Joy Orbison
Joy Orbison

「自分のサウンドもUKのサウンドでありたい」。ジョイ・オービソンの音が還る場所

Joy Orbison

photography: ibuki yamaguchi
interview & text: riku ogawa

Portraits/

電車が数分おきに走り抜ける、高輪ゲートウェイ駅近くの路上。Joy Orbison (ジョイ・オービソン) に話を聞いたのは、Future Frequencies Festival (フューチャー フリークエンシー フェスティバル) 初日を締めくくるプレイを終え、会場から人波が引いたあとのことだった。彼がインタビューの場所に選んだのは、楽屋ではなく、工事現場脇の開けた一角。ガードレールに腰を下ろすと、一つひとつの問いに率直に答え、話が長くなれば自ら笑う。インタビューはあまり得意ではないと聞いていたが、ときおり冗談を交えながら、自身のルーツと考えを丁寧に語ってくれた。

2009年の「Hyph Mngo」で UK ダンスミュージックの注目を集め、2024年には「flight fm」で世代やシーンを越えてフロアを揺らした Joy Orbison。世界各地のフェスティバルへ活動の場を広げた今も、その音楽の根には、自らが育ったロンドンの街と、そこで出会ったカルチャーの記憶がある。彼が教えてくれたのは、新作の制作秘話でも、キャリアを振り返る成功譚でもなかった。フェスティバルとアンダーグラウンドのあいだに身を置く感覚、自分は何者なのかという問い、失われていく街の風景、機械から生まれる音に宿る感情、そして、いまなおフロアに立ち続ける理由。

「自分のサウンドは、UKのサウンドでなければいけない」。電車の轟音がたびたび言葉を遮る東京の路上で、彼の音楽を形づくった街とカルチャー、そして、変わりゆくダンスミュージックのなかで自分の音を鳴らし続ける理由を聞いた。

「自分のサウンドもUKのサウンドでありたい」。ジョイ・オービソンの音が還る場所

ーまずは、FFF 初日の最後を飾るプレイ、お疲れさまでした。2015年に C.E 主催のパーティーへ出演して以来、日本では何度かプレイされていますが、今回の来日は何度目ですか?

日本に来るのは3回目、いや4回目かな。

ーこれまで何度か訪れる中で、日本のオーディエンスやクラブカルチャーに対する印象は変わりましたか?

印象が変わったかというと、どうだろう。むしろ日本には、何度来ても変わらない独特の雰囲気がある気がするね。今夜のことだけで判断するのは難しいし、フロアの様子もあまり見えなかったけど、熱気がすごくて圧倒されたよ。とにかく、本当に音楽への思いが強いと感じられたのが、すごくよかった。日本の人たちは、こういう体験を当然のことのように受け流さず、特別な瞬間として心から楽しんでくれているように感じるよ。場所によっては、特定のサウンドやスタイルがありふれすぎて、もう新鮮に受け止めてもらえないこともあるからね。今の日本のシーンがどうなっているのかは、正直まだよく分かっていない。でも、自分がここに持ってこられるものが明確にあると感じられたのが嬉しかったよ。

ーありがとうございます!今回の FFF をはじめ、世界各地の大規模なフェスティバルでプレイする一方、あなたは今も UK のアンダーグラウンドシーンと強く結び付いています。大きな舞台に立つことと、自らのルーツを保つことの両立を、どのように考えていますか?

それは間違いなく意識しているよ。似ている部分はあっても、根本的には別のものだし、自分の中である程度は分けて考えつつ、完全に別物にはしたくないんだよね。その折り合いをつけるには、少し時間がかかった。大きな会場では、小さなクラブと同じことがそのまま通用するわけではないし、広い空間だからこそ必要なものや伝え方もある。これは難しいけど、同時にすごくおもしろくもあるんだ。その答えのひとつとして、「少し実験的なことを、大きなスケールでやりたい」と思っている。

というのも、自分ではあまりアンダーグラウンドのミュージシャンだと思ったことがないし、目指していたわけでもない。昔から抱いていたのは、できるだけ多くの人に何かを伝えたいという気持ち。僕が育ったのは、ジャングルやドラムンベースのカルチャーで、実際に初めて聴いたのは大勢の人が集まる大きなレイヴだった。もちろん、そこにはアンダーグラウンドな側面もあったけど、僕の印象に残っているのは小さな場所というより、大きな空間に大勢の人がいる光景だった。だから、当時はそれをアンダーグラウンドだとはあまり考えていなかったんだと思う。単純に、「巨大なレイヴに大勢の人がいる」という感覚だったんだ。そういう意識は、いまだに自分の中にある気がする。

それに、僕が DJ を始めた頃からエレクトロニック系のフェスが増え始め、DJ がクラブだけでプレイするのは最初の2〜3年で、その後すぐフェスに出演することが当たり前になった。つまり、ある意味それしか知らないとも言えるし、嫌いじゃない。「そういうもの」として割り切っていて、それが原因で作る音楽が変わることはないかな。時に例外はあるかもしれないけど、基本的には自分が作りたいものに向き合っている。

むしろ意識するのは、DJ のときだね。プレイしている最中は、自分の中のアイデアを現場に合う形で伝えるのが役目で、単に理想を押し付ければいいわけじゃない。僕にとっての DJ は、ライブセットとは違うんだ。その場所が意味を持つように、音楽を組み立てるのが役目なんだよ。

ークラブで機能するダンスミュージックとしての身体性と、聴く人の感情を揺さぶる情緒性。その両方があなたの作品にはありますが、制作する上で意識しているのでしょうか。それとも、自然に表れるものなのでしょうか?

僕にとって音楽は、言葉で話すのと同じような感覚というか、誰かとコミュニケーションを取るためのものだと感じている。音楽を作り始めた頃の僕は、おそらく他人と気持ちを伝え合うことがあまり得意じゃなかった。だから、何かを伝えようとしたとき、音楽がいちばん自然な手段だったんだと思う。そう考えると、感情と結び付くのも当然だよね。それに、UK のダンスミュージックシーンには、本質的に同じような側面があるんだ。機械で作られた音楽ではあるけど、昔から人間的で、エモーショナルで、メロディアスだった。僕が惹かれたのは、まさにそこだったと思うし、それは今も変わらない。

今夜のように、かなりハードで目まぐるしい展開も好きだけど、同時に、聴いたあとも何かが心に余韻として残ってほしいんだ。その要因の多くを生み出すのがメロディだから、僕にとってはすごく大事なこと。単調で無機質な音楽は、僕には作れないし、やりたいことではない。むしろ年齢を重ねるほど、もっとメロディのある音楽を作りたくなってきているんだ。なぜだかは分からないけど、歳を取って少し感情的になりやすくなったというか、自分の気持ちに動かされやすくなったんじゃないかな。若い頃は、そういった一面を少し隠そうとしていたけどね。

ー多様な音楽的要素を取り入れながらも、あなたの作品からは一貫して「UK らしさ」を感じます。それはサウンドそのものに由来するのでしょうか。それとも、人やコミュニティー、クラブの在り方まで含めたカルチャーによるものなのでしょうか?

これについては、おもしろい話があるよ。最近、C.E のディレクターで古くからの友人でもある Toby Feltwell (トビー・フェルトウェル) とロンドンで会ったんだけど、「君は音楽だけじゃなくて、バンドでも、デザイナーでも、とにかく UK のモノがずっと好きだよね」と、あまり意識していなかったことを言われたんだ。もちろん、世界中のいろいろなカルチャーも好きだけど、自分が育った環境に属するモノにすごく惹かれるタイプで、やっぱり UK カルチャーには特別な興味がある。理由はうまく説明できないけど、若い頃から本当に夢中だったんだ。

年齢を重ねると、自分が最も多感だった頃に強く影響を受けたモノに自然と立ち返る気がする。それが僕にとっては10代の頃で、当時受けた衝撃は本当に一生忘れない。例えば、60歳になってもパンクスの人がいるよね。それは若い頃の人生でパンクが大きな意味を持っていたからだと思う。ある時代に強烈に夢中になったモノを、ずっと引きずって生きていくことは誰しもがあって、それが僕にとってはロンドンだったんだ。

1990年代後半から2000年代前半のロンドンには、素晴らしいバンドがいて、優れたデザイナーがいて、最高のクラブがあって、あの頃は本当に特別で最高だった。今はもう違うかもしれないけど (笑) 。まだ子どもだったとはいえ、90年代は衝撃を受けるようなモノを数多く目にすることができて、その感覚は今でもずっと自分の中に残っているね。だから、自然と当時の感覚を忘れずに今日までやってこれたし、自分のサウンドも UK のサウンドでありたい。そうでなければ、「僕は何者なんだろう?」と思ってしまう。世界中を回りながら、自分ではない誰かのふりはしたくない。少なくとも、「自分がやっていることは、自分にとって本物」と言えることが大事なんだよ。だから、僕は UK でなければいけないんだ。そうすれば、プレイするときにも胸を張って立てるし、「ここが自分の居場所」だと思える。

“ownership” ーー自分のものとして引き受けるという言葉が、ダンスミュージックにおいて適切なのかは分からないけど、少なくとも自分ならではの何かを提示できることが重要なんだ。僕は、ちゃんと何かを提供できる人間でありたい。誰かの後を追っているだけなら、ステージに立つ意味はないと思う。特に年齢を重ねると、次々と新しいアーティストが現れてくるから、「まだ自分はこのシーンにいていいのかな?」と考える瞬間もある。でも、自分には自分の物語があると思えれば、それでいい。僕には僕のテーマがある。結局、それが UK カルチャーなのさ。長々と答えてごめんね (笑) 。

ーいえ、とても興味深い重要なお話でした。「flight fm」は2024年を象徴するトラックのひとつとなり、幅広い DJ にプレイされ、新しい世代があなたを知るきっかけにもなりました。これほど大きく広がったことを、どのように受け止めましたか。また、あなたのキャリアにおいて、どのような位置付けの作品になっていますか?

「flight fm」は、あれこれ考えすぎることもなく、「こういうアイデアを形にしたい」というひとつの衝動だけを追いかけて作った、すごく素直な楽曲なんだ。たったひとつのアイデアでも、それが誠実に伝わればいいと思っていて、「flight fm」はまさにそれができた作品だから、手応えがあった。

普段の僕は、考えすぎて途中で音楽を作ること自体が楽しくなくなることもあるくらい、とにかく用心深いタイプなんだよね。そもそも僕自身は、「flight fm」を世の中に発表するつもりはなかったんだけど、レーベルが背中を押してくれて、「あまり神経質にならず、とりあえずリリースして、何が起こるか見届けよう」と、気負うことなく大きな計画も立てなかった。それだけに、多くの人に届いたのは本当に驚いたし、世界中の DJ が何度もプレイしてくれているのが幸せだよ。狙っていたわけではないけど、今のシーンでは起きづらくなっている出来事だからね。

以前までは、「DJ なら誰もが知っていて、みんながプレイするレコード」があった。でも、今はダンスミュージックとしてリリースされても、DJ にほとんどプレイされない作品は珍しくない。だから、「flight fm」が驚くほど幅広い DJ にプレイされたのは特別な経験だった。テンポを落として流す人もいれば、逆に上げる人もいたりね。こうした広がり方にオールドスクールな感覚を抱いたんだ。それと、ある時点から「シーンの楽曲」ではなくなる現象を実感したんだけど、分かるかな?

ー具体的にどのようなことなのでしょうか?

ひとつ例を挙げると、The Prodigy (ザ プロディジー) の初期の楽曲は、もともとレイヴトラックだったけど、やがてシーンを飛び越え、それ自体が独自の存在になっていった。もちろん、「flight fm」はそれを目指して作ったわけではないけど、少しだけそういう存在に近づけたのかなと思う。特定のシーンに属するのではなく、ひとつの楽曲として独り歩きするようにね。それがすごく楽しかったし、本当にうれしかった。普段は自分の作った作品に満足することはほとんどないんだけど、「flight fm」だけは素直に良いと思えたんだ。

ーなるほど。先ほど新しい世代のアーティストについても触れていましたが、ここ数年、UK 発の DJ やプロデューサーは、これまで以上に世界的な注目を集めていますよね。

多くの UK 出身のアーティストが、世界中を回り、ダンスカルチャーそのものに影響を与えている今の状況は、本当に素晴らしいことだよ。彼らの音楽の中には、一様に分かりやすい形ではないにせよ、これまでの UK ダンスミュージックから受け継がれてきた流れや、いかにも UK らしい何かがあるんだと思う。それはすごく良いことだよね。

ーその一方で、UK ダンスミュージックは、もともとローカルなクラブやコミュニティーから生まれてきた音楽でもあります。シーンがグローバルに広がったことで得られたものと、失われつつあるものは、それぞれ何だと思いますか?

失われつつあることについて言えば、UK の音楽シーンの多くは労働者階級のサブカルチャーから生まれてきた背景があるけど、今の DJ シーンは特定のカルチャーを切り取り、世界に売り出していくような側面が強い気がする。そのカルチャーを実際に育んできた人たちが、必ずしも表立っているわけではないから、しばしば断絶を感じる時はあるね。言ってみれば、最も見栄えよく整えられたバージョンだけが前面に現れていることがあるんだ。

ロンドンのアンダーグラウンドカルチャーには、今も独自のやり方に深く根差したシーンがいくつも残っている。そういう場所で育まれたものが、イビサや EDM の世界で起きていることに大きな影響を与えているはずなのに、その当事者たちが相応の形で世界に知られていないことを残念に思う。

これは UK だけの話ではなく、アメリカでも同じ現象が起きていて、デトロイトやシカゴのアーティストたちは、必ずしも自分たちの生み出した音楽を代表する立場にいるわけではないよね。一時期はそういう機会があったのかもしれないけど、今ではデトロイトのアーティストが大きな舞台でプレイしているのをあまり見かけないし、イビサでもシカゴ出身のアーティストはそれほど多くない。デトロイト出身となると、ほとんどいない。今ある音楽が何から影響を受けてきたのか、そのルーツとのつながりが、もっとあってもいいと思うんだよ。

とはいえ、僕自身も第2世代というか、オリジネーターたちよりも後の世代で、幸いにも音楽を仕事にして世界を回ることができる立場にいる。でも、僕が聴いて育った多くのアーティストたちは、そういう機会を得られなかった。だからこそ、僕は本当に恵まれていると思うし、あまり文句は言えないね。実際、こうして日本に来られているのも、先人たちがいてこそ。また長々と話しちゃったよ (笑)。

ー長いなんてとんでもない、素敵な話です。UKダンスミュージックを取り巻くカルチャーという点では、グラフィティも重要な要素のひとつだと思います。今回、東京の街を歩く中で、印象に残った風景やカルチャーはありましたか?

僕の場合は、グラフィティよりも建築や都市空間に影響を受けることが多いかな。日本を訪れると、建築物の佇まいや都市の構造から何かを強く感じるというか、それが人に与える感覚に圧倒されるんだ。

質問と答えがズレるけど、僕は今日ソウルから東京に飛行機で来て、たった2〜3時間の距離なのに、日本へ入った途端、空気が全く違って感じられた。着陸前からそれが分かって、少し不思議だったよ。10年以上前から何度も訪れているのに、日本に戻ってくるたびに嬉しいし、すごくワクワクする。理由は自分でも分からないから説明できないけど、温かく歓迎されている気持ちになれる特別な国だと思う。

ーそう言ってもらえて光栄です。グラフィティでひとつお伺いしたいことがあって。今回の VJ で投影されていた「Joy O」のグラフィティは、誰が手がけたものなのでしょうか?

あぁ! あれは、10Foot (10 フット) が描いてくれたんだけど、知ってる?

ーもちろんです。ロンドンを代表する匿名のグラフィティライターですが、彼に依頼した理由を教えてください。

そうそう。実は、10Foot も東京を訪れたことがあるから、今回グラフィティを描いてもらうなら彼に任せるしかないと思ったんだ。彼とは長い友人だし、体現しているものや存在そのものを考えると、描いてもらうことで東京公演に参加してもらえたのは特別な体験だったよ。

僕も若い頃、本格的にのめり込んでいたわけではないけど、少しグラフィティを描いていたことがあってね。10Foot は、ロンドンのグラフィティカルチャーを独自の方法で体現している、すごくユニークな存在なんだ。

ー友人関係の話から派生すると、叔父である Ray Keith (レイ・キース) は、UK のアンダーグラウンドシーンを代表する DJ/プロデューサーですよね。幼い頃から彼が身近にいた環境で育ったからこそ、影響を受けた価値観や姿勢はありますか?

実は、叔父の Keith には「DJ になんて、わざわざなるな。やめておけ」って言われていたんだ (笑) 。別に強く反対されたわけではないけど、音楽業界は本当に厳しい世界で、この仕事がどれだけ大変か知っていたし、叔父たちの世代はなおさら苦労してきたからこそ、忠告してくれたんだろうね。

その一方で、身近に叔父のような人がいると、「もしかしたら、自分にもできるかもしれない」と思ってしまう。叔父とは全然タイプが違うけど、身近にいなければ DJ を目指そうとはなかなか考えられなかっただろうし、環境に恵まれて本当に幸運だったね。

ー最後に、もし読者があなたの地元サウスロンドンのクロイドンを訪れるなら、今、足を運んでほしい場所はありますか?

「DNR」という良いレコードショップが1軒あるくらいで、今はもう何もないんだよね。それも、クロイドンの中心部ですらなくて、少し外れたところにある。僕は今もクロイドン郊外に住んでいるんだけど、昔とは何もかもが変わってしまったんだ。

話すと長くなるけど、僕が育った頃はレコードショップがたくさんあって、ダブステップなら「Big Apple (ビッグ アップル) 」、テックハウスなら「Swag (スワッグ) 」、ドラムンベースなら「Wax City (ワックス シティ) 」といった具合に、それぞれのレコードショップからジャンルやシーンが形作られていく側面があった。良いクラブも存在したし、いろいろな人種や音楽との接点となる場所がちゃんと実在していたんだ。

でも、今は全部なくなってしまって、本当に何も残っていない。「DNR」も今は少し離れた場所にあるから、そのためだけにクロイドンへ行くには遠いかもね。というか、たぶん僕より先に君が行くことになると思う (笑) 。残念だけど僕自身、もうクロイドンの中心部にはめったに行かないからね。それでいうと、いつか自分でレコードショップを開きたいと思っているんだ。実現できたら、すごくいいよね。