Fashion journalist W. David Marx talks about Japanese Internet culture and Gyaru fashion part 2

PORTRAITS | May 7, 2012 3:00 PM
私たち日本人は、自国のファッション文化についてどれだけ深く理解できているであろうか?おそらくW. David Marx(デーヴィッド・マークス)は、日本のファッションについて最も明快に、鋭い視点から語ることができるファッション・ジャーナリストのひとりであろう。「Business of Fashion」のアソシエイト・コントリビューターも務める彼は、過去には「Tokion」「CNNGo」の編集者として携わり、「GQ」「BRUTUS」「週刊ダイヤモンド」「Harper's Magazine」「NYLON」「The Japan Times」にもコラムを寄稿している人気ライター。また彼が編集長を務める「Néojaponisme(ネオジャポニズム)」は、独自の視点で日本の現象を海外に伝えており、外国の人が日本を理解するのを助ける重要なメディアとなっている。デーヴィッド・マークスが考える東京のファッションの過去と現在について語ってもらった。
©THE FASHION POST

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©The Sartorialist

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– ここ数年でウェブメディアも多くでてきましたが、それについてはどうみていますか?

ファッションブログが増えたおかげで西洋のファッションがより日本っぽくなったと思います。理由はオンラインメディアが一般の人々とファッション業界のよりすぐれた架け橋として機能しているからです。「VOGUE (ヴォーグ)」のような雑誌はいつもファッションは最も重要みたいなニュアンスを持っていて、上流階級やパリジャン、セレブリティ向けに書かれています。

でも「The Sartorialist (ザ・サルトリアリスト)」を例にとってみると、あのブログはアメリカにおける一般的なファッションの印象を大きく変えたと思うんです。日本では1990年代からストリートスナップは人気でしたが、アメリカのファッション・カルチャー、特に雑誌ではあまり重要視されていなかった。「The Sartorialist」に登場する写真のほとんどはファッション業界の人々を撮ったものですが、そのサイトを見ると一般の読者も日々の生活のなかで少しドレスアップできるかもと思うようになるんです。そのサイト内のスタイルを完全に模倣しなくても、インスピレーションを受けて毎日の着こなしを少し工夫してみようってなる。日本ではだいぶ昔から当たり前となっていることですが、アメリカでは結構革命的だったんです。

ブログのパワーはすごい。そのために結構速いスピードで完全にハイファッションのシステムに組み込まれている。「The Sartorialist」を見れば分かりますが、最近はハイファッションの世界の住人を撮る機会がどんどん増えていて、“一般”の人々を撮ることはあまりなくなってきています。それでもいままで通り見やすいサイトですが。

©HYPEBEAST

©HYPEBEAST

別の視点からウェブメディアを見ると、「HYPEBEAST (ハイプビースト)」や「Selectism (セレクティズム)」のように10年前は存在しなかったサイトがたくさん出てきています。2000年に「A Bathing Ape (ア ベイシング エイプ)」のコレクションを見たいと思っても、日本に実際に行く以外に見る方法はなかった。でもいまはウェブ上で世界中のブランドの最新情報が毎日更新されています。

以前は情報も価値のある商品で、特別なコネクションを持っている人たちが世界中を飛び回って情報を先に入手して有効活用していましたが、インターネットがファッション・カルチャーにおけるこの仕組みを見事に壊してしまいました。どこにいようがだれでも最新情報を入手できるんです。

– それはファッションが民主化したということでしょうか?

そうだと思います。より“日本”っぽくなったとも言えますね。ある特定の層にいる人たちだけではなくて、だれもがファッションを楽しめる。

とは言え、西洋社会には昔からいつも民主主義とハイセンスの間に対立があるんです。みんな規則正しく美学的にうつくしい世界がほしい一方で、みんな好き放題に暮らせる民主主義の社会を求めている。「Star Wars (スターウォーズ)」の映画の中でもこの対立を見ることができます。帝国側と反乱軍側のスタイルを比べてみると、帝国側は美的により整っていますよね。反乱軍のほうが“いいやつら”ですけど。

アメリカのポストモダンの価値観の上に成り立つ完全に実力主義の世界に近い、今日のシリコンバレーでもそうです。FacebookのCEO、Mark Zuckerberg (マーク・ザッカーバーグ) は尋常ではないぐらいのお金持ちですが、普通のパーカーやTシャツを着ています。そこでのカルチャーは、ファッションに興味がないというより、むしろアンチ・ファッションなんです。みんなサンダルを履くんですが、それは官僚主義だったり、時間の無駄みたいな慣習を打ち破る才能というものを、サンダルが最も純粋に表現していると彼らが思っているから。規則正しく靴のひもを結ぶ必要なんてないと彼らは思っています。

でも彼らのいる環境でなぜファッション性や礼儀正しさがあまり求められないのも分かります。彼らの会社の業績に不可欠じゃないですから。従業員のファッションに一定レベルの基準を求めても、不利益になるかも知れない。だから洋服の着こなしにルールがなければほとんどの人は最も着心地のいい服を選びます。美的感覚など無視して。だから広い意味で、ファッションがスタイルを維持するためにはある一定レベルの独裁主義的なものが必要なのかも知れません。

いまとても人気のあるアメリカのテレビシリーズ「Mad Men (マッドメン)」の世界は、シリコンバレーのスタイルとは正反対。1960年代のニューヨークが舞台なんですが、みんなスーツを着ないといけないんです。これは美意識の観点から見るとうつくしい。みんなそろって一定のドレスコードを守っています。男性はスーツとハット、女性も着飾っている。でもこれは彼らには洋服を自由に着こなす自由がなかった事実を示していますね。男性が少し個性を出そうとしてもチョイスがあまりない。タブカラーかボタンダウンカラーかぐらい。それか柄もののチョッキやちょうネクタイを着るぐらい。

現在のアメリカでは、ドレスコードの完全なる自由化によって、もっとも着心地のいい洋服を着るかわりにドレスアップしてもいいと多くの男性が気づきはじめています。自由に服装を選べるとクリエイティブになりますよね。でもまだアメリカでは個人のレベルって感じで、社会レベルではまだそこまでの域には達していません。

日本では両方のレベルで進んでいて、とてもクリエイティブな着こなしをする人がたくさんいる一方、きちんとした洋服を着ないといけないという社会的なプレッシャーもかなりある。だから日本はとてもファッショナブルな国なんです。

– 日本のネットカルチャーについてはどう思われますか?

日本のネットカルチャーの核心部分はいまでも「2ちゃんねる」だと思います。ハードコアなオタク向けの匿名サイトです。そこで表現されている主要な意見には反対なんですが、毎日まとめサイトなどを使って読んでいます。ネット上で起こっていることを把握したいなら必要なことです。「2ちゃんねる」ではよく中国や韓国の批判や、AKB48やその他の小さな女の子たちに対して夢中になったりしたりしているんですが、問題は、そういう意見が日本の主流では必ずしもないということ。アメリカにある「4chan」と似ていますが、アメリカには「4chan」以外にもネット上で影響力のあるサイトが少なくともいくつかはある。でも日本だと「2chan」が圧倒的なんです。

このことについて以前書いたことがあります。AKB48がなぜ日本でこんなにも大きな影響力を持っているのか?それは秋葉原や「2ch」を中心とした活気あるオタクのシーンに密接に関わっているからです。彼らのようなオタクは“一般の消費者”よりもたくさんAKB48などのCDを買うので、消費力が相対的に大きい。AKB48が社会で目立つのは、いまは他になにも特にすごく売れているモノがないから。そして一度オリコンチャートで1位を獲得してしまえば、自分たちがメインストリームだと主張できますよね。ファンの層もより広くなります。

昔は、ミュージシャンたちはオリコンチャートのトップにのぼりつめるために幅広いグループの人たちに気に入ってもらえる音楽を作らないといけなかったんですが、いまは“売れる”ということはギャルやオタク、ジャニーズといったサブカルチャーのひとつの層に受けることを意味しています。各層がみんな同じモノを買うんです。なので大衆文化がかならずしも大衆の価値観をあらわしているわけではない。特定のハードコア層の価値観だったりするわけです。奇妙なことに、ニッチな層が大衆のカルチャーを先導しているんです。

©Popteen

©Popteen

例えば、すごくメインストリームで“普通の女の子”が読むファッション雑誌「non・no (ノンノ)」はひと月に約100万部売れている時期がありました。同時期にギャル雑誌である「Popteen (ポップティーン)」はだいたい30万部ぐらいでした。でもいまは普通の女の子が雑誌を買わなくなってしまったために「non・no」はひと月に10万部ぐらいしか売れない。でもギャルたちはいまだに「Popteen」を買い続けているから30万部売れ、コンテンツはニッチにもかかわらず、大衆に売れている雑誌になる。もし売り上げが以前より落ちても、他の雑誌よりは比較的よく売れていることになります。

こういう現象によって大衆向けカルチャーがニッチに傾いたりしていて、「CUTiE (キューティ)」という雑誌は、前は原宿のストリートファッション系雑誌だったんですが、いまはギャル系になっていますよね。「non・no」でさえもギャルっぽいスタイルになってきています。ギャル系かオタク系かの選択をしないと、もう読者がいない時代なんです。

 

– ギャルについてですが、最近はギャルの歴史の研究をしているそうですね。

はい。1990年代から今日までのギャルカルチャーの発展にすごく興味があるんです。

1990年代中頃の初代コギャルたちは制服を着て、少し茶髪にして、少し日焼けしていて、軽いサーファーのようなメイクをしていました。でも1998年から1999年ぐらいにかけて、ギャルのスタイルは“ガングロ”になった。フェイクかつすごく真っ黒な肌になって、真っ黒の顔に白いメイクなんかをしていました。どういう女の子がギャルなのかということに関して大きな変化があったと思うんです。1980年代にヤンキーになったような層が、1990年代後半にはギャルになった。反社会的な主張のスタイルです。そしてここ10年間、ギャルは同じステータスを保ちつつも、スタイルはかなり控えめになってきている。少し王女様チックにさえなったりもしています。

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©gohsuket

あと今日のギャルについてですが、もうひとつおもしろいことがあります。昔はギャルのスタイルといえば決まっていて、Alba Rosa (アルバローザ) のTシャツを着たりして“夏”っぽくないといけませんでした。でもいま「Shibuya 109」に行くと、本当にいろいろなスタイルがあるんです。でもすべて“ギャルブランド”。ハイファッションのランウェイやメンズウエアからアイデアを拝借した洋服がたくさんあるんですが、それでも全部“ギャル”なんです。

数年前に創刊されて、いまはもう休刊になってしまった「PopSister (ポップシスター)」という雑誌があったのですが、これはすごくおもしろかった。コンセプトは渋原系で、渋谷と原宿のスタイルの融合です。なので金髪の巻き毛に大きなフェイクまつげと厚化粧をしたギャルたちが、プレッピーな洋服を着たり、Nike (ナイキ) をはいたりしていたんです。髪の毛とメイクさえ“ギャル”だったら、服装はなんでもいいっていうメッセージですね。洋服の観点から言えば、いまではギャルのスタイルはすべての分野にまで及んでいます。態度や生き方を通してギャル感を出せるんです。実に自由でオープンなファッションについての考え方ですよね。

メンズファッションの分野はあまりある特定のトレンドを重視しないようになってきていると思います。「このスーツは5年後にダサくなる」とか以前は言えたんですが、そういうトレンドのサイクルがもう不明瞭。狭いラペルからワイドなラペルまで、スーツのスタイルってほとんどすべて出尽くしてしまってますからね。厳密に言えば、全部レトロ。そしてかんたんに入手できます。ファッションは、実際の洋服のディテールというよりは、もうどういう層のグループのスタイルなのかということなんです。着られない洋服っていうのはオシャレじゃない人たちが着ているモノだけ。5年前の洋服がカッコよくないと思われる理由は、オシャレじゃない人たちがいまだにそれを着ているか、または着はじめたから。

いまの時代、服装の自由度はかなりあります。ギャルがそのことをとてもうまく表現している。ある特定のスタイルではないといけないということはない。どのように着こなすかのほうが重要なんです。

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©THE FASHION POST

W. David Marx(デーヴィッド・マークス)は東京をベースに活動するファッションジャーナリスト。「Néojaponisme」編集長。ハーバード大学と慶應義塾大学卒。以前は「CNNGo」「Tokion」「the Harvard Lampoon」などで編集にたずさわり、「GQ」「Brutus」「Weekly Diamond」「Harper’s」「Nylon」「The Japan Times」などの媒体にも寄稿し、記事の翻訳も担当している。

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