Hidetoshi Nishijima
Hidetoshi Nishijima

映画を通して時代を学び、映画と共に変化していく西島秀俊の生き方

Hidetoshi Nishijima

photography: utsumi
interview & text: Rio Hirai

Portraits/

俳句を上達させるためにとにかくたくさん作り駄作を捨てていく方法を「多作多捨」というが、西島秀俊の場合は「多作“無”捨」とでも言おうか。国内外の映画やドラマの意欲作への出演が続き、高い評価を得続けている。大学在学中に俳優デビューし、俳優生活は30年を超える。2023年にハリウッドのエージェンシー CAA との契約を発表しさらなる活躍が期待される中、7月10日から全世界同時配信される Apple TV+ のドラマ『サニー』では、ラシダ・ジョーンズ演じる主人公のパートナー・サカモトマサヒコ(以下、マサ)を演じた。作品の舞台は家庭用 AI ロボットが活躍する近未来。テクノロジーと価値観の更新が加速していく今、西島秀俊は俳優という自身の活動を通して、時代をどう見ているのか。

映画を通して時代を学び、映画と共に変化していく西島秀俊の生き方

—『サニー』では、西島秀俊さんが演じたマサの隠された素顔が徐々に明らかになっていきます。西島さんご自身にもあまり表に出していない、知られざる一面はあるのでしょうか。

どうですかね、ほぼないと思います。こうして取材などで色々と話していくうちに、だんだん秘密めいたことはなくなってしまいました。劇中でのマサの姿は、ほぼ妻のスージーの記憶で描かれています。記憶が正しいのかも修正されているのかもわからないし、本心も見えづらい。その大きなミステリーが物語を引っ張っていくことになるわけですが、僕自身は正直そこまで多面的な人間でもないので、シンプルで、表も裏もあまり変わらないと思います。

—あまり表裏がない、というご自身に対しての分析ですが、それは昔からですか?それとも年齢を重ねるうちに表裏がなくなっていったということなんでしょうか。

僕は、憧れている John Cassavetes (ジョン・カサヴェデス) 監督や Robert Bresson (ロベール・ブレッソン) 監督の著書や作品を通して「カメラの前で正直であること」「自然な状態を演じるのは、自然ではない」というメッセージを受け取りました。非常に哲学的ですが、「いかに自然なふりをせずにただ自然であるか」を突き詰めてきた。それは、できるだけ自分自身を防御しているものを外して、カメラの前に立つということだと思ってやってきました。なので、できるだけ自分自身でありたいと常々考えています。

—ありのままの自分自身を世間に晒すことは、傷つく可能性や誤解される危険性もはらんでいると思います。それに対する恐怖心を拭い去るためには、どんな考え方があるでしょうか。

そうですね、やはり一番力を持っている言葉は、自分が思っていることを正直にきちんと伝える言葉だと思うんですよ。もちろんそれが他者を傷つける方向で使われてはいけないから、相手を想った上で自分が本当に考えている内容をまっすぐに伝える。互いにそれができれば、よりお互いを知って親しくなれる。必ずしもいつもそうできるわけではないですけれど、できるだけ正直にあろうと思っています。

—劇中のコミュニケーションでも、正直であることの大切さが描かれていましたね。近未来を舞台にしたドラマで、西島さん演じるマサは新しいテクノロジーを活用していますが、西島さんご自身は新しいテクノロジーに順応できていますか?

基本的には進化は止められないものだと思っています。人はやはり便利さを求めるし、その結果、離れた場所にいてもコミュニケーションが取れるようになったり、良いこともたくさんあるわけですよね。ただ闇雲に新しいテクノロジーを取り入れるのは、僕はかなり懐疑的です。自分自身の目でよく見て、良い面と悪い面をどうコントロールできるか見極めてから、生活の中に取り入れるようにしたいと思っています。

—テクノロジーの進化に比例するように価値観も変化しています。その変化もどんどん加速しているようで、人は年齢を重ねるにつれてその変化への柔軟さを失ってしまう側面もあると思うのですが、西島さんは変わっていく世の中に対してどのような意識を持っていますか。

僕はやはり映画がとても好きで、その時代を反映するメディアだと思っています。しかも世界中で、同時にとてもたくさんの映画が制作されていて、様々な価値観を映し出している。僕にとっては映画が人々がどういう生活をしていて、何を感じているかの情報源になっているんです。「新しい価値観を吸収しよう」と思って見ているわけではないけれど、映画をたくさん見ることで、時代の変化を自分の体の中に取り込んでいるんだと思います。同時に、ずっと変わらない本質を描いている作品も多い。変化と合わせて、本質的なものを自分に蓄積させていけるといいですよね。

—西島さん自身、世界中のクルーととてもたくさんの作品に参加されています。挑戦し続けるモチベーションは、どこから来ているのでしょうか。

時代の変化のスピードが早いのと同じく、映画の業界も本当に変化が早いんです。機材も新しくなるし、カットやフレーム、編集の仕方、出演者の演技自体も、どんどん変わっていく。僕は若い頃から古い映画が大好きで、良質な作品と多く出会ってきました。一方で今言ったように映画は新しくなり最先端が更新され続ける。それも、素晴らしいことだと思っています。フィルムの質感が好きなので、デジタルへ移り変わってしまったのは僕にとっては悲しいことでした。豊かになるというよりは貧しい方向に変化していっていると考えたりもした。でも映画の進化は歓迎すべきものだという前提のような考えがあったので、受け入れられました。映画と共に自分も変化していくのが、自分にとっては正しい道だと思っているのでそれが原動力になっているのだと思います。

—新しいことに挑戦するときは、失敗はつきものだと思います。劇中でも、「人間だから、失敗する」というセリフがありますが、西島さんは失敗をどう捉えていらっしゃいますか。

もし失敗をしてこなかったら、僕は何も前進していないはずです。もちろん嫌ですけれど、必ずついて回るもの。素晴らしい才能を持った先人が、チャレンジと失敗を繰り返して、歴史が作られてきたわけじゃないですか。僕たちも、そこから勇気をもらっていたりしますよね。そう、僕はメイキングを見るのが好きなんですよ。特典映像で失敗を見て、自分を鼓舞している。失敗をエネルギーとして見ているんだと思います。

—失敗を、積極的に摂取しているようなところがあるんですね。西島さんのような人がいる一方で、社会では、自分だけではなく他人の失敗にも許容がない世の中になっている気がします。『サニー』は、他人の失敗を許容していくことも一つのテーマだと思いますが、人の失敗はどう受け止めれば良いと思いますか。

この作品は、”孤独”も重要なキーワードです。主人公・スージーは孤独を求めて日本に来た人ですし、僕が演じたマサは過去に大きな孤独を味わっている。だからこそスージーを理解して垣根を乗り越えられた。他人の失敗で迷惑を被ることがあっても、受け入れて許す。逆に自分が人に迷惑をかけてしまっても、許してもらう。お互いにそうして、また一緒に歩んでいく。人と人が共存して生きていくというのは、相手の欠点や失敗とか、ある意味人間的な部分を愛することだと思うんです。もちろん孤独に生きていくからこそ手に入る充実や幸せだってあるかもしれない。ただ孤独が居心地良く見えても、人はどうしても人との繋がりを求めてしまうものです。正解や結論があるわけじゃないけれど、『サニー』は見てくださった皆さんと一緒に、そんなことを一緒に考えていくような作品になっていると思います。