嘘でも、映画は人を救う。映画監督・HIKARI の明るいまなざし
hikari
photography: zero wang
interview & text: hiroaki nagahata
「孤独」という問題に真正面から向き合いながら、そのタッチは驚くほどやさしい。スクリーンの中では、人々が確かな生命力をたたえ、躍動している。 「家族を借りる」という、一聴すると戸惑ってしまうそのサービスに焦点を当てた映画『レンタル・ファミリー』は、世界から注目を集める新鋭・HIKARI 監督による長編映画第一作だ。
物語はこうだ。 かつて日本で活躍していたものの、いまは落ち目となったアメリカ人俳優・フィリップ。彼はある日、他人の人生の中で“代理”として家族や友人を演じる「レンタルファミリー」の仕事を持ちかけられる。生活のためと割り切り、半信半疑のまま依頼をこなしていくうちに、やがて“嘘が本当になる瞬間”に立ち会い、自身の価値観までもが大きく揺さぶられていく。
監督のパーソナルな体験が随所に織り込まれた脚本は意外性に満ち、街と人々をフラットに捉えるカメラは、世界を見る視線そのものをポジティブに更新してくれる。 賭け値なしの傑作。その誕生の背景を、HIKARI 監督自身の言葉からひもといていく。
嘘でも、映画は人を救う。映画監督・HIKARI の明るいまなざし
Film
—HIKARI 監督といえば、身体に障がいのある女性のリアルな日々をユーフォリックに描いた前作『37セカンズ』が、インディペンデント映画界を中心に話題になりました。本作は Brendan Fraser (ブレンダン・フレイザー) 主演のより規模の大きい映画ですが、どのようにして本作を手がけられるまでに至ったのでしょうか?
発端は、映画の脚本を一緒に書いている Stephen Blahut (スティーブン・ブラハット) が、日本でアメリカ人ができる仕事を探していたことです。通訳や英会話の先生などいろいろ調べていく中で、代行サービスのような仕事に行き着き、その流れで「レンタルファミリー」のビジネスを見つけたんですよね。そこで「うわ、何それ? 私、日本人やのに聞いたことないで」と(笑)。そこからさらに調べていくと、実は80年代から存在していて、レンタル彼女や添い寝サービスの延長線上にあるらしいと。でも私が気になったのは、ビジネスとしての面白さというより、その存在理由みたいなところ。どういう人が利用して、どういう人が経営して、どんな感情が渦巻いているのか。サービスの背景が知りたくなったんです。そこから独自にリサーチを始めました。
—HIKARI 監督のキャリアについても。舞台芸術を学ぶためにアメリカに渡ったあと、20代はフォトグラファーとして活動されていましたよね。映画を自分の表現手法にしたいと思ったきっかけは何だったんですか。
フォトグラファーの前に、コマーシャルやMVに出演する役者やダンサーとしてロサンゼルスで活動していました。ただ、ビザがない時はオーディションが受けれない、でもとにかく生活しなきゃということで、たまたま祖父が買ってくれたカメラがあったから、役者仲間の写真を撮り始めたのがきっかけでした。カメラをやっているうちに、被写体と話しながらポーズを作ったり、ライティングを考えたりするのが楽しくなってきて。
—当時はどういう界隈で活動されていたんですか?
最初は、DREAMS COME TRUE (ドリーム・カム・トゥルー) がロサンゼルスに来たときに撮影したのが始まり。そのときはまったく良い写真が撮れなくて、「うわー、チャンス逃してしまったな」と後悔して、ちゃんと練習するようになりました。そこからはヒップホップのミュージシャンを撮ることが多かったかな。有名どころだと、Eminem (エミネム)、Nas (ナズ) とか A Tribe Called Quest (ア・トライブ・コールド・クエスト)。26、27歳くらいですね。雑誌でも写真を全面で取り上げてくれたりしたのですが、ヒップホップの世界ってほんまにカツカツで(笑)。稼ぐのは大変でした。外から見るとキラキラしているんだけど、そう見せているだけの人も少なくないので。
—写真はあくまでライフワークとして始められたわけですね。
そうです。それでビザを取得した後、演者のオーディションを受けに行ったんですよ。フィラデルフィアのクリームチーズのCMで、天使役。枠はたった3人。「白い服着てきて」と言われて会場に行ったら、何百人も全員真っ白で、もう白アリの大群にしか見えなかった(笑)。「これ、受かるの絶対無理やん」って。一方で、待機している間、他の人たちがセリフ合わせしているのを見ながら、「この人はきっと厳しいな」とか「この人とこの人が組んだらおもしろいな」とか、完全にディレクター目線で観察している自分がいたんですよね。そこで「あ、もう演技いいわ」って。カメラマンを続けながら映画学校に行くと決めて、USC(南カリフォルニア大学院映画芸術学部)を受けました。当たり前ですがテストが全教科英語で、「おっと……」と。合格できたのは奇跡でしたね。
—あれ、HIKARI監督ってその時点では英語ペラペラじゃなかったんですか?
大学院ではちゃんと話せていましたよ。でも高校で交換留学した時は挨拶程度でした。大阪からダイレクトでアメリカに行ったから、本当に大変でした。
—映画的なバックボーンはあったんですか?
全くなかったですね。スピルバーグ監督の作品とかは大好きでしたし、『グーニーズ』みたいな作品を撮りたいとぼんやり思っていたものの、監督が何をする人なのかも正直分かってなかった。ただカメラが好きだったから、撮影と監督の授業を中心に取って、とにかく技術を身につけようと。USCって初日に「監督志望? この中でちゃんと仕事になるのは2人くらい。だかた、今のうちに監督以外で手に職をつけておいてください」みたいな感じで、いきなり釘を刺されるんですよ。入学式にそれかい、みたいな。でも逆に私は「じゃあやったろやん」と思いましたね。
—そこでも結局、俳優のオーディションと同じように大半が振り落とされていく、と。
本当にそうですね。100パーセント同じ。でも確率的にはもっと厳しいかな。大学では映画にまつわる部署を全部担当しました。撮影、編集、美術、サウンドデザイン。私はコスチュームデザインを専攻していたので、友達の作品では衣装も担当していました。
—2023年に世界中で大ヒットをとばしたNetflixシリーズの「BEEF/ビーフ」(ショーランナーはイ・ソンジン監督)では、パイロット版を含めたいくつかのエピソードを HIKARI さんが監督されていました。そこでも感じたのですが、光の捉え方や会話の映し方において「あ、これ HIKARI さんっぽいな」というニュアンスが明確にある気がします。監督としての個性はどのように確立されていったんですか?
それでいうと、私はカメラのポジションにこだわるタイプなんで、カメラマンの方にもすぐ「このアングルでお願いします」ってつい言ってしまう。自分の頭の中にある絵をその場で作り上げたいから、昔日本人の男性カメラマンに「じゃあ勝手にしてください」って怒られたことがあって。「はい、それなら勝手にします〜」みたいな(笑)。アメリカだと常にコラボレーションで、問答しながらでも、作品にとって一番いいポジションを選びます。でも結果監督の意見が優先されるので、「BEEF」の時はほぼ私がまず絵コンテを書いて、それを表現するということが多かったです。
—ショットへのこだわりが一番大きいんですね。
普通なら絶対にいられない場所にカメラを置いて撮るのが好きなんです。例えば人が話しているシーンだったら、その人の目の前にカメラが潜り込んで、下から見上げるアングルとか。今回はロケーションも多いので別のことを優先していましたが、普段はぐいぐいロケーションの中に入っていくタイプですね。
—先日、本作に出演された平岳大さんに取材した際、HIKARI 監督はリハにものすごく時間をかけると聞いたんですが。
リハーサルというより、役者さんにキャラクターのバックストーリーを説明するための時間ですね。こういう仕事をしてきて、家族はこうで、今どういう心境で……っていうのを細かく共有する。その上で、「こんなんどう?」「これもあるで?」って、じゃあ次は中古車のセールスマンみたいにやってみようか、とか (笑)。リハではいろんなパターンを試して、本番ではフリースタイルで行きます。本作みたいにロケーションが多いと時間も限られてくるので。
—Brendan さんと、平さんなど日本人の俳優たちとでは、やはり演出の温度感も変わってくるんでしょうか?
違いますね。日本の俳優さんはテイクごとにどこか似た芝居をする文化があるんですよ。変えちゃいけない、という感覚が強いのかもしれません。一方で Brendan は、テイク1、2、3、全部違う芝居をしてくる。でも私はバリエーションをつけてもらったほうが編集でいろんな可能性が生まれるから、やっぱりその面白さは見ててありますよね。スクリプターは大変やけど(笑)。だから私も、俳優さんによって演出のアプローチを変えています。今回でいえば、平さんは演技をしっかり固めてから現場に挑んでくれていたので、逆にそれを崩すことも楽しくやっていきました。
—今回は編集にどれくらい時間をかけられたんですか?
編集自体はだいたい6か月ぐらい。でもそれはいつも組んでいる編集のパートナーが途中コロナの後遺症により体調を崩し、途中中断したこともあったり、スタジオとも「私はこう繋ぎたい」「いや、こっちがいい」って議論を続けているうちに、気づいたら時間が経っていました。普段は3、4か月で終わるのですが。
—ものすごく丁寧で細かい編集によって、映画が最後までまったくダレない印象です。
あ、ほんとに? ありがとう(笑)。
—本作における東京の街の撮り方も、HIKARI さんならではですよね。外から見た“東京っぽい”イメージはきちんと押さえつつ、内部の人しか感知していない街の特徴を織り込んでいるような印象がありました。
それはたぶん、長期間海外に住んでいて、今もほとんど仕事でしか滞在しない東京なので、まだまだ新鮮に感じる街並みはたくさんあるからでしょうか。でも、生粋の日本人で、日本語もカルチャーも分かる。完全な外側でも、完全な内側でもない。その距離感がそのまま画に出ている気がします。今回は、いわゆる「ザ・東京」みたいな象徴的なショットは、渋谷の駅とスクランブル交差点を一瞬映したくらいで、ほとんど使っていないんですよね。あとは窓越しの景色とか、街の断片とか、あくまで東京をキャラクターの一人として撮れないものかと。1枚のフレームの中に実は何万人も暮らしている、そのエネルギーを感じられる画にしたくて。たとえば富士山もドンって撮らずに、人の生活の中に溶け込ませる。そういう撮り方を意識していましたね。

—主人公のフィリップが住んでいる部屋って、けっこう上層階ですよね。あそこから外を見るシーンがすごく印象的で。やっぱり部屋の高低もショットには重要なんですか?
うんうん、重要ですね。あの高さって、東京がぎゅっと凝縮されて見える位置じゃないですか。下に人がたくさん歩いていて、車が通って、ビルが重なって、生活の密度が一気に見える。あそこから外を眺めると、「街の中に自分が埋もれてる」感じと「すべてを見渡してる」感じの両方があるんです。
—ここで本作のテーマについても少し。家族をレンタルするという需要の裏側には「孤独」という社会問題が横たわっていますよね。でも、本作ではそれをあまりシリアスには描こうとしていない感じがします。身近な日常のテンションから決して逸脱しない。このテーマへのアプローチで一番考えていたことって何ですか?
まさにその通りで、私はあんまり「闇」として扱いたくなかった。例えばこの映画にはセックスワーカーやストリップダンサーも登場しますが、彼女たちのプロ根性を見せたかっただけなんです。言い方によってはダークに見える世界ですが、そこに生きてる友人たちにとっては普段の生活なので。だからレンタルファミリーに関しても、「もし心に悩みがあるなら、こういうサービス使ってもいいやん」ぐらいの感覚でした。私たちには、誰かや何かをジャッジする権利なんて全くないですし、ダークに撮ったらダークなエネルギーしか生まれない。私は、観た人が少しでも気持ちよくなる映画にしたかった。お風呂入ってひと汗流した後みたいな、スッとする感じ。
—レンタルファミリーに限らず、実は人を救っている仕事っていっぱいありますよね。
いっぱいある、ほんまにいっぱいある。私、19歳のときに「マネキン」と呼ばれる派遣の仕事をしていたんです。百貨店売子さんに助っ人として参加する。「明日から1週間、外反母趾防止の靴を売ってください」と言われたら、それをする。朝にちょっとだけ勉強して、お店がオープンしたら、外反母趾のプロみたいな顔をして売る(笑)。次は化粧品、その次は北海道物産展。全部“詳しいふり”をして売るんです。でもその情報に嘘はない。だからお客さんは私の解説を信じて買っていく。ある意味それも演技ですし、日本には昔からそういう“役割を演じる仕事”ってたくさんあるんじゃないかなと。“サクラ”とかも同じですよね。
—そもそもですが、サクラ的なサービスは日本特有なんですかね。
さくらは江戸時代に、歌舞伎のある一家が客席の後ろから掛け声をかける人たちを雇ったことから始まりましたが、イタリアや中国、韓国でも、お葬式で泣く人を雇う文化とかはあるみたいです。フェイクっぽいけど、その場の感情は本物だったりする。だから形は違っても、似たようなことは世界中にあると思います。
—状況はフェイクでも、生まれる感情は本物。これは本作の重要なモチーフだと思うんですが、HIKARI 監督はなぜそれを素直に受け取って作品に昇華させることができたのでしょうか?
それには私の出自が関係しているかもしれません。私は母子家庭で育ったんですが、小さいころ「お父さんは死んだ」と聞かされていたんです。でもあるとき、近所のおばちゃんに「ちゃうで、追い出されたんやで」と真実を告げられて(笑)。で、その時たまたまテレビに草刈正雄さんがドラマに出てらして「この人がお父さんやで」って母が言うものだから、またそれを信じていたんですよ。でそのあとは、『熱中時代』に出てた水谷豊さん(笑)。後から考えたら、真実を知ることが必ずしも幸せとは限らない。それが母の精一杯の優しさだった。「あ、別にこれでよかったんや」って。だから、人を傷つける嘘はダメですが、人を守るための嘘なら全然アリ。関西人なんて人を笑かせる為に、会話の半分はずっと嘘ついているようなもんだから(笑)。笑って終われる嘘ならいいやん、って。
—HIKARI 監督の映画観を一言で表すようなフレーズですね。
嬉しい(笑)。でもね、もう一回観たら、次回はまた違う発見があると思いますよ。














