agnès b.
with lily franky

アニエスべーと5人の表現者たち vol.4 リリー・フランキー

agnès b.
with lily franky

model: lily franky
photography: naoya matsumoto
hair & makeup: aki kudo
interview: tomoko ogawa
edit & text: yuki namba

流行ではなく、スタイルを生み出す服がある。映画、音楽、アートをこよなく愛する一人の女性、Agnès Troublé (アニエス・トゥルブレ) によって1975年に誕生したブランド agnès b. (アニエスベー)。50年近くにわたり彼女が生み出してきた服には、人々のスタイルに馴染み、着る人の個性を引き立出す力が宿っている。

どんなに時代が移り変わろうとも、自分らしく、独創的であること。今回、agnès b. が大切にしてきたスピリットに共鳴する、独自のスタイルを持つ5人の表現者がagnès b.に袖を通し、それぞれの表現活動やオリジナリティについて語る。

第4回に登場するのは、俳優、文筆家、イラストレーターなど、多才な表現力で唯一無二の存在を確立する、リリー・フランキー。さまざまなフィールドを縦横無尽に行き交う表現活動において、いいものを作るためには何を大切にすべきなのか。オリジナリティとはどういうものなのか。30年以上にわたり第一線で活躍し続けるリリー・フランキーに、これまでの経験を経て感じた独自性について話を伺った。

agnès b.
with lily franky

アニエスべーと5人の表現者たち vol.4 リリー・フランキー

リリー・フランキーが選んだのは、あたたかみのあるブラウンのスリーピース。華やかな総柄のシャツを合わせて、agnès b. らしいフレンチシックなスタイリングに。品のある佇まいでありながら、着る人のスタイルにすっと馴染む着心地の良さも、agnès b. ならではだ。

−リリーさんは、イラストレーター、コラムニストとして活動を始められて、最近では俳優として名だたる作品に出演されていますが、今のような未来は想像していましたか?

想像するも何も、画家を目指したこともないし、俳優を目指したことはないし、何かを目指していたわけじゃないんです。でも、表現したいという気持ちはたぶん子どもの頃からありました。だから、万年筆を持っているときは書いて、カメラを持っているときは写真を撮ってというふうに、それぞれ道具が違うだけという感覚です。人と一緒にするものとほぼ一人でやるものという違いはあっても、表現することに関しては、どの仕事でも同じだと思っています。それに、今もあるけど、昔は特に「リリーさんって、役者なんですか?」と聞かれることは多かったですよね。自分は役者一本でやっているんだという方からすれば、 偽物だということをたぶん暗におっしゃりたいんでしょうけど、僕、今まで絵でも文章でも写真でも、そう言われて来ているので。日本には、職人のように一つのことを極めている人は尊く、いろんなものをやっていると邪道という考えがあるんでしょうね。すごい数の映画やドラマに出ているみたいに言われますけど、撮影しているのは1年のうちのほんの一部分ですから。それが表に出ちゃってるだけで。僕が毎日おでんの絵を描いていても、誰も気がつかないですから。

−そういうプレッシャーの中で育ったものとしては、肩書きが一つじゃない生き方の方が自由さを感じます。

でも、もしかしたら若いときに何か1本で食べていけていたとしたら、 今みたいにはなってなかったかもしれない。田舎のクリーニング屋さんが、それだけじゃ儲からなくなって、プロパンガスとか切手とかいろいろ置き出すじゃないですか。あの状態に近いですよ。それに、日本の文壇でも、映像でも、音楽業界であっても、もし僕なんかがプロフェッショナルですという顔でそこにいたら、自分の存在価値はないんじゃないかと思いますよね。なぜって、若い頃、プロフェッショナルとして威張ってる人たちが作ってるものを全く尊敬できなかった自分がいたので。だから、常にアマチュアリズムを持っていたいし、半端にプロ面よりも、ただいいものを作りたいという気持ちはずっとあります。あまりやったことがないものに挑戦する方が、たぶん一生懸命できると思うし。いいものを作るには知力やセンスが必要みたいなことが言われますけど、そうじゃなくて、いいものを作るのはここでいいやと思ってもまだしつこくできるかという体力ですから。しばらくの間、15年くらい原稿を書いてないですけど、たまに文章を書くとものすごく書けなくなってるんです。散髪屋さんがお正月3日休むとハサミを落とすと言われるのと同じで、僕も1週間くらい絵を描いてないと、おでんくんの顔、曲がりますもん。結局、体から道具が離れてしまうと、取り戻すにはかなりの時間がかかるんですよね。だから、最近はリハビリの意味でちょっと書いてます。

−ちなみに、作品や仕事に関わる際に、やるやらないの一番の決め手となることって何ですか?

自分が興味を持てるかどうかじゃないですか。例えば、大学生たちが作るミニコミ紙でも、大きな映画の脚本であっても、自分の中でより面白いことをやってると思えれば、大学生の方を優先するということは当然あります。だから、たぶん、どの仕事も職業としてやってる意識がないんだと思います。文章を書くにしても役者にしても、職業にしてしまったら、面白くなくてもこれは引き受けておかないと、というものが出てきてしまうものなので。ただ、なまじ自分で会社をやってると、もうこれはやらないと給料を払えないという瞬間もあって。そういうときは、自分の給料を止めるという方法も思いついちゃってるんです。だから、何のために働いてるんだろう?と思いながら、何十年もやってます。僕、本当に仕事じゃなければ何にもやらない人なので。

−近年は、日英合作『コットンテール』をはじめ、海外のフィルムメイカーの映画やドラマにも参加されている印象がありますが、それは、さっきおっしゃっていたように、やったことがないものに挑戦したいという考えからなのでしょうか?

海外の作品だから興味があるというわけではなくて、海外の人と仕事をすることはすごくいい勉強になるから、率先してやってます。言語の習得には今からだと遅いかもしれないけど、 若い頃、お金がなくて留学できなかったから、仕事の仕方や価値観を短期留学して教わっている感覚ですね。でも、自分の本が海外で出版された頃は、書き手である自分も語学が必要だなんてまったく考えてなかった。翻訳家の方が自分の本を各国の言葉にしてくれて、知ってもらって、サイン会に行ったりすると、どんなに習慣や言語が違っても、結局、受けとるものは同じなんだと思ったんですよね。例えば、自分のお袋の話を書いた『東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン』のサイン会で、お客さんたちと会話をすると、みんな自分のお母さんの話をするんです。だから、同じ話なんだけど、一人ひとり内容はまったく違う。言語が違っても伝わるんだなと。物書きである自分は一方的に現地の言葉を持たずにいられたけれど、自分が出演しに行くとなると、これまでとはまったく違う仕事のやり方があったりするから。100%自分が合わせていく感覚だから勉強になるし、話そうとしているその意思はお互いに最終的には通じてるんですよね。言語が違っても、 一つのものを一緒に作ってるという行為自体に共通言語があるから、ストレスを感じないんだと思う。

−2013年、アニエスベーのエイズ予防啓発運動の一環で、参加アーティストの一人として、コンドームのパッケージデザインもされていましたね。アニエスベーというブランドにはどんな印象がありますか?

1982年に大学に入るために上京しているので、ちょうど日本に入ってきたアニエスベーに触れた第1世代だと思うんです。美術大学だったので、イケてるお姉さんたちはみんなアニエスのボーダーに定番のカーディガンを着て、ベレー帽をかぶってて。世界の男性アーティストのスタンダードだったスタイルを女の子が着てる!というそのボーイッシュさに、すごくグッときたんですよね。世代的に、東京やパリをダイレクトに感じたブランドでしたね。コンドームの企画も、性に関する行動を意識的に後押ししていること自体がファッションだなと。思想とまでは言わないけど、そこに作り手の思い、変えたいものがある。みうらじゅんさんや僕は仕事柄、コンドームメイカーとコラボレーションすることは多いけれど、アニエスがやるから、さらに面白いと思って参加しました。

−さまざまなジャンルを自由に往来しながらもオリジナルの存在であるリリーさんは、オリジナリティという言葉をどんなものと捉えていますか?

若いときはオリジナリティのある何かを目指したいし、 唯一無二みたいに言われたいものだけれど、やっててわかりましたよね、目指すものじゃないなって。それって自分で決めることでも発信することでもないもんね。誰かが「すごく独創的だよね」とか「変わってる」と言うものであって、「俺、オリジナリティに溢れた人間になりたいんで!」って、絶対偽物が言うやつじゃないですか。最終的に、「もうあの人は、オリジナルであるとしか言いようがないよね」って、半分悪口で言われるくらいでいいんだと思いますよ、オリジナリティって。