしょうか?
ESMOD JAPON のおもしろいところは、とんでもないクリエイションが出てくるというより、日々の洋服について感じている延長で、いろいろなアイディアや工夫が見られるところ。今回もそれがいい形で出ていたと思います。プレゼンテーション(説明)もきちんとできていて、好感が持てました。
– 特に気になった生徒はいましたか?
1. 宮田朝美さん
これは「脱ぎかけの服」がコンセプトなのですが、「着替える途中」というコンセプトの服は、いままでも KRIS VAN ASSCHE (クリス ヴァン アッシュ) やToga (トーガ)、Marc Jacobs (マーク ジェイコブス) などがやってきています。でもこの人のおもしろいところは、パターンもきちんと考えているところですね。こういうのは気をつけないと結局だれにも着られない服になることが多い。でも彼女はその辺も考えていて、パターンについての配慮がありました。コンセプトも仕上がりも良かったと思います。
2. 平石唯さん
彼女の服は「切子硝子」をテーマにしていて、仕事としてすごくクオリティが高いとおもいました。素材の選び方も、吟味されていてなかなかない素材を使っています。アートオブジェのような服です。単に発想が良いというより、腕の良い職人の仕事を見ているような感じを受けました。仕上がりもありふれていませんし。
3. 横澤琴葉さん&高瀬恵さん
彼女たちの作品は傑作ですね。一番おもしろかったです。自分の自叙伝のようなものを洋服の記憶を通して作っています。子どものころにお父さんが「YAMAHA」と書いてあるダサいトレーナーを着ていたのを思い出して、それを自分でゼロから作り直したり。昔、“ダサい”と思っていた記憶を、いまの自分ならどうかわいく再構築できるか、という作品でした。自分の持っているアイデンティティとすごく結びついて、こういうコンセプトはおもしろいですね。とてもユニークでした。これは若い人しかできないなと。
4. 金子智大さん&山上佳彦さん
彼らの作品はメンズ服ですが、なんともかわいい。すぐにブランドとしてスタートできると思いました。メンズには決まったフォーマットがあるから、なかなか新しいことができないのです。ただきれいに仕上げている人とか、どこかで見たことがあるというのはたくさんありましたが、この人たちはポケットがすべて円くできていたり、生地の選び方に特徴があったり、ありふれていない。自分たちのブランドの特徴をきちんと作っている。単にかわいい感じや、装飾男子などといったものではなく、既存の枠に入りきらない感じで、見ていて良い気分になりました。
– 学生時代はなにを勉強していましたか?
あまり勉強はしていませんでした (笑) 。大学に入学したときは、理学部でしたが、一週間もしないうちに自分には合わないとおもい、それから学校には行かないで遊んでいました。2年生から3年生になるときに、もっとこの暇な状態でいたかったので、転部しようと考えたんです。どこが一番暇かを調べたら哲学か仏文でした。哲学には勉強しないとついていけないイメージがあったので、仏文にしました。結局、その後も遊び癖は治らなくて (笑)。こんな私が先生になっていいんでしょうかね。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
ハイファッションという雑誌が好きだったからです。当時写真が好きで、写真の展覧会にもよく行って、写真雑誌もたくさん読んでいました。たまたま見かけたハイファッションでファッション写真の魅力に引かれました。単なる作家の写真とも違うし、カタログとも違う。すごくすてきだと思いましたね。それで、こういうページを作りたいとおもい、文化出版局を受けたのです。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
私が選んだ4組には、「すぐにでもブランドをはじめれば?」と言いたいですね。もちろん人によっては、最初はどこかのアパレル企業に入った方が良い人もいますけど。アイデアがたくさんある人は、なるべくはやく独立した方が良いとおもいます。ただ、洋服というのはひとりでは作れないので、なるべくブレーンになるような仲間を集めることですね。スタイリストやパターンナーといったファッション関係の仲間だけではなく、カメラマンや建築家、音楽家なども含めて。ビジネスに強い人もいい。そして才能がある人を見つけたら、その人となにか一緒にやってみること。時には、自分がいいと思った一流の写真家をがんばって説得して作品を撮ってもらう。風呂敷はなるべく広げた方がいいですよ。関わるスタッフの質が高いと、刺激も受けますし、結局いいものが生まれると思うのです。目指すところは大きくです。
最後に、東京のおすすめスポットを教えてください。
SHIZEN
URL: http://www.shizenyoga.com
吉祥寺にあるヨガのスタジオです。アメリカ人の先生がやっています。私は習い事を続けることが苦手なのですが、ここだけはもう3年ぐらい通っています。名前の通り自然で、無理せずに続けられます。1週間に1回行くだけなのですが、肩こりが治り、病気にもならなくなりました。デザイナーで病気がちではシャレになりません。ハードワークをこなせる体作りは大切ですよ。
西谷真理子(にしたに・まりこ)
ファッションエディター。1950年、兵庫県生まれ。文化出版局に入社後、『装苑』『high fashion (ハイファッション)』などの雑誌編集に関わる。1980年~82年はパリ支局に勤務、COMME des GARÇONS (コムデギャルソン)、Yohji Yamamoto (ヨウジ ヤマモト) がパリコレにデビューし注目を浴びた歴史的瞬間に立ち会う。その後もさまざまなアプローチで現代ファッションを編集しつづけてきた。2012年6月まで『ハイファッション・オンライン』チーフエディター。2013年4月から京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ファッションコース特任教授に就任。編著に『感じる服 考える服:東京ファッションの現在形』(以文社)『ファッションは語りはじめた』『相対性コム デ ギャルソン論』(共にフィルムアート社) 。
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京都精華大学ポピュラーカルチャー学部
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山縣良和 (writtenafterwards デザイナー)
– まず簡単な自己紹介からお願いします。
ロンドンに渡って、Central Saint Martins College of Arts and Design (セントラ ル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・ アート・アンド・デザイン) のファッ ションデザイン・ウィメンズウエア学科でファッションデザインを勉強しました。学 生時代から僕は結構ずれていて、「ファッションなの?」と言われるような作品を昔 から作っていました。2005年に卒業して帰国しまして、2007年に writtenafterwards (リトゥンアフターワーズ) を立ち上げました。
– ファッションの世界に入るキッカケはなんだったのでしょうか?
ファッションの道を進んだのは、自分自身に自信がなく、コミュニケーションも下手 だった僕にとって、ファッションは希望を感じたからです。
– 将来の進路を考える上で、学生たちにアドバイスをお願いします。
新しい職業を作るというくらいの気持ちで、ファッションをもう一度本質的に考える こと。既存の形だけにとらわれず、新しいファッションを通した創造性を考えること が大事だとおもいます。“ファッション”というぼんやりとしたイメージがあるとお もうのですが、そのイメージを越えて、ファッションの魅力をファッションに興味が ない方やファッション業界の外にいる方々に伝えていくことがこれから必要になってくると考えています。
– 東京のおすすめスポットを教えてください。
東京らしからぬ場所として、大井競馬場のフリーマーケットが好きです。
山縣良和 (やまがた・よしかず)
2007年に玉井健太郎とともに設立したブランド writtenafterwards (リトゥンアフター ワーズ) のデザイナー。2005年、ロンドンの Central Saint Martins College of Arts and Design (セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・ アート・ア ンド・デザイン) を卒業。在学中から ANN-SOFIE BACK (アン ソフィーバック)、 John Galliano (ジョン ガリアーノ) などでアシスタントを経験。インターナショナ ルコンペティション「ITS#THREE」にて3部門受賞の経歴がある。
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