marihiko hara & toko miura

体に問いかける。原 摩利彦と三浦透子が語り合う、感性の在り処

京都を拠点に活動する音楽家・原摩利彦。質感と静謐を軸に『Landscape in Portrait (ランドスケープ イン ポートレート)』(2017)、『PASSION (パッション)』(2020) とソロ作を重ねる一方、DUMB TYPE (ダムタイプ) の一員として、また DAMIEN JALET (ダミアン・ジャレ) + 名和晃平『VESSEL (ベッセル)』では坂本龍一と音楽を共同制作してきた。昨年公開の『国宝』では第49回日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を、King Gnu (キングヌー) 井口理を迎えた主題歌「Luminance (ルミナンス)」では主題歌賞を獲得している。異なる表現に寄り添いながら、原が耳を澄ませてきたのは、小さいほど強く存在し、その場を形づくる音の響きにある。

今回、原が対談相手として望んだのは、俳優と歌い手、2つの領域で活動してきた三浦透子。三浦にとって、声はつねに表現の起点であり続けている。幼少期のCM出演以来、声に導かれるように体の使い方を探り、『ドライブ・マイ・カー』(2021) で数々の賞を受賞する一方、『点描』(2022)、EP『condominium (コンドミニアム)』(2025) と歌を重ねてきた。そんな三浦が今年7月、栗山民也演出による初の一人芝居『プライマ・フェイシィ -私の声を聞いて-』で、法廷弁護士テッサをただ一人立ち上げている。

舞台と映像、歌と器楽という異なる環境で、声や音を身体に結びつけてきたふたりが語り合うのは、“考えるより先に体が知っていること” についてだ。表現はどこから生まれ、感性はどこに宿るのか。対談のきっかけとなったのは、原が一曲だけのプレイリストを作るほど繰り返し聴いた、三浦の「私は貴方」(2022) だった。

marihiko hara & toko miura

photography: yuki kumagai
styling: shoh sasaki (toko miura)
hair & make up: mamiko nakamura (marihiko hara), yuko aika (toko miura)
interview & text: chikei hara
edit: nonoka nagase & kaede sakuma

ーまずは、おふたりの出会いについて伺えますか?

原: 僕は月並みかもしれないですけど、映画『ドライブ・マイ・カー』からで。『そばかす』も拝見しています。そして「私は貴方」という曲が本当に好きです。バイオリニストの須原杏さんに教えてもらってからどハマりして、あの曲だけのプレイリストまで作ったんですよ。1曲リピートすればいいのに (笑)。歌もそうなんですけど、歌詞とトラックもなかなか普通はないようなところがあって、そこがまたグッとくるんですよね。それで、いつか三浦さんと直接お話ししたいなと思っていました。

三浦: 今回、ぜひ私と対談をと言ってくださったのがすごく嬉しくて。実際に原さんとお会いしたのは、去年『チ。―地球の運動について―』という舞台をやったときに、森山未來さんとお仕事されていたご縁で観にいらしてくださって。先ほどお名前が出た須原さんも一緒にいらっしゃっていて、元々須原さんとは面識があったのですが、原さんとはそこでご挨拶できたのが初めてでしたよね。でもそんなふうに私の音楽を聴いてくださっていて、こうしてお話ができるようなご縁に繋がるとは、そのときは全く思っていなくて。なので本当に嬉しかったし、今日をとても楽しみにしていました。

 

ー「私は貴方」は、三浦さんの 2nd アルバム『点描』に収録されていますね。

三浦: 夫の有元キイチも喜ぶと思います。

原: そうですよね。有元さんとの作品ですもんね。ちょっとその話ばかりしてしまいそうですが。

三浦: ぜひ聞いてください。嬉しいです(笑)。

 

ーこの曲はどんなきっかけで、どのように生まれたのでしょうか?

三浦: アルバムを制作しているなかで、「曲を提供していただくなら誰がいいだろう」という話をしていて。有元は ODD Foot Works (オドフットワークス) というヒップホップグループでギターを弾いているんですけど、ソロワークもあるから「よかったら聴いてみない?」と、まだリリースされていないデモを聴かせてもらうタイミングがあったんです。そのときに、彼がまさに「私は貴方」のようなサウンドメイクをしていて、本当に驚いたんですよね。ODD Foot Works でのアプローチとは全く違っていて、惹かれるものがあったんです。そこで一緒にお仕事したいなと思って声をかけたのがきっかけですね。

実際に制作に入る前に2人で話をしたときに、「ワンループみたいなものもやれたらいいよね」とか。歌詞についても「言葉が強いものではなくて、情景や意味がわかるようでわからないんだけど、その余白が語るようなもの。言葉が入りすぎるものよりはそういうものが好きだったりする」という話をした記憶があります。もともと彼が制作してきたものの感性が、そのまま出た作品でもあると思っていて、それ自体がすごいし、自然とはまったというか。ちょうど彼が作ってきたデモを、オクターブ上で私が歌えたというのもありました。普段は曲をいただくとき、どうしてもキーの調整が必要になることが出てきてしまうんですけど、そうすると曲自体の印象が結構変わってしまうので、なるべく作られたときの音で歌いたいという気持ちがあって。

なかなかそれが実現しないこともあるんですが、そのときはたまたま上手くハマって、結構面白い制作でした。歌詞自体は地元の話やおばあちゃんの話をしていて、彼個人の話でもあるんですよね。だけど、書き方が普遍的であるがゆえに、歌う人や聴く人のイメージや想像力を掻き立てる余白がいっぱいあるので、私の体で歌ってもハマったんだと思います。

原: 制作時期は2021年頃ですよね。今の話を伺っていると、自分もコロナ禍で1年間ずっと家にこもってオーケストレーションの勉強をもう一度やり直したいと思っていた頃を思い出しました。子どもがまだ本当に小さかったころで、ああいう時期だったからこそ、閉塞した、静かな、閉じたところから広がっていくような三浦さんの曲が身に沁みて、身近なノスタルジーのような感じがしました。それと、「私は貴方」に「待ち合わせは / いつでもいいよ」という歌詞がありますが、どうしても「待ち合わせは」の後に「どこでもいいよ」と続く、と予想して聴いてしまいます。だからなんだ、という話なのですが、いつもひとりでツッコミを入れたりしているんです (笑)。

三浦: 言葉遊びが面白いですよね。私も昔は曲を提供してもらうかたちで積み上げていく作品がほとんどだったんですが、今はライブを一緒に回っているバンドメンバーと作ったりするので、自分も制作に関わるようになってきて。有元とも曲を制作するんですけど、詩の積み方が本当に面白いなと思うんです。共作で書くこともあるんですが、彼が書いたものを渡されたときに、「どういう景色を見て、この言葉を積んだんだろう」というのが本当に不思議。想像力が掻き立てられるというか。

音で聴いてこの響きが気持ちよかったというところから、言葉を選んでいる部分もあると思っていて。だからこそ、こちらの想像をちょっとはみ出したところに届いたりする。私は歌詞を書くときにどうしても頭で書いてしまうところがあるので、めちゃくちゃ勉強になりますね。歌いながら「ここの音が気持ちいい」という場所を見つける感覚もすごく勉強になりました。

 

 

原:『チ。―地球の運動について―』の舞台も拝見して、三浦さんの歌は「上手い」とかそういうことではないと思ったんです。それで思い出したんですけど、Luigi Ghirri (ルイジ・ギッリ) という写真家がいて。彼が『写真講義』(2014) という本のなかで「自分は写真をスタジオのなかのライティングで学んだのではなく、外に出て建築を撮ったり、フィールドに出て光の感性を身につけていったんだ」という言い方をしていて、三浦さんの声にはその感覚を感じるんですよ。技術的に鍛えられていったというだけではない、本当に本質的なところを掴んだ声だなって。

舞台は生演奏と一緒なので、難しいところがあるんです。たとえば舞台上でバンド演奏があると、舞台の世界に現実が介入してきたような気がして少し冷める瞬間があるものなんですけど、『チ。』の公演はそれがなく自然に繋がっていて。作曲された阿部海太郎さんもすごいと思いますが、その点にはびっくりしました。

三浦: 嬉しいですね。結構、音数が少ないところもあったりして。

原: 言葉に対して、パシッと当てるというか。どうやってモニターしているのかなとか、そういうところで考えてしまう。

三浦: 「イヤモニを入れてたの?」と須原さんにも聞かれました。原さんは、舞台での音楽制作はどのようにされているんですか?

原: 生演奏はないですが、稽古場には結構居て、作曲していきますね。稽古場で作っていくことも多いです。 PC から音を出したり、スコア (総譜) を書いて、流しながら調整したり、SE (サウンドエフェクト) を出したり、色々なことを同時にやっています。

—そこには、現場の環境を知っていくという側面が大きいのでしょうか?

原: そうですね。SE にしても、その場で芝居に合わせて即興で合わせたものを録音しておくと、それがうまくいくことに最近気づいて、そのままテイクに使えるようにやったりしています。今後は、演奏の作品にも挑戦したいと思っています。

森山未來さんとは10年くらいの付き合いで、彼もダンスと俳優の2つを両立しながら活動されていて。見ていて思ったのが、日本の古い神話にある、木の幹が2つに分かれているところから神様が生まれるようなお話です。2つがあるからこそ、全然違う新しいものが出てくるという。「こちらの仕事がこう影響しています」という具体的なものではなく、根っこの部分で何かが生まれていくものがあるんだろうなと感じるんです。

三浦: 私も「どんな影響がありますか」とよく聞かれるんですけど、同じ体を使っているので、当たり前に影響はしているなって。もちろん具体的にお話ができる部分もたくさんあるんですけど、多分意識の届かないところで、いっぱい作用し合っているんだと思うんですよね。

 

—明確に棲み分けるものではないというか、頭の中で考えていたことでも、結局は体で繋がって1本になっているところはありますよね。

三浦: 全然違うといえば、確かに違うんですよね。ものを作る流れのなかで、関わる段階が違うというか。音楽のときは0から1のところをみんなで一緒にやったりしますけど、映画やお芝居に参加するとなるとまた少し違う。本ができていて役者が関われる部分は、全体の100に対してすごく狭いような気もします。映画は、音楽をつけるなど、終わった後の作業も本当にたくさんある。なので完成形がどうなるかわからない部分もありますけど、私にとっては、体を使うということが共通して一貫しているところですね。

原: この人間がやるんだから何かを考えておかないと、というのがあって。例えば映画を作るときでも、入り込む時間や体に入れる時間が必要で、そこが一番大事かもしれないですね。それがメインのテーマ、主たるものになって、そこさえできたらあとは技術や踏ん張りで引き上げることはできる。でも、そのメインにたどり着くまでが大変で、時間もかかるんです。

NHK ドラマの音楽を担当したとき、そのストーリーがほぼ自分と同い年の男性ランナーが癌になり余命宣告を受けるのですが、それでも子どもを作るかどうか、というテーマのドラマだったんですけど、メインテーマを作るときには私も毎晩走っていました。役作りではないけれど、走りながら途中のデモを聴いて、これが合うかどうかを試行錯誤しながらイメージに近づけていく。自分が同じ境遇というわけではないですけど、入り込んで制作をしています。他に砂糖を抜いてみたりして、メインテーマを作るまでは体から作っていくことが多いです。こういうやり方をするので作曲するとは本当にしんどいことですね (笑)。

三浦: 原さんの作品はエレクトロニカ的なものが自然に入ってくるというか。それとアコースティックの楽器との重なりが、映像を見ていても美しいと思うし、心に馴染む。だから、そういう作り方をされているんだと知れて、納得できましたし、何より役者としてとても嬉しいなと思いました。

原: 映画にしても、俳優さんたちの演技を観て、目の前でせっかくいい演技をしているのに、そこに過剰に音を足して「感動」を倍増させるのはダサいじゃないですか。そうならないように心がけています。

三浦: ポップスというか、いわゆるシンガーの曲の編曲などもされるじゃないですか。最近の森山直太朗さんの曲、感動しました。ドラマを見ていて、なんだこの曲と思って検索したら、原さんだ! となって。坂本美雨さんの曲も手掛けられていますけど、それぞれの声をどういうふうに捉えていらっしゃるのか気になります。

原: やっぱり、声や声質が好きかどうかというのはありますね。だから上手さはあまり関係ないかもしれないです。音楽全般に言えることなんですけど、例えばホールでピアノのソロを弾いたとき、小さい音の方が音の存在は大きいのに、だんだんタッチが激しくなっていくと存在はと小さくなっていくような感じがあって。歌い上げるのもすごいですけど、ぽっと出る言葉や声が良かったりする。

でも、それは声に限らなくて、あるパートができたらその続きを作りたくなるし、いいループやフレーズができたら、もっとそれを発展させたくなる。それと同じように、声も歌もその続きを聴きたくなっている感じです。

三浦: いわゆるシンガーの曲をアレンジするのは、どうでしたか?

原: コード付けと音色の選択が自分の作曲のなかで多くの部分を占めますので、限りなく作曲に近い行為だと思いました。実は編曲だけというのは、初めてだったんですよ。シンガーとのお仕事は坂本美雨さんと、あとは『国宝』の井口理さん。森山未來さんとは「陸の上の船」という実験トラックをリリースしました。

 

—誰かと協業する場合——例えばお芝居では、関係性のなかで生まれるものや、「この部分に注力する」ということもあると思います。一方、ご自身でアルバムやイベントなどを制作し、全体を見ながら作る場合とでは、意識や創作の起点にどのような違いがありますか?

原: 私のなかでは、体から出てくるものという点で、結構一貫しているかもしれないです。ちょっといいなと思う詩の一節があったら書き留めておいて、ずっと寝かせておく。そろそろかなと思ったときに、もう一度読み直していくような感じかな。やっぱりオファーしていただくものとなると、作品の引力も強くて、そこに絶対的にいいものを出さないといけないとなると、どんどん力が入っていきます。ソロを作るときと同じエナジーを働かせると、疲れてしまうときもあるし、逆にそれをやることで、自分をチューニングしていくようなときもあるんですよね。今はまさにアルバムを作り出しているところなので特に実感します。

—新しいアルバムの制作は、どのように進められているのでしょうか。

原: これもよく寝かせながら進めています。それが本当にふさわしいかどうかを考えながら作っていくような。さっきの時間の捉え方みたいな話ですけど、体に染み込むように寝かせると、なんでもいい味が出ますよね。

三浦: 私は多分、順番がきっと逆というか。すでにあるプロジェクトに参加する仕事からスタートしたんですよね。歌の方がキャリアとしては全然後で、私自身、自分が歌うことになるとは思っていなかったので (笑)。しかも楽器も演奏できないので、自分で作って歌うということではなくて。あるプロジェクトがあって、歌ってくれないかという仕事が来たのをきっかけに歌い始めたので、今のように、自分のプロジェクトで作品を出すというときの方が、何をやったらいいんだろうと迷う感覚はありました。今は私も、結局同じことがいっぱいあるなと思えていますけど。

原: 一番最初に歌うとき、一線を超えるような感覚はありましたか?

三浦: 一線というのは?

原: 例えば、作曲をしてこなかった演奏者が作曲をするときや、即興をしない人が即興をするときの、ボーダーを超える感覚。そこにはある種の恥ずかしさみたいなものもあると思います。それを乗り越えているというか。

三浦: 歌うときはなかったですね。歌うこと自体はもともと好きでしたし、台本があってお芝居をすることと、楽譜と歌詞があって歌うことは、自分にとってすごく近しいものに感じられたんだと思います。パフォーマンスとして歌うことに何かを超える感覚はなかったんですけど、初めて詩を書いたときや、自分のメロディーで曲を作る作業を始めたときは恥ずかしくて死にそうになりました (笑)。

何よりも一番慣れないなと思ったのは、自分が作ったものを自分で歌うということでした。不思議かもしれないですけど、誰かが書いた言葉は心に馴染んだり自分の言葉みたいに話せるのに、どうして自分がさっき書いたものがこんなにも私じゃないみたいに感じるんだろう、と思う瞬間が最初はありました。

原: そういういろんなところに一線があって、そこを超える瞬間に興味があるんです。あらゆる分野にその転換点はあって、ビートを作ってこなかった人がビートを作るとき。インストの曲をずっと作ってきた人が歌を作るとか、写真家が映像作品を作るとか。三浦さんについては、レコーディング・エンジニアの原真人さんから「素晴らしすぎる」と伺ってました。

三浦:『condominium』(2025) という EP を出したときにも制作に参加してくれた原真人さんが『国宝』(2025) にも携わっていて、そこでも原摩利彦さんとの繋がりを感じますね。

—先ほどの「一線」を、原さんご自身が感じたことはありますか?

原: アンサンブル (2人以上での演奏) を書いたときでした。それまでは、自分がピアノを弾いてコンピューターで打ち込むという近い距離で音楽を作っていたものを、スコアを書いてスタジオで誰かに弾いてもらうというのが、大きな一線だったんです。オーケストレーションに関わるところなんですけど、これが何回やってもダメで。野田秀樹さんが手掛ける舞台、NODA・MAP『フェイクスピア』で音楽を担当したのが2021年、38歳のときなんですけど。その歳でオーケストレーションをまだやっていないとなると、もう自分はそれをやらない人生だなと思っていました。

でも超えようと思って一生懸命やるというよりは、時が来るという感じというか。僕の場合は、一冊のオーケストレーションの本に出会って急に掴めるようになって、のめり込んでいったというのがあります。でも僕自身、数を多く書いていくタイプではないんですよね。先ほどの Luigi Ghirri の例ではないですけど、光の感性を掴んだ感覚のようなものを具体化するというか。

 

—おふたりが現在取り組まれている制作や、今後予定されているものについてもお聞かせください。

原: 僕は、アルバムですね。2017年に『Landscape in Portrait』、2020年に『PASSION』を発表して、コロナ以降、世界がものすごく変わって、それ以前と以後では全然違う。あの頃は忙しいふりをしていましたけど、今思うと電車や飛行機に乗ってただ移動していただけなので、全然忙しくなかったんですよね(笑)。今は作曲の時間は前より少ないけれど、もっと深く、きゅっと締まった音楽を書けるようになりつつある。

今年の10月には、西川美和さんが手掛ける映画『わたしの知らない子どもたち』が公開される予定です。これは2年間関わって、劇中で歌われる曲から小道具として使われるスコア (楽譜) で書きました。

 

 

 

三浦: 私は7月から一人舞台が始まる予定です。2025年は映像と舞台と音楽が、期間的にバランスよくできた1年だなと思っています。でも制作はやれていないな、というのは正直思いました。難しいですね。パフォーマンスやライブは、お芝居のときの体と精神に結構近い状態でできるんですよね。今年は5月にワンマンが2つ、10月にもライブがあって、地方も回ったりするので、今までで一番ライブに行ける年になるんじゃないかなと思っています。

制作の話もしましたけど、やっぱり自分の一番は歌うことだと思うので、生で歌うことも大事にしたいなと思っていて。最初のリリースがコロナ禍だったこともあって、ライブデビューが遅かったので、ライブは割と最近始めた気持ちでいて。今、より力を入れて取り組んでいます。

一方で、みんなで集まって作ることも含めて、制作には本当に時間と脳の余白が必要で、お芝居と曲づくりを同時にやろうとすると時間が作れないもどかしさはありますけど。去年 EP を出したので、あまり期間を空けずに作り始められたらとは思っています。今年後半にかけて、少しずつ曲を作れたらなと。

原: シャツ *参考商品/sulvam (サルバム)、その他/本人私物、三浦: ニット ¥127,600、スカート ¥189,200、パンツ ¥169,400、シューズ ¥155,100/すべて LEMAIRE (ルメール)

—複数の活動を行き来するなかで、切り替えはどのようにされているのでしょうか?

三浦: そういうときは、自分の体を信用するようにしていて。頭はあまり信用していないんですけど、体は結構感覚的で、「あのときと同じ形になったら、そのときの感情を思い出せる」みたいな。日本語が合っているかわからないんですけど、形状記憶みたいな感覚があって、面白いんですよね。歌うときも、「久々に歌うけど、ちゃんと歌えるかな」と思っても、いい音が出るときのちゃんとした姿勢で声を出してみようと筋肉的なところからアプローチすると、思い出せたりする。なので、何かを両立するときには頭よりも体を信用するようにしています。

原: すごく面白い。自分もそれをやってみます。いつかぜひお仕事をご一緒したいですね。

三浦: いや、本当に。めちゃくちゃ嬉しいです。そう言っていただけて光栄ですし、自信になります。

 

—最後に、原さんは三浦さんのことを、三浦さんは原さんのことを、肩書き抜きにどんな存在だと感じられたか、お伺いしたいです。

原: 三浦さんは、とにかくミステリアスで、その存在が「わからないところ」が好きです。何を考えているか、ということだけではなくて、どこからやってきたのかがわからないような (笑)。目の前にいるのにいないような。それが魅力的です。

三浦: 今日お会いした感想も踏まえてですが。あと文章にすると、ありきたりかもしれないですけど、とても誠実な方だなと思いました。人としても、そして音楽に対しても。それは作品からも受け取れることですし、作品の作り方や、こうして私にかけてくださった言葉も含めて、そう感じました。初めてなのに緊張せずに今日こうやって話せたのは、本当にお人柄のおかげだと思います。