Kikuji Kawada
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「新しいドキュメンタリーとしての『地図』」 川田喜久治

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interview & text: yuzu murakami

Portraits/

写真集 『地図』(1965)は、川田喜久治のデビュー作であり、日本写真史を語る上で避けては通れない金字塔である。広島の原爆ドームの地下の天井の 「しみ」 をはじめとするコンセプチュアルな写真を、全ページ観音開きというラディカルな造本でまとめた初版本は、伝説といわれるほど入手困難。これまで2度の新装と1度の復刻を繰り返しており、国内外で高い評価と人気を集めてきた。

実はこの 『地図』 にはさらにデザインの違う 「マケット(=構想模型)」(現在、ニューヨーク公共図書館収蔵)と呼ばれる二分冊の本がある。この 「マケット」を再現したのが、MACK (マック) より出版となった 『地図(マケット版)』 である。このようにさまざまな版を重ねてきた 『地図』 の制作背景について、写真研究者の村上由鶴がインタビュー。当日は、新刊本の企画・編集をニューヨーク公共図書館のジョシュア・チュアンと共同で行ったアート・リサーチャーのヒントン実結枝も同席した。

「新しいドキュメンタリーとしての『地図』」 川田喜久治

『地図(復刻版)』(2014年/Akio Nagasawa Publishing)

── 写真集 『地図』 は、杉浦康平さんによる観音開きの画期的な造本でよく知られています。今回発売された 『地図(マケット版)』 は、その出版に先立って杉浦さんと共に制作されたものを再現したものですね。

それまで、二分冊で一巻を成しているという写真集はありませんでした。なにか映像を見れば人間の目には必ず残像が残りますが、「しみ」 の一冊を観たあとに 「オブジェ」 の一冊を観た人が自らそれを自由にコンバインして、音や風とかいろいろな言葉とかそういったものを想像できるだろうかということを僕は一番心配しました。でも、これまでにないものを作るということで、まずは二分冊のものを作ることにしました。

 

── そして、2分冊の 『地図』 を持って出版してくれる出版社を探したんですね。

文学系の出版社はすべて断られました。今では、文学系の出版社に持っていったのは僕の間違いだったと思いますけどね(笑)。美術出版社の美術出版センターという、展覧会カタログを作る専門の部署があって、そこで観音開きのものを作ることになりました。

── 被爆地としての広島をテーマとした写真作品としては、ドキュメンタリーの手法を用いた土門拳さんの 「ヒロシマ」(1958年)などがありますが、川田さんの 「地図」 はいわゆるドキュメンタリーとは異なるように思います。

でも、僕は実はドキュメンタリーを作ろうと考えていました。これまでとは違った形式の、新しいドキュメンタリーを模索するという思いは強くありました。写真の本道はドキュメンタリーだと思っていたんです。ですが、そういうテーゼは疑いの余地があります。例えば、ドキュメンタリーの前にはルポルタージュがありました。僕はグラフカメラマンでしたから、ドキュメンタリーをやりたいという思いがあったのですがルポルタージュから入りました。そのうちに、毎日のようにあれを撮れ、これを撮れとやらされていると、そういうものに飽きたらなくなってくる。それで新しいドキュメンタリーを作ろうと考えるようになったと思います。

 

── 土門さんが 『ヒロシマ』 を刊行した同年、再度広島の地を訪れて被写体と交流する土門さんの撮影を、当時 『週刊新潮』 のカメラマンだった川田さんが担当されたことが、「地図」 のきっかけであったということはこの 『地図 (マケット版)』 のテキストでも語られていますが、川田さんと土門さんのドキュメンタリーの違いはどのようなところにあるでしょうか。

僕のことを最初に写真家として認めてくれた先生であり先輩であるのが土門拳さんと木村伊兵衛さんです。僕がアルス社の 『カメラ』 誌に応募した写真を特選にしてくれたことがきっかけです。僕はどちらの先輩も好きでしたが、土門さんのやっているドキュメンタリーという方向のほうが自分に合っていると感じていました。とはいえ、自分は、土門さんがやっていたようなドキュメンタリーとは違うものを求めてもいて、もっと主観が強く入っていいだろうと考えていました。

 

── 主観というところでは、確かに、川田さんと土門さんでは違いが大きく出る部分ですよね。

僕の作品は主観そのものですよね。当時はみんなあまり認めてくれなかったですけれど、海外のほうではこういう方法もあるというのも 2、3 聞いてはおりました。そういう意味では、当時の日本の写真界の考え方は柔軟性に富んではいなかったんですよね。

『地図』

── 「新しいドキュメンタリー」 ということですが、「地図」のなかでも、戦後の日本を示す「オブジェ」はかなりコントラストが強いので、ディテールがわかりにくいですよね。逆に原爆ドームの天井を覆った 「しみ」 をフラットに捉えたイメージは、コントラストが低くトーンがあるのでディテールがある。ですが、これはいずれも抽象的な表現ですよね。

写真はこれ以上、抽象化できないですよね。トーンを切り詰めてハイコントラストにしていくことによって写真も違ったイメージに転化することができる。絵画などであればすぐにできることだと思いますが。

 

── 「写真表現である」というところにこだわりがあったということですね。

写真が持っている階調には、人間で言うところの声や言葉が含まれている。単純化して抽象化されるとその言葉や声も変わってきますよね。一方で、具体的なものが眼を見張るほどシャープに写っていれば写っているほど、そのものとは違った想像をさせる。僕はどちらも写真の持っている強みだと思うんです。フォトジェニックでいわゆるそれがレンズ・カルチュアーなんですね。自分は両方を使いながら作っていると思っています。

 

── 原爆ドームの天井をおおったしみとの出会いのことを聞かせてください。しみと出会ったことで、「地図」の作品が始まったんですよね。

原爆ドームでしみを見たときに、この対象はルポルタージュにもなるし、ドキュメンタリーにも、あるいは表現にもなるということがわかっていましたから、それを見つけたときが自分の写真のスタートでした。

 

── しみと対峙したときには戦慄や恐ろしさ、と同時に、美的感覚、魅せられるような感覚があったのでしょうか。

これについては、昨日話すのと今日話すのとでは変わるんですよね。でも、よく 「美は痙攣する」 とか、言いますよね。そういうものだったと思います。やはり、寒気がする、気味が悪いというのはありましたので、早くこの仕事を終えて外に出たいと思っていました。だから、あっという間に撮った。撮っていても、背後から何かが来るような感じとか、あとは天井が壁が全部落ちてくるような幻覚を見ました。まあ僕は幻覚よく見るほうですが(笑)。

 

── そのようにしみに魅せられた感覚は、原爆や戦争に対する具体的な恐怖や死を想起したということでしょうか?

大きなショックを受けたと思います。壁があの状態になるまでにすでに13年経っていたわけですから、これは原爆だ、ということだけではありません。最初にしみを見つけたときの衝撃には何か計り知れないものがありました。僕はそれを身をもって原爆ドームの中で体験したんですけど、そういうケースはあの時以来ありません。あのしみを超えるものはないと思います。その驚きを分析することはできません。

『地図』

── しみだけの一冊があるというところに、川田さんのしみへのオブセッションのようなものを感じます。

こんなにたくさんしみの写真を見られない、という人もいます。2、3枚撮ればいいんじゃないかという意見もあったと思いますが、想像力を喚起する意味でも、いろいろと実験をしたいと思うのです。

 

── しみに出会った後に 「オブジェ」 の撮影をはじめられたんでしょうか。

どちらが先とも言えない。どちらかというと、オブジェのほうの何点かを時期的には一番はじめに撮ったのだろうと思います。主題が先に見つかっていたわけではないので広島を撮ろうということはあまり考えていなかったんです。戦後の日本を全面に出していこうとも考えていませんでした。ただ、自分に引っかかってくるイメージがそれだったということです。写真というのは、色々なものを引っ掛けてくるものとも言えますよね。ですから自分が収集するイメージというのはみんな、僕の小さい頃からの脳裏にある記憶と世界の出会いが出ているということです。「地図」 は1960年代のオブジェと心理的な影が交差しています。現在も、撮っているものは違いますが、その頃とスタイルはあまり変わりません。

 

── 「地図」というタイトルはどのように決められたのですか?

最初から 「地図」 というタイトルをつけていたわけではありません。100 から 200点ほどの写真ができたときに、初めての写真集になるので、なるべく大きなタイトルをつけようと考えてました。もしかしたらこの最初のタイトルでどこまでも行けるかもしれない、行ってもいいというような思いもありました。

エンドレス マップ

── まさに地図ですね!

はじめの作品集につけるタイトルというのは自分でもずいぶん気張るものですよね。あまり日常性のないタイトルだと嫌がられるから親しみやすいほうがいいだろうとも考えました。いいタイトルが決まれば、「エンドレス マップ」 のように副題を付けて続けていけます。同じ写真であっても今日との関わりを異化しながら続けていきたいです。自分で撮った写真を1回で 「これで終わりだ」と思うと、つまらなくなってしまいますから。

 

── 今回の 『地図 (マケット版) 』 出版社の MACK(マック)から、以前も出版をされていますね。その経緯を教えて下さい 。

マイケル・マックさんがドイツの出版社 Steidl(シュタイデル)にいたころなので、かなり前ですが、突然、そこの出版本が10冊ほど送られてきました。Steidl とはこういう会社で、このような写真集を出していて、あなたの 『地図』 を再版したい、Steidl の複写機はものすごく優れているのでどうですか? と言われたんですがそのときはなぜか断りました。その後ロンドンの Michael Hoppen Gallery(マイケル・ホッペン・ギャラリー)での 「ラスト・コスモロジー」 の展示をしたとき(2014年)に本も作ろうということになって、初めて MACK で本を作りました。マックさんは、一枚のプリントを売るより本を作るほうが楽しいと言っていますよね。写真はプリント展示より本の方に力点を置いていました。今回は、マケットをコレクションされているニューヨーク公共図書館と親しい MACK の連携が最大の力となってくれたと思います。

 

『地図 (マケット版)』

── 『地図 (マケット版)』 には 「地図の地図」という、オリジナルの 「地図」 とトリミングやコントラスト等を比較するインデックスが収録されていますが川田さんのなかで「地図」に対する気持ちが毎回変わっていることによってその度に表現も変わっているのでしょうか。

本へのトリミングは、デザイナーが入って行うことですから、僕のトリミングに加えて、デザイナーによるトリミングが入るのでそれを認めるか認めないかというところは写真家によって変わりますが、僕は認めるようにしています。というのも、結局、本の判型やレイアウトにそのデザイナーも考えがあってやっていることなので、僕が何かを言っても直しようがない。人間関係も悪くなるし、作品も状況も悪くなるんですよね。そういうことなら、やはり初めから 「この人になら任せられる」 という人に頼んで口を挟まないというのがいいですね。

はじめに写真集を一緒に作るデザイナーについては何年もかけて選んでいましたが杉浦康平さんにお願いしたのです。

 

── 先日PGIで展示された 「エンドレス マップ」 でのプリントは豊かな階調があり、今回のマケット版のものとはだいぶ異なっていました。今回、収録された 「地図の地図」 を見て改めて感じたことはありましたか。

今回のマケット版を見てから、本に収録されているすべての写真を 「エンドレス マップ」 で使用したものとは別の和紙にプリントしています。それもまた、これまでの 「地図」とは違ったものになっています。写真は、プリントや印刷を繰り返し、挑戦を積み重ねていくなかで、心理的な変化を作り出すものですから、自分のプリントはラボまかせにしないほうがいいんじゃないかと僕は思うんです。トーンという新しいことばは自分で発見しないと。

 

── 『地図』 はある種の省略が用いられていて、言語的な説明ではないものの、様々な感覚を想起させられます。逆に言うと写真を見て、戦争や原爆について伝えるという目的はなかったのではないかと感じました。

おそらく、その場所に立てばカタストロフのイメージ、あるいは世界の持つ大きな暴力を感じてくると思います。どのように表現するかは心理的なもの、社会的なスタンスやレンズの写す光と影、そして、写真家それぞれの特有の解釈が反映されてくるだろうと思うのです。

『地図 (マケット版)』