1978年の衝動と記録。峯田和伸が繋ぐロックのスピリット
1978年、新たなカウンターカルチャーの胎動が、静かに動き始めた年。日本の音楽シーンもまた、やがて訪れる “革命” の気配を孕みながら、次の時代への準備を進めていた。そんな激動の時のなかで生まれた「東京ロッカーズ」は、日本の DIY ロックカルチャーの原点のひとつとして、後年まで語り継がれていくことになる。彼らの姿を、当時の空気感とともに生々しく記録したのが、地引雄一による自伝的エッセイ『ストリート・キングダム』だ。そしてこのインディー黎明期のリアルな記憶が、荒々しくもどこか懐かしい青春映画として映像化された。
メガホンを取ったのは、10年ぶりの監督作となる田口トモロヲ。脚本は、2003年公開の映画『アイデン&ティティ』でもタッグを組んだ宮藤官九郎が手がける。そして本作では、現在進行形でパンク・ロックの精神を体現する峯田和伸と、俳優として独自の存在感を放つ若葉竜也が共演。荒削りながらも確かな熱量を持つ若者たちが一つのムーヴメントを生み出していく――その瞬間を描いた本作の魅力について、二人に話を聞いた。
kazunobu mineta
model: kazunobu mineta
photography: tomoaki shimoyama
styling: hiroaki iriyama
hair & make up: ayumi sugimoto
interview & text: miku oyama
─本作は、田口トモロヲ監督が10年の年月をかけて構想されたと伺い、ある意味とても重みのある作品だと感じました。峯田さんは、この作品をどのように捉えていますか?
峯田: 実は僕、原作の『ストリート・キングダム』を30代の頃に読んでいて。すごく好きな本だったんです。だから映画化すると聞いたときは、シンプルに驚きました。ただ、その驚きと同時に、どんな作品になるんだろうと、ものすごくワクワクしたのを覚えています。
─今回、監督の田口トモロヲさんと脚本の宮藤官九郎さんが、2003年公開の映画『アイデン&ティティ』以来のタッグを組まれています。峯田さんも同作に出演されていますが、今回の作品にはどのようなお気持ちで参加されましたか?
峯田: トモロヲさんとは『アイデン&ティティ』以来、いろいろな仕事でご一緒してきましたし、宮藤さんとも何度かご一緒する機会がありました。お二人ともこのパンクシーンに並々ならぬ思い入れがあることは以前から感じていたので、台本を読んだときも「やっぱり好きなことを書いているんだな」と思って、すごく面白かったんです。だからこそ、この現場に参加できることが自分にとっても本当に幸せなことだと感じましたね。
─峯田さんが演じたユーイチは、私たち観客に近い視点で、若葉さん演じるモモたちの姿を傍観者、あるいは記録者のような立場で見つめている役だったと思います。一方で、峯田さんご自身は普段ミュージシャンとして活動されているので、いわば “見られる側” にいることが多いですよね。今回 “見る側” の立場を演じてみて、普段のご自身の立場、つまり “ミュージシャン側” はどのように見えていましたか?
峯田: 新鮮でした。僕のライブ写真を、もう25年くらいずっと撮り続けてくれているカメラマンがいるんですが、今回この役をやってみて、もしかしたら彼女もこんな気持ちで僕たちを見ていたのかな、って思ったんですよね。
バンドが一度解散したときとか、メンバーが抜けたときとか、きっといろんな感情があったと思うんです。でも、たぶん僕には言わずに、その思いを抱えながらずっと写真を撮ってくれていたんだろうなって。そういうことを改めて考えるきっかけになりました。
─作中で峯田さんが演じられているユーイチは、音楽が好きではあるものの、「これを絶対にやる」という強い覚悟があるわけではなく、物語の中で自分にできることを見つけながら、少しずつ熱中していく姿が描かれていると思います。いわば成長していく過程が描かれているキャラクターですよね。一方でモモは、ユーイチが出会った頃から音楽一本で、自分のやりたいことや軸が初めからはっきりしている。今の若い世代の中には、何かやりたい気持ちはあるけれど、何をすればいいのかまだ分からない、という人も多いと思います。今回まったくタイプの異なる人物を演じられているお二人ですが、そうした若い人たちに対して伝えたいことはありますか?
峯田: 若者に対して伝えたいこと、特になくて(笑)。
若葉: でも何かやりたいっていう衝動があるなら、「本当に何もしなくていいの?」って思うんですよね。別に何をやるかなんて、なんでもいい。大事なのは、そこでただぼーっと見ているだけで自分は我慢できるのか、ということ。こうした方がいい、ああした方がいいというよりも、「それで本当に我慢できるの?」という感じです。
峯田: 僕も人前で何かをやるのは、昔からあまり得意じゃないんです。だから時々、「なんで自分がこんなことをしているんだろう」と考えることもあります。一年か二年に一度くらい地元に帰って、親戚の集まりや中学校の同級生に久しぶりに会うことがあるんですけど、決まって言われるのが「峯田がステージに立って人前で何かやっているなんて想像できない」っていう言葉なんです。「なんで?」って聞かれるんですけど、正直、僕自身もよく分かっていなくて。もちろんきっかけはあって、でもそれは自分から「やってみよう」と思ったというより、友達がいろいろと誘ってくれたことが大きかったんです。「曲作ってみたら?」とか、「あのバンドのライブがあるから観に行こうよ」とか。振り返ってみると、友達がいろんなところに連れ出してくれたんですよね。気づいたらその渦中にいた、という感覚に近いかもしれません。ゼロから自分で「こうしよう」と決めて動いたことは、実はあまり多くなくて。だいたいは友達だったり、当時付き合っていた彼女だったり、そういう身近な人たちがきっかけをくれて、自分にとっての “0から1” が生まれていったような気がします。
─では、その “0から1” が生まれたあと、ユーイチはどのようにして “1から10” へ、つまり自分の役割を見つけていったのだと思いますか?
峯田: ユーイチにとってモモは、やっぱり憧れの存在だったと思うんです。だからこそ、なんとか彼らの姿を世の中に残したいという一心で、必死に写真を撮っていたんじゃないかなと。自分が撮らなかったら誰が撮るんだ、こんなにかっこいいやつらをこのままなかったことにはできない、みたいな気持ちがあって。そういう使命感みたいなものが、だんだん芽生えていったんだと思うんですよね。
自分の役割を見つけていく過程でもあったと思います。でもそれは最初から持っていたものではなくて、今回の映画で言えばサチという人物がいて、「ライブ観に来なよ」とか「モモを紹介するよ」とか、そうやって連れてきてくれる人がいた。そういう流れの中に巻き込まれていくうちに、気づいたら自分もそのシーンの中にいた、という感覚に近いのかなと思います。











