naoki matayoshi
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「おれは好きやけどな」って言われるものを作りたい。又吉直樹が表現をやめない理由

naoki matayoshi

photography: kiyoe ozawa
interview & text: hiroaki nagahata

Portraits/

芸人、作家、俳優、ポッドキャスター。自身が心から愛する文化に対して、お笑いの枠をこえて純粋かつ真摯にアプローチしていく又吉直樹の在り方は、表現することの自由さを思い起こさせてくれる。そんな彼が、今年2月にファッションブランド「水流舎 (つるしゃ)」を立ち上げることになった。そのファーストアイテムは、刺繍が入った街着仕様のパジャマ。くるみ風ボタン、赤紐、裾に入ったスリットなど、古着・新品とわず様々な服を着用してきたであろう彼ならではの発想が随所にみてとれる。

ファッション好きであることは以前から公言していたし、モデルとしてファッション媒体に登場することも多かった又吉だが、なぜいま服をつくることを思い立ったのか。そもそも、どうしてパジャマなのか。さらに、「身近なモチーフから着想すること」「ジャンルを超えて表現すること」についても。彼の答えはいずれも明快だった。「業界」ではなく「表現」を求める人にこそ、このインタビューを読んでもらいたい。

「おれは好きやけどな」って言われるものを作りたい。又吉直樹が表現をやめない理由

—又吉さんはお笑い芸人の他にも作家としての顔を持ち、最近では漫才の出囃子について話すポッドキャストでホストを務めています。そして今度は、「水流舎」というブランドを始められる。又吉さんといえば大のファッション好き、というイメージはすでに定着していると思うんですが、なぜこのタイミングだったんでしょうか? 小説を書き始めたのは20歳と早かったですし、もっと前の時点でもあり得たのかなと思ったのですが。

中学高校の頃から、手で布を切ったり貼ったり、そういうことはやっていました。芸人として活動を始めてからも、まわりに「服を作りたくなったらいつでも相談して」と言ってくださる方はいた。でも、自分の中でブランドを立ち上げて運営していくイメージが沸かなくて。デザイナーの友人の話を訊いていると、みんなめちゃくちゃ働いているじゃないですか。タイトな期日がある中で、つねに新しい発想、コンセプトを生み出して、ショーを成功させる。これは人生を捧げないかぎり無理だなと。

—具体的に、どんなデザイナーさんをみてそう思われたんですか?

アンリアレイジ(ANREALAGE)の森永さんや、ファセッタズム(FACETASM)の落合さん。作家でいうと年4冊、芸人でいったら年4本の新作コントライブくらいの、ものすごいスケジュールで動かれていると思います。

—なるほど。「水流舎(つるしゃ)」はまずパジャマ一型からスタートすることになりましたが、それもやはりスモールスタートを意識されていたんでしょうか?

ファッション業界のことはよくわからないんですけど、自分が好きなものを作って、一個ずつ「できました、みてもらっていいですか?」ということをやってみたかった。そもそも今回の経緯として、「パジャマを作ってみたい」から始まっているんですよ。じゃあどうやったらそれを世に出せるか。「芸人・又吉直樹がパジャマを作りました」ではようわからんから、そこで水流舎という看板が必要になった、というわけです。

—なぜパジャマを作ろうと思ったんですか?

ふだん生活する中で、「この人のあの言葉おもろかったな」みたいなことが気になったとして、自分の中でその体積が大きくなっていくんですよね。それがコントになったり、小説になったりします。今回気になったのは、僕の出身地である寝屋川市。地名の由来として、昔のえらい人が京都から大阪に移動する時に寝屋川に泊まって寝ていたという説と、あともうひとつ、その地方の山で狩りをしていた人が寝所にしていたという説があるそうです。一方で、寝屋川は自分が子供のころから「大阪のベッドタウン」と言われていました。そこで、昔の地名の由来と現代の街の機能がリンクしているのがめっちゃおもしろいなと。

—時をへても土地の特性は変わらなかった。

そうです。そういうことを考えていくと、寝ることと自分は親和性が高いんじゃないかなと。あと、地名が寝屋じゃなくて寝屋川っていうのもポイントで、街の中で川がシンボルなんです。僕も部活をやってた時に川沿いをずっと走っていたんですけど、そこでいろんなことを考えていた。明日どうしようかな、とか、小説書くならこんな話はどうだろう、とか。つまり、思考や物語が始まる場所。そうやっていろんな背景と歴史が連鎖していきました。

—デザインの面では、パジャマには珍しい刺繍が印象的です。

パジャマを作りたい、でも街でも着用したい。そう考えると、ジャンルはただの衣類じゃなくてファッションなのかもしれない。そこで説得力を持たせるとしたら、刺繍なのかなと。で、川から龍のイメージが出てきました。家で寝るときにも龍に守られているようで縁起が良い気がします。

—又吉さんは小説にしても、遠い何か・どこかに対する憧れではなく、ご自身のまわりにあるものごとから着想を得ている印象が強いのですが、今のお話を伺うに、そこから離れたくないという意識があるんでしょうか?

ありますね。身近なもの、子供の頃に見たものをいまの表現の軸にしたい。たとえば、自分が最初に認識した人間が両親なので、他人のことを「父とこの人はここが違う」みたいな感じで認識していました。要は、両親との差異です。それはいま小説を書く時も基本的に同じで、キャラクターを形作る時には、根底に「おかんやな」「おとんやな」というのがある。自分を重ねているようでも、実はそういう作り方が多い。

—それではどの時点で気づいたんですか?

3冊目(『人間』)くらいです。これって結局親の話になっているのかもしれないなって。

ー小説ならいくらでも妄想で世界を広げていけそうなものを、なぜ身近なモチーフを大切にしようと思うんですか?

最初は小さい場所で活動して、成功したらどんどん広げていく。芸人だったら、マスに向けたネタをつくる。それが普通。でも、「初期の方がおもしろかったよな」みたいなことがあるじゃないですか。

—お笑いにかぎらずどの分野でも起こりがちですし、それは避けられないことのようにも思えます。

単独ライブで100〜200人でやっている時のネタはその範囲にしか伝わらないものだと思いがちなんですが、それはこっち側の決めつけなのかもしれない。広げていくためにはネタを変えなきゃいけない、っていうのも含めて。自分も、ふと気づいたら元々のコアなものがだいぶ薄まってるな〜と思うことがありました。もうほとんど焼酎の味がしない、うっす〜い水割りみたいに。焼酎と水は半々くらいでもよかったかもしれないのに。

—又吉さんにも、ある時点で自分がうすい水割りになってしまった自覚があったんですね。

ありましたね。その時に、井の中の蛙であることの重要性について考えたんです。海に出て「自分より大きい魚に食われへんかな」ってビクビクして個性を殺すんだったら、井戸の中から宇宙を想像する方が良いんじゃないかなと。もちろん、毎日必死にやることも重要なんですけど、その時期って生き抜くことばっかり考えてしまうじゃないですか。だからいまは、自分が最初におもしろいと思った地点から考えていきたい。ただ中には、サイズが大きくなるにしたがってクオリティを更新していく天才タイプもいるんですが。

—ビクビクしている時ってたいてい結果も出ないですもんね……

学生時代を振り返っても、自分が言われて嬉しかったのが、「おれは好きやけどな」という言葉。それにはネガティブな意味も込められています。誰にでも受け入れられる存在じゃないことを自認している感じ。でも自分はそういうものに励まされてきたから、自分も誰かに「おれは好きやけどな」って言われるものを作りたい。

—国内を見渡しても、いまの又吉さんのポジショニングは珍しいと思います。もちろん、芸人さんでも企画もので音楽やったり服作ったり文章書いたりする人は少なくない。でも又吉さんの場合は、手がけている作品がそれぞれ独立しています。芸人としての顔を知らない人でも又吉さんの小説を読むと思いますし、今回のブランドにしても、デザインから入って購入する人がいるんじゃないかなと。ご自身としては、まったく異なるジャンルに足を踏み入れることに躊躇はないんでしょうか?

さっきの話と共通するんですけど、そもそも職業って、人が必要なものを売ったり作ったり表現したりするなかで、便宜的につくられていったものですよね。何かを作って流通させたい、じゃあ会社があった方がいいよね、みたいな話。お笑いにしたって、みんな家では普通に家族を笑かしてるはず。歌手にしたって、みんな学校とかカラオケでは普通に歌ってる。要はみんな普通にやっていることで、それに特化した人がプロということ。

—そうですね。子供の頃はとくに「何かをやりたい」が最初にあって、職業から意識することはなかった。

そういえば、むかし文化祭で「赤ずきん」の劇をやることになった時に、台本がぜんぶ標準語になっているのが気になってムズムズするから、全員分を書き直したことがあって。誰に言われたわけでもなかったんですけど。あと、狼と赤ずきんがただ舞台上を3周するだけのシーンがあったんですが、「時間の無駄やん」と思ったから、当時のCMで流れていた曲を口ずさむ仕草を付け加えたんですよね。そしたらめっちゃウケて。でもその時も別に、劇作家になろうとは考えていなかったわけで。

—わかります。じゃあ又吉さんは何になりたい、みたいな発想はあんまりなかったんですね?

なかったですね。中高ではとりあえず自分がやりたいことをいっぱいやっていました。で、高校を卒業する時に、勉強できひんし、初めての環境で人と話すの苦手やし、会社は無理やな、と。そこではじめて、芸人っていう職業はやりたいことに近いかもと考えました。まず人間としての営みがあって、そこから職業を探す。いまは職業の形に自分をはめにいくのが当たり前になっていますが、本当だったら自分はそこからはみ出してしまうもの。ひとつの職業に完璧にフィットする人って、すごく恵まれているか、もしくは合理的な思考の持ち主か。自分だって、文章を書くことや人を笑わせることは仕事になっていますが、本当は散歩も好きなんですよ。でも、それでは飯は食えない。

—たしかに、散歩はなかなか難しい(笑)。

だから、先ほどの「違うジャンルをやることに躊躇はないか?」の答えとしては、ジャンルのボーダーを超えているというよりは、いまの状態が自分の形そのままなんです。

—自分自身を社会や会社にあてはめていく行為を繰り返していると、あるときふと「自分は何?」という空虚な気持ちになることもあります。

自分たちの先祖は、畑をやってたり、何かものを作っていたりしていたわけで、現代の人たちは会社に入って先祖代々やったことのない働き方をやっている。だから、会社で働くって実はすごい能力で、同時に大きなストレスがかかる。僕にはその能力がなくて、「子供のころ勝手に絵を描いてた」みたいなことの延長線上に今もいます。ひとつの山の頂上にのぼったから横の山もせめるぞ、っていうことじゃない。

—雑誌『文學界』の2024年1月号では、又吉さんの新連載「生きとるわ」が冒頭に掲載されていて、その次に村田沙耶香の短編「無害ないきもの」が続きます。この流れなんかを見ちゃうと、又吉さんはもうすでに (あるいはもっと以前から) プロフェッショナルな小説家に映ると思うんですが、そこに対する居心地の悪さは感じますか?

そういう職業の名がつけられてしまったんですけど、僕は途中をすっ飛ばしているし、大学できちんと文芸を学んでなんぼっていう世界もある。僕も「よそもん」って言われ方をされたこともあります。いろんな価値観に注意を払っているはずの言論の人がそんなこと言うんだ、めっちゃ職業差別やんとは思いますが (笑)。手続きを踏んでいないからどうこうじゃなくて、シンプルに作品の良い・悪いでいいと思うんです。さっき話したみたいに、文章書くのも、喋るのも、音楽つくるのも普通のことだから、大学で教わることが全てじゃないのかなと。

—あくまでガイドくらいのものですよね。

そうそう。だって、たとえば恋愛は大学で学ばないじゃないですか。自称・恋愛マスターが学生をだまして「こういうデートはダメ」っていうのもおかしいですし。もちろん、自分が読み手として好きな作家の中には、大学で文学を専攻して、いろんな過去の作品を読み込んだ上で新しいものを書いている方もいます。やり方として正攻法。それはそう。ただ僕は、そうじゃなければいけないわけではない、くらいの温度感でいます。

—近年、又吉さんの表現がいろんな方向に広がっていく一方で、それぞれをじっくりみると全てが「人間・又吉直樹」に収束していく流れも感じるんですが、ご自身の中で人物としてのロールモデルはいますか?

かつてのヴィンセント・ギャロ。バンドやってて、映画もやってて、絵も描いてて、おもしろいな〜と思ってました。寺山修司さんもいますよね。短歌も書いて、劇団も作って。でも、ぜんぜん破綻していないじゃないですか。それが普通というか。だから、ずっとそういう人は存在していたんです。あと、彫刻と詩を両方手がけていた高村光太郎さんも。高村さんの詩は彫刻のようで、彫刻は詩のよう。やっぱり、ジャンルの壁って国境と同じくらい不確かなもの。みんながあると思い込んで年月が経っているから実際に手続きはあるんでしょうけど、実際のところないっちゃないんです。