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「常に自分を超えていきたい」イメージを更新し続ける女優・夏帆

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photography: tetsuo kashiwada
interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

デビュー当時に鮮烈な印象を残した “清純派” の枠から飛び出し、演じる役ごとに新たな女性像を創造し、イメージを更新してゆく女優・夏帆。彼女の最新出演作は、『幼な子われらに生まれ』(2017) の監督三島有紀子が手掛ける、直木賞作家・島本理生の長編小説の映画化『Red』だ。主人公は、一流商社勤務の夫と娘と不自由なく暮らす主婦・村主塔子。自らの感情を押し殺して生きてきた塔子が、かつて好きだった鞍田秋彦 (妻夫木聡) と再会したことで、本来の自分らしさを取り戻していく物語である。そんな塔子を演じきった、現在28歳の夏帆に、自分らしい人生の選択と挑戦について訊いた。

「常に自分を超えていきたい」イメージを更新し続ける女優・夏帆

—『Red』は、個人の選択やそれぞれの生き方、幸せのあり方などを考えさせられる作品だと思いました。夏帆さん自身が考える幸せって、どういうものですか?

幸せって、なかなか難しいですよね。でも、塔子を演じてみて、結婚していて、子どももいてと自分とは全く環境が違うところにいる人ですけど、そこで塔子が感じている息苦しさはわかるなとは思いました。もし自分の人生に置き換えるとすれば、これから何を選択していけばより自分らしくいられるんだろう、ということはとても考えました。それが、幸せってことなのかもしれないですけど。特にこれまでも私は仕事中心でずっとやってきましたけど、この先家庭を持つとか、子どもを持つとなったときに、全てを手に入れるのはなかなか難しいのかもしれないと。女性として生まれてきた以上は、そこはどうしても避けては通れない道なのかなと感じました。

—難しいと思ってしまう社会に生きてるということですよね。

そうですね。でも、仕事をしながら子育てもできるとは思うんです。両立されている方はたくさんいらっしゃいますし。ただ、今のように仕事ができるのかというと、それはまた状況が変わってくるかもしれない。男性だったら、もしかして子どもが生まれても変わらずにいられるのかもしれないけれど、女性にとってはそれは難しい気がするというか。塔子の場合は、そこの葛藤があるんです。出産と育児でキャリアコースから一旦離れたけど、また仕事に戻りたい。でも、夫は「別に仕事をしなくても良くない?」という人で、そこでの歪んだ感情もあって。状況にも、家庭をつくる相手にもよると思うので、何ともいえないですけどね。

—夏帆さんは、女性だから、ということを意識して行動を抑えてきた部分ってありますか?

あまりないと思います。日々生活していて、自分が女だって特別意識しながら生きているわけじゃないですし。女性として生まれて、生きている。もうそれだけであって。でもやっぱり、「女の子だから」といわれるのが昔からすごく苦手でしたね。10代の頃なんて特に、「女の子」として見られることが多いですから。だから、割と私もそういう押し付けられたものには反発してきていると思います。

—相反して、塔子は妻として、母親として、期待される役割をすごく意識している方ですよね。

いい母親でいなきゃいけない、いい妻でいなきゃいけない。もっとさかのぼれば、いい子でいなきゃいけないというところで彼女は生きてきて、たぶんどこかで限界を感じ始める。そんなときにかつてどうしようもなく好きだった鞍田さんが現れて、手を引かれていくというのがこの映画の始まりです。

—ひとりの女性が本当の自分の姿に気づいて、外の世界へ自立していく話でもありますね。

はい。脚本を読んだときはもっと恋愛が主軸にある映画なのかなと感じていたんですけど、出来上がったものを観たときに、それよりも塔子という女性の生き方を描いた作品だなと感じました。塔子というキャラクターは、色がないというか主体性がないんですよね。家庭という鳥かごの中にいて、本来持っているはずの自分というものをあまり出さずに、蓋をして生きてきた。そんな環境で育ってきた彼女が、自分の本当の色を見つけていくという映画だと。その色がどんなものなのかというのは本当に人それぞれ、観てくださる方によって受け止め方は違ってくるのだと思います。

『Red』

—刺さるセリフがかなり出てきますが、夏帆さんが個人的に刺さったセリフはありますか?

お母さんのセリフ、「人間さ、どれだけ惚れて、死んでいけるかじゃないの?」。あれはすごいセリフだなと思いました。お芝居なので、自分にいわれているわけじゃないんですけど、ハッとしちゃいました。親子の会話でこのセリフが出てくるのは、三島さんらしいなと思いましたし、あの台詞をいう余貴美子さんが本当に素晴らしい。彼女という母親のもとで育っているから、塔子はこういう生き方をしてきたのだというのが垣間見えるシーンですよね。

—刺さったというのは、若干の憧れの感情もあって?

そうですね。普段、極力自分は排除したいと思ってお芝居をしているんです。ただ、このときは自分に置き換えてしまったのかもしれないですね。

—本作は不倫関係を描いていて、最近のメディアや世間は、正論を武器にする傾向にありますけど、ただ映画は、正しいとか正しくないかをジャッジするものではないですよね。

もちろん賛否はあるだろうし、世間的には許されることではないとは思います。ただ、映画の中では、必ずしも正しいことばかりが描かれなくてもいいと思うんです。それよりも、その先に問い掛けがあることが、映画としてはすごく意味があるんじゃないかなと思います。

—この映画では、本能的に生きるとはどういうことかということも問われているなと思いました。

本能的に生きるのって、難しいですよね。あるがままにしたいことだけを貫いていくと、それはそれでただのわがままになってしまう。ずっと一人で生きていくと決めて、ずっと一人で何かをやるんだとしたら、自分の思いだけを貫き通してもいいと思うんですけど、そうじゃなくて人と関わっている以上、自分の欲望だけで突っ走ることはできないじゃないですか。かといって、自分を完全に押し殺して周りに合わせて生きていくのがいいわけでもなくて、そこはバランスだと思います。

—難しいですよね。ちなみに、夏帆さんはどんなときに、「私、生きてるな」と感じますか?

やっぱり、仕事しているときでしょうか。休みは休みで充実させようと思ってはいますが、プライベートの時間よりも仕事をしているときのほうが実感はあるかもしれないです。それと、旅に出たとき。気持ちも切り替えられるし、いろんな人と出会って、自分の知らない世界に行けるから。それができないときのために、映画、漫画、小説といったエンターテイメントがあるんじゃないかなとも私は思っています。映画を観ていると、その約2時間は違うところに行けるじゃないですか。主人公に感情移入して、その人の人生を疑似体験したりとか、帰り道に、普段自分が考えないようなことや、作品の中で問われていることを考えたりとか。割と旅とリンクしている感じがするんですよね。仕事していると、長期の休みが取れなかったりするので、そういうときには映画を観ることも多いです。

—以前、取材をさせていただいたときに「リミッターを超えたい」と仰っていましたが、その思いに変化はありますか?

やっぱり、もう一段上に行かなきゃ、という思いは常にありますね。この現場でも思っていましたし、「今のもOKだけど、それは見たことがあるからもっと違うものが見たい。もっとできるよね」というのは三島さんにもずっといわれていて。それは自分でもわかっていたので、どれだけ超えて行けるのかというのが、自分の中で一番の課題でした。せっかくこういう役をいただいて、三島さんが「今までとは違うものが撮りたい」と仰ってくださっているんだったら、そこを超えていかないと絶対にいいものにならないと思って。どの現場でも、それが私の中での一番のテーマです。実際に、出来上がったものの中で、それができているのかは私にはわからないんですけど (笑)。

—かなりタフなメンタルが求められますよね。現場で強くいるために、オフのときに心がけていることとか、リラックス法ってありますか?

友達に会うことかな。この作品を撮っている間は、プライベートの時間がほとんどなくて、なるべく私自身もあえてそういう時間を作らないようにしていたんです。じゃないと、途切れてしまうのが怖くて。この作品に集中することだけをずっと考えていました。ただ、終わった後に友達と会ってなんだか泣きそうになってしまって。「ただいま」じゃないけれど、これが私の日常だと思いました。友達と会って何をするでもなく話したりすることが、一番切り替えられますね。