花形ダンサーから芸術監督へ、パリ・オペラ座バレエ団を率いる麗人オレリー・デュポン
Aurélie Dupont
photography: utsumi
interview & text: hisae odashima
現役バレリーナ時代は『踊る女優』と呼ばれ、エレガントな美貌と完璧にして優美な演技で世界中の観客を魅了してきた Aurélie Dupont (オレリー・デュポン)。1998年から2015年までパリ・オペラ座バレエ団最高位のエトワールとして活躍した彼女が、2016年にバレエ団の芸術監督のポストに就いたときは、多くのバレエ・ファンが驚いた。短期間に終わった前任者の Benjamin Millepied (バンジャマン・ミルピエ) の後、既に3年半の任期が過ぎたが、その間パリ・オペラ座バレエ団は歴史あるカンパニーの威厳を取り戻し、154名のダンサーが彼女の監督下で毎夜素晴らしい公演を披露している。
花形ダンサーから芸術監督へ、パリ・オペラ座バレエ団を率いる麗人オレリー・デュポン
Portraits
3年ぶりの来日公演では『ジゼル』と『オネーギン』を上演。インタビューは『ジゼル』の公演の合間を縫って行われた。CHANEL (シャネル) のランウェイショーにもフロントロウとして招かれる Aurélie は今でも美しく、友人である Isabel Marant (イザベル・マラン) のブラウスを「これは原宿で買ったのよ」とスタイリッシュに着こなす現代的な女性だった。
―2016年にパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に任命され、2017年シーズンから実際にバレエ団を率いて3年半が経ちました。その間にどのような苦労がありましたか?
私が以前どういうポジションにいたかは皆が分かっていたから、ちょっと怖がられている感じがしました。現場のすべての人のことを知っていて、少しでも気を抜いたらバレるわけですから。大きなカンパニーに所属していた人は、バックがついていることでちょっと安心かも知れないけれど、私の場合は皆と全力でとにかく頑張ろうというところから始めました。カンパニー自体が「世界一だ」と胸を張って言うべきところなのに、今の状態では世界一とは言えない……私が世界一に戻す、という強い意思がありました。最初のシーズンは新しい振付家を招いたり、コンテンポラリーな要素を多く取り入れたりしたのですが、確かな手ごたえがありました。加えて、ダンサーともっと意思の疎通を取る必要を感じたので、9月、3月、6月とワンシーズンごとに大きなミーティングを設け、プラス、毎月4人のダンサーを選んで私のオフィスでミーティングをするようにしたんです。すると、個人個人で、考えていることが違うということが把握できました。努力をしていないのに『もっと地位が欲しい』というダンサーもいれば、才能もあり高水準のパフォーマンスをしているのに何も望まないようなダンサーもいる。そうやってすべてのダンサーと面談することで、彼らがカンパニーに何を求めているかを深く理解するようになったのです。
―そのようなことは以前も行われていたのですか?
芸術監督では私が初めてだと思います。カンパニーとしてより、まず個人として相手を理解することが大切だと思いました。
―1989年にオペラ座に入団して、様々な芸術監督のやり方を見てこられたと思いますが、そこで反面教師も含めて、あるべきリーダーシップを学ばれたのでしょうか?
20年間芸術監督を務めた Brigitte Lefevre (ブリジット・ルフェーブル) 氏は、カンパニーに願うことは『全員が野望を持つことだ』と語っていました。それが絶対というわけではないけれど……志を持っていることは大事です。私が過去の芸術監督と違うところは、私自身がダンサーであったということ。稽古場に入ったとき尊敬してもらえますし、今までダンサーは芸術監督ではなく、踊りの先生に演技についての意見を求めていたのですが、私には直接意見を聞けるようになった。それはとても大きいです。
―今回の来日公演で上演される『ジゼル』などはご自身でも数えきれないほど踊られた演目ですよね。1998年のプロダクションで、ちょうどあなたがエトワールに昇格された年の制作です。
初演時はとても大変だった記憶があります。振付家が二人いて、一人は一幕、もう一人は二幕を担当したのですが、ステップの数がとても多くて、何かを決めるときにもとても長いプロセスを要しました。最初のツアーのひとつがメキシコ公演で、疲労のあまり酸素不足になっていたダンサーも……私は大丈夫でしたが(笑)。『ジゼル』はほとんどの役を踊ってきたので、主役を演じるときも何の問題もありませんでした。一幕の村人の小さなパ・ド・ドゥや、二幕での2人のウィリの踊りもやりましたし……やったことがないのはミルタだけですね。
―私の手元には1992年のパリ・オペラ座バレエ団の来日公演のプログラムがあります。このときの監督は Patrick Dupond (パトリック・デュポン) で、Isabelle Guérin (イザベル・ゲラン) らがエトワールだった頃です。あなたの名前もスジェ(オペラ座で上から3番目の階級)として載っていますが、当時のダンサーと今のダンサーの違いは何でしょう?
この公演のことはあまり覚えていないのですが…28年前のダンサーと今のダンサーでは、すべてが違います。ダンサーということだけではなく、若者のライフスタイルが全く違いますよね。当時は携帯電話もなかったし、Instagram (インスタグラム) も Twitter (ツイッター) もなかった。今のダンサーは YouTube (ユーチューブ) でたくさんの踊りをチェックすることが出来ます。そのことだけでも大分違うと思います。
―SNSの存在も、ダンサーに影響を与えていますか?
Instagram で有名になることで、立場以上の存在になったと思い込んでしまう危険があるのではないかしら。ダンサーとはもっと困難な立場にあるものです。
―なるほど。ご自身についてもお聞きしたいのですが、2015年に『マノン』で引退され、ダンサーとしては一線を退く形になりました。現役時代は規律というものが大切だったと思うのですが、今でもその規律を守られているのではないですか?
もちろんダンスは続けているので規律は大事です。ポワント(トゥシューズ)はもう履かないのですが……でも、私は今もダンサーです。芸術監督になっても何になっても、自分を変えることは出来ません。体型を維持することにもこだわっていますし。Hugo Marchand (ユーゴ・マルシャン=オペラ座の若手男性エトワール) のように跳ぶことは出来ませんが、ダンサーとして女性として、自分の肉体を使って表現することには、こだわりがあるんです。
―2017年の来日公演では『ダフニスとクロエ』で素晴らしいクロエ役を踊られました。2014年の『椿姫』も鮮烈な記憶に残っています…世界中の観客があなたのダンスを愛していると思います。ご自身としては、ダンサーとして幸福に恵まれた人生だと思いますか?
はい、とても(笑顔で)。
―パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督という立場では、バレエがこの先変わるべきか、変わらないべきか、何を変えて何を残すかということを慎重に考えるのではないですか?
そうでもないです。『ロミオとジュリエット』は昔も今も人気で、これからも演じられるでしょうし『ジゼル』も変わらない。変化というのは一瞬のうちに訪れるものではないし、2020年に相応しい形で訪れる変化を受け入れるつもりです。演目を選ぶにあたっては、二つのことを考えています。一つは観客が何を求めているか。もう一つはダンサーに何を与えることが出来るか。どの演目なら若いダンサーを奮い立たせることが出来るのか。芸術的なことも大切ですが、ダンサーと観客の関係性を考えたときに、一番適切なものを選ぶようにしています。
―現在取り組んでいる新作について教えてください。
パリでは、ノルウェーの振付家 Alan Lucien Øyen (アラン・ルシアン・オイエン) を招いて新しい作品を創っています。ダンサーに振付をしていただく前に、稽古場での振る舞いや人間性を知るために彼と一緒に仕事をしたのですが、オペラ座にぜひ招きたいと思いました。彼はダンサーに振付をするのではなく、台詞を与え演技をさせるのです。2、3年前はダンサーの側に演技面での準備が出来ていなかったのですが、成長して、今なら出来ると思いました。オーディションのときも、ダンスではなく演技のオーディションをしたんです。ダンスは身体を使った会話であることを、演技とテキストですべての表現が舞台では可能であることを、この新作では見せていきます。
―ダンスの捉え方に関してもとても本質的だと思うのですが、子供の頃から物事の本質を捉えるトレーニングをしてきたのでしょうか?
こういう性格なんです。生まれたときからこう。踊っているときもこんなふうです。
―そういうあなたを側で見てきた人々は、パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督になってもあまり驚かなかったでしょうね……。
でも、普通にみんなびっくりしてましたよ(笑)。