Go Morita & Sawako Fujima
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森田剛と藤間爽子、舞台という砂に閉じ込められた男女の本音

Go Morita & Sawako Fujima

photograpy: Naoki Usuda
styling (Go Morita): So Matsukawa
styling (Sawako Fujima): Takumi Noshiro
hair make up (Go Morita): Go Takakusagi
hair make up (Sawako Fujima): TOMOE
interview text: Hisamoto Chikaraishi (S/T/D/Y)

Journal/

1962年に安部公房が上梓し、64年に監督・勅使河原宏によって映画化された名作『砂の女』。砂丘に昆虫採集にやってきた男が、ひょんなことから砂穴に住む女と生活をともにしながら、地上への帰還を試みる土臭い脱出譚は、世界の20以上の言語で翻訳される、現代日本文学を象徴する一作だ。

不条理な状況に抗いながらも、次第に今ある生活と人間関係に順応していく姿を映す作品は、現実を生きづらいと感じる人々に寄り添い、そして2026年というこの時代に、舞台化が決まった。脚本演出を手がけるのは、自身でも劇団「ピンク・リバティ」を立ち上げ、映画監督としても活躍する36歳の俊英、山西竜矢。そんな、話題と期待が渦巻く舞台の主人公として、森田剛と藤間爽子、二つの才能が邂逅する。これから稽古に臨む二人に、狭い砂の中で描かれる“逃げたい男”と“逃げられない女”への思いを聞いた。

森田剛と藤間爽子、舞台という砂に閉じ込められた男女の本音

—「砂の女」という作品に最初に触れた時の感想を教えてください。

森田剛 (以下、森田): まず物語の設定にすごく興味が湧きました。教師の男・仁木順平が昆虫採集にやってきた砂丘で、明らかに怪しい村の人々に誘われて、砂の中にある家に住む女と出会う。そして翌日、砂が溢れつづけるその家から出られなくなっている。そこから出たい男とずっとそこにいる女の関係が次第に変化していき、その不条理な境遇の中で男自身の思考も変わっていく。そして、その世界を舞台で表現するということもすごく面白いなと思ったんです。

藤間爽子 (以下、藤間): 今回出演するにあたり、初めて『砂の女』の世界に触れて、物語は“ただただある男が砂の村から帰りたいのに、帰らせてもらえない”という一見単純な構成ですがすごく面白いです。男が一緒に住むことになる女や村の住人とのやり取りに、人間の欲や本能、人間社会に生まれる歪みみたいなものが映し出されていて、多くの人が共感できるうえに、受け手によって共感できるところが違うんだろうなと思ったり。だからこそ、時代を経ても色褪せることなく、世界的に人気を博しているんだと、本を読みながら納得しました。

森田: そうですね。現代の人も感情移入できる部分が多くあると思います。『砂の女』で描かれる“自由とは何か”ということを誰もが考えるし、考えるべきだし。あと、 “自分と向き合うこと”、“目の前の相手を感じること”、“自分が選択をすること”は、今の人にも響くはず。今作で脚本・演出を務める山西 (竜矢) さんという、ご自身で舞台をやって、映画も撮って、という若い人が作る作品は刺激的で面白いし、チャレンジ精神をすごく感じるんです。

藤間: これから本格的な稽古に入りますが、すごく楽しみ。シナリオも本当に面白くて、あっという間に読み終えちゃいました。

森田: ジャケット ¥71,500、T シャツ ¥17,600/共に KAPTAIN SUNSHINE (キャプテンサンシャイン)、他 スタイリスト私物 藤間: ジャケット ¥66,000、シャツ ¥66,000、パンツ ¥44,000/全て MIKAGE SHIN (ミカゲシン)、シューズ ¥42,900 AKIKOAOKI (アキコアオキ)、チョーカー ¥36.300 e.m (イー・エム)、リング ¥14,300 Soierie (ソワリー)、ソックス スタイリスト私物

—お二人が演じる仁木順平と女は、原作を含めほとんど作中で“男”と“女”と表されていて、人物造形としては最小限。それにより観客は、砂丘の村で暮らす男と女の境遇や感情に集中して感情移入できると感じました。ご自身の役にどんな印象を持ちましたか?

藤間: 女は場面によっていろいろな顔がある感じがしたんです。本当に帰りたい願う男の訴えに対して、砂のようにサラサラとすり抜けていく不思議な女性に見える時もあれば、ここまでして家に留まり、生きたいと強い執着を見せる水気を帯びた岩のような、気概ののあるゴツゴツした人間にも見える時も。題名の『砂の女』はもしかして、形や姿を使い分けているような彼女の正体を表しているのかと思ったほどです。

森田: なるほど、おもしろいですね。僕が思う男の印象は……彼の行動や振る舞いや対応を見ていて、全体を通して思うのは、ちっぽけなずるい男だなって。自分勝手な人間だから、女や村人の影響を受けやすくて、“あんなこと”になってしまうのかなと。

藤間: うんうん、本当に“あんなこと”になるなんてね……。ぜひ舞台で見届けてください (笑)。

—山西竜矢さんは、森田さんが主演を務めた短編映画『DEATH DAYS』(長久充監督作品)のメイキング・ドキュメンタリー『生まれゆく日々』を監督されています。今回もまたタッグを組むことになった経緯は?

森田: 『生まれゆく日々』の時は、僕から山西さんに声をかけさせてもらって、今回は山西さんから『砂の女』をやりたいという思いを聞いて、声をかけていただいて。詳しい理由は聞いてないけど、すごくうれしくて「じゃあ、やりますか」という感じで決まりました (笑)。藤間さんは山西さんと初めて?

藤間: お会いしたことがありますが、お仕事をするのは初めてです。山西さんと「いつかご一緒したいね」とお話していたので叶ってうれしいです。ですが、それが『砂の女』の女役として声をかけていただいたのは、ちょっとびっくりしました。周りの俳優の仲間からも「爽子には無理。(女役と)全然イメージが違うのに」と驚かれました (笑)。どうして私を選んでくださったのか、今度直接聞いてみたいですね。

森田: 自分も聞いてみようかな。

—お二人は山西さんにどんな印象をお持ちですか?

藤間: 山西さんが主宰する劇団「ピンク・リバティ」のお芝居や、監督・脚本をされていた映画『彼女来来』も拝見していて、どの作品も──たまたま私が見た作品がそうだったのかもしれないですが──常に怪しげでヒリヒリするような空気が流れる影の部分を見せながら、必ず光の部分も描く方なのかなと。なので、『砂の女』の世界と相性が良さそうだと勝手に思っていました。

森田: 山西さんが作った舞台や映画を見たり、会ってちょっと話したりする中で、役者や物語や美術など、すべてに彼ならではの独特な美的センスを僕はすごく感じます。藤間さんも感じたように、『砂の女』で大いに発揮してくれそうな感じがしますし、自分もいかに彼の演出をキャッチして表現できるかに集中したい。

—稽古に向けて今から楽しみにしていることはありますか?

森田: 山西さんから演出を受けたことはないので、どういう話ができるのか今から楽しみですね。

藤間: 私も山西さんの美的センスをすごく素敵だと感じますし、本当に稽古が楽しみですよね。あと、舞台での砂や村人の演出がすごく気になります。物語では村人たちが、砂の穴の中の家に暮らす男と女を上から覗くように監視しているんです。そういった表現をあの箱 (東京・新宿の紀伊國屋ホール) の中で表現していくのか。『砂の女』って主人公の男も女も興味深いですけど、私は村のすべてを支配している村人たちが結構面白いだろうと思っています。素敵な方々がキャストとしてすでに発表されていますし、出演する側ですがすごく楽しみ。

森田: 僕は映画版 (1964年公開・勅使河原宏監督作品) を観ていたので、なんとなく作品性のイメージは湧いていて、やっぱり女の印象が強かったので、男役をいただいたときからお芝居が楽しみで。女役を誰がやるのかなと思っていたら、藤間さんと聞いて「いいじゃない!」って (笑)。

藤間: 「いいじゃない!」って思ってくださったんですね (笑)。すごくうれしいです。私は前々からテレビで森田さんをたくさん拝見していたので、まさか共演できる日がくるとはと思いました。小さい頃から観ている方とお仕事するのはすごい不思議な感覚です。今日はお会いしてまだ2回目で、メインビジュアルを撮った最初の時は服をあまり着ていない状態だったので、緊張してあまりお話しできなくて。でも今こうして作品の取材を重ねていく中で、森田さんの人柄が少しずつ垣間見えてきて、「きっと仲良くなれそう」と思えてきました。

森田: ふふふ、よかったです。

—お二人は舞台でお芝居を演じる際に大事にしていることはありますか?

藤間: 私は稽古ですね。映像作品にはなくて、舞台には唯一ある時間で、約1か月という限られた期間の中で、自分がどれだけその役と向き合って人物像を構築して、また共演者のみんなとどのように物語を作り上げていくかを突き詰めます。また、稽古でできなかったことは本番でもできないと思っているので、時間との勝負にはなりますが、稽古の時間が豊かになればいい舞台を作れる。もちろん、本番を迎えて会場にお客さんが入って生まれる熱気や構築されていく空気感は必ずあるけど、良いお芝居の土台は稽古だと思っているんです。

—森田さんいかがですか?

森田: 同じく!

藤間: よかった (笑)。

—より良い本番を迎えるために、稽古や共演者とのコミュニケーションにおいて意識していることは?

森田: 稽古をする1か月って、いつも本当に短いなって思う。でも、そこで「時間がないな」とか「難しいな」となると、自分のことばかり考えちゃうから、そうではなくて、もっと周りを見渡すことを心がけています。というのも、特に今作は藤間さんとの二人だけのシーンが多く、村の人たちがから監視される中で二人がどういう時間を生きるかがすごく楽しみだし、それをうまく成立させたいし、そのためには稽古も大事だし、本番になっても日々変わっていきそうだなとも思うし。狭い砂の穴の中で役として自然に心が動いていって、それに伴って体がどんどん動いていけたら、観る人がすごく面白いと感じてくれるんだろうなと思っています。

—藤間さんはいかがですか?

藤間: 同じく (笑)。

森田: (笑)。あと、僕はそもそも、これまでと同じような感じではやりたくないというか、壊したい願望があるんですよね。一回積み上げてきたものを壊しながら前に進みたいなっていう思いがあって。だから、今回も素敵なメンバーが集まっているので、多くの人のイメージにある『砂の女』をみんなで一回壊していきたい。その中でとにかく楽しく演じられたらいいなというのが、今回のテーマです。

藤間: 『砂の女』の舞台は私の役者人生の中である種の挑戦になるので、たくさん悩みたいなと思います。作品に入るたびにもちろん悩むことはあるけど、今回は難しい女役を表現するために“たくさん”悩みたいと思っています。

—お二人の覚悟や決意をうかがって、ますます上演が楽しみになりました。先ほど森田さんが「本番でも変わっていきそう」と、藤間さんが「お客さんが入って生まれる熱気」とおっしゃっていましたが、そもそも舞台でのお芝居の対する魅力は何でしょうか?

森田: 舞台を観に行くと、演じている人の人間性、人となりがすごく見えるなと感じます。俳優としては自分という人間を見透かされる気がして怖くもありますが、面白いところでもあるなって思いますね。

藤間: それは怖い……。私が舞台を観に行って思うのは、「自分にこんな感情があったんだ」と、今まで生活していて感じえなかった思いがけない感情を掘り起こしてくれるということ。その瞬間を味わうたびに「ああ、舞台っていいな〜」と感じます。その「いいな」って言葉は明確に説明できる感情ではなくて、例えば、夕焼けを見て湧き起こる気持ちや花火大会に出向いて花火を見た時に出てくる感情に近い。くさい言い方ですけど、スクリーン越しの映画や画面越しのドラマとも違う、実際に生の人間のお芝居を観る舞台でしか出会えない感動が存在するんです。

森田: うん、本当にそう思いますよね。

—人が集まるリアルなエンタメが規制されたコロナ禍を経て、また映像コンテンツが手元でも手軽に観られる時代になった今、数年前に比べて舞台の存在感や観客との距離感に変化はありましたか?

森田: お客さんとの距離感はたぶん変わらないと思うんですけど、実際に観に来てくださる方をちゃんと作品に繋いでおくべきということは考えています。ただ、役者がお客さんに向かって芝居していると「なんだこれ」って思うし、物語としてあくまで登場人物の人生を演じているので、舞台上にいる人間たち、例えば「砂の女」でいう藤間さんが演じる女と僕が演じる男が繋がっていなくてはいけないもので、そこは舞台ならではの難しさだなと。

藤間: それはすごくわかります。

森田: 僕としては、出ている役者が勝手にしゃべっているのではなくて、ちゃんと相手に話していることがわかる舞台は面白いと思うから。そういう意味で、お客さんの気持ちを僕たちから離さないことが、役者と観客の距離感の理想なのかも。映像コンテンツの話を絡めるなら、映像表現がどんどん進化していっているからこそ、受け手が生で体感できる、そして演じ手が生で体験させられる舞台がより際立っている感じはします。

藤間: はい、舞台を貴重に思ってくださる方もいると思います。

森田: そうですね。個人的には、舞台で成立する役者が残るんじゃないかなと思いますし、自分はそこに自信を持ってやりたいなと思っています。

藤間: 私も特に観客との距離感が変わったとは思わなくて、どちらかというと劇場によって変わるのかなって。小ぶりの劇場では没入感が高まるようにも感じるし、大きい劇場なら広い視覚で俯瞰して舞台上で紡がれている物語を覗き見してるような感覚にもなれる。もちろんどちらが良い悪いはなくて、作品性やジャンルによってもいろいろな形があると思います。自分の経験から、素敵なお芝居って、最初演技の素晴らしさに目が行くけど、気づいたら物語の世界の中にしっかり入り込んでいってしまうものですね。

 

—最後の質問ですが、『砂の女』の主人公の男のように、長く居続けたり継続したりしたことで、気づいたらご自身が自然に順応していった体験はありますか?

藤間: 舞踊家としての自分ですね。日本舞踊の家に生まれて、私は現在舞踊家としても活動していますが、周りの環境があって気づいたら襲名して、舞踊家の道を進んでいました。私にとって舞踊は当たり前のことなので、好きや嫌いという感情の外側にあるような存在ですね。

森田: 男を見ると、自然に順応するって流されていると思うかもしれないけれど、流されていくのも僕はいやじゃないですけどね。むしろ素晴らしいことかなって。舞台もそうだと思います。役者それぞれが自分の“これ”という信念やこだわりみたいなものを持っていて、お互いに出していく作業はすごく人間らしいし楽しい。短い時間で限られた時間で終わりも決まっているから、一つの目標に向かいながら、相手の影響を受けて自分を変えて、それぞれが作品のパーツとして合わさっていく様子は面白いですよね。その作業が、僕はすごく好きです。