naomi kawase
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当事者の声に、できる限り近づくために。 河瀨直美は現場をどう作るのか

naomi kawase

photography: yuki hori
interview & text: yoshiaki nagahata

Portraits/

劇映画デビュー作が、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞して以降、ここ30年の映画を語るうえで欠かせない存在となった河瀨直美。近年では映画『東京2020オリンピック SIDE:A.SIDE:B』の総監督のほか、2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーを務めるなど、映画の枠を越えて活躍の場を広げてきた彼女が、6年ぶりとなる新作を公開する。タイトルは『たしかにあった幻』。その響きから想像できるものは多いが、作品が真正面から扱うのは「失踪」と「臓器移植」という二つのテーマだ。一見すると遠い題材に共通項を見出し、観客に視点と思考を強く促しながらも、光をたっぷり取り入れた美しい映像でその全体を包み込む。本人に、その真意を聞いた。

当事者の声に、できる限り近づくために。 河瀨直美は現場をどう作るのか

—本作『たしかにあった幻』の制作をスタートさせるにあたって、脚本の骨子になったものは何だったのでしょうか? これまでも河瀨さんは社会のリアルな問題にアプローチされてきましたが、その中で「今回これはやりきろう」という軸は何だったのか、お伺いできると嬉しいです。

劇映画で言えば、前作が『朝が来る』。その前の『光』や『あん』も同じく、決して日向ではなくて、日陰というか、社会から隠されてしまっているような課題を扱ってきました。当事者からしてみれば、生き死ににも関わるようなことだったとしても、人様には見えないところにそれが存在していて。課題は一向に改善されない状況にある。一筋縄ではいかない難しい課題の解決の糸口は、 それでももしかしたら、とても単純な人と人の関係性から見出されるかもしれない。
本作で取り上げた「失踪」、そして「臓器移植」というイシューは、どちらに関しても「身近な人間が当事者の声を聞くことができない」という状況があります。そこに寄り添い、課題解決 の糸口を見つけてゆく役割に、今回の主人公を置きました。たくさんの壁にぶち当たっても、 諦めずにその道を進むこと。そこから見えてくる私たちの日常に潜む、危うさに気づきがあればいいなと思います。

—河瀨さんが同じような状況に追い込まれた経験はありますか?

東京オリンピックの公式映画を監督することになったときに、政府や国家、国境みたいなものが、人々を守っているんだけど同時に分断させてるという構造が自分の中に見えてきて。あのときは、1〜2年くらいかな……。あまりの大きな課題に対して、どこに向けて一歩を踏み出せばいいのか分からなくなっていました。

—「失踪」や「臓器移植」といった本作のモチーフに出会うきっかけは?

自分のホームで生きづらくなってしまい、突然 “いなくなる” という選択をする人が、日本に年間8万人くらいいるということを、フランスのプロデューサーに教えてもらったことです。米国でも失踪届が警察に出されることは多いんですけど、ほとんどが少年少女の家出らしいんですよ。日本はそうではなく、成人した男性とか、主婦なんですよね。そこから取材を通して調べたり聞いたりしているなかで、これは日本独自の文化や宗教観が背景にあるということが判明しました。

—それは本作の中でも、台詞を通して直接的に説明されますよね。「恥」という考え方がすべてに影響しているのではと。だからみんな「臓器移植」を受けることにも躊躇いがある。

そうなんです。切腹なんかはわかりやすい例ですが、歴史的には、恥を持ってまで生きていられない、もしくは自分のコミュニティから去る、みたいな考え方がずっと継承されてきた。現代ではさすがに薄まったかなと思いきや、コロナ禍のときに、自分たちの国やコミュニティを守っていくという強い信念が、そこから逸脱した人を排除するっていう考え方に直結していたりする。そこに、近年よく言われているような日本の “閉塞感” があるんだと思います。

—日本が抱えるカルチュラルな問題を、内部の人だけで解決することは難しい。本作では「アウトサイダーの視点」を提供する存在として、フランスから来日したコリーが臓器移植医療センターの中で重要な役目を果たします。

子どもの臓器移植における課題を取材したときに、なんといいますか……未来を約束されている子どもたちが等しく、希望や夢に向かって飛び立っていくのが普通なのに、制度や倫理観の壁に阻まれている現実に打ちのめされて。それに対して、みんながもう少し「考える」ことで、より大きな波紋になりうるのではないかと思いました。何かしら解決に導く糸口を鑑賞者が感じていくものになれば、と。
だからコリーのことは、様々な問題にぶち当たりながら、自らの足で坂道を登り、光を受け、様々な音を聞いて、未来を自分で切り開いた人として見てもらえたらなと。特に女性には、自分自身の心を開くことで現実を変えていける可能性がある、ということを伝えたいんです。

—彼女の役に『ファントム・スレッド』などで世界的に注目された Vicky Krieps (ヴィッキー・クリープス) を起用したのには、どんな背景があったのでしょうか?

当初エージェントは、ヴィッキーに企画内容を一切伝えず「とにかく河瀨に会ってきて」とだけ伝えていたようです。「フランス人女性を探している」という情報だけでベルリンから飛んできてくれました。そこで、私から「今考えているのは、大切な人が目の前から突然いなくなる話なんです」と伝えたら、突然泣き出してしまって。というのも、その直前に、『More Than Ever (邦題:今まで以上に、君を愛す)』で共演していた Gaspard Ulliel (ギャスパー・ウリエル) がスキー事故で亡くなってしまったんですよね。俳優としても強い親和性を感じていた相手だったみたいで、相当大きなショックを受けている様子でした。
しかも、私とヴィッキーが初めて会った日が、たしか彼の一周忌の当日でした。ギャスパーのご実家にお参りしたその足で、私のところにやってきた。本人としてはもう、「彼が引き合わせてくれた」としか思えなかったようで。自然とヴィッキーとコリーが同居していくといいますか……魂の部分では、ずっと「コリー=ヴィッキー」なんですよね。

ヴィッキーさんはこれまで日本の作品に出演されたことはありませんし、実際に現場でもアウトサイダーだったわけですよね。

初めて訪れる極東の国で、文化や風習の違いを彼女はリアルに感じていたようです。劇中、屋久島という人類よりずっと前から存在する大自然の中で、コリーと(寛一郎演じる)迅は強く惹かれ合っていく。でも、病院の中では、あくまで “外の人” として見られて「それは日本では難しい」と返されたりするわけですよね。それは、迅と同棲する家の中でも同じ。彼女の言っていることが “文化の違い” として受け止められて、2人の間にどうしても乗り越えられない壁が出てくる。でも私は、そこで否定や批判や分断だけに終わらせるんじゃなくて、自分の心が誰かと繋がっていく喜びを描きたいと思ったんです。

—タイトルはそのニュアンスを明確に表しています。

そうですね。たしかにあった絆、なんだけど、それは幻かもしれない。

—本作は、作劇にドキュメンタリーが混ざり合っていく感じがあります。実際に、一部は本物の医療関係者を入れてドキュメンタリー的に撮られていますよね。こういうシーンは特に構築してもしきれない気がするんですが、どのように現場を作っていくのでしょうか?

たとえば、子どもが生まれたときに心疾患が見つかり、4年間ずっとお母様が院内で付き添っている、というシーンがあります。そういう場面では、私が取材を通して実際に入院中の彼らとコミュニケーションを取り、お友だちになるくらい関係を深めてから撮影を行っています。また、お母さん役の女性は、関西の俳優事務所から、まだ世に名前が出ていない方々をオーディションさせていただいて。そこから子役の子どもたちとマッチングさせていく。撮影に入る前も、しばらく実際に病室で過ごしてもらっています。子どもを呼ぶときも普段と同じ本名で呼ぶ。そうやって積み上げているので、劇中の「(お弁当は)ありがたいです、本当にありがたいです」とか「うーん、まあちょっと(病室が)狭いので。心も狭くなっちゃうので……窮屈ですね、やっぱり」という台詞は、自然に引き出されたものなんですよね。それを私が小型カメラで撮る(劇中ではコリーが記録している)ことで、現実味を出そうとしました。

—ほかにリアリティを担保するために重視されていることはありますか?

俳優に対する制作スタッフのアプローチでしょうか。コマーシャルやほかの映画だと、俳優にマネージャーさんがついてくるのが普通なんですが、うちはお断りするようにしていて。俳優は単独で来ていただく。現場でも「おはようございます。今日もよろしくお願いします」みたいな挨拶は一切しません。服装にしても、たとえば病院のシーンでは私も含めスタッフはみんな白衣や医療従事者のユニフォームを着用していました。

監督、現場で白衣を着ているんですか?

そうなんですよ。美術部さんが作ってくれた名札をつけて院内を歩くものだから、普通の患者さんからも先生だと思って声をかけられたりとか(笑)。「紛らわしいので、あんまりほかのフロアに行かないでください」と注意されるくらい、みんな本物みたいになってるんです。

—でも、やっぱりそういうことって重要なんですね。

そうすると、だんだん「私たちは今ここで生きてるんだ」という気持ちになっていくんですよね。移植のシーンでも本物のお医者さんが混ざっているんですが、やはり撮影部はお医者さんの格好をしています。撮影自体も、演出部で都度微調整を行いながら、途中でカットをかけず、ドキュメンタリーみたいに回していました。

—河瀨さんの現場では「なかなかカットがかからない」という話をいろんな俳優さんがされていますよね。それも今おっしゃったようなことのうちに入る手法ってことなんでしょうか。

そうですね。なので、初めて河瀨組を体験する人はびっくりするし「あれ、撮ってたんだ」みたいなことはよくあります。

—ちなみに、そういう現場の作り方っていうのは、ロールモデルがあったんでしょうか。

うーん、どうなんでしょう。(河瀨組の常連で、本作にも出演している)永瀬正敏くんなんかはよく「こういう手法は素晴らしい」と言ってくれますね。若手の監督で同じようにやっている人はいるんだけど「範囲とか深さが河瀨組とは全然違う」と。そもそも時間が限られていたり、俳優の拘束時間を飛び飛びでしかもらえてなかったりすると、私のやり方は成立しないんです。主演級の人に関しては、「撮影期間中に何が起こるかわからないので、いつでも来られるような形にしてください」とお願いしているので。
こちらとしては、他の現場で別の演技を身体に入れた状態で帰ってきてほしくない。せっかく積んでいる時間と心を壊してほしくないんです。本当の本当は日常生活にも戻ってほしくないから、合宿体制でロケを行うことも。本作でも、できる範囲のことをヴィッキーと寛一郎さんにはお願いしていました。もちろんヴィッキーに関しては、ロケセットの部屋に住むわけにはいかなかったんですが、撮影以外の時間帯も寛一郎さんと散策してもらったりとか。河瀨組の現場は、撮っている現場以外のところで動いている感情がある。そこも含めて演出部が作り上げていっているんですよね。

—最後の質問です。河瀨さんの作品は海外資本が入ることが多いですし、中でもフランスで高い評価を受けていることはよく知られた事実です。一方で、日本の大衆映画とは一線を引いている部分もあるのかなと想像するのですが、今後、映画作りをどのように行っていきたいか、考えられることがあれば伺いたいです。

そうですね。今回、長編映画としては6年ぶりなんですが、これだけ時間がかかってしまったのは、やはりコロナ禍の影響と、オリンピックの公式映画を作っていたから。今後はもう少し時間を縮めて、ここまで積み上げてきたやり方も含めて今の自分のスキルで、継続して撮り続けていきたいという思いはあります。
また、仰るように2007年ぐらいから海外資本が入っていますが、それはイコール「日本の中だけで映画を作ることが困難になってきている」ということでもあって。国内では、製作委員会に入っていただく会社のリスクを回避してあげないといけないので、映画の中で自由な表現をすることは難しくなります。とはいえ、今回のような規模だと、ミニシアターで丁寧に宣伝していくという形になり、裾野まで広がるまで時間がかかってしまう。せっかくこうして全国に向けて宣伝して、お客さんが観たいと思ってくれていても、自宅から車で何時間もかけないと映画館に行けなかったりしますし。その現状は、どうにかして改善したいですよね。

—配信プラットフォームでオリジナル作品を作る、ということもあり得るんでしょうか。

うん、そうですよね。考えることはあります。配信の世界もエンターテインメントにどんどん寄っていると言われているなかで、河瀨直美のアートワークをどこまで求めてもらえるか。昨年、大阪万博でパビリオンを作らせてもらったときは、一度に160か国ぐらいの人たちに見ていただけた。ああいう形を映画でもやれないのかな、と考えを巡らせているところです。