世界に魅了され、失望する。 “シャボン玉”が割れた世界を生き抜くために
Kristina Rozhkova
photography: kohei kawatani
interview & text: sakiko fukuhara
2026年2月に母国ロシアから亡命。写真家、Kristina Rozhkova (クリスティーナ・ロシュコワ) は、シャボン玉のように脆く無常な世界と対峙し、目に映る不均衡な美しさをカメラに収める。PARCO MUSEUM TOKYOで行われた個展「unbewitched/アンビウィッチド」では、キャリア初期から現在まで、6年間で撮られたさまざまなイメージが展示され、同名の写真集も発売された。血だらけでタバコを吸う女性を写したメインビジュアルに続くのは、友人たちとのドキュメントやカップルたちのインティメイトな一瞬、そして顔にシールを貼り白目を剥く少女の姿。フェティッシュなイメージが続くと思えば、安らいだ動物の姿が現れ、観る者の想像を軽やかに裏切る。Kristina Rozhkova が表現する両義的な眼差しとは?
世界に魅了され、失望する。 “シャボン玉”が割れた世界を生き抜くために
Art
―大学では哲学を専攻し、2020年頃、知人からカメラを渡されたことをきっかけに、サンクトペテルブルクの写真アカデミー「フォトグラフィカ」に進学し、写真の道へと進みました。写真表現は、どのように当時のロシュコワさんを魅了したのでしょうか?
写真を始めたのは6年前。大学では哲学を専攻していて、美学や映画哲学など、アカデミックな論文を扱っていました。そんな私にとって、写真はある種の大きなコントラストを持っていたんです。一つの論文を書き上げる際は、それまで積み上げてきた知見を掘り返す作業を伴うので、「コンポストで生ゴミを分解する虫」のような気分でした。でも、写真はすぐに結果に繋がる。アーティストではなく学者になるだろうと思って生きてきた自分にとって、それが不慣れな点でもあったのですが、写真では自分で「現実」を作り出し、観客と対話ができることを発見し、魅了されていきました。
―まず撮影したのはヌードだったと聞きました。ロシュコワさんが「むき出しの裸」にレンズを向けた理由は?
Twitter で私がつぶやいた発言をきっかけに、知人からカメラを提供してもらい、Instagram でモデルも募集するようになりました。なぜだかは正直わからないのですが、自然発生的に双方のイニシアチブのもとヌード撮影になっていったように記憶しています。はじめは無料で撮影していたのですが、ある男の子はお礼に生理用ナプキンをくれ、ほかの子は果物をくれたり (笑)。あと、当時は USB メモリの扱い方もわからなくて、カメラの画面をスマートフォンで撮影していたみたいです (笑)。
―最初のプロジェクト「DACHA (ダーチャ)」(2020年)で触れたかったこと、友人たちと過ごしたダーチャ (農村付き別荘) での生活について教えてください。椅子に置かれた毛皮、道路に横たわる裸の女性のイメージなど、友人たちのドキュメントでありながらも、どこか違和感を感じるイメージが続きます。
写真アカデミー「フォトグラフィカ」に入学してからは、それまでのように何も考えずにヌードを撮るのはやめ、プロジェクト型の撮影を始めるようになりました。それも偶然、故郷のペルミという街にある友達のダーチャに招かれたことがきっかけ。友達の祖母の服に着替えてみたり、お婆さんが首元に手を当てている「Embrace of age」(2020年)もその時の作品です。そんな風に撮影していたら、「フォトグラフィカ」のディレクターの先生がすごく褒めてくれて。そこから、ペテルグループやヴォロネジという南方の町のダーチャに出向き、このシリーズを続けていくようになりました。「ダーチャ」のシリーズはパフォーマンス的であり、遊戯的なプロジェクト。後から自分が撮影した写真を後から見返し、再考し、補いながら出来ていった作品です。
写真:大町晃平
―翌年のプロジェクト「The Bliss of Girlhood」 では9歳から12歳の少女を被写体に、思春期特有の不均衡な感情が表現されています。このシリーズの着想はどのように生まれましたか?
夏休みに、故郷のペルミの海辺を歩いていた時、二人の女の子がブラブラしているのを見かけて。普段は持ち歩かないカメラをたまたま持っていたので、ポートレイトを撮影したら、すごく良くて。短いトップスにショートパンツ、爪や顔もちょっと汚れているみたいなね。あと、女の子たちの間で交わされる儀式的な要素にもすごく惹きつけられて。「お互いに化粧をしてみて」と頼んだら、相手の顔をがっと掴んで、乱暴に化粧をするんですよね。少女性が持つ優しさと、ある種の残虐さが共存している様が、私を魅了しました。大人になった自分という立場ではなく、少女たちの間に流れる束の間の瞬間を一緒に生きているような気持ちでしたね。
写真:大町晃平
―本展「unbewitched/アンビウィッチド」、そして同名の写真集について、ロシュコワさんは「魔法にかけられることと、その魔法が解けてしまうこと ー世界に魅了されることと、同時に失望すること ー についての展示であり本だ」と語ります。一義的であることを拒み、相容れないイメージが共存する両義性に重きをおくことについて、ロシュコワさんの考えを教えてください。
私にとって「両義的であること」は創作活動すべてに通じることです。優しさ・暴力、服従すること・させること、美しいもの・悍ましいもの。そういった両義的な関係が生み出す緊張感、そしてその間のバランスだとか、中庸を探すということに興味があります。6 年分の作品を 1 冊にまとめた作品集『アンビウィッチド』(ユナイテッドヴァガボ
写真:大町晃平
―ロシアでは日本にいる私たちからは想像もできない過酷な状況が続いています。創作活動も検閲され、ロシュコワさん自身も意図しないイメージで不当逮捕を経験しました。ロシュコワさんの創作を通して見えてくる未来はどんなものでしょうか?
ここ4年間のロシアの状況の大変さっていうのは、私や知人にとってもすごくアクチュアルなことでした。まず明日何が起きるかわからない。そして、長期的な貯金や、子供をもつことを諦めたり、この先の計画を立てることもままならない。何かきっとひどいことが起きるのではないかと常に思い生活していて。ヨーロッパや日本の人たちと喋っていても「未来」ということに関して、すごく大きな断絶、分かり合えない裂け目のようなものがあると感じてきました。私たちにとって、未来そのものが大きなモヤに包まれている不確かなものなのです。私のように、刑事罰まで受けているとなおさら。私は今やっとロシアを去り、1ヶ月先の計画立てられるようになったくらいです。
ただ、現実で起きている残虐さにも関わらず、私やその周りの人たちは、芸術に取り組むことをずっと続け、一度も辞めなかった。私はプロジェクトにずっと取り組み続ける、つまり生きることを選んだのです。
―「unbewitched (魔法を解く)」という言葉について込めた想いについて教えてください。
タイトルがいちばん難しかったのですが、編集者の方達が提案してくださり、このタイトルに決まりました。この言葉に込めているのは、シャボン玉が割れるとか、残酷な現実と対面するとか、夢と現実世界の対立だとか、私自身にとってとても近しい世界のことです。現在のロシアでは、おとぎ話のような世界をシャボン玉の中に作り出すことが、自分たちの活動でした。近しいアーティストと話している時だけ、バブルの中で普通の世界を生きている感覚になれます。ロシア語で「失望する」という名詞は、「разочарование (ラザチャヴァーニエ)」といいますが、単語に含まれる「чара (チャラ)」という言葉には、魔法や魅力という意味があります。と考えると「unbewitched (アンビウィッチド)」という言葉にも掛けられているんですよね。自分たちが作り上げていきたいその世界と現実の対立、それによる失望という想いがこのタイトルに込められています。
―今回の展示では、馬のクローズアップや指を吸う生まれたての子犬の穏やかなイメージが合間に挟まれ、ウサギの映像「Funny Bunnies」は、展示室の中央で淡々と時間を刻みます。ロシュコワさんにとって「動物」はどのような存在ですか? 人間と動物の間に境界線はあるのでしょうか?
動物への関心はずっとあったのですが、人を撮影するときにどこか違うなっていう違和感があって。蝋人形を撮影した時は良かったのですが、それはある種人間を客体化できたからかもしれません。動物の世界にもヒエラルキーがあって、蜂や蟻の世界にも社会があるんですよね。人はもともと動物だったはずなのに、動物や虫の世界からすごく遠くにきてしまっています。人間はどの動物を食べてどの動物を保護するか、命の選別をしていて、そういった権力構造はどこから来たのかという永遠の問いにも掻き立てられます。
写真:大町晃平
―今興味を抱く主題や、今度取り組みたいテーマがあれば教えてください。
いちばん直近のテーマとしては、自分自身が逮捕された経験から「檻の向こうの動物」というテーマに取り組む予定です。家で飼われているラブラドールレトリバーが檻の中でニコニコ笑っている写真を見て、閉じ込められているはずの檻を動物自身が愛するということにも興味があるのですが。その後も継続して動物のテーマに向き合っていこうと思っています。











