Tadanobu Asano
Tadanobu Asano

15年ぶりの画集『蛇口の水が止まらない』を発表した俳優、浅野忠信 インタビュー

Tadanobu Asano

Photographer: Hiroki Watanabe
Writer: Tomoko Ogawa

Portraits/

2018年10月にデビュー30周年を迎えた日本を代表する俳優・浅野忠信。音楽活動や絵画制作にも精力的なことでも知られる彼が、15年ぶりに画集『蛇口の水が止まらない』を発売する。2013年から2018年夏までに描かれた3500点を超える作品から厳選し、紙とペンだけで書かれたモノクロ作品を500ページ超に収録。ページをめくりながら聴いてほしいと、画集のために書き下ろしたオリジナル・アルバム CD「かげの音」も付属するという。俳優・浅野忠信にとって、絵を描くこととは何なのか。画集ができるまでの道のりと合わせて語ってもらった。

15年ぶりの画集『蛇口の水が止まらない』を発表した俳優、浅野忠信 インタビュー

Photo by Hiroki Watanabe

Photo by Hiroki Watanabe

2018年10月にデビュー30周年を迎えた日本を代表する俳優・浅野忠信。音楽活動や絵画制作にも精力的なことでも知られる彼が、15年ぶりに画集『蛇口の水が止まらない』を発売する。2013年から2018年夏までに描かれた3500点を超える作品から厳選し、紙とペンだけで書かれたモノクロ作品を500ページ超に収録。ページをめくりながら聴いてほしいと、画集のために書き下ろしたオリジナル・アルバム CD「かげの音」も付属するという。俳優・浅野忠信にとって、絵を描くこととは何なのか。画集ができるまでの道のりと合わせて語ってもらった。

―1999年に発売された画集『error』、その4年後に発売された『Bunch』では、さまざまなアプローチで描かれている印象がありましたが、今回はモノクロの線画作品のみが収録されています。心境の変化があったのでしょうか?

小さい頃からずーっと絵は描いてきてるけれど、いわゆる美術部に入っていたわけではないですし、絵の勉強をちゃんとしたことがなくて……。ただいろんな絵を描いてみたいなぁとは思っていたんです。当時、リトルモアの竹井正和さんに出版と展示のチャンスをいただいて、たくさん絵を描かせてもらって、めちゃくちゃ面白くて。2冊目も出してもらってとやっていくうちに、やっぱり大変だなと思って(笑)。絵の置き場所もないし、いろんなところでちょっと面倒になっちゃって、特に色を使うとキリなくやり出しちゃうので、絵の具を使うのはやめようと。使うとしても、白黒だけにしようと決めたんですよね。

ー15年の間にそのスタイルに行き着いたんですね。

やっぱり、迷っていたんでしょうね。前作で、やりきったみたいになってしまったんですよね。ちゃんとした絵を描き続けなきゃいけないんじゃないか、みたいなよくわからない考えに頭の中が囚われてしまって。でも、描けない。それで、「あれあれ?」となって。もう、そこからほったらかし状態が続くんです。それでも、いつも適当な落書きは続けてはいて。ただ、人に見せるようなものじゃない、みたいな考えが多分あったのかもしれない。あとはもちろん、俳優だったり他のことにも集中していたし、僕は本当に絵描きでもないし、画集を出すようなことでもないのかなぁ、と思っていて。

―その考えを変える大きなきっかけがあったんでしょうか?

2013年の、中国の撮影(映画『羅曼蔕克消亡史』、16年に中国で公開)がきっかけだったと思いますね。ストレスがすごく溜まっていたので。それでもう、見せる見せないじゃなく描こうと思って描いていたときに、「紙とペンだけでいいんだ」と思ったんです。ほかは潔くやめようと。紙とペンだけで描くんだったら、俺は続けていこうと思って、このスタイルになりました。

―タイトル、『蛇口が止まらない』感をすごく実感させられる内容ですよね(笑)。

あははは。やっぱり、僕の場合は、自分の絵がものすごく好きっていうのが一番大きいとは思うんですけど、見ながら「本当にいい絵だなー」みたいに思ってます(笑)。「俺が見たい絵だな」という絵がいっぱい入っているので。我ながら上手く描けたなぁと自負してます。

© Tadanobu Asano

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―しかも500ページだから、聖書ぐらいの束がありますよね。

確かに! それいいですね。旧約聖書と仏教聖典と『蛇口の水が止まらない』がホテルの引き出しに入ってたらよくないですか?(笑)そうしたら、俺のが一番見られる気がする! 「また説教始まっちゃったー」というときに、「やっぱこっちだな」みたいな(笑)。同じように迷える子羊が描いてあるわけですから! 今度何冊か持ち歩いて、ホテルに泊まるときにさりげなく万置きしてきます。「持ち出し禁止」って貼って。それ最高だなぁ~。

―絵を描くことは、浅野さんにとっては、仕事とは全然別の生活の一部みたいな感じなんでしょうか?

だと思います。俳優とか音楽よりも活動期間は長いというか。3、4歳からずっと描いているという意味では、生活の一部で。僕今44歳だから、絵を描き続けた40年目の記念の画集なんですよ。40年って、もうベテランの域ですよね(笑)。子どもの頃の僕が見たら喜ぶと思いますね。「こんなに描けるようになったよ」、って。

―絵を描かれる方って「しゃべるよりも描いた方が楽」という人も多いですけど、浅野さんはいかがですか?

あぁ、なるほど。しゃべるのは得意ですよ(笑)。むしろ本当に「なんで誰も俺のインタビュー本出さないんだ?」って思ってるぐらい。映画でもなんでも、インタビューに懸けているところがありますからね。こうやってせっかくインタビューしてくれるんだったら、みんなで笑いたいという思いが強いんです。面白い話ができないんだったら、絶対そいつの作品なんか面白くないと思ってるから。

ー本当にそうですよね。昔からおしゃべりは得意だったんですか?

よく幼稚園の先生に親が言われてたのは、「たぁ君がずっとしゃべってるんですけど」みたいな……(笑)。親にも常に「おまえは口から生まれたのか」と言われていたので、生まれつきなんでしょうね。今思い出してきたけど、小さい頃は、お母さんによく「次、何描いてほしい?」って聞いてましたね。お題を出してほしくてしょうがないんですよ。で、「じゃあ、猿が木に登ってるとこ描いて」とか言われると、それを夢中に描いてた。そういう自分もいたし、その日に起こった出来事をもうひっきりなしにしゃべり続けるという時間もあって。今でも、絵を描くときにお題を自分で出して、描いているうちにまた生まれてくる、みたいなことはやってますね。

―お父さまも昔は絵を描かれていて、お母さまも最近絵を描かれていますが、遺伝的な影響も大きいと思いますか?

むしろそれしかない気がする。やっぱり、父親の影響が大きいのかもしれないですね。家に画集があったり、画材があったりしたから。別に教えてくれることは何もなかったですけど、兄と僕が描くことをまったく止めもしないし、その中で兄と僕は絵を描き続けて。そうやってみんなが絵を描くことが当たり前だったんですよね。娘や息子もみんな絵は上手いですし、兄ちゃんの娘も描くし。絵描きばっかりです。

―「高校生になるまで、みんなが絵を描かないということに気づかなかった」とあとがきに書いてましたもんね。

そうなんですよ。友達から「忠信は絵、描くよな~」と言われたときに、本当にビックリして。「訳のわからないこと言って、みんな絵は描くもんだろ?」みたいな。多分、図工の時間があったからだと思うんですけど、みんな図工で絵を描くし、家でも絵を描いていると思ってたから、「描かないの!?」って聞いたら、「いや描かねぇし」って(笑)。

―人生で一番影響を受けた作家さんは?

(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・)ターナーですね。高校1年生のときでに、「お前は絵、描くよな~」と言われてから、描くことに少し自覚を持ったわけですよ。その頃、毎日のように学校帰りにCDショップに寄っていて、その向かいに本屋があって、たまたまですけど、よくある小さな画集を見つけたんです。いろんな人の画集を見てて、ターナーの絵をパッと見たときに、「うわぁ!」って。「僕のいたい場所」が具体的に描かれていたんですよね。そういう絵は描けないし描こうとも思わないんだけど、「もうこの人が一番好き!」と思った。そこから、いろんな絵を「あ、面白い!」と見ることができるようになったので。

―その頃の絵を描くモチベーションって、どういうところにあったんですか?

自分が空想する、見たい世界を具体化したかったのかなぁ? 今もそうだと思うんですけど、画集の中にあるこの世界が好きなんですよね。斜めに光が入ってきて、強烈な影があって、風が吹いている。なんかね、風が好きなんですよ。オートバイに乗るのが好きな理由もまさにそこなんですけど、季節の変わり目の匂いがしたりとかして、「あ~気持ちいいなぁ~」って。多分、その瞬間を絵にも込めたいんだなというのは、自分で思います(笑)。

―音楽をやる方で絵も描くという方は多いような気がしますが、音楽と絵の親和性って、どこにあるんだと思いますか?

ぜんぜん違うといえば違うんですけどね。さっき言ったように、光だったり風だったり、まあまあ具体的にそういうふうに見えるように描いているんだけど、でも僕は明らかに「この風が吹いている」と見えていると同時に、風を感じてるわけです。見ている人が同じ世界で風を感じられるような部分は、もしかしたら音楽にちょっと近いのかもしれないです。あとはもしかしたら、お互いの表現で足りない部分をなんとか補い合ってるところもあるのかもしれないですね。

―画集とセットで64曲67分のアルバムをつけようと思ったのも、そういう意味合いからですか?

例えば僕が1日家にいるときに、ほぼ絵を描いていたりするんです。それで、絵を休んでいるときに、この曲を作っていたりするわけです。その行ったり来たりするループを作りたかったんですよね。なので、この画集に付いている音楽は、わりかし絵に近いと思います。というのも、ひとりでシークエンサーという機材を使って、自分のためだけに短いループを作って、それが64個あるだけのものなので。要するに、ライブみたいにアピールするわけでもなく、アルバムみたいに誰かに聞かせるためでもなく、誰のためでもなくやっていることだから。

―画集の中でも、モノクロという統一感はありつつも、真面目なものからふざけたものまでいろんなタッチを行き来されていて、これを同じ人が描いているって面白いなと思いました。

だから役者をやっているのかもしれないけど、僕自身がそうやって一辺倒じゃないというか……。いろんな役をやりたくなっちゃうし、できると思っていて。絵に関しても同じで、本当は一つのスタイルでやるべきなのかもしれないけど、すごく適当に描きたくなっちゃうときがあるんですよね。

© Tadanobu Asano

© Tadanobu Asano

―浅野さんが10代の頃って、いろんなことをマルチにやることがあんまりよしとされない風潮があったと思います。最近はそれもあたり前になってきていますが、浅野さんはいろんなことをやる人の先駆けですよね。

僕はミーハーだったので、小さい頃は絵を描いていて、小学生ぐらいになると「コロコロコミック」を読んで、「漫画家になりたい」と漫画を描くわけです。で、中学でスケボーが流行るとスケボーをやって、中学の終わりぐらいにブレイクダンスが流行ったらブレイクダンスもやって。そうやって、流行りに全部乗るわけですよ。それでその時々で「何になりたいの?」と聞かれたら、「スケボーの人」とか「ブレイクダンサー」とか答えて、僕は全部やってる人だからそこに疑問はないわけですよ。

―役者は、全部をやれる人ですもんね。

まさにそうなんですよね。その役が来たらそれをやればいいだけだし、置き換えればいいだけなので。役者って暇ですからね、やることないから。

―そうなんですか?

まぁ役を追求すればそりゃあキリないけど、でも、もしかしたらサラリーマンの方だと、ちゃんと会社に行って何時から何時までと拘束されるかもしれないけど、バンドマンが曲を作るとなっても、1日中集中してできればいいけど、「飽~きた」ってなったらお茶でも飲みに行くかもしれないわけで。じゃあスケボーでも乗っちゃおうかな、とかなるかもしれないし。

―飽き性なんですか?

もう完全に3日坊主ですよ。ただ、3日坊主がずっと続いている感じというか……。やめたいときにやめるんです。ただ、頭には残っているから、それが1週間後かもしれないし1カ月後かもしれないけど、また続きをやりたいときにやればいいと思ってます。

―じゃあ、後輩に対しても「一つに絞りなよ」とか「継続は力なりだよ」みたいなことは言わないんでしょうね。

「継続は力なり」という言葉はすごく的を得ているとは思うけど、同時に、いや、「続ける、続けないじゃないじゃん」とも思う。要するに、好きだったら別に意識的にやっているつもりがないから。「絵、描くよな~」と言われたときと一緒で、「いや、そういうつもりじゃないんだけど」っていう。始めたつもりもないし、続けているつもりもない。これがものすごく重要だと思うんですよね。

―自覚的に決めていく必要はないと。

そう。習慣になればいいわけだし。だから、「バンドが活動休止」とかって騒がれるのも、バンド側からすれば「この期間こう活動しますとは言ってないよ」って話じゃないですか。別にそれはそのバンドの形だから。僕の場合は、1999年においては毎日描けた、2000年においては3カ月に1回描けたとか、その人の人生のペースがあるだけという。だから、若い人がいろんなことをやりたいんだったら、「全部やれば?」って言う。「その中で、一番好きなことは多分続いているよ」と。

―確かに。最近は、役者だけど写真や映像をやるとか、小説家だけど歌を歌うとか、そういう人たちが確実に増えてきていて楽しいですよね。

これが今の話に当てはまるかはわからないけど、“ルネッサンスマン”という表現があって。これはもっと洗練された言葉だと思うんですね。要するに、「いろんなことに長けている万能な人」みたいな。そういう言葉があるように、いろんなことをやりたい人がいるし、できちゃう人がいる。そうやってカテゴライズされるとしたら、僕はたまたまそっちだったっていう。人によっては一つのことしかできない人もいるから、それはその人の持っている性格だとも思うけど。

―ちなみに、絵だけで生きていこうと考えたことは今までありますか?

それは考えたことはないですけど、最近はこれで食えたら最高だなぁと思います、ほんっとに(笑)。家で寝っ転がって描いているだけだから。「先生!」なんて呼ばれて、「まだできないよ」、「原画は売らないよ」なんつって。

―原画は売らない主義なんですね。

やっぱり、原画好きなんですよねー。自分で持っていたいから……。ただ、もし絵を売るとなったら、売る用の絵を描くと思います。それは、僕の中ではけっこうつまらないことかもしれない。「どうせ売るし」と、手元からなくなる絵として描いちゃうじゃないですか。絵をもし仕事にしたとして、「壁画を描いてください」みたいな依頼がもしあったら、「紙にペンで描いてる人にそんなもん頼むなよ」みたいなこと言っちゃいそうですけど(笑)。でも、具体的に想像していくと、やってみても面白いかもしれない。やりたくないことも、やらなきゃいけないときがあるとは思っていて。役者だって、やりたい役だけをやっていたら生きていけないですからね。

―先ほど、「絵描きだとは思わない」とおっしゃっていましたが、それは絵描きだけにカテゴライズされたくないからという思いもあるんですか?

絵描きの人は、やっぱりちゃんと勉強しているし、いろんな技術を持っているだろうし、さっきも言ったように、仕事でやっていれば、どうしても技術力や経験が広がっていくわけですよね。そういうものを僕は一切拒否しているから、そういう意味ではやっぱり世の中で言う、「絵描き」みたいな要素はまったくないと思います。

―絵を描く人ではあるけれど。

そう。部屋でずっと俳優をやっている人と、現場で俳優をやっている人がいるとしたら、後者の僕は「プロとして俳優ができます」と言えるけど、それはなぜかと言えば、技術的なことがわかるからですよ。でも、家でずっとやっていたらわからないじゃないですか。だから、いわゆる絵描きさんが仕事でやることはわからないから。僕にとっては、俳優と呼ばれたほうがいいなと思うし、実際に俳優だし、俳優が絵を描いているわけで。そういう風に見られるほうが楽ですから。

―じゃあ、この先もずっと絵を描くことに関しては、「蛇口の水が止まること」はない感じでしょうか?

ないですね。蛇口自体、もうないかもしれないですからね。よく見たら(笑)。

―出っぱなしなんですね(笑)。シリーズ化も楽しみにしてます。

そうですね。これが1巻だとしたら、10巻くらいまでは作りたいですね。「また出たの?」って言われるくらい。僕、その都度、64曲入れますから(笑)。

Photo by Hiroki Watanabe

Photo by Hiroki Watanabe

<プロフィール>
浅野忠信(あさの ただのぶ)
1973年11月27日生まれ、神奈川県出身。90年『バタアシ金魚』でスクリーンデビューを果たして以後、国内外の映画に出演。『モンゴル』は、2008年の第80回米国アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされた。11年『マイティ・ソー』でハリウッドデビュー。14年には『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞を受賞。カンヌ国際映画祭においては15年『岸辺の旅』で「ある視点」部門監督賞、16年『淵に立つ』で「ある視点」部門審査員賞と、主演作が2年連続受賞。自身も第10回アジア・フィルム・アワード最優秀助演男優賞、さらには第11回アジア・フィルム・アワード最優秀主演男優賞と“アジアのアカデミー賞”とも言われる同賞で史上初の2年連続主要部門受賞の快挙を果たした。俳優業のみならず、音楽家としても活動し、「SODA!」でバンド活動や、DJも行う。また、自身のブランド「JEANDIADEM」で洋服のデザインも手がける。

書籍情報
タイトル 蛇口の水が止まらない
著者 浅野忠信
デザイン 樋口裕馬
価格 ¥3,800
判型 B6判変形 / 512ページ
浅野忠信作曲オリジナル・アルバム「かげの音」CD付
テキスト 日英
発行日 2018年12月
出版社 HeHe / ヒヒ
HP www.hehepress.com