'Jacques Demy et Agnes Varda Le Bonheur' To Launch In Japan From July 22

ヌーヴェルヴァーグを築いた伝説のクリエイター夫婦の軌跡をたどる、特集上映『ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語』が公開

'Jacques Demy et Agnes Varda Le Bonheur' To Launch In Japan From July 22
'Jacques Demy et Agnes Varda Le Bonheur' To Launch In Japan From July 22
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ヌーヴェルヴァーグを築いた伝説のクリエイター夫婦の軌跡をたどる、特集上映『ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語』が公開

'Jacques Demy et Agnes Varda Le Bonheur' To Launch In Japan From July 22

ヌーヴェル・ヴァーグの2大作家にして夫婦でもある Jacques Demy (ジャック・ドゥミ) と Agnès Varda (アニエス・ヴァルダ) 。彼らの代表作のうち厳選された5作品が『ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語』と題し、7月22日(土) よりシアター・イメージフォーラムほかにて特集上映される。今回の特集上映に際し、Agnès Varda 監督は各作品について、また Jacques Demyというかけがえのないパートナーについて次のように語っている。

『ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語』

ヌーヴェル・ヴァーグの2大作家にして夫婦でもある Jacques Demy (ジャック・ドゥミ) と Agnès Varda (アニエス・ヴァルダ) 。彼らの代表作のうち厳選された5作品を『ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語』と題し、7月22日(土) よりシアター・イメージフォーラムほかにて特集上映される。

今年、ゴールデングローブ賞作品賞を受賞した『ラ・ラ・ランド』をはじめ、数多くの映画に多大なる影響を与えたミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(1964) や、『ロシュフォ ールの恋人たち』(1967)。美しいフランス女優と、音楽とファッションを魅せる、まるで魔法のような数々の作品を残し、1990年59歳という若さでこの世を去った Jacques Demy。2015年、史上 6 人目となるカンヌ国際映画祭パルム・ドール名誉賞を受賞、 さらに、世界的に注目されているフランス人アーティスト JR (ジェイアール)と共同監督を務めた新作ドキュメンタリー 『Visages, villages』が、2017 年のカンヌ国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門に選出されるなど、89歳を迎える現在も旺盛な活動を続ける、女性映画監督の第一人者であり “ヌーヴェル・ヴァーグの祖母” Agnès Varda。

1962年の結婚以来、夫婦として、そして映画監督同士、支え合い、刺激しあってきた伝説的なふたり。 特集上映『ドゥミとヴァルダ、幸福についての 5 つの物語』では、ふたりの宝石のような作品の中でも、若く瑞々しい感性が弾ける珠玉の5作品を厳選。Agnès Varda の監修によって完全修復された『ローラ』(1961) や、劇場正式初公開の『天使の入江』(1963) など、全作品さらに美しくなったデジタル素材で、スクリーンに甦る。さらに Agnès Varda が、MIU MIU (ミュウミュウ) のショートフィルムプロジェクト “女性たちの物語” で 2015年に製作した短編最新作『LES 3 BOUTONS (3 つのボタン)』も同時上映される。今回の特集上映に際し、Agnès Varda 監督は各作品について、また Jacques Demyというかけがえのないパートナーについて次のように語っている。

still from L’UNIVERS DE JACQUES DEMY

still from L’UNIVERS DE JACQUES DEMY

—『5時から7時までのクレオ』(1961) について。撮影はどんな形でされたのでしょうか。

映画の撮影ではふつうコストを下げるために、セットの都合で撮る順番を変えますが、この映画でわたしは物語の順序通りに撮影をしたいと思いました。わたし自身も時の経過を感じたかったから。そしてクレオ役の Corinne Marchand (コリーヌ・マルシャン) にとっても、それはとても大事だと思ったからです。彼女の身体のなかで乗じる変化をフィルムに納めるために。実際彼女は撮影中、7キロも痩せたのですよ。わたしが痩せろといったわけではありませんが、自然に役になりきっていくなかでそうなったのです。また彼女はこの映画の中で、吹き替えではなく、自分の声で歌っています。

—当時戸外での動き回る撮影というのは、難しくはありませんでしたか。

撮影自体はそれほど難しいものではありませんでしたよ。みんなTVの撮影だと思って、じろじろ見たぐらいで。この映画では歩くシーンが沢山出てくるので、リズムがとても大切でした。それでわたしは、Jacques Demy の『ローラ』で素晴らしい音楽を作曲してくれた Michel Legrand (ミシェル・ルグラン) に音楽を頼みました。編集中から彼に見せて、テーマとなるような曲を考えてもらったのです。彼はとても素敵な音楽を生み出してくれました。とくにラストで彼女が恋人に会いに行くシーンでは、その歩調に合わせて軽妙なリズムになります。クレオの心配を和らげてくれるような雰囲気があり、わたしはとても気に入っています。

『五時から七時までのクレオ』©︎ agnes varda et enfants 1994

『五時から七時までのクレオ』©︎ agnes varda et enfants 1994

—『幸福』(1965) についてですが、この映画のなかの幸福はとても儚いものです。それはあなたの幸福というものの概念を反映しているのでしょうか。

そうですね。まずこれは幸福のひとつの形としての表現です。つまりあの家族は、雑誌でよく見かけるような、夫婦と子供の幸福な家庭の風景といったものを象徴している、いわばユートピアです。もちろん、この映画が作られた当時の社会を反映していますから、携帯も冷蔵庫もない、質素な暮らしですが。彼らは自然を愛し、所有欲がなく社会的な野心も持たず、幸福なのです。もっともその一方で、さきほどあなたが言われたように幸福とは儚いものです。わたしが考えるに幸福とは、“幸福への欲望” なのだと思います。人はよく控えめに “愛” という言葉を用いますが、愛とは本来欲望です。フランソワはテレーズを欲し、彼女と結婚します。でもそれで欲望がなくなるわけではない。そして彼は社会的にも個人的にもモラルに縛られないので、他の女性も欲する。果たして誰がその欲望を完全に満たすことができるのか、それは難題です。一方妻は、そんな夫にノンと言いたいものの、「あなたが望むなら」とぐっと堪えます。でももちろんそれは簡単なことではありません。ですからこの映画は、人はそれぞれ自分のモラルを作り上げなければならないと語っているのです。この映画の幸福は儚いものながら、わたしはそこに何か尊く美しいものをもたらしたいと思いました。それらをどう映画のスタイルとして表現すれば良いかと考え、さまざまな色で表現することにしました。とくにここではフェードアウトをカラーにしました。フェードアウトはふつう黒なので、この映画の前には誰もカラーでやったことがありませんでした。

『幸福』©︎ agnes varda et enfants 1994

『幸福』©︎ agnes varda et enfants 1994

—『ジャック・ドゥミの少年期』(1991) について。これはフィクションと、ドキュメンタリーとが混ざったユニークな形式をとっています。こうしたフォルムを選ばれたのはなぜですか。

フィクションで描いた Jacques の少年期は、彼がわたしに語ってくれた通りに表現しました。彼はわたしを信頼して、「君が映画を作りなさい」と言ってくれた。それでわたしはこのミッションを引き受けたのです。まるで彼が観客に語りかけるかのように彼の思い出を描きたかったので、現在の彼の映像の合間にフィクションで彼の思い出を描きました。でもそれをどう語るべきか、と考えて、当時の技術のままに幼い時代はモノクロで描くことにしました。

—現場での彼はどんな様子でしたか。

Jacques は彼の弟と母親とともに撮影を観に来ていたのですが、とても幸せそうでしたよ。ナントでの撮影は、Jacques の実家のガレージを使いましたから。ガレージもアパルトマンもそのまま残っていました。その頃 Jacques は歩くのも辛いほどになっていましたが、自分が愛した少年時代に戻ることは彼に強さをもたらしたと思います。スタッフもみんな、そんな彼をとても尊重して気遣ってくれているのがわかりました。この映画はフランスの教育省の選定で、学校で生徒たちに見せることになりました。Jacques は小さい頃から映画を撮りたくて、いろいろと自分で発明していた。その熱にほだされて、両親はついに折れて彼の望みを叶えてやったのです。とても美しい話ですよ。ですから教育の場でこうした映画が紹介されるのは、喜ばしいことだと思います。

『ジャック・ドゥミの少年期』©︎ ciné tamaris 1990

『ジャック・ドゥミの少年期』©︎ ciné tamaris 1990

—あなたにとって夫であり映画監督だった Jacques Demy という人物は、どのような方でしたか。

彼とはつねに映画のことを話していました。でも自分たちがそのとき制作中のそれぞれの作品のことだけは、お互い話さないようにしていました。脚本が書き終わったら見せ合うことはありましたが、途中で見せて何か意見を訊くというようなことはしませんでしたね。Jacques は、仕事というのは孤独な作業だとわかっていたからです。クリエーションとは孤独なものだと。もちろん、映画の現場はスタッフと作るものですが、その前にはひとりで集中する時間が必要なのです。それ以外では、人生の伴侶として共犯関係にありました。わたしにとってもちろん大切な相手でしたし、お互い愛し合っていましたし、寝食を共にし、一緒に子供を育てました。わたしの前作、『アニエスの浜辺』(2008) のなかでも語っていますが、愛する相手と仕事の仲間とは違うものです。愛があり、それとは別に仕事があるのです。

—あなたは現在、映画制作とともに現代アートの領域でも活躍されています。その枯れることのないエネルギーやバイタリティはどこからくるのでしょうか。

それは持って生まれた性分なのではないかと思います。たしかにわたしはエネルギーがある方かもしれません。でもそのエネルギーをどこに注ぐかは、選ばなければならない。Jacques が死んだとき、わたしは一切のエネルギーを自分の仕事に集中させようと思いました。他のことを考えなくて済むように。あとはわたしの性分として、人に対して興味があるということが挙げられます。わたしは人を観察するのが好きですし、人と話すのが好きです。だから『落ち葉拾い』(2000) のような作品を撮るのはとても楽しい。人間に対する興味、好奇心が根底にあるのだと思います。

—あなたはこれまで数々の賞を受賞されてきました。こうした受賞は、作り手として励まされる、モチベーションを与えられるものですか。

たしかにこれまでいろいろな賞を頂きました。なんとか金賞がたくさん (笑)。でもわたしにとってそれよりも大切なのは、市井の人たちに映画を気に入ってもらい、メルシーと言われることなのです。ブラボーではなく、メルシー。つい先日も、近所を歩いていて、通りがかりの女性からそう言われました。あなたの映画が幸福を与えてくれた、映画を観る喜びを知った、ありがとう、と。わたしにとってはそれこそがもっともうれしいことです。

Photo by Takeshi Miyamoto

Photo by Takeshi Miyamoto

<プロフィール>
Agnès Varda (アニエス・ヴァルダ)
1928年ベルギー生まれ。1954年 Philippe Noiret (フィリップ・ノワレ) を主演に迎えた『ラ・ポワント・クールト』で長編デビュー。Alain Resnais (アラン・レネ) らとともにヌーヴェル・ヴァーグ「左岸派」の代表的な映画作家と称されるようになる。1961年『5 時から7時までのクレオ』を発表し、世界中で絶賛され た。翌年、ジャック・ドゥミと結婚。1964年『幸福』でベルリン国際映画祭銀獅子賞を受賞。以 後、独創的なドキュメンタリー作家として数々の作品を手掛ける。2015年、長年の功績が評価され、Manoel de Oliveira (マノエル・ド・オリヴェイラ)、Clint Eastwood (クリント・イーストウッド) らに続き史上 6 人目となるカンヌ国際映画祭名誉パルム・ドールを受賞。89 歳となる現在も精力的な活動を続け、2017年には新作の公開も控えている。

HP: www.zaziefilms.com/demy-varda