Masayoshi Sukita
Masayoshi Sukita

写真家・鋤田正義インタビュー

Masayoshi Sukita

Photographer: UTSUMI
Writer: Hiroaki Nagahata

Portraits/

5月19日より封切られるドキュメンタリー映画『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』では、Marc Bolan (マーク・ボラン) や David Bowie (デヴィッド・ボウイ) の代名詞になっている写真を撮影した日本人フォトグラファー・鋤田正義の魅力が、本人を含めた様々な著名人の声から解き明かされていく。本作の公開を記念してTFPでは本人にインタビューを敢行。映画では聞けなかった当時のシーンや現在の思いなどざっくばらんに語ってもらった。

写真家・鋤田正義インタビュー

5月19日より封切られるドキュメンタリー映画『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』では、Marc Bolan (マーク・ボラン) や David Bowie (デヴィッド・ボウイ) の代名詞になっている写真を撮影した日本人フォトグラファー・鋤田正義の魅力が、本人を含めた様々な著名人の声から解き明かされていく。大手代理店所属のカメラマンから、世界中のギャラリストが個展を開催したがるフォトグラファーへ。その道のりは栄光に満ち溢れているが、本人の語り口はとても淡々としている。

そして、まわりの人たちも鋤田氏のことを「レジェンド」として語りたがらない。YMOの面々にしろ、Jim Jarmusch (ジム・ジャームッシュ) にしろ、David Bowie『The Next Day』(鋤田が写真を撮影した『Heroes』の真ん中を隠したジャケットデザイン) のアートワークを手がけた若手デザイナーにしろ、言葉の節々にリスペクトの念が込められているが、その話し口調には一様に牧歌的な雰囲気がただよっている。そして、写真家の逸話にありがちな「大変だった現場」のエピソードはただのひとつも登場しない。

今回、本作の公開を記念して、今でも常に現場から学び続けているという鋤田氏が、映画を楽しむ一助となるような話をたくさん聞かせてくださった。

 

『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』

 

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

—鋤田正義さんといえば、誰しもがまず David Bowie のポートレートやジャケット写真を思い浮かべます。自分が中学生の頃、塾に通うバスの中でよく Bowie の「Starman」を聴いて「良い曲だな〜」と感傷に浸っていたのを思い出しました。この曲のメロディは子供にもすんなり入ってきたんですよね。

すごくよくわかりますよ。あれは聴きやすいですよね。僕も最初は「Starman」から Bowie に入りました。

—Bowie の前には、T.Rex (T・レックス) の有名なポートレートを撮られていますよね。いわゆるグラムロックといわれた彼らの音楽のどこに魅力を感じたのでしょうか?

彼らの前には The Beatles (ザ・ビートルズ) がいましたよね。Beatles のライブでは失神するお客さんが続出していたんですが、そういう熱狂的な状況がバンド解散と同時にサーっと引いていて、その次をみんなが探し始めた時に、特別目立っていたのが T.Rex でした。Ringo Starr (リンゴ・スター) が16ミリで撮った「Born To Boogie」って映画もあったりして、そういう時代的な影響も大きかったのかもしれません。個人的なことで言えば、50年代からよくジャズやアメリカ南部の音楽を聴いていた耳にも、彼らの音楽はすんなり馴染みました。

—鋤田さんご自身もポップカルチャー全般に強く惹かれていたんですか?

もちろん仕事は写真を撮ることなんだけど、社会やポップカルチャーの流れに強い興味があったんです。Andy Warhol (アンディ・ウォーホール) 周辺の動きにも興味があって、ウッドストックのあと、70年か71年に The Velvet Underground (ヴェルヴェット・アンダーグラウンド) が「マキシズ・カンサス・シティ」っていうライブハウスでやったライブを観にいったりしていました。でも、当時のニューヨークとロンドンはちゃんとリンクしていて、例えば僕がロンドンで T.Rex とか撮っていた時期に、Lou Reed (ルー・リード) もロンドンに移ってきて「Walk On The Wild Side」(Bowie がアコースティックギターを弾き、少年時代の Bowie にサックスを教えた Ronnie Ross (ロニー・ロス) がサックスを吹いている) をヒットさせたりね。

—代理店時代から、フォトグラファーとしてポップカルチャーと深く関わっていきたいという思いはありました?

うん、思っていました。若い頃ってお金はないけれど時間はたっぷり余っているでしょ。当時は映画の三本立てがあったから、月に50本くらい観ていました。あと、ジャズ喫茶が全盛だったんで、「バンビ」っていうレコードの枚数が日本一のお店に通って、スタッフとよく話し込んでいました。ジャズは知識がつくと面白い音楽でもあるから、そこでどんどん深みにはまっていって。50年代の話ですね。

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

—カルチャーの入り口はジャズだったんですね。代理店時代にはどんな毎日を送られていたんですか?

暗室には水道もフィルムを乾かすための乾燥機もあるから、そこで勝手に洗濯して、しばらく家に帰らずほとんどそこで暮らしていました。仕事のあとは自分の時間だから徹夜で作業できるじゃないですか。西川ふとん店の撮影が入った時なんか、その布団で寝ていました (笑)。有効に使っていましたね。

—当時、コマーシャル以外でのご自身の作品というと、何を撮られていたんですか?

ジャズのライブでミュージシャンの写真を撮っていました。最前列はさすがに何か言われそうだったから、前から2列目に座ってね。当時はまだロックのきゃーっていう熱気もなかったから、許可も必要なかった。そもそも誰もカメラを持っていなかったし。

—今よりも自由な空気があったんですね。

僕は社会の規則があんまりわからなくて、単に撮りたいから撮っていた。映画館でも撮っていました。(私に実際の写真を見せながら) これは、『The Wild One』(1954) っていうオートバイでバーっとくる格好良い映画のワンシーン。主演の Marlon Brando (マーロン・ブランド) が写っていますね。できるだけ封切られたばかりのフィルムで観たいんだけど、それには福岡まで行かなくちゃいけなくて、地元の筑豊から50キロの距離を自転車で漕いで移動していました。

—鋤田さんは、コピーライターの糸井重里さんやスタイリストの高橋靖子さんらが住んでいた原宿セントラルアパートの住人でしたが、そこもやはり熱量がある人が集っていたんでしょうか?

そうですね。日本は高度成長期で、銀座とか神田にオフィスが集まっていて、クリエイターもみんなそっちに住んでいたから、原宿には何もなかった。芸能人のカップルが内緒で来る焼肉屋があるくらいで (笑)。ファッションのお店なんて1つか2つですよ。

©︎2018「SUKITA」パートナーズ

©︎2018「SUKITA」パートナーズ

—自分たちが次の時代の表現を担うんだという意識はあったんですか?

当時まだアシスタントだった (写真家の) 操上和美と、スタジオに置いてある海外の『Vogue』を貪り読みながら、自分たちの未来についてよく話していました。レオンっていう喫茶店にみんなたまってね。暇だったから (笑)。時を同じくしてソーホーでもアーティストが集まってきていたし、これは世界中で同時多発的に起こったことですよね。何も話し合ってそう決めたわけじゃないんだけど。同世代のみんなが頭角を現し始めた時期だったんで、お互いに誇らしかったと思いますよ。

—当時の鋤田さんが共感していた写真家はいますか?

この前、たまたまニューヨークの CBGB の跡地 (現在はファッションブティックだが、壁に書かれたサインなどはそのまま残っている) に足を運んだんです。全盛期は行っていなかったんだけど、逆に今行きたくなって。その近くのギャラリーで CBGB のシーンを撮った Godlis (ゴドリス) さんの写真展が開催されていて、まだ有名になる前の Patti Smith (パティ・スミス) とか、Jim Jarmusch とか、歴史がぜんぶ詰まっていたんです (このエピソードは映画にも収録)。彼はメジャーを撮るっていう意識がなくて、今もちゃんと自分で暗室に入る人だから、感覚的に繋がれる大切な友人。そういう性格だから、やっぱり Jim Jarmusch とかとはいまだに仲が良いみたい。あと、その日、近くで Robert Frank (ロバート・フランク) を見かけたんですよ。ちょうどこのドキュメンタリーの撮影中だったんで、監督が「話しかけてみよう」と言ってくれたんだけど、横の若い写真学生に何やらレクチャーされている様子だったんで、恐れ多くて話しかけられなかった。もちろん僕はそんな巨匠と肩を並べるところまでいっていないんだけど、同じ匂いは感じていました。

©︎2018「SUKITA」パートナーズ

©︎2018「SUKITA」パートナーズ

—写真家以外ではいかがでしょう?

サブカルチャーって、違う業種でも同じ感覚の人が自然に集まってくるんですよ。僕は、立木義浩とか篠山紀信を育てたと言われる『カメラ毎日』のような雑誌 (写真編集者の第一人者である山岸章二が編集長を務めた) でも『an・an』でも音楽雑誌でも写真を撮っていたし、広告をアート的なアプローチでやったりもしていた。ニューヨークのオフ・ブロードウェイ (500席に満たない小劇場を指す) で寺山修司さんが上演した時は、僕がバックステージの写真を撮っていました。それがきっかけになって、『カメラ毎日』では、連載では寺山さんが文章を書いて僕が写真を撮る連載を持つことになったんです。寺山さんは僕のことを面白くおかしく書いてくれました。

—そこまで横断的に活動をするきっかけはどこにあったんですか?

奈良原一高さんの写真展が西武百貨店の地下で開催されることになった時に、主催の山岸さんから「お前は音楽が強いからBGMを作ってくれ」と頼まれたことがありました。ウッドストックの頃のアメリカの若者を撮っていた写真だったので、Crosby, Stills, Nash & Young (クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング) みたいな南部の音楽をかけたんですが、そうやって上の人からパッと頼まれたことが自分の励みになっていたんです。

—撮影のアプローチについても聞かせてください。マーク・ボラン(T・レックス)や Bowie のポートレートは、ほとんど即興で撮影されていたじゃないですか。そのやり方はどこで編み出したものだったんですか?

若い頃は広告代理店にいたので、メディアのルールが身体に染み込んでいました。Bowie も代理店にいたからそれは同じだと思う。ただ、彼の中にはメジャーに見えることは必要だけど、それだけじゃダメだという考えが同居していた。つまり、きちんと準備して、青写真通りの仕上がりを作るだけでは面白くないと。モデルも写真家もギャラをもらっている仕事なら、お互いの社会的な役割を果たすだけでその場は成立しますよね。でも、Bowie の撮影に関しては、自ら事務所に売り込みにいって、自腹でスタジオをおさえているから、普通の仕事とはぜんぜん違うわけです。最初は代理店の頃のやり方で撮ってしまったんですが、Bowie が自由に動いているのを目の当たりにして、これまで培ったスタジオワークの技術で仕事をするナンセンスを感じてしまった。事前に打ち合わせするとか、現場で指示をするとか、違うなと。彼は『Ziggy Stardust』ですでに自我を解放していたから、その頃 (ベルリンで『Heroes』を制作している時) は「何でもやれる」という気分だったんじゃないですか。ニューウェーブの若い世代にむけてやっていたと思う。撮影当日はその “良さ” をキャッチするだけでも大変で、1時間があっという間に過ぎてしまって。自分の美学を押し付けている過去が甘かったことを痛感しました。

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

—最近ですと、どういう状況で写真を撮っている時が一番リラックスしますか?

この前、ニューヨークに行った時に Arto Lindsay (アート・リンゼイ) を撮ってくれという依頼があって、一応スタジオでストロボをちゃんと組んでもらったんだけど、いざ撮影となると、自然光がふぁーっとキレイに入ってきて、これには勝てないよな〜って。撮影が終わったあとは彼から握手しにきてくれて、「何の抵抗もなく、自然にやってくれた」ってすごく喜んでくれたんです。機械は機械だなと思いました。

—言葉にすると簡単に聞こえるんですが、現場の空気を正しく見極めるのはすごく難しいことだと思います。

前に坂本龍一さんと「かわずとびこむみずのおと」の話をしたことがあって。つまり音の原点のことですよね。足し算ではなく引き算。それは写真の撮り方も一緒なんですよ。より何もないところから撮っていく大切さがあるんです。ちなみに、Arto Lindsay さんは写真のチェックもありませんでした。

—うわ、チェックなしは格好良いですね。

同じ意味で、小山田 (圭吾) さんとのセッションも勉強になりましたよ。この前アルバム出した時に彼を撮ったんだけど、彼の影だけが写っている写真が採用されたんです (笑)。ああ、こういう人もいるんだなって。僕の写真の幅がまた広がりました。昔、スタジオの師匠に「20代で頑張ったら30代で楽になるし、30代で頑張ったら40代も楽になる」って言われたんですけど、今もこうして学び続けているから、ぜんぜんキリがないですよね。

Photo by UTSUMI

Photo by UTSUMI

<プロフィール>
鋤田正義 (すきた まさよし)
1938年、福岡生まれ。1960年代から頭角を現し、1970年代には活動の場を世界に広げる。David Bowie やイギー・ポップ、Marc Bolan、忌野清志郎、YMO等の写真が有名だが、そのフィールドは広告、ファッション、音楽、映画まで多岐にわたる。2012年、40年間撮り続けてきた David Bowie の写真集『BOWIE×SUKITA Speed of Life 生命の速度』をイギリスから出版。その他の写真集に『氣』、『T.REX 1972』、『YMO×SUKITA』、『SOUL 忌野清志郎』等がある。またイギリス、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカ、オーストラリア等の世界各地で自身の写真展を展開中。

作品情報
タイトル SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬
監督 相原裕美 (コネクツ)
出演 鋤田正義、布袋寅泰、山本寛斎、高橋靖子、ジム・ジャームッシュ
配給 パラダイス・カフェ フィルムズ
製作国 日本
製作年 2018年
上映時間 115分
HP sukita-movie.com
©︎2018「SUKITA」パートナーズ
5月19日(土)より新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国ロードショー!