think about
broken music
vol.11

【連載コラム】「Broken Music」にみるアートとレコードの関係性

think about broken music vol.11
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【連載コラム】「Broken Music」にみるアートとレコードの関係性

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broken music
vol.11

text: yusuke Nakajima

アートブックショップ「POST」代表を務める傍ら、展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける中島佑介。彼の目線からファッション、アート、カルチャーの起源を紐解く連載コラム。第11回目のテーマは「Broken Music (ブロークン ミュージック)」。

音楽はポータブルプレーヤーでいつでもどこでも楽しめるようになり、今ではとても身近なものになりましたが、音楽を複製・再生する技術が発明されたのは19世紀の後半です。誕生してから百数十年の年月は、音楽の歴史全体からするとごく最近の出来事と言っても良いのではないでしょうか。音楽の複製技術は生活における音楽のあり方も変化させましたが、美術と音楽の関係性にも変化を起こしました。

19世紀に発明された技術はレオン・スコットのフォノトグラフやエジソンのフォノグラフなど、現在では総称して「レコード」と呼ばれるものです。音の空気振動を図形化して記録し、その図形から再生する技術の発明によって、音をめぐる状況は一気に変化しました。作曲家や音楽家たちは生演奏の記録としてだけではなく、レコードによって再生されることを念頭に入れた作品にも取り組んだようです。レコードを作品に用いる芸術家たちも1960年代から徐々に現れ始めます。しかし、芸術家たちのアプローチは作曲家や音楽家たちとは少し異なっていました。1989年に「Broken Music」という、レコードを用いた芸術を集めた展覧会を開催したギャラリー DAAD のウルスラ・ブロックはステートメントで以下のように述べています。

図録「Broken Music」の表紙

図録「Broken Music」の表紙

—『ブロークン・ミュージック』はビジュアルアーティストたちが制作したレコード、レコードカバー、レコードオブジェ、レコードインスタレーションを展示している。作曲家やミュージシャンが彼らの音楽的アイデアを運ぶため優れた容れ物としてレコードを捉えているのに対して、ビジュアルアーティストたちは、特にレコードの視覚的そして聴覚的存在に興味があった。『ブロークン・ミュージック』は因習的なアイデアを壊し、何か新しいものを生み出すことを表象している。—

作曲家や音楽家が音楽で概念を表現しようと試みたのに対して、芸術家たちは目に見えない音も含め、レコードの質量的なものを興味の対象としていました。作品の一例として、ブロックの企画した展覧会タイトルの引用元となった、「Broken Music」と題したアルバムを1979年に発表しているチェコのアーティスト、ミラン・ニザはレコードを用いた作品をどのように制作し始めたのか、以下のように語っています。

—1965年、私は擦り付けたり、穴を開けたり、割ったりとレコードを破壊することを始めた」「何度も何度も繰り返し再生することで(それによってプレイヤーの針そしてプレイヤー自体が壊れることもしばしば起こったが)、全く新しい音楽が創造された。それは予期しない、ハラハラとさせられる、そして攻撃的な音楽だった。作曲は1秒、またはほぼ永遠に続いた(針が深い溝にはまり込んで同じフレーズを何度も何度も繰り返している時のように)。私はさらに方法を発展させ、レコードの盤面にテープを貼ったり、ペイントを施したり、焼いたり、切り取って異なるレコードと貼り付けたり、などをし始めて、音の広大で様々な可能性を遂げていった。—

芸術家たちはニザの言葉が示している通り、まるで彫刻作品を作るようにレコード自体や、音を素材とした作品を制作しました。当時、こういった作品がどのようにマーケットに受け止められたのかを示すエピソードがあります。展覧会「Broken Music」に合わせて出版された展覧会図録は、ギャラリーが期待していたような売上にはならず、会場で売れたのはごくわずかだったそうです。過剰な在庫を抱えてしまったギャラリーは図録のほとんどを会期終了後に処分してしまいます。その後、レコードを用いた芸術作品の解釈が深まり、評価が高まるに応じて、このカタログへの需要も高まりますが、市場に流通しているのは会期中に売れたわずかな部数のみ。結果として、古書市場で「Broken Music」の図録は10万円前後で取引される、レアアイテムとなっています。発表当時は、マーケットでの理解はすぐに得られなかったようです。

1960年代以降に芸術家たちがレコードを表現の手段として活用したことは、フルクサスなどの前衛芸術運動や、コンセプチュアルアートの作家たちが目論んだ一連の活動とのシンクロがみて取れます。この時代、芸術家たちはギャラリーや美術館で作品を展示する旧来の作品発表や、オリジナルという概念に疑問を持ち、新たな作品の提示方法を模索していました。その解決策のひとつとなったのが、本自体を表現手段とする「アーティストブック」の発明でした。本とレコードは、「情報を記録する」「同じ情報を大量に複製できる」「世界中へと流通していく」といった類似した機能が備わっています。60年代のアーティストたちは本に見出したのと同様の可能性をレコードに見出し、様々な実験を試みたのではないでしょうか。

作品解釈の仕方についても「アーティストブック」が参考になりそうです。本を記録された情報を伝えるためのメディアとして捉えると、アーティストブックは難解なものに見えてしまいますが、本という形を用いた作品だと捉えることで、アーティストたちが何を表現しようとしたのか理解が深まります。ニザをはじめとするアーティストたちの作品はいわゆる音楽=記録された音自体を作品として聴こうとすると全く難解なものに聞こえますが、音やレコードを素材として用いた作品として捉えてみると、理解が全く異なってきます。

さらに、今日におけるマーケットの状況にも本とレコードは類似した点があります。音楽はデジタル配信によるマーケットが主流となり、ソフトの販売数が下落傾向にある中で、レコードは売り上げを伸ばしているといいます。本もインターネットの台頭により出版業界全体は縮小傾向にありますが、60年代のアーティストブックの系譜として発達してきたアートブックのマーケットは、この数年で刊行タイトル数も増加し、ブックフェアなども世界各地で毎月のように開催され、活況を呈しています。60年代のアーティストたち積極的に制作したレコードを用いた作品群は、彼らがメディアの特性を本質から見つめ直し、価値を先見的に見抜いた結果として生まれたのではないでしょうか。