masatoshi nagase

永瀬正敏と線の奥に浮かぶ不器用な情〈後編〉

映画『おーい、応為』は、「美人画は自分よりも才能がある」と葛飾北斎本人に言わしめた娘・応為を主人公に、江戸の暮らしや親子の関わりを克明に描いた作品だ。『MOTHER マザー』で大きな話題を呼んだ大森立嗣監督と長澤まさみが、再びタッグを組む。そして、絵以外のことにはまったく気を配らず、破天荒な生活を送る葛飾北斎を永瀬正敏が演じた。

本作は序盤からカットを細かく割ることなく、日々の会話や所作をじっくり映し出す。回想をほとんど挟まないシンプルな線形の物語である分、やり取りの間合いや暮らしのディテールが際立ち、観る者の想像をじんわり掻き立てるのだ。冒頭、北斎が応為の持ち帰った饅頭を二つ食べる場面を丁寧に映すシーンから、すでに本作の芳醇な空気を味わえるだろう。

COMOLI (コモリ) のレイヤリングで孤高の存在感を放つ永瀬正敏。北斎という人物の構築や応為との関係性、そして現代に本作が公開されることの意味合いについて、本人に話を訊いた(後編)。

masatoshi nagase

model: masatoshi nagase
photography: wataru
styling: yasuhiro watanabe
hair & make up: taku
interview & text: hiroaki nagahata
edit: tamami sano

─永瀬さんと長澤さんのやり取りは、映画の大きな見どころでした。どの台詞も生っぽい熱を帯びていましたが、アドリブはどの程度あったのでしょうか。

長澤さんに聞いてみないと正確にはわかりませんが……応為との場面はほとんどセリフのアドリブはなかったと思います。ただ、動きに関してはト書きに書いていない自然な動きで、その場面の応為と北斎の関係性を、長澤さんに作っていただいていました。髙橋海人さんが演じた善次郎(渓斎英泉)と一緒の場面では、その場の流れで色々やっていましたね。

─たとえば?

善次郎は物語に新しい風を運ぶ役割じゃないですか。その関係性、そして愛弟子という立ち位置から、セリフ以外のことも結構やりました。彼が食べている饅頭を奪って食べたり、ちょっと蹴りを入れたりとか(笑)。そういう雰囲気は彼が作ってくれたと思います。あとさくら(ある日、応為が連れて帰ってくる犬)がいたので、さくらの動きによって長澤さんと僕の芝居も自然に変わることがありました。そういう意味で「生きたやり取り」が多かったですね。

―少し野暮な質問かもしれませんが、この時代の物語を2025年に公開することで、観客は現代的な感覚でもって登場人物や関係性を見ると思います。永瀬さんから見て、北斎と応為はどう映りましたか。

一つは普遍的な「親子」、そしてもう一つは、絵に夢中な人たちです。二人は人の感情に敏感だからこそ繊細な表現ができるけれど、実際は不器用で言葉にできない。絵に向き合うと無言になってしまう。真夜中に応為が久々に筆をとる場面で、北斎の言葉に反発ばかりだった応為が素直に「はい」と返す。あのやり取りには、親子の関係がにじみ出ていた思います。どこか現代にも通じるものがあるのではないかと。ベタベタした親子関係ではないけど、やはり繋がっているものは確実にあると言うところは。

─お互いに依存や憧れのような感情もありつつ、素直に言葉にはできない。

そう、親子ってそういうものですよね。僕も若い頃は親父とよくぶつかっていたのに、親が年を取ると自分も優しくなれる。その変化は誰にでもある普遍的な関係だと思います。最近はどこでも「バーサス」の雰囲気が強まっていますが、この映画を通じて「同じ思いを持つことの大切さ」を感じてもらえたら嬉しいです。応為も北斎も不器用だけど、根っこには相手への思いがある。それがとても愛おしかったです。

─この映画は本当にそういうシーンの連続ですよね。最後の最後まで。

たとえば北斎が応為に「弁当を買ってこい」と頼む場面。劇中では隠していたけど、彼女に渡した小判は実は命名祝いのために準備していたものだったんじゃないか、と僕は思いました。でも素直に渡せないから「床に落ちてた」とごまかす。そういう仕草にこそ相手を思う気持ちが出ているんです。

─そのあたりはまったく映画の中でも明言されません。

そう、でもそこがいいんです。すべてに答えを用意してしまうと、つまらないでしょう。解釈は観客に委ねられている。暗闇で二人並んで食事する場面でも、完成した映画を見て「意外と応為に(おかずを)渡しているな」と自分で気づきました。無意識にお祝いの気持ちが出ていたんでしょう。撮影中は体を絞ってほとんど食べていなかったので、あの場面は僕にとってもご褒美でした(笑)。でも画面の中では応為に渡す。その行為に自然と「彼女を認めている」という思いが重なったのかもしれません。

コート ¥264,000、パンツ ¥96,800、シャツ ¥92,400、ストール ¥50,600/全てCOMOLI (コモリ)

―映画全体を通じて「一人の作り手がどう生活を成り立たせながら、自分に正直であり続けるか」というテーマを強く感じました。俳優として共鳴する部分があったのではないでしょうか。

そうですね。北斎は周囲の人間関係に恵まれていたと思います。火事で家を失っても、善次郎の営む遊女屋に転がり込めるような関係を築いていた。あれはすごいと思いました。

―最後の質問です。これまで出会った方の中で、北斎を思わせる人物はいますか。

そうですね……思い浮かぶのは、デビュー作『ションベン・ライダー』の監督、相米慎二さんです。現場では本当に厳しくて、芝居の基礎もない自分が質問しても「演じてるお前が一番知ってるはずだろ」「俺に聞くな」と何も教えてくれない。でも何度もリハーサルを重ね、僕の中から何かが出てくるまで辛抱強く待ってくれました。役者やスタッフのことを誰よりも思っていてくれていた。だからこそ、あれほど愛される監督なんだと思います。

―相米監督は今でも映画人の間で語り継がれていますね。

本っっ当に厳しい人で、「こいつ1万回くらいぶっ殺してやる」と思ったこともあります(笑)。でも大好きなんです。表面的じゃなく、ちゃんと心で人と付き合っていたから、みんなに愛されたんでしょう。お葬式のとき、柄本さん(柄本明さん)に「永瀬くん、映画の先生がいなくなっちゃったね」と声をかけられて、本当にそうだなと思いましたね。僕はいまだに悔しいんです。相米さんの映画を観返すと、「なんでこんなすごいことができるんだ」と思う。本人には一度も言わなかったけど、心の底から尊敬していました。いま思い返すと、彼の姿勢や生き様は、どこか北斎に共通する気がしますね。