柄本佑と渡辺謙、芝居をめぐる会話。「型」と「役が憑依すること」
Tasuku Emoto & Ken Watanabe
photography: masahiro sambe
interview & text: hiroaki nagahata
この仇討ち、どこか合点がいかない——
永井紗耶子原作を映画化した『木挽町のあだ討ち』。ある雪の夜、美濃遠山藩士・伊納菊之助は、父・清左衛門を殺し逃亡していた男、作兵衛の首を討ち取る。それから一年半後。菊之助の縁者を名乗る加瀬総一郎が、江戸の芝居小屋・森田座を訪れ、仇討ちの真相を確かめるべく、周囲の人々に話を訊いてまわる。そこから物語は、静かに、しかし大胆に動き始める。
舞台は江戸の芝居小屋。当時の空気や人々の暮らしの細部を丹念にすくい取りながら、本作はやがて、現代にもそのまま差し出される「なぜ人は争ってしまうのか」というテーマに辿り着く。その問いに対する優しい“別解”が、脚本のハイライトにそっと忍ばせられている。
近年で言えば、『ナイブズ・アウト』シリーズの探偵ブノワ・ブランを思わせる、軽やかで飄々とした名探偵ぶりを見せる加瀬役に柄本佑。そして、芝居小屋・森田座を束ねる立作者の篠田金治役に渡辺謙。今回は短い時間ながら、この二人に、芝居の型、現場という居場所、そして「嘘」が人を救いうる瞬間について、話を訊いた。
柄本佑と渡辺謙、芝居をめぐる会話。「型」と「役が憑依すること」
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–本作全体を貫くテーマでもある「掟」や「意地」のようなものは、人を守る一方で、それによって苦しめられたり、本来しなくてもいいことまでしてしまったりもする。けれど今回は、菊之助の母である伊納たえさんの存在がある種の“助け船”のように、「こういうやり方もあるんじゃないか」という現代的な柔軟さを示して、物語が進んでいきます。
一方で、作品自体はロケーションや芝居も含めて、形式美や様式美、代々受け継がれてきた積み重ねによって魅力が増している。そのアンビバレンスがすごく面白いなと感じていて。芸事には「型」があると言いますよね。型を知っているかどうかで全然違う、と。お二人は、その「型」というものをどう捉えていますか。
渡辺謙(以下、渡辺):どう、縛られている?
柄本佑(以下、柄本):「縛られている」という感覚はそんなにないんですけど、やっぱり時代劇になると所作がありますよね。着物を着て、今回だと袴ですけど、着流しだとまず普通に歩くのも難しかったりするし、階段は左足から上がる、とか。そういう決まりごとがあります。
渡辺:基本的には合理的なんだよね。着物は左前だから、右から行くとつかえる。刀も左に差してるから自然と左側通行になる。つまり合理性から生まれたものが、結果として「型」になっている。今の人から見ると、堅苦しい様式に見えるけど、実はすごくシンプルなロジックなんだと思います。
–では、キャリアの初期、直感的な自分のやり方と、長く受け継がれてきたやり方がぶつかるようなことはありませんでしたか?
渡辺:まず型をやるんだよね。その上で「じゃあ、ずらすって何だろう」って考える。破るってほどじゃなくて、どう自分らしく見せるか。それが結果的にオリジナリティになっていくんだと思います。
–今回、芝居小屋の描かれ方にもとてもワクワクしました。いわばフリーランスの人たちが何百人も集まって一つの場所を作り、泊まり木のような役割を果たしている。お二人は舞台や現場と深く関わってこられたと思いますが、舞台や現場はご自身にとってどんな存在ですか?
柄本:僕が演じた加瀬総一郎は田舎出身なので、ミーハーな視点で森田座を見て、目をまん丸にしなきゃいけなかった。ただ、自分の場合は親父(柄本明)の職場だったので、あくまで生活の一部だったんですよね。小学校の頃から本多劇場に通って、楽屋にランドセル置いて、劇団員の人に遊んでもらって。親父の稽古もずっとそばにあったし、完全に全てが地続きでした。逆に映画は、映画好きから入ったので、今でも憧れの場所なんです。だから、演劇と映画でも、なんかちょっと違うかな。
渡辺:いやあ、今の言い方は親父そっくりだよ。
柄本:え、本当ですか(笑)
渡辺:うん、びっくりした。結局ね、僕らって大半は嘘八百のフィクションの中で生きているわけなんですよ。でも、そのフェイクを通して「こんな解決方法もあるじゃん」って見せることができる。戦わなくてもいい、ユーモアでかわすこともできる。この作品は、その典型じゃないかな。分断や軋轢ばかりの今の世の中で、誰も傷つけずにポッと解決するやり方を提示してくれる。そういうヒントとして受け止めてもらえたら。
–俳優という仕事は嘘を本当にし続ける職業でもありますよね。その嘘が私生活や人格に入り込む瞬間はありますか?
渡辺:佑に聞きたいんだけど、大河とか長期間同じ役をやると、性格変わる感覚ってない?
柄本:うーん、自分ではあまりないですけど。いやあ分からないですね、自分ではそう思っている。……あ、でも、昔ある役をやったあと、妻に「しばらく怖かった」って言われたことがあって。自分ではスパッと切り替えて帰ったつもりだったのに、一ヶ月くらい、何を考えてるかわからない不気味さがあったらしんですよね。で、完成した映画を観たら、「あの時のあなたがいる!」と。フラッシュバックして最後まで観られなかったと言われました。だから、自分では抜けてるつもりでも、残ってるんでしょうね。
渡辺:やっぱり、体を貸している感覚があるんですよね。細胞のどこかに取り込んでる。意識では抜けてるつもりでも、残り香があるというか。大河で伊達政宗の役をやったとき、俺A型なんだけど役はB型で。発想がどんどんB型っぽくなっていくんですよ。瞬間的な反応がB型っぽい。自分でも「あれ?」って思うくらい。長くやってると、どうしても取り込んじゃうことはあります。自分で体現していくわけだから。
–最後に。本作は全体のテンションがとても抑制されていて、コメディに振り切れない絶妙なバランスがあります。その芝居の“温度”について、お二人で何か話し合われましたか?
柄本:特に話してはいないですね。カチンコが鳴って台詞をやり取りしていくうちに、一番饒舌な空気が流れ出すものなので。言葉にする問題でもないのかなと。セリフを交わすだけで自然に流れていく。ただ僕は、加瀬が主役とはいえ、本当の主役は森田座の面々や芝居小屋そのものだと思っていて。だから自分は、どちらかというと“隠れたい”と思ってました。ここ最近、大河ドラマとかやってると「俺、でかいな」って思うようになって(笑)。
–それはシンプルに体格の話ですか?
柄本:そうです。突っ立っているだけで目立つし、何か考えてるように見えちゃう。だからなるべく消そう、隠れようと。今回も細かいリアクションを入れたりしてるのは、むしろ存在を薄くするためなんです。
渡辺:そうなんだよね、消すのって大変。そういえば昔、木村大作さんが撮影する作品に関わった時、自分が変に目立っていたから、フレーミングを読んで「ここに立てば消えるな」って位置取りしたことがあって。いるかいないのか分からない位置に。それでも大作さんは何も言わなかったですね。むしろ「良い位置にいるな」と。それがすごく勉強になりました。
柄本:わかります。
渡辺:特に今回の森田座は、人別帳(江戸時代の戸籍帳簿)にも載らないような人たちが肩寄せ合って生きている場所なので、別世界なんですよね。そこに、温度感がまったく異なる総一郎がズカズカと入っていくことで、物語が展開していく。
–柄本さんが演じられた加瀬は、森田座にとって部外者ではあるので、「映りすぎても良くない」と。
渡辺:色々やらないと消せない。何にもやらないと、映っちゃうんです。
柄本:その温度感を表現するのに、源(孝志)さんの作劇がすごく生きていますよね。音の押し引きも絶妙なので、そのあたりも着目してもらえたら嬉しいです。














