Elein Fleiss
Elein Fleiss

「今、かつてなくファッションに夢中です」 埋もれた希望を探し続けるエレン・フライスのまなざし

Elein Fleiss

photography: Chikashi Suzuki
interview & text: Miwa Goroku
translation: Lisa Tanimura

Portraits/

Elein Fleiss(エレン・フライス)が雑誌『Purple Journal』の発行を休止した2008年、Elein はそれまで拠点を置いていたパリを離れ、ポルトガルでの生活を経て、2011年にフランス南西部にあるサン・アントナン・ノーブル・ヴァルという村に辿り着いた。10年後、その村で Elein はイギリス人アーティスト Andie Wilkinson(アンディー・ウィルキンソン)という新たな友人と出会い、2人で Le Batèl(ルベテル)という名のショップをオープンした。

今回の来日で、その村から Elein が携えてきたのは、友人である3人の女性を撮影した写真と、過去17年を振り返る日記のような文章、そしてオフホワイトのウールのヴィンテージ服だ。現在、代々木八幡にある「Vacant/Centre」と京都のギャラリー「Elbereth」の2箇所で展示されている(いずれも11月10日まで)。

個展スタート前日、Vacant の近所にあるカフェに集合して話を聞いた。TFPとしては6年ぶりとなるインタビュー。前回と同じく写真家の鈴木親のアレンジのもと、flotsam books(フロットサムブックス)店主の小林孝行と、『Cult* Magazine』(カルト)のリサタニムラが同席。移住して13年になる村のこと、世界を覆う狂気に対する感情、これまで愛した数々の、でも決して多くはないファッションやブランド遍歴にまで、話は途切れることなく広がっていった。

「今、かつてなくファッションに夢中です」 埋もれた希望を探し続けるエレン・フライスのまなざし

—明日から Vacant/Centre で個展がスタート。今回、冊子もつくったのですね。

これから午後に設営するので、まだ見れません。明日よかったら見に来てください。冊子は、COSMIC WONDER(コズミックワンダー)のグラフィックデザイナーにつくってもらいました。カバーはリソグラフ印刷で、NEUTRAL COLORS(ニュー・カラー)にお願いして、昨日届いたばかり。まだ乾燥していないので、触ったらピンク色が指についてしまうかも。

—どんな内容ですか?

コンセプチュアルな作品ではありません。冬に、オフホワイトのウールの服を着た3人の女性を、私が住んでいる村の周りで撮影しています。3人とも私の友人であり、私と同じようなストーリーを持っている女性たちです。たとえば Aurélie(オーレリー)は、素晴らしい雑誌の出版者。パリで勉強し、ボーイフレンドと共にアフリカに住んでドキュメンタリー映画を制作した後、村に引っ越してきました。

—文章は、日記のような?

そうですね。13年前に私がパリを離れた理由を、時系列で説明しているクロノロジーです。すべての始まりは 2007年、フランス大統領選挙の年でした。選挙の結果を受けて、私はとても動揺し、すぐさまフランスを離れたいと思いました。今住んでいる村にたどり着くまでのことを書き留めたかったのです。

―村はどんなところですか?

私の村はちょっと特別で、住人の7割くらいが他国からの移住者です。そうでなかったら、私はここに住めなかったと思います。私は常にいろんな人々に囲まれていたいから。土地の人たちも親切です。

―わりと新しい村なのでしょうか?

いいえ、中世からある古い村です。といっても一時は都市に人が流出してしまって少し衰退していたようですが、1970年代以降、ヒッピーの人たちが住みつき始めたようです。

イギリス人がかなり多くて、Clarissa(クラリッサ、Elein の娘)の学校にはその2世の子どもたちや、ベルギー人、オランダ人、ブラジル人も通っています。アメリカ人も増えてきました。最近アムステルダムから移住してきたアメリカ人カップルは、ナポリピザとナチュラルワインのレストランを始めたところ。つい先日引っ越してきたのは、フランスの映画館で働いていたカップルで、村に来てからは男性が古着屋を、女性がペストリーショップを開いています。日本人もいました、彼女は高校の保健の先生で、村では日本食をつくって売っていました。という感じで、こんなに多文化が入り混じっている村はフランスにはあまりないと思います。見つけることができてラッキーでした。

―どうやってその村を見つけたのですか?

パリを離れた後、3年ほどポルトガルのリスボンに住んでいて、2011年にフランスに戻ってきたのですが、新居のアパートを探すのに本当に苦労していて。そんな時、親しい友人が教えてくれたのが今の村でした。1300年前に造られた部分を残した、すばらしい石造りの家に住んでいます。

―展示の写真は、撮りためていたもの?

いいえ。今回のプロジェクトのために撮り下ろしました。写真を撮っている間、いくつもの偶然が起こったんです。たとえば Flore(フローレ)は、大工でありダンサーで、普段はクラシックを踊っていますが、ヒップホップも楽しんでいます。ある日、そのヒップホップのショーに行った時、化粧をした Flore を見て、すごい変身だと思いました。

Flore もそうですが、村の人たちは化粧があまり好きではありません。すべてが自然的で、ヒッピーみたいな人たちが集まっている村だからです。でも一方で、化粧に興味があるけど恥ずかしくてできない、若い頃はしてみたかった、というような女性がいることも私は知っています。だったらできるはずだ、するべきだと思いました。それでゲーム感覚でやってみよう、となったのです。

そういわれると、Elein っぽくない写真かもしれません。

このようなポートレートは私のスタイルではないので、正直あまり気が進まなかったし、カメラを近づけて撮るのは苦手だし、とても難しかったです。3人の女性も、普段しない化粧をしているし、写真を撮られることにも慣れていないから、居心地が悪かったようで、ある意味セラピー的でした。

こんなにたくさんシャッターを切ったのは初めてです。最終的に選んだ写真には満足していますが、他のカットは全然ダメ。これがひとつめの偶然です。メイクアップアーティストを雇って、このようなプロジェクトを行うことになるとは思ってもいなかったから。

鈴木親(以下、鈴木):自分の生活や友人が作品になっていくのは、Elein のスタイルですね。他にもサプライズが?

もうひとつの偶然は、Aurélie との撮影です。彼女とは3回撮影に出かけたのですが、そのたびに奇妙なことが起こりました。たとえば古い発電所を発見したり。村のすぐ近くなのに、自然の真っ只中に隠れていて、私たちはその場所にずっと気づいていなかった。ちょっと Andrei Tarkovsky(アンドレイ・タルコフスキー)の映画みたいな感じです。

写真にも偶然がありました。ピンクのフィルムと二重露光が、私のプロジェクトに入り込んできたのです。どちらも事故ですが、写真はとても気に入っています。

―なぜ、ピンクに?

そもそも私はピンクが好きというのもあります。この撮影で何が起こったと思いますか?

カバーに写っているのは、パリでギャラリーを経営している友人の Jean(ジャン)です。私たちは野生の薬草を摘むのが好きで、乾燥させてお茶にしたりするのですが、彼はある時、私にとても奇妙な提案したんです。バスク地方にある原子力発電所に行って、その周辺の野生植物を採ろうと。「一体なぜ?」と思いましたが、短い休暇中に、Clarissa も一緒にそこへ行きました。カメラも持って行って、写真をたくさん撮りました。

私はスライドを使っていて、その時はかなり古いフィルムを何本か使ったのですが、そのうちの1 本が、すべてケミカルなピンク色になってしまったのです。なぜかはわかりません。でも原子力発電所を撮影したらそうなった。

―示唆的な……

これをどうにかして Vacant のプロジェクトに融合させようと決めました。私たちは自然の中に移り住み、違った人生を送ろうとしているけれど、核の脅威は誰にとっても存在し続けます。あなたがどこで何をやろうとも、それはどこかにあります。目には見えませんが、常に存在していて、私たちの生活を脅かしています。

この原子力発電所は、スペイン側のバスク地方にあって、ゲルニカの近くでもあります。実は70〜80年代に完成していましたが、一度も稼働していない発電所です。地域の住民やアクティビストたちが強く抗議し、エンジニアの殺害まで起こったからです。

—ピンクには、アクティビズムのメッセージも込められている。

アクティビズムになるかもしれないし、ならないかもしれないけれど、とにかく今回はうまくいきました。私はこのシンボルが気に入っています。こういう場所に行くのは、私にとって特別なことでした。

村にはアクティビストたちが多くいるので、私も少し活動したことはありますが、今のフランス政府はアクティビストたちを苦しめているので、私はとても恐怖を覚えています。たとえば高速道路建設で伐採される木を守るため、アクティビストたちはその木の上に登るなど、とても平和的なやり方でアクションをしていますが、結局はみんな刑務所行きです。

鈴木: 日本も同じ。ファッションもまた、どんどん大きなものに取り込まれている。

アート界でも、同じことが起こっていますし、インディペンデントであることにみんな疲れてしまっています。それは理解できるので、批判したくありません。私自身、お金を稼げないことにとても疲れています。

鈴木:Elein がファッションから離れた時、Helmut Lang (ヘルムート・ラング)、Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)も離れました。ほぼ同じ時期に。

でも、続けている人もいます。たとえば Susan Cianciolo(スーザン・チャンチオロ)は完全にインディペンデントで、いつも同じことを続けています。規模が小さくなったとしても、COSMIC WONDER も続いています。

鈴木:今の若い人たちは、よりプライベートなことに集中しているのかもしれません。

東京には、オルタナティブなものがたくさんありますよね。個人の小さなショップだったり、出版物だったり、自分たちでつくっている人たちがたくさんいます。完全に全体主義的というわけではありません。

鈴木: リサさんもそのひとり。『Cult* Magazine』を出している。

とても素敵。『Purple』もこのようにかつては小さい雑誌でした。何度もサイズは変えました。

リサタニムラ(以下、リサ): 日本の文庫本サイズです。アートディレクターの大類信さんが出していたヌード本と同じサイズで、『Cult*』のロゴは大類さんにつくっていただきました。

そうなのですね。私が小さなサイズの雑誌をつくった時にモデルにしたのは、香港のティーン向け雑誌でした。当時、パリの中国人街の近くに住んでいて、中国系の本屋でその雑誌を見つけたのです。

鈴木: 今、紙で出版するということが、改めて大事な気がします。

紙で出せることを嬉しく思っています。今回つくった『L’Hiver』で私が言いたいのは、今の世界を取り巻く状況をものすごく悲観しているということもありますが、同時に、別の人生を生きようとしている3人の女性たちがいるということ。『L’Hiver』はポジティブな希望でもあります。

―『L’Hiver』(イベール)はフランス語で「冬」。Elein はよく「冬」を使いますよね。あなたにとって、冬とは?

冬は、暗い時代のメタファーでもあります。

鈴木:『L’HIVER DE L’AMOUR (イベール・ダムール/愛の冬)』(1994年)は本当に衝撃でした。当時、誰もそんなことをやっていなかったから。Elein はいつだってパイオニア。

ありがとう。『L’HIVER DE L’AMOUR』の展覧会をやった時、私と Olivier (Zahm/オリヴィエ・ザーム) は、Félix Guattari(フェリックス・ガタリ)という哲学者が書いた『Les années d’hiver, 1980-1985』という本* にとても影響を受けました。Guattariはこの中で、1980年代がいかにひどい時代であるかを語っています。私たちがその展覧会で表現したのは感情的なもの、ちょっと悲しいフィーリング。

*邦訳本『闘走機械』(1995年、松籟社)

鈴木:冬はいつ終わるでしょうか。

わからない。私は将来全般について非常に悲観的です。素敵なものがないといっているわけではありません。でも、この世界的な狂気の中で、個人的なものがどうやって戦えるのか、私にはわからない。

ナチスドイツ以前は、とてもいい時代でした。自然療法を編み出し、自然の中で生きていたのが1930 年代です。戦争に反対する暴動も起こりましたが、どうにもならなかった。狂気は全てを破壊しますから、狂気と戦うことはできません。ただ自分を救うことしかできない。最悪の場所にいないようにすることしかできない。

リサ:私たちは今、似たような状況にあると感じますか?

かなり似ていると思います。人々はますます裕福になり、非常に利己的になっている一方で、本当に貧しい人々が増えているのを私は目のあたりにしています。

1930年代のドイツで、人々は日々の貧しい生活に憤慨していましたが、誰かがそれはユダヤ人のせいだと言いました。そして今のフランスでは、それが移民のせいであり、アラブ人のせいだと言われています。非常に操作的です。

鈴木:(隣に座っている Clarissa を見ながら)それでも Clarissa は抹茶ラテを楽しんでいる。セラヴィ。

それが一番大事ですね。

鈴木: flotsam booksの小林くんも、常に経済と戦っています。日本全国からZINEを集めて販売するツアーを組んだり、若い人には本を割引価格で売ったり。彼の本屋は、たくさん若い子が集まる場所になっています。

いいですね。私の店では古本も売っています。店の真ん中のテーブルで、お皿に囲まれて。本はとても大切です。

小林孝行(以下、小林): 去年、何かの記事で読んだのですが、Elein はいつも美しいものを買おうとしていると。本に関しても同じでしょうか?

同じです。読みたい作家の本がある時、その表紙が好きじゃなかったら、見ないようにします。すごく気になってしまうのです。でも、そういうふうに考えてしまうのはちょっと問題ですよね、我ながらやりすぎだと思います。

小林: 個人店のオーナーとして、売りたいもの以上に、売りたくないもののほうが気になったりしますか?

たとえば以前、パートナーの Andie が、金縁が施された英国のティーカップを買ってきたことがあって、私が反応できないでいると「大丈夫だといいけど……」と聞いてくれたりするなどはあります(笑)。でも、たいていの場合は、私たちが好きなものは同じだから大丈夫。パートナーに対しては、いつもオープンでいなければなりません。

小林: Elein の店では、どんな種類の本を売っていますか?

2種類あります。ひとつは、ポケットサイズの文学。2、3ユーロでとても安いです。どの作家を選ぶかは、その時々によって違いますが、私が決めます。たとえばこんな感じ(スマホの写真を見せながら)Albert Camus(アルベール・カミュ)、Anton Chekhov(アントン・チェーホフ)など。この本はカバーが好きではないですが、Samuel Beckett(サミュエル・ベケット)だからOK。古い写真集、アートブック、国に関する本などもあります。常に大事なのは、やはり表紙が素敵であること。なぜなら、お店は非常にヴィジュアルを大事にしているから。

鈴木: Elein 選書フェアを flotsam でやったらいいかも。

ぜひやりましょう。フランスの郵便は、本だけなら、袋にたくさん詰めて送ってもすごく安いです。私は古本もたくさん買うのですが、店ではほんの少ししか売っていないので、在庫がたくさんあります。小林さんは、フランスの田舎の古い写真集に興味はありますか?

小林: わからないです(笑)

40〜60年代のものだと思いますが、私がとても好きなフランスの印刷方法があって、写真のインクがとても濃く、全く色褪せずに完璧に保たれています。たくさん集めてあるから、そちらのお店で売りたいかどうか決めてください。今度、本の写真を送りますね。

鈴木: Elein はずっと変わらないように見えるけど、常に少しずつアップデートしている。パリを離れてから、どんどん新しいことをやっていますね。

そうかもしれません。でも、村に住むようになってからは、アイデアを思いついて実行に移すまでに10年かかりました。

―「Le Batèl」のお店をオープンしたことですね。はじめたきっかけは?

Andie との出会いです。村に来てから、私の過去と現在を結びつけるものが何もなかったのですが、彼女と出会った瞬間、いろんなことがクリアになり、一緒に店を始めることになりました。Andie はロンドン出身で、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業した同世代のアーティストであり、画家であり、写真家でもあります。写真もアートも、私たちは同じ興味と情熱を持っていて、古着やアンティーク品も大好きです。

以前、Olivier と一緒に働いていたときと似ています。『Purple』を立ち上げた当時、私たちは同じスピリットを持っていましたから。私はパートナーと一緒に働くのが好き。一人で働くのは好きじゃない。

―普段は店の仕事をしているのですか?

そうです。始めた頃は想像もつかなかったのですが、すごく大変な仕事です。服を探して、洗って、人生で初めてアイロンがけをしています。時間はかかりますが、2人でやっているからなんとか大丈夫です。観光客が増える夏のハイシーズンは忙しいですが、冬の間は市場が開く日曜の朝だけオープンしています。

鈴木: 主に何を売っているのですか?

1980年代の古着です。私たちが本当に好きなものだけを置いています。バイイングはそれぞれ別々にやっていますが、合成繊維の服はほとんどなくて、選んでいるのは上質のウールやリネン、コットンなどの服です。

20世紀の食器も売っています。ほとんどはフランス食器ですが、ドイツや北欧のものもあります。面白いと思って選んだアンティーク品などもあります。あと、古本。バイイングの仕事はとても楽しいです。

―過去にもバイヤー経験はありましたか?

いいえ。ずっとバイヤーになりたいと思っていて、いつか誰かが声をかけてくれることを夢見ていましたが、かなったことはありませんでした。そもそも私は自由がないとダメですし。

―今、どこでバイイングを?

古着屋、フリーマーケットで探したり、あと「Vinted」もよくチェックします。

リサ: フリマアプリですね。ヨーロッパ版メルカリみたいな。

今のところ、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、オーストリア、イタリアの6ヵ国でしか使えないと思いますが、このアプリがよくできていて、かなり時間をかけてバイイングしています。

何か面白いもの、興味深いブランドを発見したら、さらに掘り下げてリサーチもします。80年代の非常に短い期間、6年くらいで消えてしまった小さなファッションブランドなどが急に見つかったりするんです。

―どんなキーワードで検索をかけるのですか?

当初は、ピュアなウール、シルクなど、素材のキーワードで探し始めたかもしれません。ただ、ものすごい数があるので、かなり目が疲れます。古着屋に探しに行くのと同じですね。量産された服なども全部まぜこぜで巨大なラックに詰め込まれているところを、掻き分けながら探すのと同じ。それくらい、画面をスクロールし続けるのも大変です。

鈴木: 90 年代の終わりには、Guerrisol(ゲリソル。フランスの激安古着屋)にみんな通ってましたよね。そんな感じ?

そうかもしれません。Margiela は古着にとても影響を受けていますし、私の友人の多くは行っていましたね。でも、私は一度も行ったことがありませんでした。そういうものを見つけることが私はあまり得意ではないと思ったから。

鈴木: Elein は、初期 Margiela のアーカイブをたくさん持っていますよね。

全部売りました。

鈴木: えー?! 売却したお金で家が買えるのでは?

そんなに多くはないです(笑)。

リサ: なぜ手放したのですか?

もう着なくなったからです。あと、Margielaが会社を手放してしまい、悲しかったのもあるかもしれません。数年前、Margiela の90年代の服のほとんどを日本で売ったのですが、まるで自分の人生がテーブルの上に置かれているようでした。ほとんどがピンクのコレクション(1995AW)です。素晴らしいショーでしたし、いい時代でした。

―古着は東京でも買い付けしますか?

今回、古着屋がたくさんあるエリアを回ったのですが、逆に多すぎました。いいお店も見つけましたが、私が買うには価格が高かったです。

鈴木: 京都のほうが小さなマーケットが多いかも。原宿シカゴ本店は閉店してしまったけど、京都店はまだあるし。着物からユニフォームまで、たくさん見つかると思う。

いいですね。着物を買うかもしれません。パートナーのAndy が着物を何着か買って店に置いたら、すぐに売れたから。

6年前にTFPでインタビューさせていただいたときの展示では、かなり古いシルクの服を集めていましたよね。そういった種類のヴィンテージは、今は集めていないのですか?

あまりないです。その時は(COSMIC WONDERの)前田さんに頼まれて、白い服だけを集めて送り、彼がそれを墨で染めるというプロジェクトでした。

その頃はまだ80年代の服にはあまり興味がなかったのですが、今は違います。かつてなくファッションに情熱を持っていて、本当に夢中です。自分でも想像できないほどたくさんの服を買っていて、私の家はとても広いのに、服で溢れかえっています。

リサ: なぜ今、ファッションに夢中なのですか?

たくさんの発見があるからです。今、私が試みているのは、ハイファッションやプレタポルテといったカテゴリーにとらわれず、本当にいい仕事を発見すること。80年代の古着は、MADE IN FRANCEの最後の作品たちです。これまでプレタポルテのブランドに目を向けたことがなかったのですが、たとえば Daniel Hechter(ダニエル・エシュテル)や Cacharel(キャシャレル)など、彼らがやっていたことは素晴らしかった。

―Elein のファッション遍歴を聞いてもいいですか?

思うに、私はファッションが好きになるように育てられたと思います。幼かった頃、母がいつも私をお店に連れて行ってくれていたから。よく覚えているのは、10歳前後の頃に行った KENZO(ケンゾー)です。彼は1970年に最初のブティックをオープンしましたが、私が訪ねたのはヴィクトワール広場にある移転後のお店だったと思います。着物のようなコートを買ってもらいました。

リサ: Eleinのファッション愛のはじまりは KENZO?

そう言えるかもしれません。ただ、その後はもっとミニマルなものが好きになりました。17歳くらいの頃、父と一緒に Azzedine Alaia(アズディン・アライア)の店に行って、黒いミニドレスと、緑のウールのボディスとスカートの2点を買ってもらいました。もう手元にありませんが、とても高価なものだったでしょうね。

鈴木: その次は?

ファッションに興味がなくなりました。18〜19歳で現代アートに興味が向いたので。それから後にファッションを意識したのは、Olivierと出会ってから一緒に行った A.P.C.(アーペーセー)。

鈴木: 覚えています。当時はみんな A.P.C. のジーンズに Margiela のエイズTを着ていた。ユニフォームみたいな感じで。

そうだったかもしれません。次第に『Purple』の中でファッションが重要になり、他のブランドにも興味を持つようになりましたが、それでも数は多くないです。

もうひとつ、私が情熱を注いだブランドに、初期の Helmut Lang(ヘルムート・ラング)があります。祖母と一緒にお店に行って、コートを買ってもらいました。Olivier とはウィーンにある Helmut Lang のお店に行きましたね。

―ずっと変わらずに興味を持っているブランドは?

もちろんあります。COSMIC WONDERはずっと好きです。あと、VON SONO(ボンソノ)というイギリスのブランドも好きです。とても小さなブランドですが、『Purple Journal』で紹介したことがあります。ウールやツイードのとてもいい素材を使っていて、デザインも素敵。

―今回の Vacant で展示する服は、なぜ白だけ?

白ではなくて、オフホワイトです。特に説明することはありません。撮影した3人の女性が着用している姿を想像して、小さなコレクションを集めようと思って、オンラインで探し始めました。ファッションストーリーのようなことはしたくなかったので、3人に1着ずつだけ着てもらって、一緒に散歩に行って、撮影しました。

鈴木: 初期の『Purple』のようなスタイルですね。

その通りです。今回はすべてを自分ひとりでやりましたが、撮影する間、確かに『Purple』を始めた頃のことを思い出しました。

―Vacant での展示は、『Les Chroniques Purple』以来、10年ぶり。今回、全く内容が違う展示ではありますが、通底しているものもありますか?

私の美学は変わりません。今回はすべて、私だけでつくりたかった。10年前はそうではありませんでしたが、それでもフォトグラファーとテキストは私が選んでいました。

小林: Elein は今後、写真や文章の本以外に、雑誌をまたやる可能性はありますか?

わからないです。昔、雑誌を一緒につくっていた Christophe(Brunnquell/クリストフ・ブルンケル)や Laetitia(Benat/レティシア・ベナ)には今でもたまに会うことがあって、話すたびに、またやろう! と盛り上がるのですが、パリから6時間かかる電車に揺られて村に着く頃には、その熱はすっかり消えてしまいます(笑)。

もうひとつの理由は、新しいアイデアが思い浮かばないと感じているから。同じことの繰り返しはしたくありません。

鈴木: Elein がキュレーションする展示を、美術館のような場所で見てみたい。Eleinは常にひとつの物事を、違うアングルから見る目を持っているから。

やりたいですね。現代、近代、古典などの区分けはすべて忘れて、ただポエティックで美しいという基準だけで、古いドレスや中世の絵画なども交えながら。そのような展示を頼んでくれる美術館を見つけるのは難しいと思いますが、できたらキュレーションしてみたいです。