カン・ハヌル、等身大の美学。「私は幸せのために生きている」
Kang Ha Neul
photography: woosanghee
interview & text: toru mitani
styling: sang young yoon
hair & makeup: hyun mi goo
握り占めたスマートフォンには「スラムダンク」のステッカー。聞くと「自分でプリントアウトしてサイズを計算して貼りました」と、映画を3回も観に行ったそうだ。その屈託のない笑顔と、飾らず気負わない人柄がどこか透けてみえるピュアな演技。韓国を代表する俳優、カン・ハヌルは作品ごとに、いつも違う表情を見せてくれる。映画やドラマ、そして、原点となる舞台でさまざまな“人間”に身をあずける。「たまたま演技が仕事になっただけ」と語る彼の、俳優カン・ハヌルと“自分自身”であるキム・ハヌルの交差点を探る。東京、小雨が降る渋谷にて撮影とインタビューを行った。
カン・ハヌル、等身大の美学。「私は幸せのために生きている」
Portraits
―俳優という職業ゆえ、あなたはカン・ハヌルであり、キム・ハヌル(本名)でもあります。どのように切り替えしていますか?
私は、基本的に“幸せ”のために生きていています。幸せでいることを大切にするのであれば、24時間「俳優」として生きていくという選択はありません。家に帰る途中から、キム・ハヌルに戻すようにしています。それは幸せを持続するため。昔からやっていることなので、どんなに役に集中していてもいつでもできる。
―具体的にはどのような時にキム・ハヌルに戻るのでしょうか?
読書、映画、ゲーム。この3つが大好きで、自分自身が夢中になれるものです。没頭しすぎてしまうと仕事に影響がでるので、ほどほどに。最近は「Apex Legends」というオンラインゲームにハマっているのですが、よく日本人の方々とお話する機会があります。日本語を勉強しているので、日本語を使ったり。あとは、ぼーっとする時間を大切にしています。私の中では、それが瞑想に値します。“本来の自分”に戻る、というプロセスだと考えていて、とても大事な時間ですね。
―では、俳優のカン・ハヌルとしてどのうような考えで演技をしていますか?
自分の中にあるものを膨らませることです。他人になろうとせず、自分の中から絞り出すようにする。例えば、演じる役と自分との共通項や似た部分があれば、それを最大限にいかして、構築していく。違ったとしても、自分自身と比較して役を作っていくのです。「カーテンコール」(22)の時は、もともと舞台役者だったので、舞台のシーンは気楽に演じることができました。もともと自分が持っている姿なので。それは本当に気楽に。
―台本に書かれていない部分は、役をどのように捉えていますか?
韓国だけじゃなく、日本でもハリウッドでも、“その役”が歩んできた人生をすべてたどり、役を作っていく方法がありますが、自分は違う。私の場合、設定をすればするほど、私自身に制限がかかってしまいます。だから、台本に描かれていること“だけ”に集中するようにしています。正確な演技を目指すよりは、余白を残す、というニュアンスかな。
―では、あなたのコアにあるピュアでほがらかな部分が常に見え隠れするのかもしれませんね。
私の内面はそんなに良くないです(笑)。「ミセン –未生-」(14)のチャン・ベッキは意地悪な男でしたが、コアな部分や優しい人間だったので、それを忠実に演じたまでです。『純粋の時代』(15)で演じた役なんて、めちゃめちゃ悪い役でした。女性に暴力を振るう極悪な男。この作品の私を観たら、ピュアな部分が見えるなんて思わないと思いますよ。
―架空の人物を演じる時と、実在の人物を演じる時の差で演じ方に変化はありますか?
「実在の人物」と「空想の人物」の差。それは、責任感です。実在する人物を演じることは、俳優として非常に重い責任感が問われると考えています。もちろん架空の人物もキャラクターとしての責任はありますが、意味合いが根本的に違う。例えば、『空と風と星の詩人 〜尹東柱の生涯〜』(16)はとても苦労した。実在する人物なので、プレッシャーがものすごかったです。なぜなら、自分が演じ、監督がOKを出せば、それは自分の人生から消すことができない。そして、それを観た人は“私が演じたドンジュ”を“ドンジュそのもの”だと捉えてしまう。そのプレッシャーといったら、すごくって。
―また実在の人物を演じる予定はありますか?
今のところはありませんが、演じることになればきっとまた苦労するはずです。
―「このシーンはよかった!」「今回は役を演じきることができた!」というように、喜びを意識することはあるのでしょうか?
今まで数え切れないほどのたくさんのシーンを演じてきたので、もちろんそういった感情はあったはず。でも、その感情を溜め込まないですね。全く思い出すことができません。覚えていない。なぜそういった感情をストックしないかというと、それが必ずしもいいことではない気がするからです。その感情の蓄積をきっかけに、自らに自惚れてしまう気がする。マスターベーションのような感じがするので、個人的には避けています。
―今まで演じた役の中で、もっとも大変だった役を教えてください。
先ほどお伝えした、『空と風と星の詩人 〜尹東柱の生涯〜』(16)のドンジュです。あとは、同時進行で2人の人物を演じた時も大変でした。実は、『20歳』(15)と「ミセン –未生-」(14)は撮影期間がかぶっていました。さらに、『セシボン』と『純粋の時代』(ともに15)も同様に。あと、『ハッピーログイン』(16)と『ミッドナイト・ランナー』(17)も。兵役後はひとつの役に専念するために、撮影期間がかぶらないようにスケジュールを調整しています。
―『ミッドナイト・ランナー』では、からだを鍛えていましたね。役作りで鍛えることは当たり前かと思いますが、「普段から鍛えてないといけない」という、なんとなくある韓国の暗黙のルール(筆者が個人的に感じている)についてはどう思いますか?
大嫌い!だいだいだい嫌い!(←日本語で話す) 私は、その暗黙のルールをやぶりたいと思っています。見た目がかっこよく見えることがかっこいいのではなく、誰がみてもその役にしか見えない、というのがかっこいい俳優。カン・ハヌルとしてかっこよく映るのではなく、演じた役がカン・ハヌルに見えず、そのキャラクターだけが見える。それが本質的なかっこいい俳優なのだと考えています。だから、自分の中で「無駄に脱がない」というルールがあります。物語、役として必要であればもちろん脱ぎますが、体をさらすこと“だけ”が理由であれば、私は絶対に脱ぎません。物語に関係ないのに脱ぐシーンがあると、鑑賞をしている人の気がそれてしまう気がするんです。
―ハヌルさんからは、全体的に「ありのままでいる」という哲学を感じます。本当は注目されたくなく、ひっそりと暮らしたいと思っていますか?
そうです。知っていて聞く感じですね(笑)。正直、キム・ハヌルという存在は、俳優に似合わない人物です。子どもの頃は絵本作家になりたかった。その後は、ドキュメンタリーの監督に憧れたことも。いずれにせよ、裏方で誰かをサポートする仕事に興味がありました。なのに、なぜ今こうしてこの世界にいるかというと、たまたまできることが演技だったから。それが理由です。私の昔からのファンの方々はきっとこのことを知っていると思います。できれば演技はずっと続けていきたいけど、自分自身―キム・ハヌル―を見失わないように生きていくことを優先しています。
衣装協力/ロエベ