大手メゾンにも口出しさせない『Modern Matter』オル・オドゥコヤの雑誌づくり
Olu Odukoya
photography: shota kono
interview & text: hiroaki nagahata
ロンドン発の雑誌『Modern Matter (モダン マター)』と、そのデザインと編集を一人で手がける Olu Odukoya (オル・オドゥコヤ) には、独立独歩という言葉がよく似合う。雑誌として決まった形式を持たず、ファッションなのかアートなのか媒体のジャンルも曖昧ながら、BALENCIAGA (バレンシアガ) や PRADA (プラダ) などのビッグメゾンから常に声がかかるというのは、まさしく奇跡のような状況だ。では、『Modern Matter』の何がそんなに特別なのか。そのページをめくっていけば、彼が本当に伝えたいのは最新のトレンドや過去に対する愛着ではなく、現在のリアルな感情であることがよく分かるだろう。そしてそれを伝える手法として、雑誌、写真、スタイリング、グラフィックがある。彼自身もインタビューで言っているとおり、彼は編集者というよりアーティストなのだ。商業ファッション誌が無個性化の一途を辿る一方で、『Modern Matter』はこの世に残された数少ない表現のユートピアなのである。
そこで今回は、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) で開催された Issue 21の販売イベントの直後、Olu に直接話を訊いた。
大手メゾンにも口出しさせない『Modern Matter』オル・オドゥコヤの雑誌づくり
Portraits
—『Modern Matter』のデザインフォーマットは毎号変化し続けています。他の雑誌だとフォーマットが固定されているものも多い中、Olu さんはなぜこの方法を選んだのですか?
フォーマットよりも内容を大切にしているからです。ふだん食べるものが私たちの体に影響を与えるのと同じように、身のまわりの環境が人に与える影響は計り知れません。つまり、自分が手がける雑誌の形式を変え続けることで、自らもまた成長し続けることができる。それに、私は雑誌の中で自分が体験したことを表現しようとしていて、毎号異なる気持ちや感情をテーマに制作するからこそ、この媒体が特別なものになるのです。
—Olu さんのパーソナリティが『Modern Matter』にそのまま反映されているんですね。
はい。私はデザインの決断を下すと同時に、人生の決断も下しています。つまり、人生とはすなわちデザインであり、逆も然りなんです。私はいわゆるデザイナーらしいデザイナーではありませんが、自分の気持ちに対する理解はあります。その感覚やアイデアを発信することで、世界中から読者が集まってきます。『Modern Matter』は最高峰のフォトグラファーとファッションだけを掲載するメディアではありません。何でもあり。もしかするとこれは欧米的ではなくアフリカ的な感性なのかもしれませんね。
—デザインの決断を下す時に、ご自身の中で拠り所にしている基準のようなものはありますか?
「無理やり感」がない自然な形にすることですね。私のテイストは水のように流動的でルーズ。氷を入れれば冷たくなり、氷を抜けば温かくなります。その時々でビジュアルのテンションが異なるのに形式がガッチリ決まっていたら、毎号同じ印象しか与えられません。しかし、ルーズなデザインであれば自由に緩急をつけることができます。
—たしかに、Oluさんのデザインはプレイフルで、誌面上で写真とグラフィックが化学反応を起こしながらダンスしているような印象もあります。
私のデザインは、音楽であり、アートのビート、バイブスなんです。オランダ式やスイス式など色んなテクニックを使っていますが、それが全体の中で「流れている」という状態、そしてものを組み合わせた時に生まれるリズムを大切にしています。
—『Modern Matter』は読者にとってどんな雑誌であってほしいと考えていますか?
人々をインスパイアするような雑誌ですね。『Modern Matter』はアーティストの方々が気に入ってくれることが多いんですよ。Marina Abramović (マリーナ・アブラモヴィッチ、セルビア系アメリカ人の現代美術家) のことはご存知ですか?どうやら彼女はニューヨークの書店で『Modern Matter』を購入したらしく、SNS に「この雑誌はすごい!」と歓喜の声を投稿していました。そういう声を聞くと嬉しくなります。
—初号のタイトルはたしか『Matter (マター) 』でしたよね。なぜ途中で「Modern (モダン) 」を付け加えたのですか?
「Matter」は物体的すぎるし、安易で、ストーリー性を感じられなかったんです。人間性やコミュニケーションを想起させることもできない。そこで、「Modern Matter」 なら言葉通り現代的なイメージになるんじゃないかなと (笑) 。「Modern Matter」はレコードかもしれないし、レストランかもしれない。つまり、「Matter」とは違って様々な定義がありうるじゃないですか。
—定義を曖昧にしたかったというのは、Olu さんがその時に感じていることを反映させたいからデザインの形式を決めない、という話にもつながります。
そうです。業界の中には、自分たちが影響を受けた商業ファッション誌の構造に近づける努力をする編集者も多くいます。そういう人は思考がビジネス寄りなんですよね。
—では、最新号ではどんなことにトライしていますか?
この号は私ひとりで制作し、インタビューのみ AI が手がけています。「雑誌」といえば、多くの人は有名な商業誌を思い浮かべるでしょう。そしてその雑誌には、何十人もの人たちが関わっている。しかし、人数が増えれば増えるほど合意形成が求められる場面が増えて、自分の考えを見失いがちになる。私にもチームがいますが、一人で雑誌を作ることもできるんだ、ということを強調したい。Juergen Teller (ユルゲン・テラー) と一緒に制作する号もあれば、ひとりでリサーチからデザインまで完結させる号があっていいんじゃないかなと。
—今回、AIは他のファッションシューティングやリサーチでも活用されていますよね。
そうです。AI でコレクションを制作してみました。当初、誌面に「赤」を使いたいというアイデアがあったのですが、ブランドから赤い服をかき集めても数が足りなかったので、AI で作ることにしたんです。いかにも人間が手がけたような見た目にもっていくまで半年かかりましたが、見てください!これなんか Walter Van Beirendonck (ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク) の作品みたいじゃないですか? 知的で、人々にインスピレーションを与えるものになったと自負しています。
—ファッションシューティングといえば、最新号には日本で撮影されたものも掲載されています。これは AI 的とは逆の印象を与える、とてもナチュラルで温かみのある質感ですよね。
日本で撮影するとなると、普通は日本を象徴するロケーションで撮影するものですが、今回はそうしませんでした。このロケーションならロンドンでもできる?確かにそうかもしれません。だけど、日本で撮影することが自分にとって必要だったんです。
—とはいえ、この写真は日本の空気をきちんと捉えている。面白いですね。あと、このファッションはコンセプチュアルではなく、直感的に組まれている点が良いなと。
まさしく、私も直感的だと思います。スタイリストとはリモートで話しながら内容を詰めていったんですが、決して妥協はせず、すべてのルックがそれぞれ異なる印象を与えることを強く意識しました。ファッションの始まりはすべからく「見た目」ですよね。だから今回、顔も年齢もバラバラの日本人モデルを起用しました。そして、メンズのスタイリングを軸にしながらも、メインのキャストは女性です。このスタイリングには、商業性とアート性が同居しており、未来ではなく今ここで起きていることをキャプチャできたと思います。言い換えれば、これはファンタジーではなく現実なのです。
—Olu さんがファッション写真をつくる時に意識していることは何ですか?
シンプルな方法で服への見方を変えること。最新号の表紙 (後ろ姿の女性が写っているバージョン) では、PRADA を着用した妻の後ろ姿を掲載しました。みんなファッションといえば正面から撮ろうとしますが、私にとってモダンなファッションとは、たとえば後ろ姿のこと。PRADA の後ろ姿について考える人はいません。
—言われてみればそうですね。
ファッションという概念には、撮影だけではなく、クラフトマンシップ、色彩、感性、個性のことも含まれていますよね。この雑誌でも、ファッションの新しい哲学を作ろうとしています。最新号に、ファッションブランドの名前を探し出す言葉さがしパズルのポスターを付録としてつけたのも、つまりはそういう意味なんです。
—ここまでお話を伺っていて、Olu さんがクライアントを相手にどういうコミュニケーションをとっているのか、すごく気になったんですよね。中にはこのやり方を理解してくれない相手もいるんじゃないですか?
いえ、ほとんどのファッションブランドにとって『Modern Matter』に掲載されること自体が最優先事項なので、内容に関する指示はありません。そういう雑誌を作るのが私の仕事なんです。
—全幅の信頼が置かれていると?
そうです。私の友人である Virgil Abloh (ヴァージル・アブロー) が亡くなった時には、彼に哀悼の意を表するために、他のクライアントを断って広告主を LOUIS VUITTON (ルイ・ヴィトン) に絞ったこともありました。プロジェクトを通してブランドとの信頼関係を築いてきたので、毎回私がしたいことをブランドに説明する必要がない。そういう意味で、私はアーティストなんです。雑誌の形式が常に変化していることもアドバンテージで、もし毎回似たような物を制作していたら、クライアントが「こうしてくれ」とお願いしてくるかもしれませんから。
—フィジカルな雑誌は前時代的なメディアに捉えられがちですが、Olu さんはその形式と個人の感情を接続させることで、今の時代にもリアルなアートフォームとして復活させた、とも言えると思います。
ありがとう。いま雑誌のデジタル化がどんどん進んでいる中、『Modern Matter』は紙媒体しか存在しません。つまり、購入しなければ内容を理解し体験することができない。それはまるで小さなクチュールのようです。読者はもちろん、私自身ですら私が次に何をするのか予想できません。
—以前、LEMAIRE (ルメール) のお二人にインタビューした際、映画からインスピレーションを受けていると仰っていました。Olu さんも雑誌文化だけでなく、他文化からも多大なインスピレーションを受けているように見えるのですが、実際はどうでしょう?
まさに!私の場合、常に変化していて、どこか実験室のようでもある現実世界がインスピレーションの源になります。ポッドキャストでも TV でもレコードでも、あらゆるものから受けたインスピレーションを自分のデザインに落とし込む行為が好きなんです。
—『Modern Matter』の形式が変わり続ける一方で、写真のテイストは毎号共通しているように感じます。Olu さんにとって「良い写真」とは何ですか?
私にとって 「良い写真」とは偶然的なもの。プロのフォトグラファーの多くは写真にしか興味がありませんが、私は全体のイメージやフィーリングの積み重ねを意識しています。たとえば、他のページで赤を使っている場合はコントラストをつけるために写真をすべて白黒にしたり。『Modern Matter』は雑誌としての理想ありきで作られており、大物フォトグラファーの写真を並べるようなポートフォリオ誌ではないのです。
—あくまで Olu さんが目指す全体像を構成するための写真である、と。
そうです。このやり方では優れたコマーシャルフォトグラファーと仕事ができないかもしれませんが、それでも構いません。「良い写真」と「雑誌にとって良い写真」は別物だから。写真は、「良い写真を撮るため」ではなく、赤や白黒などの要素をコーディネートするために撮るもの。私を含め、そこに参加している全員が『Modern Matter』のコンセプトに従わなければならないんです。
–どうやって世界中からクリエイターを発見してくるんですか?インスタグラムを常にチェックするタイプ?
いえ、インスタグラムは好きじゃないんですよね。
—(笑) 。でも、ご自身のアカウントはお持ちですよね?
『Modern Matter』のアカウントではあまり投稿していません。あと私個人のアカウントには6,000人ほどのフォロワーがいますが、自分のフォロワーは全員嫌いです (笑) 。
—フォロワーが嫌いだなんて、それはまたなぜ?
私が「良い!」と思うものを投稿しても、「いいね」がつかないんです。でも反対に、分かりやすいものを投稿したらみんな歓声をあげて喜ぶ (笑) 。当たり前のことですが、フォロワーは私じゃないんですよね。最近は、日本のフォトグラファーについて調べる目的以外ではインスタグラムを使っていません。
—過去に、今日の撮影に入っている Shota KONO さんをはじめ、ホンマタカシさん、横浪修さんらフォトグラファーや、小山田孝司さんや山口翔太郎さんのようなスタイリストが参加していますが、日本人クリエイターの特性をどのように捉えていますか?
言語は異なりますが、不思議と共鳴するところがあります。また、私は撮影したすべての写真を預かって自分でセレクトを行うのですが、彼らは職人的な性質を持っているので、そういう私のやり方を理解してくれます。逆に、プリントなど技術的な部分は彼らにお任せする。彼らがクラフトマンシップに徹するからこそ、私もアートディレクションに徹することができるのです。
—日本の雑誌では、『Modern Matter』で日本のクリエイターが参加しているような誌面をなかなかお目にかかることができません。
特に日本のメンズ誌は、読者に服を買わせるために作られたような誌面が多いですよね。私も、『Modern Matter』では彼らにコマーシャルな仕事をお願いすることはしていません。
—Olu さんがシンパシーを感じる雑誌はありますか?
自分のリサーチ不足かもしれませんが、今のところ本屋に行っても面白いと感じられる雑誌は少ない。以前はスイスの『soDA (ソーダ)』とか、お気に入りの媒体がいくつかありました。ちなみにこの雑誌は面白いですよ。編集者は旅先でワークショップを開き、現地の人たちにデザインを教えて、イチから雑誌を作り上げるんです。最初はみんな素人なんですが、2週間後には驚くようなデザインができるようになっている。今もアフリカの若い人たちは面白い雑誌を作っていますが……今は、広告を出す側の人たちに問題がありますね。正直いって彼らはぜんぜん賢くない。同じような商業雑誌にばかり出稿しているせいで、初期の『i-D』のような刺激的な雑誌が世に出てこないんです。
—Olu さんはいわゆるセレブリティを表紙に起用することはありませんね。ポップカルチャーの磁場に巻き込まれることを避けているんですか?
そうです。ああいう業界の仕事は一度受けたら何度も受けなければならず、その人たちの作品の良さが理解できないことも多かったので。権威が言っていることに従っているだけじゃないかと。私は雑誌の外見ではなく、中身を知ってもらいたいんです。もし表紙にセレブリティを起用したら、その人の力で成立しているように見られますが、もしその人が一読者として雑誌を評価してくれたら? そっちの方が健全ですよね。ただ、そういう意味でも、私は表紙の制作がもっとも苦手なんです。何をやってもしっくりこない。表紙で中身をうまく表現する方法については、まだまだ勉強中の身です。