シャネル、伝説的ハイジュエリーにオマージュを捧げた「コレクション 1932」
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シャネル、伝説的ハイジュエリーにオマージュを捧げた「コレクション 1932」
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CHANEL (シャネル) から今年一年に渡り発表される新作ハイジュエリー「コレクション1932」。その第一弾として「Allure Céleste (アリュール セレスト)」が発表された。また、「Bijoux de Diamants (ダイヤモンド ジュエリー) 」の発売90周年を記念し、新作フィルム「I am the “Bijoux de Diamants” Collection」が公開。
1932年 Mademoiselle Chanel (マドモアゼル・シャネル) は生涯最初で唯一となるハイジュエリーコレクション「Bijoux de Diamants (ダイヤモンド ジュエリー)」を発表した。それは、コレクションという考え方が存在しなかったジュエリー界において、世界初となるハイジュエリーコレクションだった。彼女の初めてのハイジュエリーコレクションの誕生から90年、シャネル ジュエリー クリエイション スタジオは、Mademoiselle Chanel が作り上げたジュエリーへのオマージュを捧げ、そして「Bijoux de Diamants」のモダニティからインスピレーションを得て、新しいハイジュエリー「コレクション 1932」を発表。
「コレクション 1932」は、惑星の回転と星々の動きを見つめるための空間と時を超えた旅をイメージしている。形を変えられる13点を含む全77点の壮観なジュエリーは、伝説のオリジナルコレクションから、天体というテーマ、無駄をそぎ落としたライン、身体の動きやすさを継承している。
今コレクションの象徴となる Allure Céleste (アリュール セレスト) ネックレスは、極めて大きい55.55カラットの深く鮮やかなオーバルカットのブルーサファイア、その周りにラウンドカットのダイヤモンド、そして8.05カラットのタイプ2a、 D カラー、フローレスのペアシェイプカットダイヤモンドが使われており、これ以上ないほどの輝きを放っている。ジュエリーは形を変えることもでき、光輪は、取り外すとブローチ、中央で連なるダイヤモンドはブレスレットに、ネックレスは⻑さを短くすることもできる。
シャネル ジュエリー クリエイション スタジオ ディレクターの Patrice Leguéreau (パトリス・ルゲロー) は、「私は”コレクション 1932”のエッセンスに立ち返り、コメット、月、太陽という3つのシンボルをとりまくメッセージを調和させたいと考えました。あらゆる天体のモチーフは、 自らの光で輝いています」と語る。「Bijoux de Diamants」のオリジナルコレクションがシンプルに、純粋な白い光を象徴するものであったとしたら、「コレクション 1932」は、多彩な色のジェムストーンで最高の存在感を発揮している。
また、コレクション発表と同時に「Bijoux de Diamants」の発売から90周年を記念した新フィルム「I am the “Bijoux de Diamants”」 コレクションも公開。今日においても色褪せることのない Mademoiselle Chanel がジュエリーに込めた思いをユニークなフィルムで見ることができる。
「Bijoux de Diamants」の誕生ストーリー
コレクションが発表された1932年の3年前、1929年に起きたブラックサーズデーによって、世界中は大恐慌の暗黑の時代へと突入し、3年間人々の生活は行き詰っていた。1920年代の好調だった経済が暴落して、消費者需要の落ち込みと失業率の上昇による景気停滞とインフレによる陰鬱な時代で、人々は華やかな過去を懐かしむ雰囲気が蔓延し、豪華な催しが連続して開かれた。そして11月にロンドンダイヤモンド商業組合は、 以前の輝きを取り戻すために、ダイヤモンドマーケットの復興を目指した刺激的なアイデアを発表。彼らはダイヤモンドに新しい命を吹き込む女性として Mademoiselle Chanel を選んだ。彼女は夢を実現する可能性と美が生み出す生命力に挑み、歴史上初めてのハイジュエリー コレクションを作り上げた。このコレクションは、ダイヤモンド商業組合の株価を2日間で急上昇させ、業界全体を変革し、彼女の時代を再び活性化させた。
Mademoiselle Chanel が発表した「Bijoux de Diamants」 のコレクションはパリのある夏の夜のきらめく星々がインスピレーション源になっており、それは後に CHANEL の全てのハイジュエリーの礎となっている。大空に瞬く星たちを見上げながら、Mademoiselle Chanel は女性の肌と髪を、流星のシャワー、白く輝く三日月、そして燃え立つ太陽で飾ろうと決めた。彼女は極めてパーソナルな言葉でスタイルと革新的なアイデアを表現し、ルックを生み出すためにシルエットに焦点を当てた。オートクチュールの原理を取り入れ、クチュールのデザインと全く同じようにジュエリーを作り上げた。ダイヤモンドはシンプルに際立ち、控え目で目立たないジェムセッティングと伝統的なカッティングを用いて、サイズのバランスを完璧に取った。未来のジュエリーを作り出すため、Paul Iribe (ポール・イリブ) のデザインに再解釈を加え、再考を繰り返し、身体の自由な動きを妨げるクラスプを取り除き、調整できるものにした。
「Bijoux de Diamants」のコレクションは日々数多くの統計と共にメディアに取り上げられた。コレクションにまつわる謎めいた雰囲気はますます高まり、同時に悪意も刺激した。ロンドンダイヤモンド商業組合の発表によって、「Bijoux de Diamants」は「シャネル事件」となり、たちまちヴァンドーム広場で騒動を引き起こし、ジュエリー業界は総動員でMademoiselle Chanel のジュエリー制作を阻止した。業界全体がジュエリーを解体し、ダイヤモンドを返却するように要求したが、幸いなことに、初日にいくつかの取引が成立していたため、いくつかのジュエリーが今日まで現存しており、コレクションの存在を証明してくれている。
そして Mademoiselle Chanel は「Bijoux de Diamants」の発表にあたって、1932年11月7日から19日にかけての展示会の2日前の11月5日に、世界各国の記者たちや上流階級の人々が押し寄せた内覧会を開いた。内覧会は29番地にあった 彼女自身の邸宅で行い、化粧とスタイリングされた蝋の胸像が、まるで命を吹き返したかのように大理石の台座の上に置かれ、胸像の首元や手元に飾られたダイヤモンドは、鏡によって無限に増幅しており、あらゆる角度からクリエイションが見えるようになっていた。シュールレアリスムを好んだ Mademoiselle Chanel は、ジュエリーを従来のショーケースに閉じ込めることはせず、 招待客たちが庭園の上の星がまたたく空へ舞い上がったような気分にさせる舞台を作り上げた。彼女が作り上げたジュエリーのヴィジョンは、時間の経過にも、ファッションの移り変わりにも耐えうる永遠の価値を持ったものとなっている。