デザイナー・heron preston (ヘロン・プレストン) インタビュー
HERON PRESTON
自身の名を冠したブランドのローンチツアーをモスクワからスタートし、ヨーロッパ、ニューヨークを経て、初の東京にやってきた HERON PRESTON(ヘロン・プレストン)。サンフランシスコ生まれで現在はNYを拠点にしている彼のことを人に尋ねると、ファッションブランドを始めたばかりだということ、DJをやっていたこと、あるいはカニエ・ウエストが信頼を寄せるクリエーティブ・コンサルタントであること……というように、実にさまざまな側面が語られる。そして、どの話にも共通するのが、時代の空気を切り取る卓越したセンスの持ち主だということだった。果たして、実際の彼はどんな人物なのだろう? そんな思いを抱きながら約束の場所に向かった我々を待っていたのは、Tシャツとワークパンツというラフな服装で屈託のない笑顔を浮かべた青年で、まるで友人の仲間に対してするような気さくな挨拶から、インタビューは始まった。
デザイナー・heron preston (ヘロン・プレストン) インタビュー
Portraits
自身の名を冠したブランドのローンチツアーをモスクワからスタートし、ヨーロッパ、ニューヨークを経て、初の東京にやってきた HERON PRESTON(ヘロン・プレストン)。
サンフランシスコ生まれで現在はNYを拠点にしている彼のことを人に尋ねると、ファッションブランドを始めたばかりだということ、DJをやっていたこと、あるいはカニエ・ウエストが信頼を寄せるクリエーティブ・コンサルタントであること……というように、実にさまざまな側面が語られる。そして、どの話にも共通するのが、時代の空気を切り取る卓越したセンスの持ち主だということだった。果たして、実際の彼はどんな人物なのだろう?
そんな思いを抱きながら約束の場所に向かった我々を待っていたのは、Tシャツとワークパンツというラフな服装で屈託のない笑顔を浮かべた青年で、まるで友人や仲間に対してするような気さくな挨拶から、インタビューは始まった。
―まずは話題を呼んでいるコレクションについて。‘18年春夏シーズンにお披露目したウィメンズアイテムは、ベラ・ハディッドやケンダル・ジェンナーがいち早く着こなして注目を集めていましたね。これまでストリートカルチャーのさまざまなシーンで注目を集めてきたクリエーターのあなたが、自身のブランドを始めるに至った経緯について聞きたいのですが。
じゃあ、まず僕が自ら何かを作り始めた最初の最初について話そう。
まだサンフランシスコにいた頃で、もう10年以上前だね。クリエーティビティの表現手段として、Tシャツを作り始めたのさ。僕にとってTシャツを作るというモーメントは、この時を含めて過去に3度あって、それがキャリアに大きな影響を与えてきた。今のブランドのアイコンピースともいえるタートルネックTだって、その原型は3度目に当たるSHOW STUDIOとのコラボレーションの時に生まれたんだ。首もとと袖口にロシア語のロゴを入れた、あのデザインがね。ともあれ、その3つのプロジェクトをいい結果で終えた僕は、親友のヴァージルに今後について話をしていた。
―それはOFF-WHITE™のヴァージル・アブローですね?
そう、僕らは仲がいいんだ。で、次のTシャツはどんなのがいいか考えていると話してみたら、ヴァージルは「それだけなのか⁈」って言う。そして「Tシャツだけじゃなくてソックスも作ってみるべきだし、あとはスウェットパンツやジャケットも……とにかく、フルコレクションをやってみるべきだ」って捲し立てるんだ。聞いていると面白そうだから僕もすぐに乗り気になって、OFF-WHITE™も傘下に入っているミラノのファッショングループNew Guards Groupのチームに会いに行ったんだ。ブランド誕生のエピソードは、ざっとこんな感じだね。
―その後、コンセプトやモチーフはどんなふうに肉付けしていったのですか?
インスピレーションの出どころは、ヒップホップカルチャーやワークウエア、あとは鳥のサギ。僕の名前であるHeronは、英語でサギという意味だから。どういう鳥かを調べてみたら、クールな躰の色をしていて、ひと目で気に入った。中でもくちばしの鮮やかなオレンジ色は、シグニチャーカラーに採用したくらいだよ。
―象徴的なロシア語のロゴについてもぜひ詳しく教えてください。
これは“STYLE”を意味する言葉なんだ。なぜロシア語かといえば、それは僕にとってロシア語のアルファベットがとても美しいものだから。モスクワでイベントをやった時には、現地のタトゥー・アーティストを呼んで、会場のキッズたちにこのロゴのタトゥーを入れてあげたりもしたんだ。このロゴに限り無料っていう条件にして、体の人目につく部分に入れたんだ。すごくいいアイデアだと思わない? だってこれは単にブランドのロゴというだけでなく、誰に対しても意義がある“スタイル”という言葉なんだから。
―コレクションについての話だけでも、あなたがとてもユニークなアイデアの持ち主だということが伺えます。なので、今度はあなた自身のことを教えてください。マルチな肩書を持つ人物だという印象が強いけれど、どれがメインですか?
個人的には自分のことをアーティスト的だと思っている。突き詰めるとクリエーティブ・ディレクションという作業が好きなんだ。サンフランシスコにいた頃に作っていたTシャツもそう。その後NYに移り住んで、Tシャツ作りの代わりに始めたブログもそう。
―ブログですか? それはまたなぜ?
2000年代初頭のSNS黎明期の話さ。Instagramなんてもちろんないし、Facebookすら、始まったばかり……とまあそんな訳だから、地元の友達に僕のNYの生活を知らせるには、ブログが都合良かった。あの頃の僕はパーソンズの学生で、「NYは大人になってからのハイスクールみたいだ」って思っていたから、日常を高校生活になぞらえてポストした。例えば、NYという街そのものが高校で、通りは廊下。レストランは学食だし、すでにこの街で成功している人々は僕の先生……なんて具合でね。それでそこから話が広がって、イヤーブックを作ろうというアイデアが生まれた。イヤーブックは日本にもあるかな?
―いわゆる、卒業アルバムですね。クラスメートの写真が載っている。
そう、それだね。ブログの中の僕のクラスメートといえば、街行く人々だ。だから彼らをポラロイドカメラで撮り始めた。ちょうどその時ポラロイドがビジネスになっていたから、それを取り込む意図もあってね。それで、そのイヤーブックをNIKEにいる友人に見せたら、ギャラリーでの展示、本の出版と次々に決まった。そう、そしてちょうどそれくらいの時期から、僕はなんとなくまたTシャツを作りたいと思うようになってきて……。
―2度目のTシャツプロジェクトがスタートする?
その通り。周りを見渡せば、ジバンシイのロットワイラーTが空前の大ブレイクを巻き起こしている最中。「このTシャツのブートを作るしかない!」と閃いたね。実際、ブートというアイデアは、とても僕らしいものだった。なぜなら当時はブートカルチャーの中心的なチャイナタウンに住んでいたから(笑)。そんなわけで僕のロットワイラーTは意図的にフェイクらしさを強調するべく、正規品には存在しない白ベースにしたんだよ。結果は大成功。そこですぐに次に取り掛かって、今度はレーシングチームNASCARの公式Tシャツに目を付けた。スポンサーのロゴがずらりと並んでいるデザインと言えば、イメージが思い浮かぶかな?
―ユニークであると同時に、ずいぶん大胆不敵ですね。もしかして、NASCARやスポンサー企業からクレームが来たのでは…?
僕も「もしかしたら」と思っていたけど、幸いなこと何の警告もお咎めもなしだったんだ。それよりも、ニューヨーク・タイムズがこのNASCAR Tシャツのことを記事にしてくれたり、フランク・オーシャンが着てくれたりと嬉しいことのほうが多かったね。そしてここから、第3のプロジェクトであるSHOW STUDIOとのコラボレーション、そしてブランドへと展開していくってわけさ。さっきトラブルの話が出たけれども、僕にとってはそういうリスクを回避することよりも、自分の頭の中にあるものを形にして世に出すことのほうが重要だね。アーティストであるってそういうことだと思ってる。
―アーティストらしさと言えば、ランウェイコレクションとは別に手掛けているコンセプチュアルな試みも気になります。ひとつは、「UNIFORM」と名付けたNY市衛生局(DSNY)とのコラボレーション。そしてもうひとつは、公式サイトにある「EXTRAS」というプロジェクト。まずはDSNYとのタッグについて伺えますか? 公共機関にアプローチするという発想が珍しいですね。
確かにそうだね。そもそもこの取り組みは、僕の、デザインを生かしてイノベーティブなことをしたいという思いが根幹にあって、そのエネルギーを注ぎ込めるいいテーマを探しまわっていたんだよ。だって、単にファッションをテーマにするんじゃもはや月並だろう? それで、たどり着いたのがwicked issueだったんだ。
―wicked issueというのは、明確な解決策が見つからない、社会が持て余している課題のことですね。日本語ではあまりぴったりくる言葉がないのですが、例えば交通問題や環境問題など。
そう、世の中にいくつもあるwicked issueの中でピンときたのが、街の衛生に関わることだった。でもまた僕はすぐ立ち止まる。「ちょっと待て、そもそもDSNYは僕のアイデアを理解してくれるのか?」って。ほら、彼らは街をクリーンに保つのが仕事で、コラボレーションをしたことなんてないだろう? そこで色々調べてみたら、なんとすでにDSNYとタッグを組んだアーティストがいたんだ。その人の名はミアリー・ラダーマン・ウケルズといって、79年に清掃員たちを巻き込んだアートプロジェクトを仕掛けていた。その時の僕は「何てことだ、すでに誰かがやってしまっているし、そのうえ内容がとびきりアメージングじゃないか!」って頭を抱えたよ(笑)。そこうしていたら、DSNYは埋立処分廃棄物のゼロ化を目指して、リサイクルを推進するプログラムを打ち出していると知る。これはいいと思った。だって、知っているかい? 環境に悪影響のある産業の第2位がファッション産業なんだよ。信じられないことに、石油工業に次ぐワースト2なんだ。そんな事実を僕は全く知らなくて驚いたし、まわりの多くの人も知らなかった。ということはつまり、もっと世の中に知らしめる必要があると感じたんだ。
―デザインの力で社会問題をクローズアップするということですね。このコラボレーションであなたが打ち出したアイテムは、ワークウエアが中心でしたね。中には、ロゴ入りのリフレクター素材を使ったバッグなどもありました。
バッグはセーフティベストを解体して作ったんだ。使った素材は全て局員の寄付によって集まったユニフォームで、それらを洗ってキレイにし、グラフィックをプリントしたり刺しゅうでロゴをプラスしたりした。そうやって新たに付加価値をつけて再生するという、リサイクルの一歩先のやり方「アップ・サイクル」を実践しているんだ。こういう新しい方法でもって、社会問題にポジティブな光を当て、同時に環境保護やサステナビリティの重要性を喚起することができたのは、とても有意義なことだったよ。
―もうひとつのプロジェクト、「EXTRAS」も面白そうなストーリーがありそうですね。ブランドのウェブサイトを開くと、たくさんの人のポートレート写真と共に、そのステートメントが現れますが。
タクシー運転手、弁護士、ネイリスト、ピザの配達員、学生、母……いろんな肩書の人に声をかけて撮影したよ。この人たちは、僕の人生のエキストラなのさ。きっと誰にでも、名前も知らないし会話を交わしたこともないけれど、いつも見かける人物がいたりするんじゃないかな? 僕はある日、白い服の男とよく遭遇することに気が付いたんだ。公園へ歩いていくところや買い物をしている姿をしょっちゅう見かける。で、そのことを友達に話したら、「その男は君の人生という名の映画に出てくるエキストラだね」って。毎日、僕は家を出た瞬間から多くのエキストラに囲まれているというわけ。これってすごくクールな考えじゃない? それにもともと、僕のクリエーションのいちばんのインスピレーション源といえば、何気ない日常に存在する人々。イヤーブックを作っていた時から今までずっと変わることなくね。だからこのアイデアを膨らませて、「EXTRAS」を始めたのさ。ファッションの存在意義を僕なりに定義するという意味も込めて。
―ひとつひとつのプロジェクトに、確固たるステートメントと濃密なストーリーが込めてあって、ワクワクしてしまいますね。アイデアが瞬く間に枝葉を広げて、ひとつの世界ができていく様子が、手に取るように伝わってきます。そういうあなた独特の思考やセンスは、どうやってもたらされたのですか?
単純に、これが僕なのさ。もともとストリートで起こっていることを読んだり、いろんな人とのネットワークを作ったりするのが上手なタイプなんだよ。あとは好奇心だね。気が付けば常に何かを調べたりしているし、「誰かを心からワクワクさせることって何だろう?」とか、「何かを特別だと思わせるためにはどうしたらいいんだろう?」って考えているんだ。もちろん、僕自身も心躍る気分でね。だから「本業は何?」って聞かれたら、結論はクリエイティブ・キッズってところかな。毎シーズン出す服にアートプロジェクト、DJパフォーマンスという活動全部を通して、僕のフィロソフィーを手にしてもらえるはずさ。
<プロフィール>
HERON PRESTON(ヘロン・プレストン)
アーティスト、デザイナー、クリエイティブ・ディレクター、コンテント・クリエーター
1983年サンフランシスコ生まれ。パーソンズ・スクール・オブ・デザインを経て NIKE に勤務。その後 BEEN TRILL (ビーン・トリル) の一員として活動し、NYのストリートカルチャーのアイコンのひとりに数えられるようになる。同時に自身が単独で仕掛けるプロダクトも話題に。2017年秋冬シーズンには自らがデザイナーを務める HERON PRESTON を始動し、今年1月に開催された’18年春夏のパリ・メンズファッションウィークでは、ウィメンズもあわせたコレクションを発表した。アイテムはパリの Colette やロンドンの Selfridges を筆頭に、主要都市のセレクトショップで展開。東京では、原宿の GR8、上野 nubian で取り扱っている。