【History】 イヴ・サンローランとモロッコ
History
【History】 イヴ・サンローランとモロッコ
Yves Saint Laurent
in Morocco
text: makiko awata
20世紀を代表する偉大なるクチュリエ、故 Yves Saint Laurent (イヴ・サンローラン) にとって、モロッコ・マラケシュの街はクリエイションの源であるとともに、心安らぐ場所だった。そんな彼が愛した地に2017年10月、Musée Yves Saint Laurent Marrakech (イヴ・サンローラン マラケシュ美術館) がオープンした。ムッシュ サンローランにとってのマラケシュとは? その関係性を紐解く。
Yves Saint Laurent が公私のパートナーだった Pierre Berge (ピエール・ベルジェ) とともに、初めてマラケシュを訪れたのは1966年。「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリにオープンするなど、飛ぶ鳥を落とす勢いでトップデザイナーへの道を駆け上っていた頃だった。モロッコに隣接する北アフリカのアルジェリアで幼少期を過ごしたSaint Laurent は、パリモード界の喧騒から離れ、アフリカでの休息の地を求めていた。
マラケシュに一目惚れしたという彼が最初に購入したのは、旧市街メディナの中に建てられた「ダル・エル=ハン(蛇の家)」と呼ばれる石造りの家だった。以来、Saint Laurent は多くの時間をマラケシュで過ごし、マラケシュの家でコレクションのスケッチやデザイン画を描くなど、その街から多大なるインスピレーションを得た。独特のローズカラーの山脈や豊かに生い茂る自然と強い太陽の光。伝統的な建築に見られる宝石のようなモザイク、そして賑やかなマーケットを行き交う人々の民族衣装…… 彼はこの地で色彩と光に目覚め、ドレープの美しいカフタンや、ベルベル族の衣装ジュラバと出会った。「色彩の力強いハーモニー、大胆なコンビネーション、そしてクリエイティビティへの情熱は、モロッコ文化からの影響によるものだ」と Saint Laurent は語っている。
Saint Laurent はマラケシュに複数の家を所有していたというが、終の住処として、最もよく知られているのは、1980年に買い取り、修復した豪華なヴィラ・オアシスだ。ヴィラ・オアシスは、マラケシュの観光地としても有名なマジョレル庭園の敷地内にある。マジョレル庭園は20世紀初頭、フランス人画家 Jacques Majorelle (ジャック・マジョレル) が造園。巨大なサボテンや、モロッコでは珍しい竹林などの美しい植物の中に、“マジョレルブルー” と呼ばれる鮮やかなブルーの建物が佇んでいる。旧市街メディナの砂埃とカオスから逃れ、心落ち着かせられるまさに “オアシス” のような空間だ。
Saint Laurent はヴィラ・オアシスで、キュビズムにインスパイアされた1988年春夏オートクチュールコレクションをはじめ、何枚かの傑作のスケッチを描いた。またその家は華やかな社交場でもあり、昼夜となく著名人が訪れ、幾度となく贅沢なパーティが開かれたという。2002年1月の引退後は、ほとんどの時間をその家で過ごした。ちなみに、マジョレル庭園内には、Saint Laurent と Pierre Berge が眠る墓が建てられている。
デザイナーの業績とモロッコが彼のデザインに与えた影響をたたえ、2017年10月にオープンした美術館 Musée Yves Saint Laurent Marrakechは、マジョレル庭園に隣接する場所に立つ。館内には、ブーゲンビリアの立体刺しゅうが施された鮮やかな緋色のケープ(1989年春夏のオートクチュールコレクションで発表)や、バンバラ族の民族衣装に着想を得たビーズドレス(1967年春夏オートクチュールで発表)など、アフリカにインスパイアされた作品を筆頭に、歴代の最高傑作の数々が常設展示されている。
女性が着るスモーキングジャケットで男性性と女性性の融合を打ち出し、ファッション界に革命を起こしたように、パリのクチュールとモロッコのエキゾチシズム、その2面性を見事に取り入れたスタイルも、彼のデザインの真髄である。