【History】 シャネルのカメリア
History
【History】 シャネルのカメリア
CHANEL
And The Camellia
ファッションが好きな人がカメリアと聞けば、まずは CHANEL (シャネル) のドレスやアクセサリーを思い浮かべるはず。1920年代のコレクションに、Mademoiselle Chanel (マドモアゼル シャネル) は、まるで自分のサインを入れるかのようにカメリアを登場させてきた。1938年にはジュエリーに、今ではスキンケアにも取り入れられている特別な花。エレガンス、官能、魅惑…… ひいてはユニセックスな表情すら浮かび上がってくる、カメリアの魅力に迫るストーリー。
はじまりはアジアの椿
カメリア。西洋の響きを持つが、原産は主に中国と日本である。日本では「椿」、中国では「山茶」と呼ばれ、明朝時代には世界一美しい花と称えられていた。
カメリアが西洋の文献に初めて登場したのは1712年、江戸時代のオランダ商館に勤務したドイツ人医師 Engelbert Kämpfer (エンゲルベルト・ケンペル) が、日本について著した『日本誌』の中で、“日本のバラ” として紹介したのが最初だといわれている。
その後、ヨーロッパへ渡来したきっかけは明らかではないが、ある英国人船長がお茶の木を輸入しようとしたところ、間違えて持ち帰ったのがカメリアだった、という説がある。いずれにせよカメリアの花はその美しさから、英国ヴィクトリア女王の庭園に植えられ、19世紀になるとナポレオン皇妃ジョセフィーヌにも愛されて、大流行を巻き起こした。
官能、快楽、はかない美
無垢な白さと官能的な曲線美、みずみずしい輝きを持つカメリアはやがて女性たちのデコルテや髪を飾るようになった。貴族とクルティザンヌ (高級娼婦) は、コケティッシュな魅力を引き立てる誘惑の小道具として、カメリアをつけていた。1848年、Alexandre Dumas fils (アレクサンドル・デュマ・フィス) が小説『椿姫』を発表、ある高級娼婦の人生を描いた本作により、カメリア=官能のイメージは決定的なものとなったようだ。
他方でカメリアは、19世紀のロマン主義に寄り添い、男性たちの間でも支持を広げている。ボタンホールにカメリアを飾るスタイルが流行し、Marcel Proust (マルセル・プルースト) はカメリアを「ダンディズムの控えめな象徴」と評した。
ユニセックスの象徴として
女性も男性も、それぞれが好むイメージの中で、同じように装いに取り入れていた。そのユニセックスに通底するカメリアの多面的なポテンシャルに、きっと Mademoiselle Chanel は惹かれたのかもしれない。20世紀のエレガンスを体現する彼女もまた、カメリアをお守りのように身につけるようになった。カメリアには香りがないので「シャネル N°5」の香りとぶつかり合うことがなく、取り入れやすかったからかもしれない。
「5」の数字しかり、お守りやシンボルを愛した Mademoiselle は、カメリアもまたいろいろなスタイルで、ブランドのエンブレムとして CHANEL の文化の中に何度も登場している。ヘアスタイル、スーツ、ドレスのアクセントに。ベルトや襟元、デコルテに。Mademoiselle が身につけていたのは白い布製のカメリアだが、今ではあらゆる素材と形のカメリアへと受け継がれ、彼女のエスプリを再現し続けている。
2020年のカメリア
そして今、カメリアは CHANEL のアイコンリップ「ルージュ アリュール」と「ルージュ アリュール ヴェルヴェット」を各4色ずつドレスアップ。見た目に愛らしいホワイト (#327) から魅惑のパープル (#637) まで、いずれも個性が際立つ特別な色。コレクター魂をくすぐるデザインゆえ、なおさら手にとってみたい。カメリアの抗えない魅力を、今年の春は唇にまとって。