パリ、シュールレアリズムの旗手 ヴァンサン・ダレ インタビュー
Vincent Darré
Photography: UTSUMI
Interview & Text: Shunsuke Okabe
「この部屋のインテリア、嫌いだね」。
モダンかつ都会的、ゆえの退屈極まりないスイートルームのしつらえに一瞥をやりながら、グレーヘアの紳士はこうつぶやいた。確かに、ギンガムチェックの洒落たセットアップに身を包んだ彼の佇まいに、ミニマリズムという言葉は似つかわしくない。
ファッションデザイナー、アーティスト、インテリアデザイナー、パリのナイトシーンの生き字引、シュールレアリズムの継承者…
Vincent Darré (ヴァンサン・ダレ) の肩書きは幾多にも及ぶ。今年で還暦を迎えたとは思えないほど、好奇心に満ちた輝く目はこれまで何を見てきたのだろう。めくるめくシュールレアリズムの世界の片鱗を、少しだけ覗いてみよう。
パリ、シュールレアリズムの旗手 ヴァンサン・ダレ インタビュー
Portraits
「ル パラス」で過ごしたデカダンな10代、ファッションデザイナーとしてのキャリア
—あなたがインテリアを手がけた、パリのヴァンドーム広場に構える Schiaparelli (スキャパレリ) のサロン、とても素敵でした。
ありがとう!Elsa Schiaparelli (エルザ・スキャパレリ) は私自身、昔から憧れのデザイナーだったから、メゾンの顔とも呼べるサロンを任された時は嬉しかったね。
―シュールレアリズムを得意とするあなたの世界観と、Schiaparelli のメゾンコードが見事にマッチしていて素晴らしいです。パリのデザイン界の”アンファン・テリブル”(フランス語で問題児の意)と呼ばれることも多いですが、実際の幼少期の頃の話を聞かせて頂けますか?
今と変わらない、変わった子だったと思うよ。母が連れて行ってくれる、Robert Wilson (ロバート・ウィルソン) のオペラを何よりも楽しみにするような子供だった。出版業界で働いていた母親を一言で表すなら、“デカダン” な人。当時のパリで最も前衛的だったアーティストたちから、アンダーグラウンドシーンの重要人物が家に出入りしていた。その影響もあってか、10代の早いうちからナイトクラブに入り浸るようになった。特に「Théâtre Le Palace (ル パラス)」には毎晩のように出かけたね。
―「Le Palace」といえば、70年代から80年代を代表するナイトクラブですね。
当時のナイトシーンはとにかく熱狂的だった。Christian Louboutin (クリスチャン・ルブタン) や、インテリアデザイナーの Andree Putman (アンドレ・プットマン) と、毎晩のように遊興にふけったね。
―その後、ファッションの道に進まれたんですよね?
この頃出会った友達に、ドレスのデザインを依頼されたことがきっかけだった。スタジオ・ベルソーを卒業してから、まず入ったのが Yves Saint Laurent (イヴ・サンローラン) のオートクチュールアトリエ。その後 Claude Montana (クロード・モンタナ)、Prada (プラダ) での経験を経て、90年代に知人からの紹介で Karl Lagerfeld (カール・ラガーフェルド) と出会った。すぐさま彼とは意気投合して、Chloé (クロエ) にデザイナーとして呼ばれた。
―絵に描いたようなサクセスストーリーですね。普段の Karl Lagerfeld 氏はどんな人でしたか?
メディアであまりプライベートのことを多く語る人ではなかったからね。普段の彼は、至って普通の人だった。ブルジョワのように気取ったところがひとつもなく、誰とでも分け隔てなく接する人。それでいて、周囲を惹きつけてやまない魅力に溢れていた。好奇心に満ち溢れていて、初めて会った人ともすぐ打ち解けて友達になれるようなオープンな人。Chloé の後には、Fendi (フェンディ) のチームに呼ばれ、6年間彼とアトリエワークを共にした。
―彼から学んだことはありますか?
深い洞察力、ビジョナリー精神、ユーモアのセンス。彼のような才能に触れることができたのは幸運というほかないね。
ダダイズムに触発され、ファッションからインテリアの世界へ
―ファッションデザイナーからインテリアデザイナーへと転身されたことも、その影響でしょうか?
そうかもしれない。Fendi の後は、Moschino (モスキーノ) のアーティスティック・ディレクターを4年務めた。その頃から、ファッションデザイナーとしての自分に違和感を感じていたんだ。有名なブランドでディレクターとして仕事をするのは刺激的だったけど、私自身のクリエイションに専念したかった。Moschino の後に実は一瞬だけ Emanuel Ungaro (エマニュエル・ウンガロ) にいたこともあるんだけど、長続きしなかったね。
―転身の決めてとなった、ブレイクスルーはあったのでしょうか?
パリのポンピドゥーセンターで行われていた、ダダイズムのエキシビションに出合ったんだ。衝撃だったね。爆発的なエネルギーと、型に収まらない自由な表現方法、反骨心。これがきっかけとなって、自分のデザインスタジオを作ることを決心したんだ。
―Maison Darré (メゾン・ダレ) の設立が2000年代に入ってから。これまでに、著名メゾンのサロンや、ホテル、私邸に至るまで実に幅広い分野のプロジェクトを手がけてきました。ファッションと比べて、インテリアにはどんな魅力があると思われますか?
ファッションもインテリアも、装いという意味では同じだと思ってる。インテリアが特別なのは、そこに足を踏み入れる全ての人が体感するということ。フランス語で「アール・ド・ヴィーヴル(暮らしの芸術)」という表現がある。それはもちろん、視覚的なアートという意味でもあるけど、そこでどんな生活が営まれているのか、どんな人が訪れ、どんな感情を抱き、どんな空間を作り上げるのかという、よりパーソナルな感覚が補完されて初めて成り立つ感性なんだ。素敵な家具を買ったら、誰か家に招きたくなるだろ?その感覚こそが、インテリアの持つ最大の魅力だと僕は思うんだ。
―インテリアデザインのほかに、アーティストとしてのコラボレーションなども多く見られます。もし今後、新しいフィールドにチャレンジするとしたら、どんな分野に関心がありますか?
仕事に対する私のモットーは、ノーとは言わないこと。常に新しいことにチャレンジしていたい。デザインの世界から離れたいと思ったことはないけど、ひとつの分野に収まるのも性に合わないんだ。
―最後の質問です。ファッションデザイナーやインテリアデザイナー、アーティストなど様々な職業をお持ちですが、自分を象徴する肩書きをつけるとしたら、どんな名前にしますか?
私の仕事は装飾すること。デコレーターが僕の肩書きだね。