デヴィッド・ロウリーが見せる、争うことなく問題を乗り越えるという視点。
david lowery
interview & text: tomoko ogawa
『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』の David Lowery (デヴィッド・ロウリー) 監督が A24 と再びタッグを組んで、14世紀の作者不明の叙事詩をもとに『指輪物語』の作家 J.R.R Tolkien (J・R・R・トールキン) が現代英語に翻訳した『サー・ガウェインと緑の騎士』を大胆に脚色。映画『グリーン・ナイト』は、アーサー王の甥、サー・ガウェインが、緑の騎士の呼びかけた、“クリスマスの遊びごと”に乗ってしまったことから、自らの“名誉”のために命を賭けて出る旅路を追う。“騎士道”と聞くと、血なまぐさい戦いをつい想像してしまいそうなものだが、さすが、これまでもその穏やかなまなざしで人間の善悪を移ろいゆくものとして映してきた Lowery 監督。恵まれた環境ながら、正式な騎士にもなれず怠惰な日々を送るガウェイン役に、どうしても憎めない Dev Patel (デヴ・パテル) を当てがい、自らを守るものから離れて己の弱さを認めていく彼の精神的成長を、現代にも通じる騎士道精神として編み直した Lowery 監督に話を聞いた。
デヴィッド・ロウリーが見せる、争うことなく問題を乗り越えるという視点。
Portraits
―本作は、アーサー王伝説を原作にしながらも、これまでの騎士道を描いた映画としては一線を画しているように感じました。まず、主人公ガウェインが誰かと争うシーンがほとんどないことも印象的です。
僕自身、議論が苦手ですし、猫と静かに暮らす生活が好きですし、争い事から逃げながら生きているタイプなので、そういう穏やかな性質が映画に出してしまっているんだと思います(笑)。僕も本作のガウェインのように怠惰だったり、ときに利己的になって、妻の希望を無視したりすることもありますし、パートナーとしてよくないとはわかってるんだけれど、ついやってしまう。妻との喧嘩も、喧嘩とは言えないようなものなんです。お互いに笑ってしまうくらい。もちろん、喧嘩の最中ではなく振り返ったときにですけどね。
―ただ黙り込むとか?
二人で会話をして、部屋に入って機嫌が悪くなる。それだけです。僕の映画と同じで、ただ目の前にある問題をどうにか乗り越えて、前に進んでいく。僕は本当に、滅多に怒らない人間なんです。怒るのがとても苦手で。
―これまで大声を出したことは?
大声は、出したくても出せない……。うまくいかないんですよね。正しいこととは思えないし、誰かが声を荒げているのを聞くと悲しい気持ちになるじゃないですか。僕の現場では、全てのセットで、誰もが声を荒げることを許していないんです。そういう人とは一緒に仕事をしたくないし、静かで平和且つクリエイティブな雰囲気の中で、みんなが安心しながら集中できる方がいいと思うので。
―同じスタッフさんや役者さんと繰り返し一緒に仕事をされているのは、友人のような信頼関係があるからなのでしょうか?
その通りです。もちろん、友人にはなりたくない人とも仕事したことはありますが(笑)、そういう人と再び組むことはないかな。もちろん、人それぞれ感性は違うんだけれど、同じような性質を持った人に惹かれるというか。そういう意味でも、何度も一緒に仕事をしている俳優やスタッフは、僕の映画におけるパートナーなんですよね。
―単独長編監督デビュー作『St. Nick』(未公開)からずっとタッグを組んでいる音楽家 Daniel Hart(ダニエル・ハート)のスコアも、本作の独特な中世の世界観を強化するうえで、重要なファクターになっていました。
『St. Nick』は、ほとんど音楽が入っていない作品ではあったんですけど、それ以来、僕の監督作は全て彼に音楽を担当してもらってます。彼のスコアが入った状態の作品を初めて観るのは、いつもすごく美しい体験なんです。僕は、映画を静かに理解するために、音楽がなくても素晴らしい映画になるようにと願って、最初の編集を音楽なしで行うんですね。そして、編集したものを彼に渡すと、今おっしゃったように、彼は静寂を音楽で埋めて、映画を強化してさらに良いものにしてくれる。Danielは、映画の質感をどうやって音楽的に変換し、ストーリーを物語るべきかを直感でわかっているので、深く話し合う必要はなくて。送ってくれた音楽に対して僕がちょっとコメントして即完成ということが多いんですが、『グリーン・ナイト』のスコアに関しては珍しく大変でした(笑)。初めて、彼が書いた音楽が全然しっくりこなかったんです。でも、いったん彼の意図がわかるようになると、すべてが美しい!と感じるようになった。彼の直感はいつも的を得ているんですよね。たぶん、そのときはまだ僕自身が映画のことをちゃんと理解できていなくて、理解するために回り道をしなくちゃいけなかったんだと思います。
―作品を世の中に開け放して、インタビューを受けたり、観た人の感想を聞いたりすることで、ご自身の作品についてより理解することもありますか?
こうやってインタビューを受けることで、映画についてもっと知ることができるなとはいつも思っています。脚本段階でも、頭の中にアイディアやゴールはもちろんありますが、映画が完成して、自分以外の人が観て、作品について話し始めるまで、その映画がいったい何なのか、本当のところはわからないなと。公開されたら、その映画はもはや自分のものではなくなって、それぞれの出来事に属していく。だから、みなさんがどのように受け取ったのかを聞けるということは、映画についてだけでなく、自分自身についても多くのことを学べる素晴らしい機会だと思っています。
―完成したら、自分の監督作をほとんど観直さないそうですが、その理由も、作品を手放しているからなのですね。
数ヶ月前にコメンタリーを収録したときに、一度だけ観直しましたが、ずっと喋りっぱなしだったから、あまり映画自体は観てなかったですね。作品を手放すのは、精神的に健康でいるため。いつかは観直すかもしれないけれど、今は振り返りたいとは思わないですね。
―確かに、自分のものと捉えると、もっと良くできたと後悔してしまいそうです。
完成に近づけば近づくほど、もっとこうすればよかったとか、ここは直したほうがいいとかいう考えが次々出てくるんです。だから、そのまま放っておくのが一番よくて。自分の作品を誇りに思っていないわけじゃなくて、既に世の中に出ているものだし、今更自分にできることも何もないし、得られるものもないかなって。そもそも僕はすごく内向的な人間なので、こういう機会がなければ、自分から話すこともほぼないんですけどね(笑)。
―他者というよりは自分と語る、自分と向き合うための鏡になる作品ですね。
個人的に、最高だなと思っているのは、グリーン・チャペルにたどり着いたガウェインが、太陽が沈むのをただ座って待っているシーンです。それがこの映画の核心であり、ハイライトです。
―Lowery 監督は現在、テキサス州のダラスを拠点にされていますし、『セインツ -約束の果て-』(13)、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(17)、『さらば愛しきアウトロー』(18)など、テキサスを舞台にした作品も多いですよね。テキサスという場所を選んでいるのは、7歳から住んでいる故郷だからなのでしょうか?
今は仕事でトロントにいて、ほとんど帰れてないんですけど、家はまだダラスにあります。自分が育った馴染みの場所というノスタルジーもあったし、両親の近くに住みたかったので。正直なところ、みんなが映画をつくっている場所である、ロサンゼルスやニューヨークに住みたくないという気持ちが強かったんですよね。もちろん若い頃は、ニューヨークに住みたかったけど、アパートが小さすぎるし、お金もかかる。今となっては、1年のほとんどをロサンジェルスで過ごしてはいるし、好きな場所だけど、ロスから離れることも好きなんです。
―いわゆる映画産業の中心地から少し離れた場所に、自分の居場所があるというのはいいものですよね。
そうそう。中心の外で、小さくて静かな安全な場所としてはダラスはちょうどよかったから。ただ、ノスタルジーはもうなくて、テキサスから引っ越す準備はできているんです。ただ、妻の Augustine Frizzell(オーガスティン・フリッツェル)も映画監督なので、どこに引っ越すのが一番いいかを話し合っているところです。
―言われてみれば、あなたの監督作、特にインディーズ作品を観ると、居心地のいい家に帰りたくなる、そんな気持ちにいつもさせられます。
僕の作品は、常にそれがテーマなんです。全部、家に帰ろうとする人たちの映画ですから(笑)。