誰かにとっての「ホーム」になる。アーロ・パークスが描く、光と影のビタースイートな世界
Arlo Parks
photography: shinsaku yasujima
styling: lewis munro
interview & text: hayata matsuhiro & hayato kajihara (orm)
「ホーム」とは場所ではなく、人とのつながりの中にある——。そう語る Arlo Parks の音楽には、いつも光と影が隣り合っている。クラブカルチャーから着想を得た最新作『Ambiguous Desire』で描かれたのは、フロアに満ちる一夜の高揚と、そのあとに訪れる孤独。希望とメランコリー、その両方を見つめることで生まれる、ビタースイートな世界だ。
その核にあるのが、表現の原点である詩。幼い頃から言葉に親しんできた彼女にとって、それはストーリーテラーとしての自分を見出し、内なる繊細さをすくい上げるためのものでもある。感情の揺らぎや孤独をありのままに包み込む彼女の音楽だからこそ、誰かにとっての「ホーム」となり、深く心に響くのだろう。
今、そんな彼女の創作を刺激するのは、イタリアのクラブ建築や台湾ニューウェーブの映画、日本の空間に宿るミニマリズム、そして LA の光。異なる土地や時代から受け取ったものは彼女の中で重なり合い、まだ見ぬ物語へと姿を変えていく。光と影のどちらからも目をそらさず、音楽のなかに他者とつながるための場所をひらいていく。Arlo Parks に、その創作の根にあるものを聞いた。
誰かにとっての「ホーム」になる。アーロ・パークスが描く、光と影のビタースイートな世界
Music
—2022年の FUJI ROCK FESTIVAL (フジロック・フェスティバル) で初来日して以降、度々日本をライブなどで訪れていますが、日本という場所に対して親しみを感じるようになりましたか、それとも来るたびに新鮮な印象ですか?
正直、その両方だと思う。今回は東京以外にも足を伸ばして、鎌倉や伊豆の山の方にも行くことができた。美術館や博物館を巡ったり、レコードショップに行ったりする時間もたっぷりあったから、来るたびに日本の文化をより深く探索できていると感じる。演奏に関しても、音楽の形もライブの構成も前回とはかなり違うから、新鮮でもあり、同時にいつもワクワクさせてくれるよ。
—あなたは詩を書くことからキャリアをスタートさせ、今は世界的に有名なミュージシャンになられました。詩という芸術形式は、アーティストとしてのアイデンティティ形成にどう影響しているのでしょうか。
私にとって詩は、より個人的で内省的な芸術形式。それが音楽の中にも入り込んでいる感じかな。音楽は私にとってよりパブリックで共有されるものだけど、詩のおかげでストーリーテラーとしての自分を理解できたし、自分の繊細さを表現することもできた。一人の人間としてもアーティストとしても、詩は常に私の一部だよ。
—最初に詩を書き始めたのはいつ頃ですか?
おそらく7歳か8歳の頃。いつも短い物語を書いていた。その後、音楽に夢中になって、私にとって音楽は詩そのものだった。ヒップホップや Patti Smith (パティ・スミス)、あとはスポークン・ワーズ* を聴くうちに自分でも詩を書き始めるようになり、10代の頃には曲になっていた。子どもの頃は辞書を読んでいたくらい、ずっと言葉が大好きだったの。
*スポークン・ワーズ: 歌詞や詩、物語を歌ではなく、語りで表現する芸術、パフォーマンスのこと。
—元々は西ロンドンの出身ですが、今は LA を拠点にしていますね。ロンドンから LA へ移ったことで、楽曲の温度感の変化や、ポジティブな影響はあったのではないでしょうか。
LA はロンドンとは全く違う場所だね。空間が広くて、太陽の光も強い。おかげで自然を探索する時間も増えた。あと、LA のミュージシャン・コミュニティはすごく流動的なの。UK には小さなシーンが点在している感じだけど、LA はもっと協力的で流動的。そこが気に入っている。もちろん今でもロンドンで過ごす時間は長いけど、 LA はクリエイティブな面でより冒険的な自分を引き出してくれたと思う。
シャツ/NEEDLES (ニードルズ)、パンツ/sacai (サカイ)、シューズ/CAMPERLAB (カンペールラボ)、ジュエリー/Bleue Burnham (ブルー・バーナム)
—実際に現地のミュージシャンたちのコミュニティには加わりましたか?
そうだね。かれこれ5年近く住んでいて、大人になってからの人生の大半はLAにいることになるから、DJ シーンやエレクトロニックのシーン、パンクやインディーのバンドとも関わった。Phoebe Bridgers (フィービー・ブリジャーズ) や Clairo (クレイロ) といったインディーシーンのアーティストたちとも自然にコラボレーションするようになった。
—以前のインタビューで、「LA は今の自分のホームだけど、ロンドンも常にホームだ」と話していました。あなたにとっての「ホーム」の定義はどう変わったと思いますか。
結局、「ホーム」とは場所ではなく「人」なんだと気づいた。ロンドンに「ホーム」を感じるのは、そこに家族がいて、私の人生をずっと知っている人たちがいるから。一方で LA に「ホーム」を感じるのは、そこで出会った共同制作者や友人たちとの絆があるから。ツアーで移動が多い生活をしていると、どこにも属していないような感覚になることもあるけど、私にとってのホームは、その場所に誰がいるか、ということなの。
—「人」とのつながりでいうと、前作『My Soft Machine』に続いてプロデューサーの Baird (ベアード) を迎えていますね。今作『Ambiguous Desire』では音楽性の変化や進化を感じますが、彼とのタッグは揺るぎないものだったのでしょうか。
彼には音楽に対する純粋な愛がある。一緒に曲を作っていると、まるで初めて音楽に出会った16歳の頃のような気分になれるの。彼は好奇心が旺盛で冒険心があり、センスも抜群。何より、私が自分自身を信じられるように背中を押してくれる。他の人が私に期待しないような挑戦をするときも、常に「自分を信じろ」と励ましてくれる。それが彼と働く一番素晴らしいところね。
—今回のアルバムではクラブカルチャーから影響を受けていますが、単に華やかなクラブでの体験だけではなく、帰宅した後の孤独感も捉えているのが興味深いと感じました。
世界を丸ごと探索したかったの。キラキラした楽しい瞬間について語るなら、その後の孤独や自分の頭の中に閉じこもってしまう感覚、喜びから切り離された感覚についても語らなければならない。私はいつも全編が楽しいだけの曲より、希望とメランコリーが共存するような“ビタースイート”な表現に惹かれる。それは意図的というより、私の自然な書き方なの。
—今作を作るにあたって、イタリアのクラブ建築や照明デザインも研究されたそうですね。実際にそれらはサウンドやアルバムの雰囲気にどのように反映されましたか。
私はアルバムのことをすごく映画的に捉えていた。まだ存在しない映画のサウンドトラックのような感じかな。そこから、建築に関する本で照明やフロアの構成、60年代から現在に至るまでのクラブの変化について学んだの。それらすべてを吸収して、サウンドやライブ、ビジュアルに落とし込んでいった。自分が表現しようとしているジャンルのルーツを学ぶのは、すごく刺激的なことなの。
–なぜ、特にイタリアのクラブだったのでしょうか。
イタリアは建築がすごく特別で、やりすぎなくらいに装飾的だったのが面白くて。イタロ・ディスコ*というジャンルも大好きだし、美学的にすごく惹かれた。それと、70年代後半から80年代前半のニューヨークのクラブ、例えば Paradise Garage (パラダイス・ガレージ)* のようなユニークな内装を持つ場所も大好きだよ。
*イタロ・ディスコ: 1970年代後半にイタリアで流行したディスコ音楽。発祥自体は70年代だが、言葉自体の由来は、1980年代前半にドイツの「ZYX RECORDS (現ZYX MUSIC)」がリリースしたコンピレーション盤『THE BEST OF ITALO DISCO』とされている。1990年代には衰退し、後にユーロビートといったジャンルに分割されていく。
*Paradise Garage: 1978年から1987年まで米・ニューヨークに存在したディスコ。その後の音楽シーンに多大な影響を与え、ハウス、テクノ・ミュージックの礎を築いた伝説的 DJ の Larry Levan (ラリー・レヴァン) を輩出したことでも有名な場所。サウンド・システムの質も高く、楽曲のプレイ中にフロアで会話ができるクリアな音を実現した。
—今回の来日では鎌倉にも足を運んだようですが、日本の建築にもインスパイアされることはありますか?
日本のクラブ文化の歴史についてはもっと学びたいと思っているけど、日本の「空間の使い方」や「ミニマリズム」にはいつもインスパイアされているの。制約の中にあるフローや一貫性、そして建築が自然や土地と有機的に調和している感じが素晴らしいと思う。それは私の楽曲制作における言葉とプロダクションの融合にも影響を与えていると思う。
—クラブカルチャーからは少し離れますが、日本では寺院や神社でフェスティバルが行われることもあって、独特の雰囲気と没入感がありますよ。まるで音の中に飛び込んだような感覚です。
そんなものもあるのね!面白そう!いつか行ってみたい。
—アルバム制作中は毎日映画を見ていたそうですね。影響を受けた映画や、人生を通して大切にしている映画はありますか。
イランの映画監督、Abbas Kiarostami (アッバス・キアロスタミ) の『Taste of Cherry (黄桃の味)』という作品が大好き。あとは台湾ニューウェーブやフレンチ・ニューウェーブの作品も好きだね。Agnes Vards (アニエス・ヴァルダ) 監督の『Cléo from 5 to 7 (5時から7時までのクレオ)』や、Audrey Hepbern (オードリー・ヘプバーン) が出ている『Love in the Afternoon(邦題:昼下りの情事)』とかも。特定のジャンルというより、Criterion (クライテリオン)* でその時々の特集を見て、色々な作品に触れるのが好きなんだ。
*Criterion: アメリカの映像ソフトメーカー。数多くの名作や歴史的な重要作品の販売、ライセンス供与、修復、配給を行う。Criterion Channel というサブスクリプションサービスの運営も行い、オンラインでの作品配信も行っている。
—あらゆるカルチャーに影響されながら、音楽を通じて他者とつながることの美しさや喜びを表現していますが、あなたは音楽という表現方法でどのようなホームを作りたいと考えていますか。
音楽を通じて、人々が安全だと感じられる場所を作りたい。自分の居場所がないと感じてきた人たちにとっての「ホーム」のような場所。私のライブに来てくれる様々なタイプの人たちが、一つになれる場所であってほしい。常にそれを意識してライブやパフォーマンスはするようにしているの。
—なるほど。実は私たちも2022年の FUJI ROCK であなたのステージに行きました。オレンジ色のステージにたくさんの花が飾られていたのを覚えています。たしかにあの空間は、みんなにとっての「ホーム」のような安心感と一体感があったように思います。
来てくれていたのね!そう言ってくれて嬉しい。あのショーは今でも心に残っている大切なライブで、本当に楽しかった。
—音楽を通じた居場所づくり以外にも、あなたはユニセフなどの慈善活動をはじめとした、人々の支援や居場所作りに関わっていますよね。音楽を含め多様なカルチャーや人々と深く関わりながら、世界を見つめてきたあなただからこそ伺いたいのですが、私たちが今一番必要としていること、あるいは取り戻すべきものは何だと感じていますか。
“スローダウン” することだと思う。もっと忍耐を持って、ゆっくりとした文化を受け入れること。今はみんな、情報も成功もすぐに手に入れたがるけれど、一旦スマホを置いて、お互いの話にじっくり耳を傾ける時間が必要。自分とは違う考えを持つ人や、違う場所から来た人と対話することで、再びつながりを取り戻せると信じている。音楽やアートは、そのための場所になり得るはず。














