パタンナー・大丸隆平インタビュー
Ryuhei Oomaru
photography: yusuke miyashita
interview & text: yuki nakashima
能ある鷹は爪を隠す、とはよく言うが、「oomaru seisakusho 2, inc(大丸製作所2)」の代表を務め、OVERCOAT (オーバーコート) のデザイナーでもある大丸隆平 (おおまる・りゅうへい) はまさにそのような人。どちらかといえば近所の優しいお兄ちゃんのような穏やかな雰囲気を放ち、鷹とは似ても似つかない。ただそこには、文字通り裸一貫でニューヨークへ渡り、無職から CFDA アワード獲得にまで成し得た確固たる実力が隠れているのだ。現に、数多くのニューヨークやパリのメゾンといった名高い多くのブランドをクライアントに抱え、今のニューヨークのファッションシーンの土台となって支えている。その確かな“爪”で手に入れたサクセスストーリーを、お伝えしたい。
パタンナー・大丸隆平インタビュー
Portraits
能ある鷹は爪を隠す、とはよく言うが、「oomaru seisakusho 2, inc(大丸製作所2)」の代表を務め、OVERCOAT (オーバーコート) のデザイナーでもある大丸隆平 (おおまる・りゅうへい) はまさにそのような人。どちらかといえば近所の優しいお兄ちゃんのような穏やかな雰囲気を放ち、鷹とは似ても似つかない。ただそこには、文字通り裸一貫でニューヨークへ渡り、無職から CFDA アワード獲得にまで成し得た確固たる実力が隠れているのだ。現に、数多くのニューヨークやパリのメゾンといった名高い多くのブランドをクライアントに抱え、今のニューヨークのファッションシーンの土台となって支えている。その確かな“爪”で手に入れたサクセスストーリーを、お伝えしたい。
—2008年に「oomaru seisakusho 2, inc」をNYで設立後、2014年には米国ファッション協議会によるファッション製造業の発展を支援する「第2回 CFDA FASHION MANUFACTURING INITIATIVE」を受賞されました。まさにサクセスストリーといえますが、なんでも、ニューヨークへ行かれてすぐ無職になってしまったとか。その時はどう思われたのですか?
裸一貫で来いと言われて、それを信じて行ってしまったんです。そもそもニューヨークに行こうとかではなく、たまたま声をかけてくれたところがニューヨークのブランドでした。日本で住んでいた家はもう引き払っていたから戻るところもなくて、半強制的にニューヨークにいるという状況になったんです。
—その状況は怖くなかったですか?
住む家がないという恐怖はありますよね。なので、最初に洋服のプレゼンをしたのが中国人の大家なんですよ。お互いに“どこの誰?”ってなるじゃないですか。信用がないから自分で作った洋服を持って行って「今まで洋服を作っていた」という自分についてのプレゼンを大家にしました。「いいね」って言ってもらえましたよ。
—ご自身で作られたお洋服が名刺代わりとなっていたんですね?
着る服を自分で作っていたりもしていたので、「自分で作った服なんです」と見せていた感じです。Kマートという、日本で言うならダイエーのようなスーパーで99ドルくらいの普通のミシンを買って。その中国人の大家のアパートに4人くらいアジア人が住んでいたんですが、その1人の友人が僕のことを聞いたらしく、「洋服作れるなら作ってみたら?」と言われて。最初は学生上がりの“自称デザイナー”だったのが正真正銘のデザイナーに頼まれるようになっていって。そうこうしていたら LVMH の方から連絡があったんです。
—LVMHといえばファッション業界にいる人にとっては憧れる存在ですよね。その時はどう思われたんですか?
ニューヨークに行って1年も経っていない頃だったんですが、自分自身でもパタンナーとして結構忙しくなっていたんで、正直、自分でビジネスをやるのとどちらの方がお金を稼げるかを考えました。他にもいろいろなところから声をかけていただいていたので、その時は条件がよかった会社を選びました。
—しばらくしてご自身の会社「oomaru seisakusho 2, inc(大丸製作所2)」を立ち上げられましたね。現在のクライアント数は?
毎シーズン20〜30社ぐらいです。
—「oomaru seisakusho 2, inc(大丸製作所2)」とはどのような会社ですか?
うちの会社のなかで完結してできるっていうところが他の ODM や OEM の会社と決定的に違うところです。私自身が企画・デザインを聞いて一緒に相談するなかで、絵も描くしパターンも引くし、自分たちでも縫う。最初からコンサルとして話を聞いている人が、最後のサンプルを作るところまで一貫して全部見ているんです。実際にパターンの引き方ひとつから見ているので、クライアントの意思を反映しやすいというのもあります。そして、僕らで B to C のビジネスをやってみようとなって。
—それがご自身のブランド OVERCOAT を始めるキッカケだったのですね。
じゃあ何をしようかと考えたところ、ニューヨークというものを、生地じゃないので裁断して着ることはできないんですけども、「ニューヨークを着る」というコンセプトで、作り手の目線で切り取ってカットメイキングしたらどんなふうになるんだろう、という着想からスタートしました。
—ニューヨークが服になったらどんなだろう、と?
そうですね。決して大きく“NEW YORK”のロゴが入ったT-シャツとかではなく(笑)。もしかしたら一周回ってそれがいいかもしれないですけど、今のニューヨークを感じられる何かを作れたらいいなって。それで最初に注目した生地が、オーニングというカフェテリアなんかの軒先にある生地なんです。グラフィックが面白いなと。英語がスペルミスをしていたりとか、日本人では考えにくいような表現をしていたりとか、そういうキッチュな看板があったりするのが面白いなと昔から思っていて。あと、生地自体も耐久性や撥水性が強いだろうなと思っていたので、洋服を作ったら面白いことができるんじゃないかと。
—実際にオーニングを服の素材として使うのは難しそうですが?
オーニング屋さんでペインティングの仕方とかを教えてもらって、自分でも生地について色々研究しました。癖のある固すぎる生地なので、日本にある小松精練さんと「着やすく改良してくれませんか?」相談しながら作ってもらいました。柔らかく撥水性があり、化繊なんですが天然繊維みたいな風合いも少しあります。これが、僕たちが呼んでいるオーニングという生地です。オーニングの生地を調べていくととても面白いんですよ。オーニングを作っている会社は、元はアポロ号が月面着陸した時に立てた星条旗を作ったり、さらに昔をたどればエジプトのテントの素材だったりとか、わりと歴史があるんです。
—ではなぜコートを作ろうと思ったのですか?
まずオーニングの素材があって、これで作るなら何がいいかな?って。それに、ニューヨークの冬ってものすごく寒いんですね。北極の風が入ってきてすごく寒くなるので、真冬はみんなダウンジャケットを着てしまうんです。なので、ダウンジャケットの上に着られるものを何か作れないかな、とは思っていました。コートから出発はしていますが、ただずっとやっていくということではないんです。OVERCOART というブランド名も、ただ最初に作ったのがオーバーコートだっただけ。どんどん進化して行けば良いと思っているんです。名前はなんでも良かったです(笑)。
—そもそもユニセックスでコートを作ろうと思っていたのですか?
そうですね。僕の考え方として、自分の構想の中でどんどん制限をかけながら作っていくんです。将棋もするんですけど、将棋のように縦と横しか行けない、相手と交代で戦う、というルールがあるなかで遊ぶ方がしっくりきます。物作りもそう。オーニングという素材があって、ユニセックス、という制限を作る。そしてどうしようか、と考えていき、サイズ違いをたくさん作るより、ワンサイズの方が効率が良い。男性と女性で肩の形が一番違うのでユニセックスコートを作ればパターンが一番活きる。そうやって線を書く前に頭のなかで制限を作りながら考えます。
—大丸さんは「oomaru seisakusho 2, inc」の経営者でありデザイナーでもある。つまりクリエーション面もビジネス面も兼ねてらっしゃいますよね。大変ではないですか?
それも制限になるんです。あくまでビジネスとしてやっているので、バジェットや事業計画も計算した上でデザインする。その方が力も発揮できるし面白いんです。
—洋服を作る上で大切にしていることはありますか?
最初は論理的に詰めていくとはいえ、最終的には五感だと思っているんです。タイプの人もそうじゃないですか?「この人カッコイイ」とか「この子可愛い」とか、1秒もかからないくらいで判断していると思うんです。スタッフにも言っていることですけど、一度リセットして、初見で「あ、なんか可愛い」とコンマ何秒で“はまって”こなければ、どれだけ論理的に言っても終わり。最終的には五感が大事だから、アートとサイエンスのバランスというのがすごく大事です。
—これは難しかった!という仕事はありました?
日頃から女優さんやスポーツ選手をはじめ様々な体型の方とお仕事をする機会が多く、とても痩せて見えているんですけど、実際は逆だったということも少なくありません。ある時は痩せて見えるようなドレスを作ってほしいというオファーだったんですけど、いただいた採寸表がすごく細い体型のサイズで、実際にドレスを試着のために持っていったら、パツンパツンで入らないんですよ。V.I.Pな方なので10分しかないなか、その場で慌てて全部切ってありえないほどの修正をしました。結果、そのドレスで雑誌に出られるくらい気に入ってくれていました。なんとかしよう!と、その時に物作り心をくすぐられましたね。
—今後挑戦したいことは?
次は“decategorize(ディカテゴライズ)”がテーマなんです。category(カテゴリー)を無くすとか外れるっていう意味。縫製手順や縫い方、仕様もシャツの構造なんですけども、人によればコートに見えるかもしれません。ただ、僕らはシャツとして作っているんです。ブランド側に「これってコートですよ」って言われなくても、お客様が自分で好きに着ていただければいいと思うんです。僕らはそのきっかけになれるものを作れればいいなと。今まではサイズレスやジェンダーレスを提案してきて、今度はカテゴリーを無くそうと。あと、最近はコップでも車でも、木でもなんでもいいんですが、人体じゃないものを包むというのが自分の中で流行っていて(笑)。パターンメイキングだと頭の中で3Dに置き換えられるから、なんでも展開図が頭に浮かぶんですよね。
制限がないと遊べない、と言い切る大丸隆平。限界までロジカルに考え、そして最後は0.1秒の直感に委ねる。だからこそ、境界線をひょいっと飛び越えジェンダーもカテゴリーも“レス”にしてしまえる。その類まれなバランス感覚によって、名だたるデザイナーたちの厚い信頼を得て、そして我々も魅了しているのだろう。
<プロフィール>
大丸隆平 (おおまる・りゅうへい)
福岡県生まれ。「モノづくりがしたい」と文化服装学院へ。卒業後、日本を代表するメゾンブランドにパタンナーとして勤務。2006年に某ニューヨークブランドにスカウトされて渡米。2008年に、ニューヨークのマンハッタンにデザイン企画会社を設立。oomaru seisakusho 2, inc(大丸製作所2)の名前は実家のやっていた家具工場が由来。多くのクリエイターに企画デザイン、パターン製作、サンプル縫製サービスを提供し、またコンサルティング力にも定評がある。2014年 第2回CFDA FASHION MANUFACTURING INITIATIVE、2015年 33回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞 を立て続けに受賞。2016年「大丸製作所3」を東京・神宮前に設立。