yueqi qi
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「メイド・イン・チャイナ」から大きな愛を伝えるデザイナー、ユェチ・チ

yueqi qi

photography: chikashi suzuki
interview & text: lisa tanimura

Portraits/

Yueqi (ユェチ) と初めて出会ったのは2017年、渋谷のクラブだった。当時まだ学生だった彼女は、旅行で東京を訪れていたのだった。香港出身のドラァグクイーンの友人に連れられ、異国のクラブに遊びに来ていた彼女のどこか心許なげな佇まいを覚えている。次に彼女に会ったのは、2019年の上海。上海ファッションウィーク中に行われた彼女の初めてのショーを目にしたのだが、他のどのブランドよりも中国らしさを誇り高く表現したそのコレクションに衝撃を受けた。ショーの後、共通の友人の家で行われたアフターパーティーでは初めてのショーを終えて興奮に包まれている彼女と言葉を交わした。その後、夫の Thomas Lamb (トーマス・ラム) とともに東京を訪れた彼女と遊んだのは2020年、コロナ禍のほんの手前のことだった。それから約3年。LVMHプライズにもノミネートされるなど、YUEQI QI (ユェチ・チ) は紛うことなくアジアを代表するブランドへと進歩を遂げた。3年振りに東京を訪れた彼女は、かつての謙虚さを失うことなく自信に満ち溢れていた。そんな彼女に、この3年間について、自身のブランドについて、そして個人的な物語の数々について話を訊いた。

「メイド・イン・チャイナ」から大きな愛を伝えるデザイナー、ユェチ・チ

—3年振りの再会だね!この3年間どうしてた?

3年前はちょうど自分のブランドを始めたばっかりの頃。コロナ禍でのスタートで、最初は結構落ち込んでいた。生産が遅れたり、ショーが出来なかったり、たくさんの問題があったし。でも、困難に直面するのも良い機会なのかもしれないと考えるようになったんだよね。大変な時期に始めたからこそ、すごく強くなったと思う。

—ニーチェの「死なない程度の困難は、あなたを強くしてくれる」って言葉も、あながち間違いではないってことかな?

まさにそう思ってた!

—(笑)。3年振りの日本はどう?

日本に着いたときは、泣きそうになった!日本は私にとって、とても特別な場所。旅行で日本に遊びに来ていたときに夫のトーマスと出会ったの。私の東京の第一印象はロックンロール。当時トーマスは自分のバンドのツアーをしていたんだけど、彼が私に日本のロックシーンを紹介してくれたの。今も、その時感じたのと同じロックンロール精神を感じる。日本に戻って来れて本当に嬉しい。

—私も戻って来てくれて嬉しいよ!日本との関係について聞きたいんだけど、これまでに影響を受けた日本の文化ってある?

もちろん。子供の頃、日本に遊びに来て着物の柄を見た時に、色彩と色の組み合わせにとても魅了された。中国文化で使われているものとは全く違うから、すごく印象的だった。

—小さい頃観ていた日本のアニメはある?

『名探偵コナン』!今でも観てるよ(笑)。8才の時に観はじめて、今は27才だから、19年も観続けていることになるのかな。『名探偵コナン』を通して、日本の文化に触れたの。

—違う国で生まれ育ったのに、子供の頃同じ番組を観てたなんて面白いよね。影響を受けた日本の映画はある?

たくさんある!だけど、岩井俊二監督の『スワロウテイル』には特に影響を受けたかな。岩井監督の映画は、いつも映画に関連した曲があるのが好き。高校の時は彼の映画の音楽をよく聴いてた。『スワロウテイル』で好きなのは、登場人物のアゲハ。すごく無垢で、世界のことをまだよく分かってないから。彼女のための蝶のドレスをビーズで作ってみたいな。

—好きな日本のファッションブランドはあった?

UNDERCOVER (アンダーカバー) がずっと好き。毎シーズン、異なる物語を伝えているから。シーズンごとに服のディテールを変えるだけのファッションブランドもあるけど、それだと面白い物語は生まれないと思う。服を通して自分の物語を伝えている人たちが好き。

—今までに影響を受けてきたものについて、もっと聞かせてもらってもいい?幼少期は広州で過ごして、今も広州を拠点にしているんだよね。私も一度だけ広州に行ったことがあるけど、巨大な衣料品の卸売市場や工場が印象的だった。ファッションデザイナーになりたいと思ったのは、そんな環境の影響もあった?

小さい頃、生地市場を通り過ぎるたびにたくさんの生地を見てた。だからいろんな種類の生地や服が作られているところを見たことには、影響を受けたと思う。ファッションについて知る前に、生地について知ったと言ってもいいくらい。今でもデザインをスケッチする前にテキスタイルのデザインをする。

—ファッションデザイナーになりたいと思った瞬間はあった?

高校生の時は美術を学びたいと思ってた。入試に備えて学校に通っていたんだけど、そこでは50人の生徒がいるスタジオで、ひとりの先生が絵の描き方を教えてくれてたの。でもその先生は一通りの絵の描き方、つまりその先生自身のスタイルしか教えてくれなかった。だから全部の絵がまるでコピーアンドペーストされたみたいだった。ある日、先生が私たちに絵を1箇所に置いてそれぞれの作品を説明するように言ったの。でも、私はどれが自分の作品なのか分からなかった。その時、それは私がしたいことではないって気づいた。だから欧米の美大を探し始めた。より自由な創造性があるかなって思って。それで Central Saint Martins (セントラル・セント・マーチンズ、以下CSM) に通うことにした。

—CSM で教わったことで印象に残っていることはある?

ある授業で利き手と反対の手を使って絵を描くように言われたの。まるで子供みたいに。でもそれにどんな意味があるのか分からなかったし、出来上がった絵も綺麗だと思わなかった。その意味が分かるようになるまで時間がかかったけれど、美しいものを作ることとは全く関係のないことだったんだよね。それは自分自身や自分の心に関するなにかを作るためのものだったの。あとはプライマリーリサーチの大事さや、自分のリサーチを自分自身の作品へと翻訳することについても教わった。

—自分自身の作品といえば、作品の多くがビーズ細工を使っているのはなぜなのか興味があるんだけど、なにがきっかけでビーズに惹かれるようになったの

元々ビーズ細工を作り始めたのは、まだ大学生のとき。キーチェーンみたいに小さくて簡単に作れるものを作っては、学費の足しにするために eBay (イーベイ) で売ってた。でもある日、ビーズを使って同じやり方で布みたいなものを作ったらどうなるんだろうって思って。それで試してみることにして、それからずっとそのアイデアを探求してる。

—CSM を卒業した後は、CHANEL (シャネル) の刺繍アトリエで働いてから中国に戻ったんだよね。2019年に上海で最初のショーを観たときに、大胆に使われた中国の伝統的なモチーフの数々にすごく衝撃を受けた。私は「Made in China」って言葉から廉価さを連想する世代の人間だから。大々的に「Made in China」と掲げたようなコレクションを見るのは、目から鱗が落ちるようだった。でもこの2年間はそういったテーマからは遠ざかってきたよね。なにがきっかけでそのテーマから離れることにしたの?

最初のコレクションは、中国の冥錢(めいせん)と呼ばれる紙を使った儀式についてのものだったの。そのテーマを選んだのは、当時中国に帰ってきたばかりで目にするすべてのものが懐かしく感じられたけど、同時に新しい視点から捉えられたから。私は、自分のブランドを通して自分自身の人生の道のりと、個人的な物語について伝えたいと思っていて。ブランドにも自分の名前を冠しているしね。だから、自然とテーマが夫とのラブストーリー、そしてロックンロール精神といったことへと移り変わっていっただけなの。でもインスピレーションはいつも私自身に関連したこと。バイヤーの中には毎シーズン同じスタイルであることを望む人もいる。その方が売りやすいから。でも私のブランドはシーズンごとに違うの。それぞれのシーズンで、異なる私自身の物語を伝えたいから。

—故郷から遠く離れた場所でこそ感じる郷愁の思いっていうのもあるよね。中国に戻ってそこで時間を過ごすうちに、そんな気持ちも薄れてきたっていうのも中国的なモチーフを使うことから遠ざかっていった理由なのかな?

そうかもしれない。遠く離れたところにいると、自分自身の文化についてより関心を持つしね。

—それで言うと、2023年春夏コレクションは宇宙からインスピレーションを受けているようにうつるけど、今は宇宙に行きたいと思っているの(笑)?

そう(笑)!このシーズンでは、自分自身の宇宙を創造してみたいと思ったから土星と未来がテーマなの。元々のアイデアは宇宙飛行士だったんだけど、トーマスとテーマについて話しているときに、テキサスには多くの引退した宇宙飛行士達が住んでいて彼らはウェスタンミュージックを聴きながらデニムを履いて暮らしているって知って。それでアップサイクルデニムを使うことにしたの。それから個人的な話としては、私の住む広州にはデニムの工場がたくさんあるんだけど、そこでほんのすこし欠陥があるだけのデニムが大量に捨てられているのを目にして、環境に優しくないと思って。工場にそういったデニムをもらえないか聞いたんだ。だから全てのデニムはアップサイクルデニム。今まで生産をアップサイクルの手法でやったことはなかったから難しいプロセスだったけれど、デニムを一つ一つ手に取って選んで、どうやってそれぞれの独特さを活かすことができるかを考えるのはすごく面白かった。一つ一つのデニムのパターンが、ユニークで美しいのがとても気に入ってる。

—ビーズ細工の例を取ってみてもそうだけど、時間をかけてなにかを作ることに惹かれる?

時間をかけてなにかを作るのはとても好き。時間をかければかけるほど、美しくなると思う。

—それが、現代においてのラグジュアリーの定義と言えるかもしれないよね。大変なことかもしれないけれど。若くてインディペンデントなデザイナーであることで、大変なことってある?

やっぱりお金の問題かな。でも、やり方はいくらでもあるんだってことも伝えたい。私が自分のブランドを始めたときは、家族からの金銭的な援助はなかったの。でもいろんな人からたくさんのサポートや愛をもらって、そのおかげでなんとかやってこれた。

—ブランドにおいて、芸術性とビジネスのバランスはどうやって取ってる?

最初は両者のバランスを取るのがすごく難しかった。自分の芸術性をないがしろにしたくなかったから。でも CHANEL がクチュールとレディ・トゥ・ウェア(既成服)の両方のラインをやっていることを思い出して、今はその感覚でバランスを取るようにしてる。50%はクチュールで、50%はレディ・トゥ・ウェア、って具合に。だけど日本の人は私のクレイジーな服を楽しんでくれる!芸術的な面を理解してくれるのは本当に嬉しい。

—ブランドとしても人としても、すごく変化した数年だったと思うんだけど、ブランドを始めた最初の頃と今も変わっていないことってある?

私の作品の全ては愛について。それはずっと変わっていない。でも最初は個人的な愛についての物語だった。今はより大きな愛、例えば他者と助け合うこととかについても考えてる。

—だから最新のコレクションでも引き続き漢字の”愛”をモチーフとして使っているの?その変化はなぜ?

そう!ブランドを始めた時、本当に多くの友達が助けてくれてたの。みんなからたくさんの愛をもらってた。でも、その愛をより多くの人に伝えられるんじゃないかって気づいて。例を一つ挙げるとしたら、”愛”モチーフの香水を作ったときに、利益を子供のための慈善団体に寄付したりね。

—他者への愛といえば、今は多くの人がブランドのために働いているんだよね。ブランドのためにビーズ細工を作っている女の人たちについて教えてもらえる?

コロナ禍で工場が閉鎖されて、ビーズ細工を生産できなくなってしまって。それであるとき、近所の朝食の屋台のおばさんにそのことについて愚痴ってたの。そうしたら彼女がビーズ細工を作るのは難しいのかと聞いてきた。それで私は「全然そんなことはないよ、時間と忍耐さえあれば」って答えたの。それがきっかけで、彼女は私のブランドのためにビーズ細工を作ってくれることになった。そこからみんなが自分の友達や家族を誘ってくれて、人の繋がりが徐々に出来ていった。今では中国全土にビーズ細工を作ってくれている人たちがいる。最初は考えもしなかったけれど、こうすることでたくさんの人を助けることができるって気づいた。シングルマザーとか、家で家族の面倒を見る必要がある人たちとか、障害がある人たちでも家で作業ができるから働くことができるし。

—ブランドを通して多くの女性を支えているのは、本当に素晴らしいことだね。愛と言えば、永遠の愛を誓った相手、トーマスについても聞いていい(笑)?トーマスは、ずっとブランドに密接に関わってきたよね。一緒になにかを作るときはどういった関係性でやっているの?

彼は、大体ブランドの音楽面をやってくれているの。ショーのために音楽を作ったりね。でも彼は執筆もしていて詩を書いているから、私の物語をどうやって言葉で表現すればいいかもよく知ってる。あとは、コレクションのテーマを深く掘り下げることも手伝ってくれる。テーマを深く知ることはとても大事だと思う。例えば私たちは2人ともアートが大好きだけど、彼は私にアートについての物語、つまりアートの歴史を教えてくれる。彼に掘り下げたいテーマを伝えると、その歴史を紐解いてくれる。一緒になにかをやるときは、いつも自然にDIY的な方法でやってる。でも何より彼は私をすごく励ましてくれる。それがロックンロール精神だから(笑)。

—2人はどうやって知り合ったの?

彼は、私が Tinder (ティンダー) で最初にマッチした人だったの(笑)。2017年に日本に旅行で来たとき、あんまり知り合いもいなかったから退屈してたら友達に Tinder を使うように言われて。どうやって使うのかも分からなかったら、その友達が使い方を教えてくれた。それでスワイプしていたら彼を見つけて。彼のプロフィールは自分で撮影した写真ばっかりで「この人はなんだか面白そう」って思って右スワイプしたの。そしたらピン!って音がして、友達になにか聞いたら、マッチしたからチャットできるんだって教えてくれて。私たちはそこから始まったの。その後、渋谷にある JBS ってミュージックバーで会うことになった。正直プロフィールからはそんなにカッコいいとは思ってなかったの。だから、バーで実際に会った時には「あのカッコいい人は誰?!」って思った(笑)。当時私はまだあまり英語が出来なくて、彼が何を言っているのかあまり分からなかった。彼に伝えたいこともたくさんあったけど、なんて言えばいいのか分からなかった。それでも彼は、私の話に耳を傾けてくれたの。

—最初に恋に落ちたのはどっち?

私だったと思う(笑)。

—(笑)。それから結婚などを経て、2人の関係はどう変わってきた?

本当に特別な道のりだったと思う。今でも毎日お互いについて学んでいるし、どうやって一緒に仕事をできるかとか、お互いを刺激し合えるかを考えてる。

—すごく素敵な関係性だね。最後に、まだ中国では旧正月ではないけれど新年の抱負はある?

アートの展示やインスタレーションをやりたい!服ではなく、アート作品だけを展示してみたい。自分のアートを表現する他の表現媒体をもっと模索してみたいの。自分のブランドでも、もうキャンドルや香水や陶器といったライフスタイルのラインがあるから、自分のブランドで表現できることは服だけではないと思ってる。もっとそういった方向も追求していきたい!