「音楽は常に抵抗だった」Kelly Lee Owens のウェールズの歴史と記憶に宿る力
Kelly Lee Owens
photography: kazuki iwabuchi
make up: lisa hirano
interview & text: kei harada
ウェールズ出身のプロデューサー/シンガーソングライター/ DJ である Kelly Lee Owens (ケリー・リー・オーウェンス) は、テクノやアンビエント、トランス、ドリームポップといった多様な音楽を横断しながら、身体性と深い感情が共存する独自のダンス・ミュージックを作り続けている。
2024年に発表したアルバム 『Dreamstate』 では、The Chemical Brothers (ケミカル・ブラザーズ) の Tom Rowlands (トム・ローランズ) や BICEP (バイセップ) とのコラボレーションを通して、恍惚感に満ちたダンス・ミュージックと内省的なソングライティングを融合させ、表現のスケールをさらに広げた。UK を代表するエレクトロニック・バンド Depeche Mode (デペッシュ・モード) のワールドツアーへの帯同や、世界各地の大型フェスティバルへの出演を重ね、その存在感を確かなものにしてきた Kelly Lee Owens。今年出演したフジロックでは、音と光、観客のエネルギーが溶け合うような DJ セットで、深夜のレッド・マーキーを掌握する、圧巻のパフォーマンスを披露した。
「私の音楽には誰でも入れるし、そこにヒエラルキーは存在しない」。フジロックを終えた彼女に、Tom とのコラボレーション、ウェールズの歴史と自身のルーツ、そして抑圧と分断が深まる時代に音楽やアートが果たし得る役割まで、ときに涙を拭いながら自身の考えを率に語ってもらった。
「音楽は常に抵抗だった」Kelly Lee Owens のウェールズの歴史と記憶に宿る力
Music
─フジロックでの DJ セットを終えて、いかがでしたか? パフォーマンスの最後には、少し感極まっているようにも見えました。
これまでにやったなかで一番好きな DJ セットのひとつだったと思う。レーザーや照明、演出、観客のエネルギー……すべてが素晴らしくて、最高だった。日本のファンからは普段からメッセージをもらうことが多いんだけど、みんな本当に誠実で、音楽と深くつながってくれている。だからフジロックという特別な場所で一緒にいられたことが、贈り物のように感じられたわ。
すべてが重なり合ってひとつになる完璧な瞬間ってあるでしょう? フジロックでの経験は、まさにそういう感覚。世界の反対側で自分の音楽を知っている人たちが、言葉では説明できないようなつながりを感じさせてくれて、私はなんて幸運なんだろうと思ったの。だから最後に、感情があふれてしまって。
─今は、人々を結びつけるような集団的な感情を生み出すのが難しくなっているなかで、あのフロアは本当に人々がつながり合って、ひとつの感情を共有しているように感じました。
ありがとう。今の社会には、人々を分断することで利益を得ている人たちがいる。でも、音楽は常に結束して、連帯するためにも存在してきた。私のライブには子どもたちから、50代、60代の人たち、クィアの人たちまで、幅広いファンがいる。そうやって、普段は交わらないようなさまざまな人たちが自分のライブに集まってくれると、本当に誇らしい気持ちになるの。今の社会が必要としていることって、まさにそういう瞬間だと思うから。
自分の音楽が、特定の「シーン」と強く結びついた閉鎖的なものではないことも、とても重要なことだと思ってる。私の音楽には誰でも入れるし、そこにはヒエラルキーが存在しない。あなたがクールかどうかなんて関係ないから。
─そうした考え方は、あなたの DJ のスタイルにも表れていますよね。プレイ中、あなたは平静を装ったりせずに、グラスとボトルを持ち込んで、感情的に踊っているのが印象的でした。観客もあなたと一緒に踊っているような気持ちになります。
私はいつもそうなの (笑)。活動を始めた最初の頃は、もっとアンダーグラウンドなテクノのシーンにいたんだけど、そこには女性もあまり多くなくて、クールに振る舞わなければならないような雰囲気があった。でも、今の私が関心を持っているのは、そうではない別の形で人とつながること。観客がそこにいないかのようなふりをして、クールに振る舞うつもりはないし、無関心を気取ることは今の社会ではクールなことではないと思う。
今はもっと、私とあなたはここに一緒にいて、同じ瞬間を共有していることを伝えたいし、もっとみんなが自由になっていいと感じてほしい。The Chemical Brothers の 「Free Yourself」 みたいにね。あの曲をいつもかけてるのは、そういう理由。
──フジロックでは、『Dreamstate』でコラボレーションした Tom Rowlands (トム・ローランズ) も、TOMORA (トモーラ) として同じ日に出演していました。会うことはできましたか?
彼とは事前にメッセージのやり取りをしていて、会おうねと話していたんだけど、結局一度も会えなかったの。TOMORA のステージのあとに、私のショーを観に来る予定だったみたいなんだけど、急遽 DJ セットをやることになったらしくて、それが私のセットと同じ時間だった。私はそんなこと何も知らなくて、Tom が自分のステージの目の前で DJ をしているときに、The Chemical Brothers の曲をかけていて (笑)。振り返ると面白く感じるし、素敵なことにも思える。
─コラボレーションを通じて、Tom から学んだことは何でしょう? コラボレーションはどのように進みましたか?
『Dreamstate』 での Tom との仕事は、本当にポジティブな経験だった。彼の寛大さには最初から刺激を受けたし、何より自信と安心を感じながら仕事をすることができた。例えばコラボレーションをするとき、実際に契約を結ばないと楽曲をパートごとに分けた音源データ (ステム) を送ってくれない人や、いろいろな条件を付けてくる人が多いけど、彼は最初から「ステムを送るから、好きにやってみて」と言って信頼してくれた。彼が送ってくれたのは、当時制作中だった The Chemical Brothers のアルバムに向けた2曲だったんだけど、追加のプロダクションも含めて、好きなようにやっていいと言ってくれたの。
送られた曲は数字だけの仮タイトルだったから、私が勝手に名前を付けた。1曲はバラード調だったから 「Ballad」 、もうひとつはもっと盛り上がる感じの曲だったから 「Banger」(=フロアが一気に盛り上がるような曲)。結果的に 「Banger」 のほうはうまくいかなかったんだけど、それでよかったと思ってる。当時の私は、より個人的な経験について書きたいと感じていたから。
最終的にリリースした 「Ballad (In the End)」 では、歌詞を書いて、メロディもなんとなくできた段階で、全部がうまくハマるかどうか一度最後まで歌ってみようと思って、デモボーカルとして自分の寝室で録音したものが、最終的にそのままアルバムに収録されている曲になったの。普段の私はどちらかというと完璧主義者で、細かい箇所でも気になってしまうタイプなんだけど、この曲はワンテイクだった。でも、フロウ状態に入りながら、ワンテイクでそのまま進んでいくやり方にも魔法のようなものを感じられたから、次に制作するときは、もっとこの方法を試してみたいと思ってる。
─そうだったんですね。
できた曲を Tom に送ったあとのやり取りでは、「これは The Chemical Brothers の曲ではなくて、君のための曲だね」と言われて。それで、「権利は50対50でどう?」と聞かれて、私は「うん」と答えるだけ。人生で最もシンプルなコラボレーションのひとつだったし、彼からの信頼を感じたわ。
それに、最高だったのは、彼がウェールズ人の血を引いていることも知ったこと。“Rowlands” はウェールズの名字なの。私は、Aphex Twin (エイフェックス・ツイン) もウェールズ人だと主張していて (笑)。彼の両親は2人ともウェールズ人で、「54 Cymru Beats」 という曲もある。“Cymru” はウェールズ語でウェールズという意味なの。私はこうやって、偉大なエレクトロニック・プロデューサーたちを「彼らは実はウェールズ人だから」と勝手に仲間にしているの (笑)。
─ウェールズ出身というルーツは、あなたの音楽表現にどのような影響を与えていますか? あなたは、ウェールズの労働者階級の村で育ったそうですね。
実は、自分のルーツが自分の表現にどれほど深く影響してきたのか、最近になってようやく理解し始めたところなの。この話をするときは、いつも感情的になってしまう……。ウェールズの歴史は、とてもつらくて、残酷なものだから (ティッシュで涙を拭う)。
ウェールズは、イングランドによって長い間抑圧されてきた歴史がある。私たちの国は「歌の国」と呼ばれているけど、何百年もの間、ウェールズ語は法律や行政といった公的な場から排除され、学校では話すことさえ罰せられていた。言葉そのものが衰退の危機にさらされたの。それに、国名の「ウェールズ」という言葉そのものが、アングロサクソン語で「よそ者」「外国人」を意味する言葉に由来している。自分の国を「外国人の土地」と呼びながら育つことの影響は、計り知れないと思う。自分が異質で、受け入れられていない、十分ではないと感じることにもつながるから。
私自身も、これまで自分に自信を持てなかったり、消極的になったりすることが多くて、それは私個人の話だと思っていた。でも実際には、ウェールズにおける大きな歴史の一部なんだと気づいたわ。なぜ自分がこういう人間なのか、その心理的な背景を理解し始めたことは、自分にとって間違いなく重要な経験だった。だから、次の作品で取り組もうと思っているテーマは、故郷への帰還であり、祝福であり、同時に悲しみを認めるようなこと。自分が何者なのかについてもっと深く知り、自分の生まれた土地の未来がどのようなものになるのか、そして、どうすればそれをより良くできるのかを考えること。さらに、そうした物語を、どうすればできる限り多くの人に伝えられるのかについて考えているの。おそらく、これまでで最も個人的な作品になるはず。あまり詳しいことは言えないけどね。
─フジロックで Kneecap (ニーキャップ) と一緒にいる写真を見ました。彼らの出身地であるベルファストにも、英国との複雑な歴史があります。
彼らは、私がこれまで会った人のなかで最も優しく、思いやりがあり、寛大な人たちね。常に正しいことのために立ち上がっていて、いろいろなことに対して深く気にかけている。北アイルランドでもウェールズでも、イングランドは今も真実に抵抗し、封じ込める方法を探そうとしている。政治的な問題になると、「それは音楽とは別の話だ」とか「そんな話をするな」と言われることが多いけど、彼らと同じように、私も真実を語る。自分を沈黙させようとする人々に対して優しく接しているだけでは、歴史は変わっていかないから。
─植民地主義的な権力は、ひとつの物語を作り、それを押し付けようとします。これを歴史修正主義と呼ぶこともありますが、音楽やアートは、そうした抑圧に対してどのように抵抗できるのでしょう?
音楽は常に抵抗だった。19世紀のウェールズの一部の学校では、ウェールズ語を話した子どもに 「Welsh Not」 と呼ばれる木札を持たせて、子どもを罰する慣行があったの。でもその一方で、ウェールズ語は礼拝堂での礼拝や歌を通して守られてきた。人々はウェールズ語で歌い、ウェールズ語で話したの。歌は彼らにとって、自由と希望、人とのつながりを与え、真実を明るみに出すための手段だった。
今の質問に答えるうえで重要だと思うのは、社会において、抑圧する側よりも抑圧を経験した側のほうが圧倒的に数が多いということ。つまり、抑圧や歴史修正は、多くの人に共通する話でもある。私たちは、自分たちが思っている以上に多くのものを共有しているから。だからこそ、お互いに自分たちの物語を語り合うことが重要。そのためには、たとえ痛みを伴うとしても、自分たちの歴史を理解しなければ前には進めない。でも、それがカタルシスであり、癒やしでもある。私は、音楽がそのための大きな役割を担っていると思うわ。
─なるほど。
上の世代の人たちとのつながりを持ち、彼らに話を聞くことも、とても重要だと思う。相手が話してくれるのを待つのではなく、私たちの側から聞きに行くってことね。私の場合、祖母にウェールズの歴史や彼女が経験したことについて聞いて、その場面を録音して残すようにしていたの。祖母に質問をしたときの音声は今も残っていて、それが私たち家族にとっての真実になっている。自分から外へ出て、リサーチすることが私たちの責任だと思うから。
誰かがやって来て、急に私たちを救ってくれるわけではないから、自分たち同士がお互いに話し続けるしかない。恐怖は分断を生み出す。それが今は、過去とは違う形で行われているだけ。だから、私たちは絶えずコミュニケーションを続けなければいけない。それが曲という形になることもあれば、誰かとの会話になることもある。
─フジロックでの Massive Attack (マッシヴ・アタック) のステージも、とてもパワフルでしたね。彼らのステージも観ましたか?
ちょうど私も Massive Attack のことを考えてた (笑)。彼らのショーは本当にパワフルで、観客に真正面から現実を突きつける。でも同時に、アーティストたちは、それぞれのやり方で役目を果たす必要がある。私の場合は、「ポジティブな逃避 (positive escapism)」 と呼べるものが重要だと思ってる。私の作品にも真実を語ったり、現実を突きつけたりする場面はあるけど、同時に、人々が何かを忘れようとすることが必要な瞬間もあって、自分の音楽はそうしたときのためにも存在するの。
でも、フジロックで聴いた、Elizabeth Fraser (エリザベス・フレイザー) の 「Song to the Siren」 は本当に素晴らしかった……。あれを思い出して、この1週間ずっと泣いていたような気がする (笑)。彼女は、私が一番好きなボーカリストだから、あの光景を観られたことは、言葉では表せないほど特別だった。
─新作の EP 『KELLY』 について教えてください。この作品では、どのようなテーマに取り組まれたのでしょうか?
『KELLY』 は、今、私は一体何者なのかを問うような作品。見せかけなんてクソくらえだと思ったし、人々がアーティストとして私をどう定義するのかとか、私にどうあってほしいのかとか、そういったことが心底どうでもよくなって。これが今の私なんだってことを示したかった。だから、今の瞬間に集中して、即時性や一体感、身体性、肉体といったことをテーマに、自分の身体へ戻ってくるような感覚を大切にしていたわ。
EP のリリース後、深い没入感や身体性を感じられるように、キャパシティが100人から200人くらいの小さなクラブでツアーをしたの。クラブツアーでは、スマホの使用を禁止にして、画面から離れて、今自分がいる瞬間に集中してもらうようにした。EP の最後の曲が 「Lose Your Head」 なのも、文字どおり、この瞬間の楽しさに一緒に飛び込んでほしいということを表してる。私はパフォーマンス中、いつも頭を振っているから、よく脳震盪を起こしてしまうんだけど (笑)。
─『KELLY』 は、クラブやライブイベントといったフィジカルな空間で得られる身体感覚やつながりに影響された作品だと話されていました。フィジカルな空間で得られる感覚を、レコードへと変換するために、どのようなアプローチを取りましたか?
The Prodigy (ザ・プロディジー) のようなアーティストについて考えていたの。グラストンベリーで彼らを観たときに、彼らからパンクのようなエネルギーを感じた。彼らのサウンドは、身体に直接響く。即時的で、時には不快ですらある。だから、完璧に磨き上げたものにするのではなく、音楽として、自分自身を興奮させるような、壁を突破するような作品にしたかった。サウンドをかなり鋭く、境界線を超えるようなものにしようとしていたの。普段ならやらないような方向に、シンセを動かしていったりね。
─フジロックのセットでは、Radiohead (レディオヘッド) の 「Everything in Its Right Place」 をプレイされていましたが、あなたはほかにも Massive Attack や Cocteau Twins (コクトー・ツインズ) など、クラシックなクラブセットではあまりないような音楽もプレイされています。そうした曲をセットに取り入れているのはなぜでしょう?
私はもともとバンドでベースを弾いていたようなインディー・キッドだったから、単純にそういった曲が好きなの (笑)。むしろ、25歳くらいになるまでは、テクノのようなクラシックなダンスミュージックが好きになることもなかったくらい。Cocteau Twins は、大好きなバンドのひとつ。彼らがリリースしたアルバム、EP、シングルは、ほぼすべてレコードで持っていて、コレクションしてる。アートワークという言葉があるけど、Vaughan Oliver (ヴォーン・オリヴァー) のアルバムジャケットこそ、アートだと思うわ。アーティストとしての私を形作っているのは、実はそういった音楽なの。
DJ をするときは、その土地に関連した音楽をプレイするようにしていて、スコットランドでは Cocteau Twins をかけて、ブリストルでは Massive Attack をかける。だけど、共通しているのは、彼らの音楽の中心にはハートがあること。私の音楽と彼らとの共通点も、そこにあると思ってる。私の音楽が、テクノといった伝統的なひとつのジャンルに収まらないのも、その理由。私の音楽はいろいろな要素が組み合わさっているけれど、中心にあるのはハートと感情。セットを考えるときに、それを取り入れることが本当に楽しいの。
Radiohead をかけた DJ のビデオは大きく拡散されて、あの映像をきっかけに、Swedish House Mafia (スウェディッシュ・ハウス・マフィア) からマイアミのショーに呼ばれたこともあったの。そのときは飛行機まで用意してもらって、何が起きているのか自分でも正直わからなかったけど、とりあえず、空いてるし行くわって感じで (笑)。
でも、映像が拡散されたあとは、“Radiohead の曲をかける女性 DJ” として認識されたくなかったから、しばらくあの曲をかけるのをやめてた。だけど、フジロックのセットでは、「いや、ここでは絶対にかけなきゃ!」って感じた。Radiohead をかけて、結果的にとても楽しかったし、最高の思い出になったわ。
─Depeche Mode とのツアーへの帯同や大型フェスへの出演など、今では大型のステージでパフォーマンスすることが増えたと思います。そうした経験は、現在のパフォーマンスや音楽制作にどのような影響を与えましたか?
なぜかわからないけど、自分のステージは大きければ大きいほどいいと思うようになったの。Depeche Mode とのツアーでは、7.5万人の前で演奏する機会が何回もあったんだけど、そのとき、ここが自分の居場所で、私はここにいるべきなんだと思った。もちろん、私のために集まった観客ではないけれど、多くのオーディエンスの前でパフォーマンスすることが、不思議なことに、とても自然に感じられたの。
今はできるだけ多くの人とつながろうとすることを、ひとつの挑戦としても捉えているから、彼らとのツアーは重要な経験になった。特にライブでは声を前へ飛ばして、広い空間を声で満たさなければならなかったから、そのことを意識することで、自分のボーカルが成長して、自信もついたと思う。ツアーを終えたあとに 『Dreamstate』 をレコーディングしたときは、声そのものが変わったような手応えを感じたわ。
─面白い変化ですね。
Depeche Mode から学んだもうひとつの重要なことは、いろいろな人たちを自分のチームに招くことが重要だってこと。ソロアーティストといっても、ひとりでやっているわけではなくて、そこにはレーベルがあって、私を支えてくれるチームのメンバーがいる。私はどうしても全部自分でやろうと考えてしまうんだけど、人に頼ることも同時にとても重要なんだと気づかされたの。Charli XCX (チャーリー・XCX) からも同じようなことを学んだんだけど、彼女のチームにいる人たちは、“メイク担当” のような単なる仕事の関係性ではなくて、人間同士の関係性がある。
ツアーは人生の大きな部分を占めるから、チームでそうした関係を築くことが、人生の重要な瞬間を楽しむための大きな助けになると思う。そういった意味で、Depeche Mode との経験や Charli のアドバイスは、私の人生を変えてくれたわ。
今は、ツアーをする際には必ず、フォトグラファーをしている友人に来てもらっているの。そうすれば、ツアーをしながら友達との時間を過ごせて、ソーシャルライフも楽しめるからね。今回は、フジロックでの1週間を撮影するために、友人の Daisy (デイジー) がオーストラリアから飛んできてくれた。エージェントの Sally (サリー) と一緒にね。そのほうがずっと楽しいもの。














