『すべて真夜中の恋人たち』は「光の映画」。映画監督・岨手由貴子が描く、孤独のなかの光
yukiko sode
photography: Hinato Nishitani
interview & text: Rie Tsukinaga
誰かとわかり合うことの難しさ。それでも、誰かを知りたいと願うこと。孤独のなかで生きる私たちに、世界はどんな光を見せてくれるのだろう。『あのこは貴族』で、異なる背景を持つ女性たちの人生を通して現代社会を描き出した岨手由貴子監督の待望の最新作は、川上未映子の小説を原作にした『すべて真夜中の恋人たち』だ。第79回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に選出された本作が描くのは、孤独のなかで生きてきたひとりの女性の日常が、周囲の人々との関係を通して少しずつ色を変えていくまでの時間。
フリーランスの校閲者として働く入江冬子役を演じるのは岸井ゆきの。冬子が偶然出会い、次第に恋心を抱く年上の物理教師・三束役を浅野忠信、友人で仕事相手でもある石川聖役を森田望智が演じる。誰かとつながりたいと願う気持ちと、他者との距離を保とうとする心。そのあいだで揺れ動く感情を、本作は静かなまなざしで掬い上げていく。登場人物たちの繊細な心の動きを、柔らかく静かな光に満ちた映像へと昇華させた岨手監督。原作と向き合うなかで見出したものから、映画という表現を通して描こうとした感情、そして本作に込めた思いまで、その制作の背景を聞いた。
『すべて真夜中の恋人たち』は「光の映画」。映画監督・岨手由貴子が描く、孤独のなかの光
Film
─この映画の原作は、入江冬子の一人称で書かれた小説です。「わたし」の視点で書かれた小説を映画の脚本にするのは難しい作業だったと思いますが、どのような工夫をされたのでしょうか。
映画尺の脚本にするうえで、原作小説のすべてを盛り込むことはできませんし、文章と映像表現の特性も違います。要約したり、オリジナルのシーンを足しながら、細部のありようが変わっても物語の根幹は変わらないようにする。脚色する時はいつもそのように考えています。
本作でひとつ決めていたのは、キラーフレーズとなるセリフを書かない、ということ。前作『あのこは貴族』は印象的なセリフをたくさん書いたので、鑑賞後の感想でも「あのセリフが良かった」「あの言葉が刺さりました」と言ってもらえることが多かったんです。でも、今回は少し違うことをしたくて、キャッチコピーのようなわかりやすいセリフを排しました。ひとつひとつのセリフは耳に残るようなものではないけど、点在する言葉がやがて形を成して星座をつくる、というイメージで書きました。
─冬子はひとりでいるのを好む孤独な人のようでいて、いつも誰かと会話をしている印象を受けました。ぽつりぽつりとではあるけれど、聖や三束とはいろんな話をするし、初めて会った人とも会話をしています。
それぞれの会話には実は細かい仕掛けをしています。たとえば、冬子が喫茶店からの帰り道に三束を呼び止めて、「私、光を見るのが好きで」と切り出す場面。それを受けて、三束が「私も光が好きで物理を始めたようなものです」と答えるんですが、そこで冬子は「三束さんが言う光は、私がイメージしている光と同じものですか?」と尋ねます。実はこのセリフは、冬子がその少し前に、偶然立ち寄った酒屋の店員さんに言われた言葉とほぼ同じものです。日本酒のラベルに書かれた文字を見ながら、「同じものをイメージできているかわかりませんが」と店員さんが言う、その言い回しが冬子の中に残っていたんでしょう。
劇中で、聖が「嬉しいとか悲しいとか美味しいとか、ぜんぶ仕事で読んだ文章の引用なんじゃないかって気がする」と話すように、街で偶然出会った人が何気なく口にした言葉が耳に残っていて、自分でも気づかないうちにその言葉を引用していることって、実はたくさんあると思います。聖の話を聞いたときの冬子は、自分は引用なんてしない、私の感情や考えはぜんぶオリジナルのはずだと、あまりピンときていないような反応をします。だけど実は彼女もまた、誰かの言葉を引用している。そういう無意識のリフレイン/繰り返しのような描写は、さりげなくですが、映画のいろんなところに散りばめられています。
─高校で物理を教えているという三束が、冬子を相手に「光とは何か」という説明をする場面が何度も登場します。
三束の光をめぐる説明のひとつひとつが、冬子を取り巻く人間関係にもつながっています。たとえば三束は、光は何かに反射して初めて視覚できる、そこに光があたる対象がないと人は光を認識できない、という話をします。それは、見えていないからといって存在しないわけではない、ということでもある。その言葉が、では実らなかった恋はなかったことになるのか、という冬子の恋愛をめぐる問いへとつながっていく。彼の発する言葉すべてが何かしらのメタファーになっているんです。そのように原作にあった要素を膨らませて、いろんな仕掛けを施しています。
─どんな映画にも過去の作品からの影響があるように、「引用」はとても映画的なテーマに感じます。それに、「光と影の芸術」と言われるように、「光」もまた映画的主題です。
原作を読んで私が面白いと思ったポイントがまさにそこでした。光がモチーフになっていたり、引用の話が出てきたり、これって “映画” の話そのものじゃないかと。
─とはいえ、言葉で語られた「光」を映像で表現するのはかなり難しかったのではないでしょうか。
物理をめぐる説明は物語上必要なところなので、三束によるレクチャーとしてそのままセリフで聞かせていますが、それ以外はあまり説明的にならないように、芝居や照明(ライティング)を使ってさまざまな光を表現しています。
撮影スタッフはみんな「光の映画」を作るんだ、と張り切っていました。特に永田ひでのりさん率いる照明部のみなさんのやる気が凄まじかった。光をテーマにした映画ってなかなかないし、ある意味でこれは照明部が主役の映画なんですよね。窓の外から部屋へと差しこむ日の光の変化や、夜の道を照らす街灯の光など、監督の私でも気づかないような細かい光の仕掛けをあらゆる場面に施していて、編集中に撮影した素材を見ながら「ここにもこんな仕掛けがされていたんだ」と何度も驚かされました。撮影中もみんな「ここ、まだ何かできるかも」と隙あらば何か工夫をしようとしているので、「ピラニア軍団」と呼んでいたくらいです(笑)。
─今回は、デジタルではなく16ミリフィルムで撮影されているのも特徴的ですね。
予算的なことを考えると、今はフィルムで撮るのはなかなか難しい状況にありますが、今回は16ミリフィルムで撮ることができて本当によかったです。フィルムで撮ることで、光が当たる部分も白飛びせず、ちゃんと「光」として撮ることができる。それは映画制作者にとってすごく大きなことです。今、この瞬間をフィルムに焼き付けるという緊張感や特別さみたいなものが確実にあって、現場の士気もすごく上がっていた気がします。
撮影後も、通常は撮った素材の色みやトーンを調整していくんですが、今回はあとから色をいじることはほとんどしていなくて、ほぼ撮影した状態のまま使っています。たとえば夜のシーンを撮るとき、デジタルの場合は撮ったあとに少し明るさを上げたりして、画面上で見やすいように調整するのが普通ですが、今回は暗いところは暗いままで残しました。光のありかたにしても、夜の暗さについても、映画に映っている風景はすべて実際に映された素材そのものです。
─物語としては暑い夏の時期からクリスマスの時期までかなり長い期間が描かれていていますが、実際に撮った季節はいつ頃だったんでしょうか。
冬子の高校時代を描く回想部分に関しては6月の頭くらいに撮ったんですが、それ以外は、夏に見える部分もすべて1月に撮っています。主役のおふたりはもちろん、エキストラのみなさんも寒いなか夏服を着て頑張ってくださって、本当に頭があがりません。
─本来は冬子のモノローグである言葉を、冬子役の岸井ゆきのさんではなく、劇中には登場しない松坂桃李さんが読んでいる、という点も面白かったのですが、あの構造はどのように思いつかれたんでしょうか。
モノローグを使わない、という選択肢もあったのですが、川上未映子さんの美しい文章を削ってしまうのはやはりもったいないなと思い、時間経過にまたがる部分など数箇所だけモノローグにすることにしました。ただ、口下手な冬子が突然ぺらぺら話していたらおかしいので、冬子ではない声に読ませなければなりません。だけど女性の声にしてしまうと「冬子の声じゃないなら誰?」と混乱を招いてしまう。そこで、男性の声にしようと考えたんです。
ではこの冬子の言葉を読んでいる男性は誰なのか、という疑問が当然浮かびますよね。これは具体的な設定ではなく、あくまでイメージなのですが、感覚としては深夜ラジオのパーソナリティのような距離感で語られる声です。今のように Podcast が人気になる前の深夜ラジオは、夜な夜な、見知らぬ他人の体験談を聞きながら、ひっそりと思いを馳せたりするものでした。深夜にひとりでいながらも、同じ気持ちを抱えている人が世界のどこかにいるという感覚。それが、深夜ラジオの作り出す不思議な時間だったように思います。
冬子はずっと、何の責任も負いたくないし、誰も自分のことをわかるわけがないと思っていた人だと思います。それが三束との恋を経験して、世界のどこかにいる、自分と同じ真夜中を過ごす誰かのことを思う人間になる。その冬子の変化をとても豊かなものに感じたし、そういう人との距離感が、すごく深夜ラジオっぽいなと思ったんです。
─映画を観ていて、冬子の日記を読んでいるような印象を受けたのですが、深夜ラジオのパーソナリティのイメージというのは面白いですね。
冬子は自分の体験談をラジオに投稿するタイプではないですし、あくまで制作上のイメージです。ただ、映画の最初のほうで冬子と聖が乗ったタクシーのなかでラジオが流れているんですが、実はその声も松坂さんが演じてくださっています。そうしたさりげない仕掛けも楽しんでもらえたらいいなと思っています。













