masatoshi nagase

永瀬正敏と線の奥に浮かぶ不器用な情〈前編〉

masatoshi nagase

model: masatoshi nagase
photography: wataru
styling: yasuhiro watanabe
hair & make up: taku
interview & text: hiroaki nagahata
edit: tamami sano

映画『おーい、応為』は、「美人画は自分よりも才能がある」と葛飾北斎本人に言わしめた娘・応為を主人公に、江戸の暮らしや親子の関わりを克明に描いた作品だ。『MOTHER マザー』で大きな話題を呼んだ大森立嗣監督と長澤まさみが、再びタッグを組む。そして、絵以外のことにはまったく気を配らず、破天荒な生活を送る葛飾北斎を永瀬正敏が演じた。

本作は序盤からカットを細かく割ることなく、日々の会話や所作をじっくり映し出す。回想をほとんど挟まないシンプルな線形の物語である分、やり取りの間合いや暮らしのディテールが際立ち、観る者の想像をじんわり掻き立てるのだ。冒頭、北斎が応為の持ち帰った饅頭を二つ食べる場面を丁寧に映すシーンから、すでに本作の芳醇な空気を味わえるだろう。

全身ブラックワントーンの TAKAHIROMIYASHITATheSoloist. (タカヒロミヤシタザソロイスト. ) の気迫を纏った永瀬正敏。北斎という人物の構築や応為との関係性、そして現代に本作が公開されることの意味合いについて、本人に話を訊いた(前編)。

masatoshi nagase

永瀬正敏と線の奥に浮かぶ不器用な情〈前編〉

―最初に拝見して印象的だったのは、序盤からカットを細かく割らず、回想も挟まないシンプルな構成です。だからこそ音や会話の間合いといった生活のディテールが際立っていました。順撮りで撮影されたと伺いましたが、その現場について「今後のスタンダードになるのでは」とコメントを残されていましたね。

とにかく迷いのない現場だったんです。準備段階では徹底的に話し合いますが、いざ撮影が始まると監督もスタッフも一切迷いがない。だから演者も迷わず、無駄なくテキパキ進んでいくんです。結果として撮影は早く終わり、徹夜もなく、次の日の仕事にも集中できる。現場の雰囲気もよく、アイデアもどんどん生まれる。今回は本当に“全部がマスターカット”という感覚で、無駄のなさが心地よかったですね。

―本作の背骨になっている要素は何だと思われますか?

やはり応為と北斎、そして「絵」です。良い絵を描くことが大前提にあって、撮影前からみんなでみっちり練習しました。ただ、相手は天才ですから短期間で追いつけるものではない。だから僕は「絵を好きになろう」「描くことを好きになろう」を常に意識し、いつでも筆をとれる状態でいるようにし、筆を持ち歩いていました。あとは、この作品の大きなポイントは人間関係です。「北斎の強靭な集中力」に迫るだけでなく、応為を中心に、親子や弟子、近所の人や犬まで含めたつながりを描いている。その新しさについては、現場でもよく話し合っていました。

─応為が主人公ですが、北斎はあまりにも有名です。その存在感をどう調整されたのでしょうか

監督が脚本も手がけていますから、まずはその世界を信じることでした。北斎に関する資料は膨大にありますが、明確なエビデンスはほとんどなく、史実を元に伝聞や解釈の積み重ねで内容も研究者の方々の私考がかなり反映されている。途中で「これは迷ってしまうな」と思ったほどです。それでも今回はこれまでで一番資料を買い込み、部屋には関連本や画集が山ほど積み上がっています。

─ご自身で集められたんですか。

そうです。ある作品が載っていないだけで、他は同じでも別の画集を買ってしまうくらい(笑)。それほど「北斎とは何者か」を突き詰めたかったんです。けれど結局、何を信じるかといえば脚本と監督の世界。そこを基盤に、自分なりの北斎像を作り上げていきました。

─もし映像や肉声の記録が残っていれば仕草や振る舞いをトレースできますが、今回はそれができない。史実をなぞるにも限界があり、かといって完全にフィクションにも寄せられない。その狭間で、拠り所となったのはやはり脚本だったのでしょうか。

そうですね。監督は膨大なリサーチをされていますし、その裏付けのうえで親子関係を描いている。僕自身はクランクイン前に北斎のお墓参りに行き、台本と筆を供えて「どうか絵を描くときだけでも降りてきてください」とお願いしました(笑)。さらに北斎が暮らした町を歩き、美術館に通い、とにかくできることは全部やった。そうしないと人物の輪郭がつかめませんから。時代劇はある意味SFのようなものです。だからこそリアリティを持たせるための土台作りが欠かせないんです。あくまでも土台ですが。

コート ¥201,190、パンツ ¥109,890、ベスト ¥102,190、シャツ ¥84,590、シューズ ¥117,590/全てTAKAHIROMIYASHITATheSoloist. (タカヒロミヤシタザソロイスト.)

─今回、ご自身の解釈を強く反映させた部分はありましたか。

「のっけてみよう」という意識はなかったですが、監督との話し合いのなかで「どんどん縮んでいきたい」と伝えていました。年齢を重ねるごとに身体も心も小さくなっていく姿を見せたい、と。そのために髪の落とし方や衣装のシルエットまで細かく決め、特殊メイクや衣装チームとテストを重ねました。姿勢もそうですが、たとえば着物も、最初は丈の短いものだったのが、徐々に丈を長くして身体が小さく見えるよう工夫していただいたんです。そうした積み重ねで「年老いていく北斎」が自然につながっていきました。

─観客が時間の流れを自然に感じられたのは、そうした積み重ねの成果ですね。

違和感があると観客は引いてしまいますが、今回はスタッフ全員で細かく積み上げたおかげでリアリティが出た。僕にとって大きかったのは絵です。最初は筆でまっすぐ線を引くことすらできなかった。格子の線なんて、ほんの少しズレるだけでブレてしまう。線一本を制することが、どれだけ大変かを思い知らされました。まず波の線をちゃんと描けることから始め、繰り返し練習を重ねました。その過程で絵の先生方に助けてもらい、少しずつ北斎に近づいていったような感覚があります。

─手元のシーンは特に説得力がありました。

実際に演者全員が描いているんです。手元の吹き替えは、本作品ではないんですね。そこは監督のこだわりでもありました。筆の動きや線の揺れをそのまま映してもらっています。そして爪にもこだわりました。撮影中ずっと伸ばし続け、途中からは「北斎ブルー」を加えていったんです。最初はただ汚れただけの爪でしたが、「この頃には藍を扱っていただろう」とメイク部さんと考え、黒にブルーを少しずつ重ねていった。気づく人が気づけばいいし、気づかなくても構わない。そういうディテールが大事なんです。