アニエスべーと5人の表現者たち vol.3 甲田益也子
agnès b.
with miyako koda
model: miyako koda
photography: naoya matsumoto
styling: sumire hayakawa
hair & makeup: yuko aika
interview: tomoko ogawa
edit & text: yuki namba
流行ではなく、スタイルを生み出す服がある。映画、音楽、アートをこよなく愛する一人の女性、Agnès Troublé (アニエス・トゥルブレ) によって1975年に誕生したブランド agnès b. (アニエスベー)。50年近くにわたり彼女が生み出してきた服には、人々のスタイルに馴染み、着る人の個性を引き立出す力が宿っている。
どんなに時代が移り変わろうとも、自分らしく、独創的であること。今回、agnès b. が大切にしてきたスピリットに共鳴する、独自のスタイルを持つ5人の表現者がagnès b.に袖を通し、それぞれの表現活動やオリジナリティについて語る。
第3回に登場するのは、1980年に資生堂『花椿』誌でモデルでデビューを飾り、以降はモデルにとどまらず、音楽ユニット dip in the pool (ディップ・イン・ザ・プール) のボーカルとしても活動を続ける甲田益也子。長きにわたり続けてきた、モデルという仕事と音楽が自身に与える影響、年月が経つにつれて浮かび上がる、自分らしさについて話を伺った。
アニエスべーと5人の表現者たち vol.3 甲田益也子
agnès b. から毎シーズン登場する 「Noir et Blanc (Black and White)」シリーズから、クラシックなジャケットとタイに、フレアのロングスカートを合わせた甲田。あたたかな光が差し込むスタジオに、agnès b. と彼女が醸す独自の空気が調和する。手にしたバッグは、艶やかなソフトレザーのホーボーバッグ。前後についているファスナーで自在にバランスを変化させられ、どんな装いにも馴染み、シンプルで飽きの来ないagnès b.らしいアイテムだ。
−1983年-1997年、2006年以降と、長きにわたって続けている音楽活動は、ご自身の人生をどのように活性化させてきたと思いますか?
やっていてよかったなとは思いますね。ただ、意識的に続けているというより、やめてないというだけのことなんです。モデルを始めた当時は、そこまで表に出たい性格でもなかったこともあり、向いてないと思っていて、自分で何かを見つけるまでやらせてもらおうというバイト感覚でした。まだ音楽の方が自分が積極的に参加できている感覚があり、面白そうと始めました。もともと何か一つのことに集中することが苦手で、いろいろと表現できる場がある方が自分に向いていると思ったんですよね。私は一生これでやっていくというものがなかったので。逃げと言えば逃げなんですけど、そうすることで自分の中で飽きないし、新鮮な気持ちでそれぞれを取り組めるんじゃないかという気がするんですよね。
−モデルという仕事が自分に向いているなと思い始めたタイミングもあったのでしょうか?
27歳くらいから、それ以前より前向きになりました。一つの撮影に、みなさんが時間とエネルギーをすごく投じている、というクリエイティブの現場を前にして、ここに臨めていることが楽しいと感じるようになったんです。クリエイティブなみなさんとは私は立場が違って、どちらかというと毎回違う現場でからだを使う仕事ですが、積極的に楽しくその雰囲気を味わえるようにはなりました。始めた当時から40年以上やるなんて思ってもいませんでしたし、それでもずっとモデルとして呼んでもらえているということは、向いているというより、何がしかやっぱり理由があるんだろうなと今は思えています。たまたま雑誌『anan』で専属モデルをやっていて、いろいろな洋服をとにかく次々と着るという感じで、特に何かしてほしいと要求されることもなかったんです。普通にしていることが許されているところから始まったので、それで続けられた部分もありますね。最初から、「笑って」とか「こうしてああして」と言われてたら、続けていられなかったかもしれない。
−話を音楽に戻しますが、インターネットの登場で、パートナーの木村達司さんとのユニットdip in the poolの音楽が時代や国を超えて広がっていくということも実感されていますか?
ネット上は時間も並行に存在していて、知っている人がこんなにいるんだと驚きました。距離が離れていても一緒にできる時代になり、歌だけを録音して送ったり、歌詞だけを書いて送ったり、コラボレーションやライブに誘われたり。自分たちの活動にとってすごく幅が広がって、かつマンネリ化しないための活路が見出せたという感じですね。最近は新しい曲を作っていず、そろそろ作るのはどうかという話はしてはいるんですけど、アルバムを作るには結構なエネルギーがかかるんですよね。それに、木村が作曲をしないと始まらないところもあって。分業制なので、曲という刺激がないと世界観が出てこないので、詩が書けないんですよ。
−小西康陽さんプロデュースの曲にシンガーとして参加されたり、 甲斐さやかさんの監督映画『徒花-ADABANA-』(10月18日公開)にも俳優として出演されていたり、個人的な活動は、新鮮な気持ちでいるためのものとして楽しんでいるのでしょうか?
個人として音楽の場に呼んでもらえるのは、すごく楽しいですね。呼んでくださっている方たちは、何かの私のエッセンスを気に入ってくださっているという地盤もあるので、ある程度伸び伸びできるというか、自由さがあって。自分のユニットではないという緊張感はありますが、dip in the poolの活動の美意識から逸脱できるという新鮮さもあります。映画の現場に関しては、楽しいですが、過去に一生分くらいの感覚で長く関わった作品があって、その後は、少し参加しているだけなんです。だから、最初から最後まで映画に携わってる役者の方々と比べると、そこの世界への入り切らなさはあるのかもしれません。
−独自のスタイルを持っているという点でアニエスベーと共鳴するところがある甲田さんですが、アニエスベーとはこれまでどんな関わりがありました? また、ご自身のオリジナリティをどう捉えていますか?
アニエスベーが日本に最初に入ってきたとき、一軒家でやっていたショーに出させていただいた気がするんですよね。おしゃれですごく人気があって。その後、パリに遊びに行ったときも、フランス語を勉強してお店に買いに行きましたけど、全然通じなくて。フランス人、冷たいと思って帰国した記憶があります(笑)。でも、この間行ったときは、みんな英語を話してくれたので、変わったなと思いました。オリジナリティについては、自分っぽさを言葉にするのはすごく難しいですよね。音楽にしても何をするにしても、最初は自分はこれでいくとか自分はこうなんだと決めがちですが、そのこだわりがなくなって、いろんなものが削ぎ落ちてくると、逆に自分らしさが出てくるように感じます。ただ、存在としては、プラスよりマイナスっぽいとか、0に近いようなものかな。私っぽい、と人から言われる特徴として、存在感や雰囲気を挙げられることが多いので。
−確かに、情報というかプラスして説明していくようなものではない気がしますね。
そうそう。文字に書けるような情報ではなくて、目に見えない空気感みたいなものが選ばれている理由、オリジナリティなのかなと。何年か前に、マスクをつける撮影があったのですが、顔は出ていないし誰かわからないのに、自分らしいと思ったし、周りからもそう言われたんですよね。近頃は、何をやっても「甲田さんっぽい」と言われるので、自分というオリジナリティというものはそこにある、出てくるものなんだなということに気づいて。それ以降、結果的にそうなるなら、むしろ自分と違うと感じたり、今まで挑戦したことがないことを積極的にやろうと思っています。