Hamza Walker × Ari Marcopoulos
Hamza Walker × Ari Marcopoulos

『Zines』出版記念:ハムザ・ウォーカー×アリ・マルコポロス対談

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

Hamza Walker × Ari Marcopoulos

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写真家であり、アーティスト、映像作家、そしてブックメイカーとして活躍し、世界中から熱狂的な支持を集める Ari Marcopoulos (アリ・マルコポロス)。アムステルダムで生まれ、23歳で渡英。その後、40年にわたりミュージシャンやアーティスト、スケートボーダーなどアメリカのサブカルチャーを記録してきた。Gucci (グッチ) や Supreme (シュプリーム) とのコラボレーションの他、『purple fashion (パープル・ファッション)』や『DAZED (デイズド)』などファッション誌でも活躍する一方で、自費出版やニューヨークの小さな書店 Dashwood Books (ダッシュウッド・ブックス) で数多くの zine を制作するなどインディペンデントな活動を続けてきた同氏。今回、2015年より家族や友人のために制作され、ほとんど市場に出回ることのなかった zine をはじめ、Ari Marcopoulos の zine を1冊にまとめた『Zines』が Aperture (アパチャー) より刊行。TFP では、同書に収録されたロサンゼルスのアートギャラリー LAXART のディレクターである Hamza Walker (ハムザ・ウォーカー) との対談を特別にお届け。長年にわたって情熱を注いできた zine 制作は、同氏のクリエイションにとってどのような意味を持つのか。そして、その原動力とは。

『Zines』出版記念:ハムザ・ウォーカー×アリ・マルコポロス対談

Hamza Walker (以下、H):パンデミックが広がりはじめた頃、あなたが連絡をくれたことを覚えています。ホイットニー美術館で演奏する Cecil Taylor (セシル・テイラー) を撮った写真をまとめた zine を送ってくれて、横長のフォーマットを実験中だと言っていましたね。確か、写真を見るために zine を90度回転させないといけなくて。

Ari Marcopoulos (以下、A):そう、ロックダウンが始まる直前にディナーに行きましたね。セシル・テイラーの zine は縦長のものになりましたが、確かに横長のフォーマットを意識したものでした。T の文字を表紙に、C を裏表紙に印字したような?横長のフォーマットを取り入れてみたかったですし、これまでそのような形式の本を作ったことがなかったので。でも、横長の本は自分にとってとても難しいんです。ほとんどの zine が縦長なのは、印刷方法によるところも大きいのですが。

H:最終的な製本というか、その変遷には気づかなかったです。横長だったと記憶していました。では、撮影から zine の作成までどれほどの時間を要するのでしょうか。完成まで2か月くらいかかるものなのでしょうか?

A:基本的に、写真が出来あがってから一週間以内に zine を作るようにしています。あなたも関わっている、南部連合のモニュメントの解体を取り扱った『Monument』プロジェクトの zine については、モニュメントのひとつを訪ねた翌日には差し上げましたよね。この本では、ふたつの異なる手法を組み合わせています。いくつかの zine はその物として撮影もしくはスキャンされていて、それらの zine は友人に配るために作っていて、書店などでは販売されていないもの。例えば僕と Kara (カラ・ウォーカー) がモニュメントを見るためにジョージア州のストーン・マウンテンに行った時の zine とか。一冊まるごとその旅についての zine で、モニュメントの写真と家族写真を混ぜていて。販売や流通目的の zine には入れないようなものも含んでいました。ふたつ目の手法は、パンデミック中に製作した PDF データを用いたもので、ある意味それは個人的な手紙のようなものでした。

H:印刷した zine と PDF の違いについてもう少し聞かせてください。そのふたつの関係性は?PDF も、印刷される・されないは別にして、同じようなプロセスを経て作られるのではないでしょうか?

A:そうですね。先ほど言ったように、縦長・横長の形式について考えはじめた頃に PDF を作りはじめたんです。通常 zine を作る時は一般的な8.5×11インチの紙があって、それを折ることで8.5×5.5インチのページができます。自然と縦長のフォーマットになるわけです。そうじゃないことをしたかった。まずはイメージを配置する面が必要で、それを9×11インチという横長のフォーマットにしたんです。PDF を作成して自分で印刷しようと思ったのですが、9×11インチだと自宅のプリンターの規格に収まらなくて。加えてコピー屋も全て休業中だった。一作目をコンピューター上で作り終えたものの、それを印刷するには大きすぎて。さて、どうしたら良いんだろうと考えはじめたんです。とりあえず、友人たち数人にメールしてみることにしました。パンデミックで全てが中断してしまった状態で、誰かに会うことも叶わなかったから。だから、手紙を出す代わりに、自分で作ったこの PDF を送ってみようと思いついたんです。それに対する反応は素晴らしいものでした。チリに引っ越した Pierre Huyghe (ピエール・ユイグ) にも送りました。元々彼はブルックリンに住んでいたのですが、パンデミックの直前、妻と子どもと一緒に引っ越していたんです。彼は、「あぁ、本当にブルックリンが恋しいよ。送ってくれてありがとう。街を散歩していた頃のことを思い出した」と返事をくれました。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

実は、この本に掲載された zine の多くは、ピエールに送ったもののようにギフトとして作ったものでした。だいたい、近所の人々を撮影したもので、例えば床屋さんとか、隣人とか。それを印刷して、彼らにあげるんです。ある週末、近くのアパートの入り口に座る見たことのないふたりの男がいて、誰かの知り合いらしかった。近くに住むギャリーから、彼の兄弟の誕生日パーティーがあると聞いていたので、「パーティーに来たの?」と尋ねてみたんです。するとその通りだったので、「君たちの写真撮っていいかな、僕はギャリーの友だちで」と聞くと、もちろん撮っていいよと返事をくれて。写真を撮って、その場を去りました。その後戻ってくると、また別の男がいたので、これで三人目だ、彼の写真も撮影しようと思って立ち止まりました。その週末中、通るたびに違う人、違うキャラクターがいたんです。違う人を見かけたら、その度に写真を撮るようにしました。フィルムが現像から戻ってきて、写った顔を改めて見ると、14人もの人を撮っていたんです。それを zine にまとめることにしました。20部ほど作って、ギャリーの家のポストにそのうちの14冊を放り込んだ。その後散髪のために床屋に行ったら(まだパンデミックは始まっていませんでした)、「君が作った本をギャリーが持ってきてくれたよ」と言われて。彼らに見せるために、わざわざ持っていってくれたんですね。それから彼らに会えば、「あ、僕らの本を作ってくれた人だ!」って言ってくれるようになりました。そのような交換や交流もまた、私の製作の一部になっています。

H:撮影がどんなにカジュアルであっても、被写体との関係性を考え続けるのは、素晴らしい実践だと思います。被写体が受け手、そして作品を楽しむ観客になってくれる。完璧な循環が生まれていますね。写真を撮ってそれをギャラリーの壁に掛けたら、そこには全く異なる交換や流通経路が生まれてしまう。

A:作品を作ってそれについて思考をまとめて……そんな風に続けていくことも可能でしょう。でも、自分の外で循環させなければ作品は成立しません。そこには閲覧者が必要なんです。作品を完成させるのは、閲覧者なのだから。最近、久しぶりにギャリーにばったり会ったんです。彼に挨拶して、これまでも会えば撮影していたので、同じように彼を撮ったんです。すると「実はこれから兄弟の葬式に行くんだ」と言われて。「彼の?悲しいけど、写真を撮ることができて良かった」と言うと、「僕もそう思う」って。階段にいた彼の親戚みんなが、あの zine を持っていてくれたらしくて。

H:それは zine であり、それに……

A:本ですね。とても美しい本になれるもの。

H:zine が本という形態であるということは、その扱われ方や受け入れられ方、形状としてどのような持ち方がされるかなどの点で、とても興味深く感じます。写真とは、常に無限の印刷・配布が約束されてきたものです。あなたはそれをプリントそのものではなく、zine の配布を通して実践しているようにも見えます。誰かに写真プリントをあげたとして、それはアルバムに収められるかもしれないし、額装されて壁に飾られるかもしれない。それとは少し異なりますよね。本や zine は映画的で、連続性のあるものです。そこに生まれる親密性も異なる。壁は開かれたものですが、本はより私的なものです。

A:そう、私的な体験に他なりません。本は基本的に手に持つものなので、距離も近い。たまに見かける本が大きすぎるのではないかと感じるのもそのためです。小説のように手に持って読める写真集があったとして、それはとても親密な体験をもたらしてくれますよね。もちろん展覧会も開催しています。何かを壁に掛ける、大きなものを壁に掛けることもあります。過去10年ほどの間に展示したインスタレーションの多くは、多数のとても小さな写真を用いて、隙間なく流れるような構成になっていた。それでも、やはり本質は異なります。壁に写真の連続性を生み出した場合、その全体像をすぐに把握できる。一方で本の場合、後ろから見たり、途中から開いてみたり、どこからでもスタートできる。常にページと向き合わなければなりません。開いたページ上にあるものと向き合わなければならない。

H:その通りですね。一度に見えるのは、ひとつの見開きだけ。

A:それに、それを誰かと共有する場合、かなり近い位置にいる必要があります。写真の場合、単一のイメージとして捉えられることが多い。しかし私はもっと映画的に、より服装的に、イメージの連続性が何かを見るきっかけを与えられるのではないかと考えるようになりました。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:PDF と印刷された zine の関係に戻ってみましょう。パンデミックの2年間、いくつ PDF を作ったのでしょうか?

A:多分25、あるいは30ほど。それくらいだったと思います。

H:Dashwood Books (ダッシュウッド・ブックス) と行なった一週間に一冊の zine を作るプロジェクト(『Anyway』、2012年)にも近いのでしょうか?あのような制作のリズム感を再び取り入れたのか、あるいは必要な時、作りたくなった時に作っていた?

A:自分の中に生まれる感情や、何かに対する反応によるところが大きかったです。時間と未知の何かに対する恐怖との葛藤でもありました。パンデミックで全てが閉ざされてしまったから。最初の3か月ほどは、ロックダウンの前に撮影した写真を使っていました。改めてそれらを見てみると、すでにパンデミックのほの暗い雰囲気を感じることができた。でも、5月、6月、7月になるとイメージが突然、George Floyd (ジョージ・フロイド) の殺害や Donald Trump (ドナルド・トランプ) についてなど、当時の狂ったような出来事一色になってゆく。それから、多くの抗議デモがあった。毎晩のように上空をヘリが飛び回っていた。それらの出来事も、PDF に入り込んできました。これまで通りの日々が続いていたら、私はそれらをすぐに印刷したと思います。それらを手に持って、見ていたはず。PDF とは奇妙なものです。まるで、現在のイメージのあり方そのもの、つまりみんなが自分の端末の光る画面上でイメージを見ていることにも通じる。でも、それらを zine と呼ぶことはできないと思います。それらは、PDF 以外の何者でもありません。

H:その通りですね。だから、未出版というのはつまり印刷すらされていない状態なんですよね。未印刷状態とでも言いましょうか。配布の構造も異なります。全てをあなた自身が決めることになる。

A:はい、それらはとても個人的なものでした。

H:でも、振り返ってみるとあなたの作った zine は全て私的なものですよね。

A:そうですね。でも、未印刷のものはよりその感覚が強い。なぜなら印刷をしないという前提のもとで作っていたから。ほとんど、自分のために作っていたようなものです。友だちに送ったりもしましたが、自分で見るために作っていたんです。それらを作る必要があった。そうとしか言えません。正気を保つために、それらを作り続ける必要があったんです。

H:なるほど。しかし zine というものは、ある種のピリオド、文章における句読点というか、物語を終わらせるピリオドの役割を持っているとも考えられます。何が起きたのかを処理するための手段というか。そして今、波乱に満ちたこの数年を振り返ってみると、よりその傾向が強くなったのではないでしょうか?

A:ソファに座って窓の外、うちや近所の家のドアにやってくるフードデリバリーの人や UPS の配達員を写真に撮っていたんです。パンデミックの前はしていなかったようなことです。それが、人との繋がりを探る方法になっていた。それらのイメージは、美学的な選択のようなものに従った結果ではありません。ただ窓の外に目を向けて、見ようとした。するとそこに、自転車に乗ったフードデリバリーの男がいた、ということなんです。身の回りの物ごとに意識を向けるということ。意識はすでに向けていたはずですが、より身近に感じるようになりました。それまでには見えなかった、静けさのようなものがその写真にはあると思います。この本が印刷されれば、きっと自分は安心できるでしょう。開放される。存在できると思いもしなかった何かが、そこに存在し始めるということですから。

H:パンデミック以前に、PDF で zine を作ろうと考えたことは?

A:なかったですね。作っていたものを、実際に見せる場がなかったという状況によるものでしたから。以前はプリントを作ってそれを切り取って、貼り合わせるようなことをしていました。それをコピー機に入れる。当たり前ですが、コンピューターなら InDesign を使って簡単に PDF を作ることができます。そして、「オッケー、自分自身で本のレイアウトもできるし、それをコピー機で出力すればいいんだ」と考えるようになる。コンピューター上で切り貼りをしているようなものです。もちろんそれらの zine を全て、自宅のプリンターで印刷してホチキスで綴じることもできた。それを、物として誰かに送ることも。あなた宛に実際の zine を送っていますしね、セシル・テイラーの。あれは10部作成して、彼や彼の音楽に強い影響を受けていたはずの5、6人に送ったと思います。この本では、それらを物として、そのままの状態を見せることができれば良いなと考えていました。それらと、これまでに作ってきたけど紙に印刷することのなかった PDF の zine を組み合わせてみたい、と。この本は、そのようにして作られました。

H:でも、先ほどそれらもまた zine であると言っていましたね。zine の精神性が、それらを構築・構成しています。

A:もちろんその通りです。

H:zine の構造があなたの写真表現にどのような影響を与えているのか、ということも重要な問いではないでしょうか。つまり、あなたが自身の活動として写真を撮っているとして、それらの作品の必然的な終着点として zine があるのか。

A:自分が作り出したイメージは全て zine になる可能性があると思っています。この本には、今まで印刷されることがなかったようなイメージも含まれています。内容は個人的なものかもしれませんが、私が作るイメージは全て共有可能な体験であり、見た人が自分自身の人生と結びつけることができるものだと信じています。そしてきっと、zine は何か特定の存在に、新たな光を当ててくれる。自分が強い関心を寄せるそれらの存在が編み込まれている。それらはこの40年、繰り返し私の作品に表れてきたものでもあります。例えば自分が70年代のマッスルカーを撮影しなくなる日は来るのか。多分来ないでしょう。木々を撮影しなくなる時は?いつになったら人間を撮影することをやめるのか。それらは、私の作品に繰り返し出てくる主題です。同時に、それから離れようとする葛藤もある。自分自身で新しい道を切り開く必要がありますから。ただ目の前にあるものを見る、という単純なこと。私がプリントした写真全てが傑作だと言いたいわけではありません。それらはただ、私が目にしたものに他ならないのです。

H:自分の関心が編み上げられていく、という感覚は興味深いですね。どんな瞬間にも、マッスルカーが出現するかもしれない。あなたは常に撮影しています。どんな時も常に。70年代マッスルカーだけの zine を作ることはなくても、モチーフとしてこれからも繰り返し登場する。

A:そうするには過去のアーカイブからマッスルカーの写真を全て見つけてきて、それを並べる必要がある。でも、それは私の制作手法ではありません。例えば今日散歩に出かけたとして、マッスルカーを見つけられるかといえば、そうはならない。私の制作手法は、自分から出かけてその車を撮影して、その体験にまつわる zine を作る、というもの。本にも収録した『September / October / November』という zine があるのですが、それはただ、その3か月に撮影したものをまとめたものです。その期間、ちょうどパリとベイルートに行くことになっていて、旅と旅の間はニューヨークにいた。毎日たくさんの写真を撮るわけではないので、それらの街の写真がひとつのフィルムロールに収まっていることもあります。zine のあり方もそれに近いです。時系列順にすることは少ないですが、zine には始まりの日にちと終わりの日にちが常に刻まれている。私がカメラを使い始めた頃の写真には、よく日付の刻印がありました。日付も特定の意味を持ち得ます。例えばこの間の2月には、2022年2月2日と、2022年2月22日があった。何でも良いから、その日に必ず写真を撮ることを決めていました。2010年、出かけていた時にその日が10年10月10日だと気づいて、「そうか、それなら写真を撮らなきゃ」と考えました。もちろん、被写体を主題にした zine も作ってきましたし、それを否定するわけではありません。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:数は少ないものの、そのような zine はテーマ性がとてもささやかで、大仰なものではないことがまた素晴らしいと思います。それらを見ていると、「そう、確かにそういう可能性もあるよね」という気分になる。でも、それが原動力になっているわけでもない。私的、という概念を話してくれてよかったです。それらは私的でありながら、ただ私的なわけではない。そこには、見た人が繋がれる何かが必要です。閲覧者は、必ずしもそれが明らかにする何かによってではなく、彼ら自身の個人的な体験を思い出させる何かを通して、写真との繋がりを見出すこともあるでしょう。また、繰り返し写真に登場する人たちがいます。それらの写真は、育まれた友情や愛情から生まれたものでもある。あなたの人生における、カラの立ち位置を教えてもらえないでしょうか。彼女は、ミューズのようにあなたの zine に何度も登場します。彼女自身が被写体として、そしてあなたを魅了し、写真を撮る原動力を与える主体として。

A:もちろんです。カラは、被写体として、当たり前ですが街で見かけるマッスルカーよりもずっと近しい存在です。同じ場所にいますし、よく一緒に旅もします。一緒にいる誰か、同じ場所に住む自分と近しい存在を撮影している時、知らない人を撮影するよりも難しいと感じることがあります。本当はその人に「被写体」となって欲しくないから。それから、休暇や行事写真の要素もそこにはあるでしょう。小旅行でも休暇でも、一緒にどこかに行った場合、私たちは写真を撮ります。いくつかの写真には彼女が写っていて、また別の写真にはふたり一緒に写っていたりする。それらを密接に関連づける何か、感情を揺さぶる何かがあります。この本には、休暇の写真も収められています。カラと彼女の両親、カラと彼女の娘。それらについて話すことが困難なのは、イメージと写真こそ自分の言語だと私が考えているからです。これらは、紛れもなく愛についての写真だと思います。同時に、誰かと共にいることについての。

H:それをどうやって撮影できるのか、ということですよね。

A:なんと言うか、繰り返しになりますが、イメージを完結させるのは閲覧者の仕事です。そこに何を読むか。もちろんそこには物語がある。しかし、その物語は開かれたものです。

H:自分の人生が写真になる、そのような感覚にさせる場所や時間はあるのでしょうか。つまり、伝記的な意味で。

A:多くの写真は自伝的なものだと考えています。もちろんそれは大きな問題であり、人々がよくアーティストに尋ねることでもあります。「あなたの作品は自伝的なものなのでしょうか、」と。アーティストは「そうですね、もちろんです。それを作ったのは私自身なのだから」と答える。でも、それはまた違う問題ですね。カラとの場合、彼女は家にいて、私のカメラもまた家にあります。私がいて、彼女がいて、カメラがある。彼女がベッドに背中を預けて座り、ランプの下でドローイングを描いている写真があります。家の中ではカメラを持ち歩いているわけではないですが、それを見て、「あぁ、なんて美しいんだろう」と思った。そして、写真に撮った。それは、伝記的であり自伝的でもあると言えます。私と彼女についての写真なのだから。

H:写真には、ささやかな何かがありますよね。写真を完成させる、あるいは空白を埋めるのは閲覧者の役割だと先ほど言っていました。私が閲覧者として、空白を埋めるという意味において、関わってくるのが愛の役割ではないでしょうか。持続性はあなたの強みでもあります。その持続性は、愛が突き動かしている。写真を撮って、撮って、また撮る。その行為こそ、私に強く訴えてくるものでもあります。しかしそれは一方で、記録になってしまう。つまるところそれは、ある作家の人生記録に他ならないのですから。そしてそれらはまた、あなたたちふたりの関係性についての写真でもある。同時に、それらは彼女の創造的行為の記録でもある。あるいはポートレイトと分類されるような彼女の写真がある。そこには広がりが存在しています。

A:彼女のドローイングを撮影した写真もあります。彼女のためにそれらをまとめて作ったzineもこの本に収録されています。彼女が作るドローイングを、私がただ撮影した写真。とてもリラックスしたものです。基本的に私は iPhone が登場する以前から iPhone 写真家のようなことをしてきました。しかしカラ、もちろん彼女は私のミューズです。単なる被写体以上の存在です。何かを投げかけたら返してくれる存在。語り合える存在。素晴らしい共鳴板です。『Walker and Talker』というタイトルの zine も作ったのですが、どっちがどっちを表しているのかは明らかですよね。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:作品において、そしてもちろんあなたの人生においても同様ですが、彼女は溶媒のような存在になっていて、そのことにとても強く心を動かされます。あなたの zine における彼女の存在は、生そのもの。その存在が、すべてのものに柔らかな輪郭を与えている。この人が自分の人生に存在しているのだ、と写真が表明している。それが、とても美しい試金石となっています。それと、あなたにとって Robert Frank (ロバート・フランク) や June Leaf (ジューン・リーフ) がどのような存在なのかにも興味があります。彼らとの関係性と、撮影した写真についても少しお話いただけますか?

A:ロバートに出会ったのはずいぶん昔のことです。彼は私にとって憧れの存在だったので、家を訪ねてドアベルを鳴らしたり、一緒に時間を過ごすなんて考えることもできませんでした。ところがある時、彼らにサンドイッチを届けるという友人が「一緒に行こう」と誘ってくれたんです。「いいよ、行かない」と言ったら、「いや、ロバートは君のことを知ってるから」って。それが、2018年くらいのことでした。

H:つまり、ロバート・フランクとの友情を築いたのは比較的最近のことだった、と。

A:それ以前に会ったことはありましたが、一緒にいる時間はほとんどなかった。ワシントンのナショナル・ギャラリーで開催された個展のオープニングに行ったんですが、再び彼らと繋がったのはずっと後のことでした。ジューンの腕を撮った写真を彼女に見せたら、とても気に入ってくれて。カラと一緒だとわかると、ジューンは彼女の作品が大好きだと言うんです。カラに、「こっちに来て、ジューンとロバートに会ってよ」と伝えたら、彼女は少し困惑しながらも「オッケー」って。想像できるかと思いますが、ジューンとカラはすぐに仲良くなりました。ふたりとも独創的で、規格の外で思考できる人間です。それから、よく会うようになった。毎週日曜に訪ねて夕食を一緒に食べるという習慣が生まれました。ロバートの写真について話すこともありましたが、何よりも彼の人生について多くの会話を交わしました。彼の記憶は、どこか衰え始めていたけれど。彼の青春時代についても聞きました。いい話が聞けましたよ。同じくらいの年齢で、私もロバートもニューヨークに引っ越していたこともわかった。その共通点について私たちはよく話しました。全てを知っていて居心地の良い国を離れて、自分の生まれ育った場所よりも、明らかに楽しいであろう場所に向かった新参者の自分たちについて(笑)。なんと言ってもニューヨークですからね。

H:初めてニューヨークに来た時、Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) のプリントを2年ほど担当していましたね。どうやってその仕事を見つけたのでしょうか?

A:ニューヨークに来たのは1980年でした。当時、写真でお金を稼ぐにはファッションフォトグラファーになるべきだと考えていた。アシスタントでもなんでも、仕事を見つける必要があった。フリーランスでアシスタントの仕事もいくつか経験しましたが、初めてのちゃんとした仕事は、ウォーホルの8×10インチのモノクロ写真をプリントするというものでした。働いていたのは、ファクトリーではなく別の場所です。1日に平均70枚、週に350枚ほどウォーホルの8×10プリントを焼いていました。彼は絶え間なく写真を撮っていた。彼がコンタクトシートに印をつけた写真を、私がプリントする。何千枚もの写真を。それを2年近く続けました。彼が撮った全ての写真を見ることができた。彼が旅先で見たすべてのものを、私も見ることができた。Joseph Beuys (ヨーゼフ・ボイス) の写真や、ベルリンや北京などいろんな土地の写真を見ました。彼がどこへ行こうが、その写真を見た。たとえば金持ちの家に行けば、彼はテーブルに置かれた家族写真を撮る。日記のようなものでした。彼はただただ全てを撮り続けた。セレブリティが大好きで、よく彼らと遊んでいました。標識や人々、人びとの家。ニューヨークに来る前は、住人がフィルムを現像してもらうために来るようなカメラ屋で働いていました。彼らが毎朝やってくる度に、生まれ育ったその町を彼らが撮った写真を見る、という経験をすでにしていたんです。ウォーホルの写真も似たようなものです。私は、ありとあらゆる写真を見てきた。

H:それがあなたにどのような影響を与えたと思いますか?

A:それ以前から、アンディ・ウォーホルの映画や美術作品を通して影響を受けてきました。しかし、ウォーホルの写真に向き合いプリントすることは私により深い影響をもたらしました。カメラ屋での体験も同じくらい重要でしたが。全ては写真に撮られる価値があることを学んだのです。「なぜこれの写真を撮る意味が?」などと考えないことを学んだ。ウォーホルとの仕事を辞めた後、2年間 Irving Penn (アーヴィング・ペン) のもとで働きました。想像できうる最も細かく厳密な写真家のもとで働いていたのです。全てがコントロール下にあった。アーヴィング・ペンの写真には瞬発力のようなものはありません。とても技巧的なものでした。ペンとの仕事が私に与えた影響として、光の働きを意識するようになったこと、光で何ができるかを理解するようになったことがあります。人工的な光はもちろん、自然光で何ができるかを学びました。構図がいかにものの形を強調し、視線を操作することが可能かを学んだ。自分の作品を見てみると、それがどんなに突発的に撮影したものでも、被写体が浮かび上がるような位置から撮影していることがわかります。輪郭が強調され、背景に埋もれるようなことがない。極めて本能的でありながらそれを行っている。

H:しかしウォーホルからの影響については、彼の写真をプリントしたという経験だけにとどまらないですよね?それはアートワールドへの入り口でもあった。

A:そうですね。繋がりができた。ウォーホルのペインティング・アシスタントは親友のひとりになりましたし。当時ダウンタウンで見られるようになったラップやヒップホップのライブにも彼とよく行きました。何かをしたい、作品を作りたいとずっと思っていたから、街を歩き回って写真を撮るようになりました。周りにアーティストもそれなりにいたので、彼らを撮影するようにもなった。アンディも撮影しましたし、Richard Serra (リチャード・セラ) も撮った。当時いた、いろんなアーティストを。Ashley Bikerton (アシュリー・ビッカートン) とか。撮り方も至ってカジュアルでした。月曜から金曜、9時から6時まで毎日働いていましたが、写真を撮る時間は見つけるようにしていた。当時、Annie Leibovitz (アニー・リーボヴィッツ) がバスタブいっぱいの牛乳に体を沈めた Whoopi Goldberg (ウーピー・ゴールドバーグ) を撮った写真なんかを見て、「何なんだこれは!」って。そんな写真が雑誌に掲載されていたから、儲けるにはそのような撮影をしなければならないと思うわけです。でも、アートワールドの中で壁にプリントを並べている自分は、金儲けなどできないこともわかっていました。そんな写真を撮ることもできなかった。撮影のために Poor Righteous Teachers (プア・ライチャス・ティーチャーズ) に会いに行きましたが、それも彼らが道端で立っている写真を撮っただけ。現像から戻ってくるたびに、なんて退屈な写真だろうとがっかりしていました。でも今見返すと、新鮮な驚きがあります。それらの写真の良さとはつまり、そこにいるのが彼らと私だけで、それ以上のものになろうとしていないこと。膝をついて撮ってないし、梯子の上から撮ったりもしていない。視線の位置にカメラがあって、シャッターを切って。ただそれだけで、それが写真だった。

H:なるほど。それらは依頼があっての撮影だったのでしょうか。それとも個人的な作品のため?

A:いくつかは、自分の作品として撮影していました。プア・ライチャス・ティーチャーズは、アムステルダム・ニュース紙の依頼を受けて撮影しました。でもその他の人、例えば Rakim (ラキム) や LL Cool J (LL・クール・J) なんかは、自分のためだけに撮影しています。Def Jam (デフ・ジャム) に知り合いが何人かいたので、LL の撮影がしたいんだけどって頼んでみたり。当時 Def Jam はモット・ストリートかどこかにあって、それがブリーカー・ストリートに移転した。LL・クール・J もブリーカー・ストリートで撮って、後から知ったのですが、それはロバート・フランクが住んでいた場所の二軒隣くらいの場所でした。現在そこに住んでいるジューンを訪ねるたびに、「ここで LL を撮影したんだよ、そこに立ってもらって」って彼女に言うんです。彼はまだ、18歳くらいだった。リチャード・セラに関しては、電話帳で連絡先を見つけました。電話して、写真を撮りたいことを伝えたら、この時間にここに来て、と言ってくれた。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:写真を始めた頃、影響を受けていた存在やロールモデルのような人はいましたか?

A:雑誌の『LIFE』は毎号楽しみにしていました。今もそれらの表紙を鮮明に覚えています。最も衝撃を受けた表紙は、Kareem Abdul-Jabbar (カリーム・アブドゥル=ジャバー) がフックショットを決めようとしていて、Wilt Chamberlain (ウィルト・チェンバレン) がそれを阻止しようとしているもの。『LIFE』が廃刊になった時に他の雑誌を探して、『Time』を選びました。その誌面で、ピッチャーの Vida Blue (ヴァイダ・ブルー) の投球フォームを撮影した連続写真を見たんです。何度それらを見たか、数えることすらできません。

H:zine と繋がるところもあって、とても面白いですね。雑誌を通して、あなたはイメージに触れていた。それからテレビなどのマスメディア。特定の写真家による作品を通してではなく。

A:両親は私にアートを教えることもなければ、日常的に美術館に連れて行くようなこともしなかった。自分で情報を集めるしかありませんでした。当時、オランダのテレビ局が毎週日曜に Fassbinder (ファスビンダー) の映画やフランスのヌーヴェルヴァーグ作品などを放映していて、ほとんど理解はできなかったけど、それらをずっと観ていた。今でも、自分が強く興味を惹かれる映画は、一体全体何が起きているのかわからない類のものです。観ながら、「なぜこの人はこの風景を20分間も撮影し続けているのだろう」などと思っていた。写真に関して言えば、『Time』でベトナムの写真を見るようになって、それぞれの写真の下に記載された名前に気づくようになりました。今も覚えているのは Eddie Adams (エディー・アダムス) の名前、当時『Time』誌のためにベトナムを撮影していた戦場写真家です。それを見て、「そうか、この写真を実際に撮影した人がいるんだ」って気づいたんです。何かを見ることと、撮ることは違いますから。つまり、イメージの外側に、それを作った人がいると理解できた。

H:そのような繋がりを聞けて、とても良かったです。イメージの作り手になるんだ、と考えが思い浮かぶよりも前に、始まりの物語としてイメージの消費があった。それらの写真が、あなたをそこに向かわせた。

A:アムステルダム市立美術館に連れて行って欲しいと、ある時父に頼んだんです。雑誌で何か見たのがきっかけだったのかもしれません。連れて行ってもらい、Barnett Newman (バーネット・ニューマン) の絵画を観てとても混乱した。それから、ダンサーたちを撮影した Maria Austria (マリア・オーストリア) という女性写真家の展示も観て。父にカタログをせがんでみたら、買ってくれました。今も持っていますよ。それでようやく、それらの写真全ては彼女ひとりによって撮影されたものだと理解できた。その次に観た展示は、James Turrell (ジェームス・タレル) でした。その次は、Nam June Paik (ナム・ジュン・パイク) で、本当に驚かされました。テレビが並べられていて、その前に魚が泳ぐ水槽が置かれていたんですから。「何だこれは、何故こんなことを?」って。作るということについて考えていたわけではなく、ただ、「なんて凄いんだ」としか思ってなかった。ちょうどその頃になると音楽の好みもはっきりしてきて、レコードジャケットもまたイメージであると気づきました。例えば、Miles Davis (マイルス・デイヴィス) の『Live-Evil』を開くと、いろんな方向を見ている彼の顔を写した連続写真が現れる。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:ちょっと話題を変えます。2020年に、Conrad McRae Youth League (コンラッド・マクレー・ユース・リーグ) の試合を撮影した写真で作品集を出していますね。でも、彼らを撮った写真でそれ以前にいくつか zine も作っています。主題として、マクレーの試合やトーナメントに惹かれたのは何故だったのでしょうか?

A:そうですね、ひとつのテーマに基づいた zine の話に戻りますが、コンラッド・マクレーの写真だけで構成された zine も作っています。それが写真集になるとは考えていませんでしたが、それでも800ほどのポートレイトを撮っていた。これはどうにかしてまとめないと、と考えるようになりました。その頃フラットブッシュ・アヴェニューに住んでいて、アパートの部屋からは試合が行われているコートを見下ろすことができた。初夏のある日、賑やかな音楽が聞こえてきて。下を見ると、バスケットボールの試合が行われていて、「ちょっと見てみよう」って思ったんです。カメラも持って、ポートレイトを撮らせてもらえないか選手数人に聞いてみました。まだ、マクレーが誰なのかも知りませんでした。彼は NBA の選手で、ヨーロッパでもプレーして、ラスベガスのコートで練習中に心臓発作を起こして亡くなります。彼の友人や家族は当然ながら深い悲しみに襲われた。それから、彼らは彼の名前を冠したトーナメントを、ブルックリンのコートで開催することにしたんです。それが、コンラッド・マクレー・ユース・トーナメントです。だんだんと、プレイヤーたちや彼らのコーチと顔見知りになってゆき、彼らのポートレイトやグループ写真を撮り続けました。6年連続で、夏になれば試合に出かけた。ある年、トーナメントの終わり頃に300枚ほどのポートレイトをプリントして、カラとふたりでそれらをコートのフェンスに吊るしてみました。4時間もかかりましたよ。プリント上部に穴を開けるための余白を設けて、欲しい人が写真を千切って持ち帰れるようにしました。でも、みんな写真を千切るより前に、まずそれらをじっくり見ていました。そんなこと、これまでなかったから。それまでとは全く異なる空間になっていた。素晴らしい光景でした。さらに彼らはトーナメントの終わりに、僕に感謝賞をくれたんです。カラは、「えっ、そっちの方が MoMA の個展より良いんだけど」って。

H:(笑)。いろんな意味で、そうでしょうね。まず、路上で起きている。路上とはつまりストリート文化であり、ストリート文化は常にその活用法を見出してきた。

A:その通りです。

H:だから、あなたがストリートに何かを掲げてみれば、ストリートは「いいね、最高だ」と反応してくれる。それは、ギャラリーで展示することとは違いますよね。ここまで、zine のことや zine が写真制作にまつわるあなたの思考をどう構築しているのか話してきました。それとは別に、配布・流通という論点もあります。特にコンラッド・マクレーの写真において、zine、その後の写真集は、閲覧者なしでは完結しなかった。それらは、広く配布されるために作られたものです。

A:Roma Publications (ローマ・パブリケーションズ) のRoger Willems (ロジャー・ウィレムス) と、写真集について話していたら、彼に「バスケットの写真集はどう」って聞かれて。それから写真集を制作して、Nike (ナイキ) にいる友人に「見て、コンラッド・マクレー・トーナメントの写真集を作ったんだけど。トーナメントに300冊を寄付したいから、協力してもらえないかな」って尋ねてみたんです。そうしたら、配布するために必要な資金を提供してくれました。プロジェクトを締めくくる理想的な方法になった、素晴らしい展開でした。

H:ここでも、閲覧者が円を完成させているように思えます。それらの写真の主要な閲覧者とはつまり、被写体となった彼ら自身です。

A:選手の多くは、フェンスに自分たちの写真を見つけても持って帰ろうとはしませんでした。携帯電話を取り出して、写真の写真を撮ったんです。現代における印刷物との関係性を象徴していると思いませんか?

H:制作と配布・流通の間にある関係性という問題については、常に考えていたいと思います。それは孤立した A と B の関係ではなく、密接に結びついた A と B の関係です。どのように流通させるか考えることなく制作することはないですよね。だから、「自分を撮影した一枚の写真があるけど、どうしたら良いだろう」という疑問が生じます。配ることもできない。携帯電話の件は「それなら、写真に撮っておこう」というだけのことではない。携帯電話は、写真を撮り、それを誰かに送ることの両方ができる構造になっている。つまり、制作と流通、制作と循環はひとつなんです。

A:その通りです。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:イメージの制作とその流通は、あなたにとってどの程度まで同質なのでしょうか?無数に印刷することもできますし、それはつまりそれらが世界に広がってゆく可能性の高さにも繋がります。でも、どうやって?私たちの思考も、物質的なものからヴァーチャル、電子的なものへと少しずつ変化している。特に、あなたが言っていた若者たちにそれは顕著でしょう。ですが、ここで少し遡って、現在に至るまであなたの思考がどう変化したか聞いてみたいと思います。写真家であることの、どちらかといえば古典的な考え方と、自分の写真をどのように広げてゆくのか、ということについて。スノーボードやヒップホップ、スケートボーダーの写真から見えてくるのは、あなたにとって zine 制作は、zine の始まり、つまり1960年代のファンジン、あるいはロックンロール文化に繋がってゆくのではないでしょうか。それは、ファンがファンのために作り出した、自分たちのことを話せる空間でもあった。そうですよね。それが、どう写真やプリントと結びつくのでしょうか。出版するためにプリントすることと、それを作品として額装するためにプリントすること、その違いは何でしょうか。

A:もちろんそれらは密接に関連しています。制作を始めた16歳の頃、私はただフィルムを現像して、イメージをかなりコントラストの高い印画紙にプリントしていました。写真雑誌でそのような写真をよく見ていたから。でも、アーヴィング・ペンのもとで働いて、完璧なプリントの作り方を学びました。初めての写真集『Portraits from the Studio and the Street』(1987年)の時は、暗室で完璧に作り上げた美しい銀塩プリントをもとに印刷しました。全て自分でプリントしたものです。2冊目の『Transitions and Exits』を作っている時、レイアウトのためにまず全ての写真をコピー機でモノクロ出力しました。そしたら、「あ、コピー機の写真も良いな」って思ったんです。それから横位置の写真2枚を、イメージが帯になるように上下に並行して配置してみたり。カラーのレーザープリンターに4×6インチのカラー写真を並べてコビーして。そのカラーのレーザープリントを、色見本としてオフセットの印刷業者に送りました。

H:その色味にもこだわりがあったからこそ、コピーを色見本にしたんですよね。

A:もちろんです、その色が欲しかったから。本当にコピーだけを色見本として使っていました。普通、印刷現場では写真を見て「そうだな、シアンを5%ほど下げて、もう少しイエローを」なんて言いますよね。色校のとき、「どう思う?」と担当者に聞かれるわけです。私は、「全てをもっと、全ての色をもっと」と言い続けます。彼は困惑して私を見るのですが、「Molto di tutto!全てをもっと、色をもっと強く」と言うだけ。写真がそのような見た目になっているのはそのためです。色が飽和している。興味深いことに、当時サンフランシスコ近代美術館のキュレーターだった Sandra Phillips (サンドラ・フィリップス) がコレクションのためにレーザープリンターで出力したコピーを購入したんです。彼女は、私の制作手法に強い関心を抱いていました。彼女が求めたのは、プリント作品ではなく、カラーコピーだった。

H:彼女の判断も素晴らしいですね。それらは、あなたのプリントの方向性に影響を与える、別々ながらも並行して存在しているもの。zine もその流れに組み込まれていますね。

A:そうです。日本の雑誌『Provoke (プロヴォーク)』も参照していました。彼らもコピー機を使っていました。あるいは、コントラストの高いプリントを普通紙に印刷したり。プリントをコピー機で出力すれば、似たような見た目になる。暗室で長い時間をかけて完璧なプリントを作ることもできるでしょう。でも私は、コピー機で写真を作るようになった。

H:あなたはウォーホルの写真をプリントし、アーヴィング・ペンのもとで働いた。そこで学んだ印刷技法を全て放り出し、暗室でのプリント制作をやめてコピー機を導入したのは、なぜなのでしょうか?お金の問題でしょうか、それとも設備の?あるいはパンクの精神でしょうか。あなたが何を考え、どのような意識でそうしていたのか知りたいです。

A:そうですね、最初にコピー機を使ったのは、先ほども言ったように本のレイアウトのためでした。黒のトナーの濃さに魅了されました。粒子の見え方も興味深かった。でも、最終的な成果物としてそれらを見ることはありませんでした。当時使っていたカラーの印画紙はとても高価だったので、見本に白黒のコピーを用いるようになっただけで。コピー機がそれらを出力して、本が完成すればそれで用済みです。コピーを展覧会で見せるようになったのは、ある種の抵抗でした。伝統的な写真プリントへの抵抗です。それから、もうそのようなプリントを作らないと決めた。ただ、コピー機だけで印刷する。カラーの写真も、白黒のコピー機でプリントするようになりました。

H:なるほど。カラー写真をコピー機でモノクロ出力したのは、明確な判断によるものだったと。その判断は、主題にも結びつくものでしたか?スケートボーダーを撮影し続けて、ファインアートのプリント文化がどこか相容れないものになってきた、とか。つまり、内容が最終的な成果物を決定づけたのでしょうか?

A:いいえ、スケートボーダーの写真を綺麗なモノクロプリントに仕上げることもありました。それらをコピー機で出力して zine にして配布していたら、次第にその見た目を欲するようになったんです。今現在でも、それが相応しいと思えば銀塩プリントやカラープリントを作ります。しかしコピー機の場合、グレーの階調全てに気を払うことはできない。できる限り豊かな階調を得るためのゾーンシステムを生み出した Ansel Adams (アンセル・アダムス) とは、真逆のことをしているわけです。グレースケールの幅を狭めている。それは別に革命的なことでもなんでもなく、William Klein (ウィリアム・クライン) や『Provoke』の写真にも見られるものです。彼らが行っていたのは、写真の破壊です。彼らは、全てを鮮明に撮影した、階調豊かな写真から遠ざかろうとした。写真用の印画紙を使わないことの良さもあります。2008年、ダッシュウッド・ブックスと『The Chance is Higher』という作品集を作ったのですが、写真は全てコピー機で再出力したものを使っています。それを、イタリアにある世界最高峰の印刷所で、美しい紙に印刷してもらいました。でも、そこにあるのはコピーで出力されたもの、トナーで印刷されたイメージです。その後、Rizzoli (リッツォーリ) と Nieves (ニーヴス) と作った『Directory』(2013年)は、電話帳を手がける印刷所で印刷してもらいました。全ての写真は、コピー機で出力したものを複製しています。写真がもともとモノクロで撮影したものなのか、カラーで撮影したものなのか、わからなくなっています。

H:『Directory』はどれくらいのページ数だったのでしょうか?

A:1,200ページありました。普段4×6インチのプリントが出来上がったら、それらを編集するために、118%ほどの拡大設定をしてコピー機で出力します。そうすると4×6インチが8.5×11インチの紙に収まる。ある時点で、テーブル上にそれがうず高く積まれた状態になっていて、それを見ながら、さてどうしようと思っていました。そこで思いついたんです、なんだか電話帳みたいだと。そのコピー機で出力した写真をスキャンして、写真集にしました。展示する際は、ライスペーパーや新聞用紙を用いて、ページを重ねたり、何度もプリンターに通すなど実験をしていました。するとインクが重なって、次第に写真が見えなくなってくる。あるいは、写真のごく小さな一部分をスキャンしてそれを大きく出力して、さらにスキャンと出力を繰り返したり。『Directory』は全てグラフィティの写真で構成されています。そして、グラフィティのアーティストたちは zine も作る。それらグラフィティの zine が、私にとって一番大きなインスピレーション源でもあったんです。

H:スケートボードの zine よりも、でしょうか。最初に目にしたのがグラフィティの zine だったのか、それともスケートボードの zine を見た後ですか?

A:後ですね。でも、グラフィティの zine はとにかく数が多かった。それに、私自身も狂ったようにグラフィティの写真を撮っていました。zine を数多く制作するアーティストは他にもいます。Barry McGee (バリー・マッギー) や Raymond Pettibon (レイモンド・ペティボン)、Mark Gonzales (マーク・ゴンザレス) など。彼らの作品にも惹かれていました。マークのスタジオを訪ねた時彼は zine を作っていて、彼はいつも異なることを試しているんです。いつも、いろんなものをミックスさせています。私にとって zine づくりとは、自分の作品を整理する手段でもあります。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos

H:次の質問ですが、ある zine を作るとなった時、どのように主題を決めるのでしょうか?

A:スノーボードをしていた頃は、4、5部を作って、一緒に行った友人たちに配っていました。撮った写真をみんなに見せる、最も簡単な方法でしたから。それが雑誌などに掲載されることもありませんでした。ある種の家族写真、あるいはギフトのようなものでした。zine に収められているのは、ただ単純に私がずっと撮ってきたもの、です。カラと私がどこかに旅したとして、写真を撮って、それを zine にする。あるいは、50部ほど作った場合は、ダッシュウッドに持って行けば、それを店主の David (デヴィッド・ストレテル) が売ってくれる。時にはデヴィッドがそれを日本やイギリスに卸してくれる。Nieves はこれまでにもたくさん zine を一緒に作ってきたインディペンデントの出版社です。色々、うまく動き始めたんです。デヴィッドとは、一年で52冊の zine を作るというプロジェクトを行い、週に一冊作りました。最終的に完全版のセットを20部作りました。最終的にそうなったのですが、最中は気が狂いそうでした。

H:その主題は……

A:なんでも。

H:なんでも。でも、時間的な制約はありましたか?

A:時間の制約はありました、その週に撮影された写真だけでないこともあって、少し前のものが入ったりもしていました。加えて、Adam Yauch (アダム・ヤウク) のトリビュート zine も作りました。F1ドライバー、Jochen Rind (ヨッヘン・リント) のzineも一冊作りました。写真は全てネット上で見つけたものを引っ張ってきただけです。所有している物を自宅の床に置いて撮った写真の zine も作りました。毎週何かしらテーマを決めないといけなかったので。毎週、zine を作る必要があった。なので、自分が持っている物だったり、いつも撮っているものになりがちでしたね。

H:zine を作ることは作品を整理することだと言っていましたが、それは単に過去の作品を整理するという意味ではないですよね?zine が作品を整理する手段になった、つまり何を撮っているかについての思考を整理する手段として zine が機能し始めた瞬間はあったのでしょうか?

A:作品を整理するということは、単にアーカイヴを作ったり理解を深めたりすることではありません。思考を整理して、自分が何をしているか俯瞰することです。外で写真を撮っている時、次の zine 用に写真を撮ろう、なんて考えません。ただ、撮っているだけ。フィルムが現像から戻ってきて、それを見て、zine を作るために写真の並びを決めて、そして印刷するだけ。

H:自分が何をしたか、理解するため。

A:時々、良いのができたら25部か50部くらい作ってデヴィッドに渡して、誰かが買ってコレクションできるようにしたいと考えることはあります。でも今は、たくさんの zine を売ることはありません。少ない部数を売るだけです。3、4、5部、あるいは1部だけ。それも、安い値付けをしています。

H:伝統的なオフセット印刷の作品集も理想的なペースで出していますが、それと zine を比べることは当然ながらできません。人びとはどのようにしてあなたの作品に出会っていると思いますか? 彼らがあなたの作品を知る特定の手段があるのでしょうか。作品を世界に届けることの中で、zine の役割とは何でしょうか?

A:zine には、それを世界に送りだすことという大きな側面があります。面白いことに、例えば Nieves と150部の zine を作ったら、Nieves はベルリンやフランクフルト、アムステルダム、ロンドン、東京、リオ、LAの書店それぞれに、10部、5部、あるいは8部ほどを卸すわけです。でも、それぞれの街でその zine を買える人は5人ほどしかいなくて、彼らが友達に、「見てよ、アリ・マルコポロスの zine を手に入れた」と見せる。そうすると彼らも「いいね」と反応する。そうすることで、みんなが私の作品を認知するわけです。

H:つまり、zine があなたのフォトグラファーとしてのアイデンティティの一部を形成していると?

A:そうですね、確かにその通りだと思います。

H:ベルリンで zine を買った5人と、写真集を買った5人を区別しているのは興味深いです。そう考えているわけですよね?

A:はい、まさしく。Zineは安価ですし、またそれらは……

H:手に取りやすいけれど、同時に希少でもある。

A:はい。奇妙な意味である種の目利きになる必要がある。全ての zine を探し出したくなってしまうわけです。そして、誰よりも早く情報を得る必要がある。もうすぐそれが出る予感を覚え、確実に手に入れたいという衝動が生まれるんです。

H:つまり、zine が熱心なファンに向けたものであるという考えは、あなたにとって魅力的である、と。

A:希少価値はそれほど重要ではありません。私にとってzineの魅力は、作品集を一生買わないような人の手にも届く可能性がある、ということ。彼らにとって作品集は高すぎる、あるいはただそれらに興味を持っていないかもしれない。これは私の zine に限ったことではないですが、zine によって、若者たちがブックコレクターになったんです。彼らにとって、Printed Matter (プリンテッド・マター) 主催の NY Art Book Fair (ニューヨーク・アートブックフェア) が最もヒップなイベントになったことにも近いですよね。一体彼らはどこからやってきたんだ?と思うわけです(笑)。代表の Roger (ロジャー・ウィレムス) が友達なので、ローマ・パブリケーションズのブースに立ったことがあるんですが、若者たちがブースにやってきて、話しかけてくるわけですが、話しながら彼らは本をぱらぱらめくって、顔を上げることもない。そこには確かなシーンが形成されていて、クラブのようでもありました。フェアには、zine だけのセクションもある。そこに行ってみると、人びとがやってきて、「あなたの zine が欲しい、作品集が欲しい、レコードが欲しい、あれやこれが欲しい」と言う。

H:それは、配布、気軽さ、そして共有の精神を象徴する、素晴らしいことですよね。

a:zine は誰かにあげることも容易です。ただ作って、渡すだけなんですから。

From Ari Marcopoulos: Zines (Aperture, 2023). © 2023 Ari Marcopoulos