いつの時代にもある世界の「裂け目」を捉える、吉本ばななのまなざし
banana yoshimoto
photography: chikashi suzuki
interview: tomoko ogawa
たとえ幽霊や怪異が現れても、読み終えたあとに残るのは恐怖よりも、どこか親密な感触。それが吉本ばななの描く怪談だ。最新作『ヨシモトオノ』(文藝春秋)は、柳田國男の『遠野物語』に着想を得て、地方に残る不思議な伝承や、日常にふと口をあける世界の裂け目を描く。見えない世界を、常にそばにあるものとしてまっすぐ見つめるその眼差しは、ホラーブームの只中にあっても揺らぐことがない。吉本ばななが興味を向け続ける「怖さ」とは何なのか。その感覚について話を聞いた。
いつの時代にもある世界の「裂け目」を捉える、吉本ばななのまなざし
Literature
−今回、なぜ怖い現象を主題に小説を書こうと思ったのですか?
還暦過ぎて、もう何でも好きにやっていいなと思ったんです。もともと怖いことが好きで、ホラーとかそういったものをずっと追ってきたので、好きなことをやろうと。でも、改めて考えてみたら、これまでの作品って全部怖いんですよね。
−確かに。これまでも吉本さんの小説を通して、目には見えない霊的なものや、怖いとされるものの見方が変わるという経験をさせてもらってきたような気がします。最近は、ホラーブームが続いていますが、その状況をどう見ていらっしゃいますか?
映画も小説も、 くまなく見てます。景気も含めて、時代があまり良くないからですよね。あと、やっぱり「人怖」が多いですよね。幽霊とか怪奇現象より本当に人が怖いから。バイト先の店長がおかしかった、みたいな。でも、毎日ニュースで見られる話を私が書いてもしょうがないのかなとも思っていて。「人怖書け」と言われれば書けますが、自分の作品としての完成度を求めていったら、この形になってしまったんですよね。
−完成度というのは、小説としての、という意味でしょうか?
そうですね。あとテーマですかね。例えば、『遠野物語』の時代だったら、怖いものや不思議がすぐそばにありましたよね。今でも、例えば、沖縄や東北では、お盆にこれはしてはいけないとか、ここにこれは置いてはダメといった禁忌が普通にあります。今も同じなんです。
−本作では、それを「裂け目」と呼んでらっしゃいますね。
「裂け目」は、いつでもどの時代でもあるということが全体のテーマなので、そこからずれないようには心がけました。自然の中で会ったキツネやタヌキに化かされるみたいなことは東京では少ないから、機会としては減ったかもしれないですけど、見ようと思えばいくらでもあるということを、うっすら訴えています。
−今回、実話だと明記されているものが一つありますが、もう一話、起きたら、携帯のショートメッセージに見覚えのない英文のメッセージが打たれていたことも実体験だそうですね。
そうです。実話のみのものは、本当に若干ですが、文体を変えてるんですよね。ノンフィクション寄りにあえて変えないと差が出ないので。逆にその話は小説文体にしています。
−物語にすることで、怖さの質は変わるものですか?
若干ノンフィクション寄りにした方が怖いとわかってはいるんですが、それならノンフィクションの方が書いた方がいいと思うので、私はあえて小説の文体にしていくんです。現実って、整合性がとれないじゃないですか。夢もそうですよね。だから、若干文体を変えないといけない。ミステリーだと、人があっちこっちで次々死んでも成立するけど、現実だったら大変じゃないですか。私は現実に寄せています。
−では、そもそもの物語のアイディアはどこから生まれるんでしょうか?
最近、こういう話をよく聞くな、から始まることが多いですね。タクシーの運転手さんとか、周りの人とか。不思議といろんな場所で何度も聞くと、きっと、今はこれなんだろうな、と思う。
−具体的に、どんな話が入ってくるんですか?
ミステリー・クレイフィッシュと呼ばれる、自分でクローンを作って、オスがいなくてもメスだけで増殖できるザリガニ、知ってますか? 3日間の間に別々のところで 2回、その話を聞いたんです。そこからすぐ、例えば人間もそうなっていく、みたいに考えるわけではなくて、そういうことが重なると、「この話は何を伝えたいんだろう?」と思って、そこから話を考えることが多いですね。
−その入ってくるものを見る目みたいなものは、時代に沿っていると思いますか?
ものすごく沿ってます。常に時代の流れだけは。流れがどちらの方になんとなく向かってるか、その気分は常に見てるような気がします。
−今はスピリチュアルがインターネットで昔よりもオープンになっている分、生活に馴染んでいると捉える人も増えている気がしていて。反面、それを全く受け入れられない層との分断は深まっているように個人的に感じているのですが、吉本さんはどうお考えですか?
昔からそうだったと思いますし、行事はするけど信じてない人と、全面的に受け入れている人の割合も同じだと思います。
−80 年代の頃を振り返ると、超能力やスプーン曲げといった不思議なもの、わからないものに対するワクワク感や好奇心はもう少し強かったように思うんですよね。
清田益章君に聞いたんですが、スプーンを曲げると男性ホルモンが出るらしいんです。脳波や血液検査をするとわかるそうで。最近はあまり曲げないって言ってました。無理しない方がいいんでしょうね。UFO も円盤じゃなくて、人型だったり、ペラペラしたかたちに進化しているらしいし。考えてみれば、30 年、40 年経っているので、UFO だって変わりますよね。最近、あまりセダンは良くないかな、みたいな感じで、乗りやすいものに変わっていってるのかもしれない。
−確かに (笑)。スピリチュアルに厳しい人が全体的に減っているようには感じるのは、私が生きている場所がただそうというだけかもしれないですね。
伝統が継承されている土地だと、「風水が悪いからあそこの人は亡くなったわ」とか普通に言ってるんですよね。気が悪いところにはお店は建てないとか、そういう教えから物事を変えたりしている。東京は、色んな人が住みに来ているから、一貫したものが残っていないのかもしれないですね。
−ただ、やっぱり見えないものが気になるという気持ちは、世界共通でありますよね。
自然にそちらへ向かってしまうものじゃないですか? 何かを解明したければ、人類は。ただ、南米や中東のような厳しい国の厳しい場所で厳しい宿に泊まって神秘を求める、みたいなことは、もうきっと自分はやらないんだろうと思います。大体 40 代くらいになった周りの人が、「今行っておかなきゃ!」と最後の機会というように急にそういう動きをし始めているんですが、もうそういう気持ちはなくて。私はもうそこは通り過ぎたなと思う。昨日、『世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた』を見ていて思いました。私はもうこれはやらないでいいなと (笑)。
−ちなみに、どんな「怖い」が一番好きなんですか?
「一体あれは何だったんだろう?」というのが一番好きかな。はっきりしていないから、書きがいもあるんですよ。 小説のことを考えなければ、精霊系が好きですね。今はもうないけれど、バリへ行ったときに、動物みたいなふさふさしたものが顔の周りにある夢を何回か見て目が覚めたことがあって。それは、その場所にいる自然霊だったりするんです。「ここは聖獣バロンが来る場所だから、きっとバロンが来たんじゃない?」と言われました。
−そういうのはいいですね。
うん、そういうのはいい。沖縄でも、よく「キジムナーがいる」と本気で言っていますよね。沖縄は、大きな魚を獲るときに、船の底でただ寝ているだけの人がいるんですって。そうすると、魚の霊が騒がないと、魚が寄ってきてくれる。そういう係りの人がいる。何か効果がありそうな気がしますよね。
−家族が亡くなったあとにスマホに不思議な知らせが届いたり、タクシーの運転手さんにいきなり占われたりみたいな不思議体験は多く聞きますが、吉本さんにもそういう経験があればシェアしていただけたらと。
タクシーの運転手さんに「お客さんは青だね」とオーラを勝手に見られるとか、あと「このタクシーは幸運のタクシーです。乗ったあなたにはいいことがある」と言われて、これまでいいことがあった人たちのハガキをめっちゃ見せられたりとかはありますね。前に、最初に「僕はどんな話にも対応できます。何かテーマを出してください」と言われたことがあって。「じゃあ因果応報でお願いします」と伝えたら、「因果応報ね」と軽く車に当てられた友達の話が始まって。意識不明になって亡くなった友人が、電気ショックで生き返ったんだけれど、そのときに天国と地獄の場所を見てきたと。「天国は他の星にあるけれど、地獄はどこにあると思います?」と聞かれたから、「え、人の心の中ですか」って言ったんだけれど違くて、答えは「地上」だったんです。地上の厳しい場所のバクテリアになると。
−面白いですね。霊感のある友人が、不思議な経験をする場所や見えてしまうものは、残している本人の意識というよりも、フィルムに焼き付けられた残像のようなものだと言っていて、それはすごくしっくりきたんですよね。
その場にね。それをやっぱり感じる人は感じとってしまう。だから、幽霊も「呪ってやる!」と出てくるわけではないんだけど、強烈なことがあった場所だと、強烈な何かは残っていますよね。ただ、錯覚とかでなく、やっぱりそうやって感じる能力を人間は普通に持っていると思います。 それは、練習すれば鍛えられるものでしょうし。スプーンを曲げたりするみたいな感じでね。















